蒼灯すずの迷宮配信

 #4-EX 今日はまったり一層予定(蒼灯すず)


 痛む体を引きずって、蒼灯すずは逃げ続ける。

 息を切らして狭い坑道をひた走る。時々後ろから飛んでくる蒼炎が体をかすめるたびに、命を削られるような思いがした。


「……っ! 氷結壁!」


 シリンダーに魔力を通し、真後ろに氷の壁を展開する。坑道を分断するように作られた氷壁は、蒼灯と追跡者の間を強固に分かつ。

 ――しかし。氷壁に激突した蒼炎が、氷壁を即座に吹き飛ばした。


「うくっ……!」


 氷壁越しに伝わった爆風に吹き飛ばされ、蒼灯は坑道に転がされた。

 あちこちぶつけて、また生傷がいくつも増える。一つ一つの傷は大したことないが、痛みと出血はじわじわと蒼灯の体力を奪っていた。


:時間稼ぎにもならない……

:無理だよもう

:死なないであおひー!

:誰か助けに行けないの?


 痛む体に無理を言わせ、気力を振り絞って立ち上がる。

 足を止めるわけにはいかない。立ち止まれば本当に終わってしまう。


(まったく、なんて一日ですか……!)


 配信タイトル通り、今日はまったりやるはずだったのに、気づけば生きるか死ぬかの死線を彷徨っている。

 つくづく自分は運がない。ついこの前死にそうな目に遭ったばかりなのに、二度も続けてこんな目に遭うなんて。


:本当にあおひー死んじゃうの?

:推しが死ぬとこなんて見たくないよ俺

:ごめん無理見てらんない

:だから今日は大人しくしとけって言ったじゃん


「大丈夫」


 悲観的な空気を振り払うように、意識して明るい声を出す。

 こんなに運がないなんて、もしかしたら探索者には向いていないのかもしれない。

 それでも、配信に向いていないと思ったことは一度もなかった。


「私、持ってますから。きっと今回も大丈夫です」


 迷宮配信とはエンターテイメントだ。

 悲劇なんていらない。惨事なんて必要ない。笑えない画なんて、一秒だって見せてはいけない。

 カメラを回している以上、蒼灯すずは配信者だ。

 自由に、きままに、そして時には大胆に、愉快な生き様を見せつける。それが配信者としてのプライドだった。


「実はですね、秘策があるんですよ。それさえ決まれば大逆転。聞きたくないですか?」


:いやそんなこと言われても

:なんか考えがあるの?

:なんでもいいから生き延びてくれ


「名付けて、隕石が降ってきて何もかも吹っ飛ばす大作戦」


:草

:笑わせんのやめーや

:言ってる場合か!

:いいから逃げろってw


 現在の同接は四万人。一万近い視聴者を安定して集められる彼女でも、そうそう見たことのない数字だ。

 生きるか死ぬかの瀬戸際に加え、普段の数倍の視聴者に見られているプレッシャー。

 上等だ。一世一代の大舞台で踊れなければ、配信者は名乗れない。

 培ってきた配信者マインドが、蒼灯の体に力をくれた。


「はいはーい。じゃ、鬼ごっこ続けますよ!」


 蒼灯はけらけらと笑いながら逃避行を続ける。

 配信者の資質とはなんだって楽しむことだ。まずは自分が楽しまなければ、リスナーだって楽しんでくれない。

 演技も虚勢もリスナーには通じない。顔に浮かぶのは心からの笑み。死線を楽しむという壮大な矛盾を成し遂げたのは、ひとえにプロ根性の為せる技だった。


「へへへ……。これ、生きて帰ったら私伝説じゃないっすか。相手、六層の魔物ですよ? 深淵の魔物を相手にこれだけ生き残ってる私、やはり天才だったか……!」


:やかましいわ!

:まず生きて帰ってこい

:伝説ならいくらでも語り継いでやるから生きてくれ

:この状況でそんだけ言えるのは天才だよ


「自伝とか書いちゃおっかなー。あ、でも私文才ないんだった。誰かゴーストライターやりません?」


:だーかーらー!

