二章 変わるもの、変わらないもの、これから変えてみたいもの

わちゃわちゃ。

 #6 おはよ


 ぬかるむ土を踏み抜いて、深緑の森を駆け抜ける。

 眼前にいるのは三匹の灰狼。迷宮二層、樹海迷宮エバーリーフに生息する狼型の魔物だ。

 こいつらは高度な連携で獲物を追い詰める難敵だ。屠るコツは、まず真っ先に指揮系統を潰すこと。

 中央にいる一際大きなアルファ個体に狙いをつけて、私は自分の得物――二振りの短剣を振り抜いた。


:わんわんお! わんわんお!

:いいの入ったな

:アルファ個体もワンショットかよ

:あの狼、結構強くなかったっけ……?

:短剣全然いけるやん


 二連撃を叩き込まれたアルファ個体は、首筋から血を噴き出して倒れ伏した。

 悪くない感触だ。これまで使っていた片手剣に比べて、短剣は取り回しがいい。その分リーチに欠けるけれど、そこは魔法でカバーできる。

 左足のホルスターに差したシリンダーに魔力を通す。途端、旋風が両手の剣に巻き付いた。


:おー、風研ぎか

:短剣と相性いいんだっけ?

:双剣風研ぎは風双剣界隈じゃ定番コンボやね

:聞いたことないが

:風属性の適性持ってる人あんまいないしなぁ

:風研ぎ使ってるやつはもっと少ないし

:そもそも双剣使いもそんなに見ない

:風双剣界隈ってなんなんだ……?

:俺は!!!!! 使ってるんだよ!!!!!

:なんかごめん


 風研ぎ――風の刃を剣に纏わせる、風属性の補助魔法だ。

 旋風が刀身を覆い、短剣に欠けるリーチを補う。切れ味と速さを増した刃を振るうと、二匹目の狼もさくさくと切り落とされていった。

 と、その時。少し離れたところにいた三匹目の狼が、背中側から飛びかかってくる。

 振り向きざまに剣を振り抜いて迎撃する。勢いを載せた二本の刃は狼の牙に当たり、カァンと甲高い音を立てた。


:あ

:えっ

:あー……

:折れちゃった

:オジョウカリバー四世とオジョウカリバー五世ーーー!!!


 太刀筋にブレはなかったはずだ。しかし、狼の牙と正面衝突した二本の刃は、ぺきっと根本から折れてしまった。

 ……武器、また壊れちゃった。


:まーたお嬢が武器壊してる……

:最短記録ですねこれは

:そんなに雑に扱ってたか?

:いや、お嬢の魔法に武器が耐えきれないんだわ

:あの短剣も安物だからなぁ

:最近のお嬢、キレッキレだからなおさらね


 さすがに、十本で五十万円の短剣はまずかったかぁ……。

 今使っている武器は、歴代の愛剣でもぶっちぎりの安物だ。折れたら換えればいいやのつもりではあったけれど、こんなにすぐ壊れてしまうのはちょっと想定外。


 ただ、私の剣も折れたけど、狼の牙もへし折れた。牙を砕かれた狼は口から血を流して悶え苦しんでいる。

 ポーチには予備の短剣もあるけれど、ここまで追い詰めたらあと少しだし。あんまり武器を傷めるのも、お財布的によくないし。

 しょうがない。あれ、やるか。


:あの、お嬢?

:なんで拳を握りしめたんですか

:おい待て、まさかやる気か?

:またか!? またやるのか!?


 ホルスターに差したシリンダーに魔力を通し、両手の拳に風を纏う。

 助走をつけて軽く跳び、のたうち回る狼の頭に、勢いを乗せた拳を振り下ろした。

 狼は短く悲鳴を上げる。後はいつも通り、マウントポジションを取って、死ぬまで殴るだけ。


:またですか、また撲殺ですか!

:なぐるのやだー!

:だからやめなさいってそれ

:絵面が悪すぎるんよ

:何回目ですかお嬢

:もはや伝統芸能

:リリス戦以来すっかり味占めやがって

:武器壊しても殴ればいいやって思ってない?


 ちょっと思ってる。

 しょうがないじゃん、武器ってすぐ壊れるんだもん。私だってこんなことしたくないけど、すべては簡単に折れる剣が悪い。

 頑丈な武器を買えばいいんだけど、この頃の私は金欠気味なのでそんな余裕はなく。たどり着いたのがこのスタイルだった。


 しかし、短剣なぁ。どうしようか。

 武器としては悪くないんだけど、左手が埋まるのが気に入らない。私の戦闘スタイルだと、できれば片手はシリンダーのために開けておきたいのだ。

 足にくくりつけたホルスターにシリンダーを差しても魔法は使えるけれど、どうしてもコントロールから精密さが欠ける。それに、ホルスターに差せるのも二本が限度だ。それ以上となると、今度は使いたいシリンダーに魔力がうまく流せなくなってしまう。


 となるとやっぱり、今まで通り左手はシリンダーに使って、右手はリーチと火力のバランスがいい片手剣を握りたくなるんだけど……。

 でもなぁ……。

 短剣、安いからなぁ……。


:お嬢、お嬢、なんかよそ事考えてない?

