幕間

日療の怪物

 時系列は少し前後して、白石楓が目を覚ます前のこと。

 日本赤療字社、本社。その上階にある役員室で、真堂司は硬い顔をしていた。

 その側には三鷹もいる。彼女は一歩引いた位置で、真堂の戦いを見守っていた。


「なるほど。つまり、真堂くん」


 真堂からの直談判を聞き終えた初老の男は、眉一つ動かさずに頷く。


「君たちはあくまでも、今のプランを推し進めるつもりなんだね」


 日本赤療字社事業局長、重國王義。

 一見して好々爺然としている男だが、簡単に切り崩せる相手ではない。並大抵のことでは動じもせず、少しでも油断すれば鋭く切り返してくる。

 率直に言って、真堂はこの男を苦手としている。真堂だけではない。現場の人間なら、誰だって苦手だろう。


「まあ、君の言い分はわかったよ。確かに君たちには実績がある。今回の救助作戦だって、蓋を開けてみれば見事なものだった。華々しい成果、劇的な救助劇、語り継がれる英雄譚。結構なことじゃないか」


 重國王義は笑わない。怒ることもしない。ただ淡々と、柳のように言葉を並べる。

 それが皮肉であるかどうかすらも、語調からは判断がつかなかった。


「だけど、僕はあの作戦を成功と呼ぶ気はない」


 ――さあ、来たぞ。

 簡単に説得できる相手ではないことはわかっていた。だが、それでもやはり緊張は走る。


「撤退命令の無視に、指針を明らかに逸脱した現場判断。しかもそれら全てがリアルタイムで配信されていると来た。なかなか面白いショーだったよ。身内のしでかしたことじゃなければ、ポップコーンを取りに行くところだった」

「局長、あれは俺の判断です。彼女は彼女の最善を尽くしたに過ぎません」

「ふむ、真堂くん。君、あの一件の問題はどこにあったと考える?」


 試すような視線。やり辛さを感じつつ、真堂は答えた。


「現場で起きたことはすべて俺の責任です。彼女の判断も、俺が承認しました」

「そんなことはどうでもいい」


 重國は何の感慨もなく否定する。


「誰が責任を取るかなんて、どうでもいいんだ。別に僕の責任にしてくれても構わないよ。上の人間なんて、頭を下げるためにいるようなものだからね」


 実際、失敗した時はそうしただろうし、と重國はつぶやく。

 重國にとっては自分の首が飛ぶであろう仮定だ。だが、それを想定しても彼は淡々としていた。

 日療の怪物。日本赤療字社でも際立って異質なこの男は、時にそう呼ばれることがある。


「僕はね、現場の裁量が大きすぎたことが問題だと思うんだ。君たちが言うところの救助作戦ってやつは、彼女のワンマンで成り立っているようなものじゃないか。あの子に与えられた裁量も責任も、一人で抱えるにはあまりにも重すぎる。だからああいった暴走が起こる。さすがにね、あれは不健全だと思うよ、僕は」


 真堂は苦々しい顔をする。

 痛いところを突かれた思いだった。真堂も三鷹も、白石一人に大きな負担をかけている現状は認識しているし、問題だと思っている。

 重國が言う通り、現状は不健全だ。それでも、真堂にも言い分があった。


「迷宮内の救助活動は未だ試験段階にあります。本来なら、もっと無理のない小規模な活動から試していく想定でした」

「あんな命がけの救助作戦なんて、やらせるつもりはなかったと」

「……その通りです」

「じゃあ、勝手にやったあの子が悪いんだ」

「いいえ、違います。それも含めて俺の責任です」


 真堂だって、あそこまでやるべきだったとは思っていない。

 そもそも当初の計画で言うと、まずは白石一人でも回る程度の救助活動からはじめて、ノウハウを蓄積しながら少しずつ活動の規模を広げていく予定だったはずだ。それが突然魔力収斂の対処をすることになるなんて、誰にとっても想定外のことだった。

 今回の件は誤算がいくつもあった。魔力収斂が起きたこともそうだし、白石本人が制止を振り切って作戦の続行を主張したこともそうだ。

 誰が悪いという話ではない。あの件に関わった人間は、誰もが己の最善を果たそうとした。その結果が、これだ。

 悪がなくとも問題は起こる。そして、正義がなくとも解決しなければならない。


「想定ね。僕は、意味のない言葉だと思ってる」


 怪物は続ける。


「僕たちがいるのはいつだって修羅場だ。想定外なんてものは常に起こる。それに対処するのも想定の内だよ」


 わかっている。想定外の対処なんて、それこそオペレーターの仕事だ。

 その上で言うなら、真堂だって判断を間違えたとは思っていない。あの状況ではああすることが最善の対応だった。

 最善を尽くして、賭けに勝った。それが事実だ。


「まあ、そういう意味ではよくやった方だと思うよ。失敗していたらとんでもないことになってたとは言え、実際のところ君たちは成功した。だから、この件についてはそれでよしとしよう」


