賑やかで、温かくて、トイレがある。
数時間後。
キャンプ地には、複数の探索者パーティが入れ代わり立ち代わり、ひっきりなしに訪れていた。
ぱっと見回すだけでも、常に十人以上の探索者たちがキャンプ地をうろついている。こんなにたくさんの傷病者が出たのかとぎょっとしたけれど、どうもそういうわけではないらしい。
彼らをキャンプ地へと導いたのは、蒼灯さんが自撮り写真と共に上げた広告文。その中にそっと付け加えられていた、ある文言によるものだ。
※仮設トイレ、あります。
この一行が、探索者たちをキャンプ地へと駆り立てた。
「神だ……」
「迷宮内にちゃんとしたトイレがある……」
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
「おトイレ様のご加護がありますように……」
ここを訪れた探索者たちは、そんなことをつぶやきながら崇め奉っていた。トイレを。
蒼灯さんが「これ置くだけで絶対に人来ますから!」と太鼓判を押していたので、日療の備品から借りてきたのだけど、その効果は絶大の一言だった。
まあ、その。探索者ってやつは、迷宮内でもよおしたら、一旦配信画面を蓋絵にして、いわゆる
いざという時のために携帯トイレは持ち歩いておくものだけど、それにしたってお世辞にも気持ちよく使えるようなものではない。お手洗いに行きたくなったから探索を切り上げる、なんてこともよく聞く話だった。
そんな探索者のお悩みを解決したのが、仮設トイレ。
キャンプ場まで持ってくるのは大変だったけれど、これだけ喜んでもらえたなら、苦労した甲斐もあったってものだ。
:あの、診療所よりトイレのほうが利用客多くないですか?
:気持ちはわかるけど、なんかその、なんかね
:本当に求められていたのは診療所ではなくお手洗いだった……?
:まあ、人道支援には人としての尊厳を守ることも含まれるから……
たしかに一番人気はトイレだったけれど、私の診療所もそれなりには稼働している。
探索者なんて怪我のいくつかはどこかで作ってくるものだ。迷宮内での応急処置という本来の目的もきちんと果たせているので、私としては満足していた。
「あの、白石さん」
診療所で包帯をまきまきしていると、手当てを受けていた探索者にたずねられた。
「迷宮内でのお手洗いに、手当てまでしてもらって、こっちとしてはめちゃくちゃありがたいんですが……。これ、本当に無償でいいんですか?」
「ん」
頷く。
これは日療としての正式な仕事ではなく、あくまで私が勝手にやってることだけど、だからって利用料を取ることは考えていない。
別に営利目的でやってるわけでもないし。このキャンプの維持費だって、ちょっとその辺で魔物を狩ってくれば簡単にまかなえる程度のものだ。
「でも、さすがにそれは申し訳なくなっちゃうっていうか……」
「えと、じゃあ」
そういうことなら、ちょうど都合のいいものがある。
「募金、待ってます」
そう言って、私はキャンプに持ってきた日療の募金箱を指さした。
十分後。募金箱がパンクした。
……そうだった、探索者の金銭感覚っておかしいんだった。私が設置した小さな募金箱は、利用料代わりに軽く突っ込まれていった小銭やらお札やらで、ものの見事に溢れかえっていた。
「これは、賽銭箱が必要ですね」
蒼灯さんはそう苦笑する。
それから蒼灯さんは、近くで休んでいた探索者たちに声をかけて、何事かやりはじめた。
彼女に何事か頼まれた探索者たちは、迷宮に生えていた木を伐り倒し、その場で製材して、魔法を使って乾かして、トンテンカントンと釘を打つ。
そうこうして出来上がったのは、即席の賽銭箱だ。
「嬢ちゃん、こんなもんでいいか?」
いいか、と聞かれても。私にはもう、ありがとうございますとしか言えなかった。
そうやって一度実物ができると、後はもう早いもので。探索者たちは自分の探索そっちのけで、木を切って資材を集めて、テーブルだの椅子だのを作りはじめた。
最初はちょっとしたDIYみたいなものだったけれど、やっているうちに楽しくなってきたらしい。救助対応で少し席を外している間に、キャンプ地のど真ん中に大きなキャンプファイアーが組み上げられていた。
よくもまあ、こんなものまで作ったものだ。
しげしげと眺めていると、次はこんなことを訊かれた。
「白石さーん。うちらのパーティも、ここにテント張ってもいいですかー?」
もう好きなようにやってくれ。私の土地ってわけでもないし。
私の診療所と仮設トイレ。キャンプファイアーに不揃いの椅子や机、あとは探索者たちがめいめい立てた自分たちのテントが、ものの一日でキャンプ地に立ち並ぶ。
段々と人も増えてきて、もはや手当てもトイレもそっちのけで、普通にキャンプしに来ただけなんじゃないかって人たちもいた。
彼らは探索者であると同時に配信者だ。面白そうなことに引き付けられるのは、きっともうそういうものなんだろう。
昨日よりもずっとずっと賑やかな一日。夜が訪れても、その喧騒は終わらない。
「白石さん。向こうでキャンプファイアーやってますけど」
「んー……」
日も落ちて、キャンプ地の中央で繰り広げられる炎の宴を、私は自分のテントから温かいお茶を手に眺めていた。
隣にいるのは蒼灯さん。彼女もここに泊まることにしたようで、うちの隣に自分のテントを張っていた。
「ここでいい」
楽しそうだったけれど、混ざろうとは思わない。
あそこにいるのはみんな配信者。明るくて楽しい人気者たちだ。
いい人ばかりだってことは知ってるけれど、私のコミュ力で彼らの輪に飛び込むのは、まだまだハードルが高かった。
「……なんだか、騒がしくなっちゃいましたね」
ちょっとだけ、気遣いの声音。
「まさかこんなに盛り上がるとは思っていなくて……。ご迷惑じゃなかったですか?」
別に迷惑だなんて思っていない。
混ざりたいとは思わないけれど、遠巻きに眺める分には、結構楽しい。
「ううん。楽しそうな人、見るの、好きだから」
「そうですか」
蒼灯さんは安堵したように微笑む。
「蒼灯さんは、行ってきていいよ?」
「いーえ。私は、ここがいいんです」
「……なんで、くっつくの?」
「寒くなってきましたからねー」
「カイロ、使う?」
「もう。そういうことじゃないですってば」
狭いテントの中で、蒼灯さんはぴったりと身を寄せる。
触れ合った箇所から感じるほのかな温もり。それは、手の中にあるマグカップと同じくらい温かくて。
本当は、人と接することだって、あんまり好きってわけじゃないんだけど。
この時は、なぜだか不思議と、嫌って感じはしなかった。
:あの、これってまさか
:静かに
:黙れ……静かに見守れ……
:俺たちは空気だ、漂うことに集中しろ……
:てぇ……てぇ……
:しーっ!
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