:まだ戦闘中ですよ

:考え事しながら殴られる狼くんかわいそう

:動物愛護団体と日療ってどっちが強いの?

:この世の終わりみたいな対戦カードを組もうとするな

:あ、終わった

:狼よ、安らかに眠れ……


 しばらく殴っていると、三匹目の狼も魔力に分解されて消えていった。残った魔石を回収し、ポーチの中に放り込む。

 さて、簡単な方のお仕事はこれでおしまい。続いて、ちょっと難しい方のお仕事だ。

 立ち上がって土を払う。振り向くと、木々から伸びる黒いツタに、二人の女の子が絡め取られていた。


「大丈夫?」


 彼女たちが今回の要救助者だ。

 救助要請を受けて飛んできた時にはもうこの状態だった。がんじがらめにされて動けないところを、狼の魔物に見つかってしまったらしい。


「は、はやくっ……! つ、ツタが、さっきから際どいとこに……!」

「めいちゃん、落ち着いて! 暴れたら余計に……! ひゃんっ!」


:女の子とツタね、うんうんなるほどね

:なるほど迷宮にはこういう脅威もあるのですね

:いやあこいつは貴重な記録映像だ

:すみません、細部が見たいのでもう少しカメラ近づけてもらってもいいですか?

:今日はこれでいいや

:どすけべえっちばい


「見るな、ばか」


 ドローンにタオルを放り投げて、カメラを覆い隠す。

 助けを必要としている人たちを変な目で見ないでほしい。そういうのは、私もちょっと怒るぞ。


:あー!!!!!

:グロいのは容赦なく流すくせにー!

:ごめんお嬢、もうそういう目で見ないから!

:すみません出来心だったんです許してください!

:終わるまで隠してていいよ、あいつら絶対反省しないから

:正解


「ん、あっ……! もう、やめろ、よぉ……!」

「ひうぅ……。これ、とってくださいぃ……」


 女の子たちは切なそうな声で悶える。はいはい、今助けるから。ちょっと待ってね。

 あの黒いツタにはには近くにいるものを手当たり次第に絡め取る習性がある。下手に近づくのはよくない。最悪、私も絡め取られてしまうだろう。

 あれを外すのにはちょっとしたコツがあるんだ。

 私はポーチから松明を取り出して、ライターで火を点けた。


:ちょっとだけでも見せてくれませんか……

:あれって二層でよく見るトラップだよね?

:下心とか抜きに、対処方法は普通に知っときたいかも

:おう俺らが代わりに教えてやるよ

:できればお嬢に冷たくされながら嫌々教えてもらいたいです

:なんでも正直に言えばいいってもんじゃねーぞ

:迷いなく言い切った勇気は評価したい


 対処方法と言っても難しくはない。このツタは火を嫌うので、松明を近づけてやればいいだけだ。

 松明をかざしながら二人に近づくと、ツタは少女たちを解放してするすると逃げていった。


「ありがとう、ございます……。もうちょっとで、倫理フィルターのお世話になるところでした……」

「そういう問題じゃないよ、めいちゃん……」

「ん」


 私はこくりと頷いて、ドローンからタオルを外した。

 へたり込んだ少女たちに水を手渡す。冷えた水が喉を滑り落ちてもなお、彼女たちの火照る肌はじんわりと汗ばんでいた。


:なんか、まだえっちかも……

:どきどきしてきちゃった

:怒られても知らんぞ

:やっぱ反省してねーなこいつら

:この前俺が罠踏んだときの映像やるからそれで我慢しろ

:あ、それは大丈夫っす

:遠慮しときます


 うちのリスナー、時々アホだなぁ……。

 落ち着いたところで、この二人にはツタの対処方法もレクチャーしておこう。一応ちゃんと知りたがっているリスナーもいるみたいだし。

 話す前に、頭の中で言いたいことを簡単にまとめる。そう難しいことではない。ただ、こう言えばいいだけだ。


 ――このツタには火を嫌う性質があります。二層ではよく見る植物なので、このあたりを探索する際は松明を持ち歩くといいでしょう。私の予備を差し上げるので、帰り道はそれを使ってくださいね!