 重國は一度矛を収める。

 だが、彼の目は少しも笑っていない。ピリついた雰囲気は、依然として室内に流れていた。


「それで、次はどうする?」


 次のこと。

 迷宮救助の今後。今回の反省を踏まえた、次回。

 また同じことが起きたらどうするか。怪物が求めているのは、その答えだ。


「迷宮内での救助活動はたしかに重要だ。だけど、君たちのプランはいささか性急すぎる。このままだと、彼女潰れるよ」


 重國の目には何の感情もない。

 怒りはない。責めるような鋭さもない。ただ、それでいいのかと聞いていた。


「やはり僕は、迷宮に潜れる人材を内部で育成したほうがいいと思うんだけどね。その方が確実じゃないか」

「ですが、そのやり方では時間がかかりすぎます」

「そうだね。きっと、軌道に乗るまでの間に大勢見殺しになるだろう」


 救命事業の長は、何一つためらうことなくその言葉を口にした。


「はっきり言いますね、局長」

「悪いね、僕は数字でしか物を見れない人間なんだ。だから現場から遠ざけられて、こんな椅子に座らされている。おかげでよく嫌われるんだよ。君も僕のこと嫌いだろう?」

「ええ、そうですね」

「それでいいよ。現場側の人間は、それくらいの方がいい」


 どこまで本気かもわからない言葉。冗談のように聞こえないあたりが、本当にたちが悪い。


「まあ、つまりはどっちがより多くを救えるかって話だよね。確実だけど大勢を見殺しにする僕のプラン。リスキーだけど即効性がある君たちのプラン。チップは命だ。どっちに賭ける?」


 軽い調子で怪物は聞く。その目は少しも笑っていなかった。


「局長。一つ、補足させていただいてもよろしいでしょうか」


 真堂の側に控えていた三鷹が口を挟む。


「白石さんに大きな負担がかかっている現状はこちらでも把握しています。ああいった事態が起きた場合、彼女が無理をしてしまうことも理解しました。その上で、状況を改善する見込みがあります」

「ふうん、どうするの?」

「バックアップ体制と人員を拡充します。現状の体制では、危機的な状況に余裕を持って対処できないことがこの問題の根因です。戦力が充実すれば、彼女にかかる負担も軽減されるでしょう」

「簡単に言うね。その予算はどこから出るの?」

「それについても、当てがあります」


 結局のところ、問題になるのはいつだって金だ。

 潤沢な予算があれば結果を出すのは簡単だ。しかし、現実にそんなものはない。誰だって限られたリソースの中でやりくりするしかないのだ。

 三鷹にはその予算を引っ張り出すプランがあるらしい。詳細は聞かなかったが、重國は頷いた。


「まあ、いいよ。三鷹くん。君もどちらかと言えば、僕と同じ側の人間だろう」

「……ええ、そうですね。私も、物事は数字で見る方です。あなたほどではありませんが」

「僕のようにはならないほうがいい。敵が多い生き方が好きなら、別だけど」

「肝に銘じます」


 内心、三鷹は胸をなでおろす。

 この怪物の相手はできるだけやりたくなかった。真堂のサポートのためについてきたが、表立って戦えるほど三鷹の腹は据わっていない。

 三鷹にできることはここまでだ。後は黙って、二人の戦いを見守ることにした。


「それで、真堂くん。君はどう思う?」


 重國はあらためて真堂に問う。


「即効性があるというメリットはたしかにそうだね。彼女にかかる負担についても、三鷹くんがうまくやるんだろう。だけど、当面の間はあの子次第だということは変わらない。君たちの秘蔵っ子さ、本当にうまくやれるの?」


 期待はない。侮蔑もない。一切の含意のないただの質問だ。

 それゆえに、誤魔化すことは許されない。


「彼女なら、やります」


 その質問を、真堂は真正面から受け止めた。


「俺も最初は無理だと思っていました。しかし、彼女は本物です。頭にあるのはどうすれば助けられるかということだけ。責任だとか、負担だとか、本人は気にもしていません。仮に俺たちが計画を中断したとしても、きっと一人でも救助活動を続けるでしょう。あいつはそういうやつです」

「コントロールできない人材は組織には不要だね」

「コントロールしますよ。それは俺の仕事です。白石に、これ以上無茶をさせないためにも」


 強い意志を宿す視線と、無感動な視線が交錯する。

 刹那の間に、火花が散った。


「彼女には大きなポテンシャルがある。俺はその可能性を信じることにしました」


 真堂司は覚悟を決める。

 チップは命だ。だからこそ、投資先を間違ってはいけない。


「だから俺は、あいつを信じる俺に賭けます」

「……いいね」


 その答えを聞いて、重國はわずかに口元を緩めた。


「悪くない。もし白石くんに賭けていたら、君の首を飛ばさないといけないところだった」

「するわけないでしょう。これ以上彼女に背負わせてどうするんですか」

「そうだね。僕らは誰だって背負っている。その責任を他人に押し付けるような人材は、日療には必要ない。――いいよ、わかった。それなら僕は、君を信じる僕に賭けよう」


 口元を緩めたのも束の間のこと。日療の怪物は、無感情に頷いた。


「真堂くん、三鷹くん。君たちの好きなようにやるといい。しばらくは黙って見ててあげるから」

「……どうも」

「それと、真堂くん」


 息をつく暇も与えずに、重國は続ける。


「僕たちは英雄じゃない。救えるのは最大多数であって、全てではないんだ。何もかもを救えるとしたら、それはもう英雄だ」


 それは、日療に所属していれば度々耳にする言葉だった。


「だけどね、英雄の末路は悲惨だよ。知ってるでしょ?」


 日療に所属する人間はその多くが善人だ。自己犠牲を厭わない人間だって珍しくはない。

 だからこそ、英雄という言葉はこの組織では忌避される。


「わかってます。俺たちは、あいつを英雄にするつもりはありません」

「聞いたところ、彼女には英雄の資質がある。潰れないよう、きちんと見ておくように」

「言われなくとも」


 そんな忠告をするあたり、重國という男も悪人ではない。

 ただ、判断を下す際は情に流されないというだけで。それは日療では貴重な才能だった。


「頑張りたまえ、真堂くん。君たちは面白い。これでも個人的には期待しているんだ」

「いいですよ、そういう冗談は」

「本当なんだけどね」


 重國はわずかに口元を緩める。

 この男にも、一応感情というものはある。しかし、微細すぎる表情の変化に気づかれないのも、怪物と呼ばれる男にとってはいつものことだった。

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