「えっと、火が……。松明、とか。これ、予備で……」


 …………。

 わかってる。自分でもわかってはいるんだ。みなまで言わないでほしい。


:なるほど、つまりあの植物は火を嫌うんだな

:二層を探索する時は松明を持ち歩くといいのか

:予備を渡すなんて、お嬢は優しいなぁ

:お前らなんでわかるんだよこえーよ

:訓練されすぎだろここのリスナー

:これはまだ簡単な方やね

:お嬢検定準二級くらい?

:この配信怖すぎ


 コメント欄から得も知れぬ狂気のようなものを感じたので、私はしれっと目を外した。都合の悪いコメントは読まない。この前、友だち・・・の蒼灯さんから教わった配信スキルだ。


「松明、ですか? もしかして、火を嫌うんですか?」

「うん」

「なるほど、そういうこと……。ありがとうございます、使わせてもらいます!」


 彼女は屈託なく笑って、私の差し出した松明を受け取った。気にしないで、と首を振ってみる。伝わるかな。


:察しのいい子でよかった

:ちゃんと伝えられてえらい

:伝えたというか伝わったというか

:お嬢のコミュニケーションの八割は相手の努力で成り立っています


 それは本当にごめん……。

 私だってなんとかしたいとは思ってる。だけど、誰かと話そうとすると頭がぐるぐるしてしまうのだ。慣れてきたらちょっとはマシになるんだけど、初対面の人はどうしてもダメ。

 彼女たちを連れて、ツタのない安全な場所まで移動する。そこで私はもう一度二人に向き合った。


「怪我、見せて」

「どこも怪我してないですよ?」

「念のため」


 二人の体を簡単に確かめる。ツタに掴まれていた箇所が少し赤くなっていたけれど、それ以上の傷はない。ちょっと擦過傷があるくらいだ。


「あ、あの!」


 体を診ていると、少女たちの片方――めいちゃんじゃない方。名前は知らない――が大きな声を出した。


「その白衣と腕章、もしかして日療の白石さんですか!?」


 ……?

 確かにそうだけど、知り合いだろうか。あいにく私はこの子に見覚えがなかった。


「え、と……?」


 どこかでお会いしましたか、と首を傾げる。彼女はそれをスルーして、隣の少女の手を取った。


「わ、わ、すごいよめいちゃん! この人だよ、この人! あのリリス退治の!」

「え、マジで? この人があの!?」

「そう! 撲殺天使白石さん!」

「ちがいます」


 反射的に答えている私がいた。

 誰だよそいつ。そんな不名誉な名前で呼ばれる覚えはないぞ。


「リリス戦のアーカイブ、何度も見ました! あの時から大ファンなんです! どんな魔物も殴り殺すって、本当だったんですね!」

「誤解があります」

「すごい、すごいよめいちゃん! 天使の撲殺、生で見ちゃった!」

「違うんです」

「白石さん! もしよかったら、記念に殴ってもらってもいいですか……?」

「やです」


:強火のファンじゃねーか!

:なんだ、ただの俺らだったか

:なんだか親近感が湧くなぁ

:いいなぁ、俺も殴ってほしいなぁ

:おい一緒にすんなドMども

:健全なリスナーもいるからな! 全員がこんなんじゃないぞ!

:俺はどっちかって言うと罵られたい方だから

:お前も同類だよ


 …………。わぁ。

 なんというか、すべてから目を背けてしまいたかった。だけど現実から目をそらすとコメントが目に入って、コメント欄から目をそらすと現実がそこにあった。

 私の逃げ場はどこにもない。この世はもうおしまいだ。


「おいよせって。白石さん、困ってんだろ」

「で、でも、めいちゃん……」

「いいから。あたしに任せとけって」


 遠い目をしていると、めいちゃん氏が彼女を諌めてくれる。

 よかった、こっちの子はまだまともらしい。この子までそっち側だったらどうしようかと思った。


「すみません、白石さん。助けてもらったのに、変なこと頼んじゃって」

「えと、はい」

「でもこいつ、あなたに殴られるのが夢だったんです。お願いします。一発、くれてやってくれませんか?」


 ちょっと待って。

 違うの。頼み方の問題じゃないの。そんな真っ直ぐな目で頼まれたって、困るものは困るの。


「マジで! 一発だけでいいんで! 先っちょだけでもいいんで!」

「やです……」

「ついでにあたしも頼みます。遠慮とかマジでいいんで、バシっと気合入れてください。おなしゃっす!」

「……お大事に」


 私は逃げた。

 迷宮の脅威はなんとかなる。要救助者の救護も慣れてきた。

 だけど、こういうのだけは、私にはちょっと無理だった。

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