:攻撃来てるって! 避けて避けて!

:あおひーってどんな状況でもあおひーなんだな

:すまん、なんか笑っちゃった

:心配すればいいのか笑えばいいのか


 すっかりハイになりながら、蒼灯すずはひた走る。

 迫りくる追跡者から、逃げて、逃げて、逃げ続けて。やがて蒼灯は、黒鉄坑道の終点にたどり着いた。


:ボス部屋だ……

:行き止まりじゃん

:ボスいないね

:今は魔力収斂中だから


 たどり着いたのは円形に作られた大部屋。探索者たちの間で、俗にボス部屋と呼ばれている一室だ。

 戦いやすい広いフィールドは決戦を演じるにはうってつけの場所であり、逃げ場のない行き止まりでもある。

 平時であればボス格の魔物が根城にしているこの場所だが、今はボスの姿はない。特異個体という暴威が迷宮に顕現している今、どこかに隠れているのだろう。

 蒼灯すずは大部屋の中央で立ち止まる。振り向けば、ちょうど純黒の魔女が部屋に入ってきたところだった。

 箒に腰掛けた魔女は、ふよふよと楽しげに浮きながらくすくすと嗤う。捕まえた、と、そんな声が聞こえるかのようだった。


「さあて、隕石はまだですかね……」


 逃げることを諦めて、蒼灯すずは剣を抜く。

 海のように蒼く優美な両手剣。魔法よりも剣を主体とする蒼灯にとって、何よりも信頼している愛剣だ。


:やるんか……

:もうやるしかない!

:勝てるの?

:隕石こいこいこいこい!


 不安半分、応援半分のコメント欄。蒼灯の心境もそんな感じだ。

 相手は深淵の魔物だ。間違っても蒼灯が勝てる相手ではない。それを考えると、さすがの蒼灯も足が震えそうになる。

 そんな自分を奮い立たせるためにも、蒼灯は強く笑った。


「大丈夫。星は降りますよ。とびっきりの、一番星が」


 人事を尽くした先にあるのは天命だ。だからもう、信じるしかない。

 そして、蹂躙が始まった。

 リリスがふわりと宙を舞うと、蒼炎が四方八方に乱れ飛ぶ。その一撃一撃が必殺だ。直撃はおろか、掠めるだけでも楽に死ねる。

 戦場めいた爆撃の中、蒼灯すずがまだ生きていられるのは、この期に及んでリリスが手加減しているからだった。

 魔女の顔にあるのは嗜虐心。アリの足を一本ずつ外すように、いたぶるように力を振るう。


(これ、結構ムカつきますね……!)


 こうもあからさまに手加減されると腹が立つ。何としても一矢報いてやらなければ気が済まない。

 幸いなことにどう動けばいいかは知っていた。手本があったからだ。

 思い起こすのは彼女の姿。白衣をはためかせ、風のように戦場を駆けるあの少女は、六層の魔物を相手に一歩も引かずに戦っていた。

 その影を少しでも踏むことができれば、一太刀くらいは浴びせられるかもしれない。

 軽さと速さにすべてをかけた神速の歩法。踏み込みは風のように、振るう刃は嵐のように。


「氷結盾――!」


 シリンダーに魔力を通す。発動したのは、周囲に氷の盾を生成する防御魔法だ。

 氷盾で身を守り、爆炎を突き抜ける。一気に距離を詰めて、蒼灯は大きく剣を振りかぶった。


「獲った――!?」


 振り抜いた剣は、すっと、リリスの首筋をすり抜けた。

 手応えがない。まるで、霞でも切り裂いたかのように。


:入った!

:あれ?

:え、すり抜けた?

:ちゃんと当たったよな?


 蒼灯すずは三層探索者だ。探索者としては一人前だが、深層に巣食う怪物たちと渡り合った経験はあまりにも少ない。

 だから彼女は知らなかった。


:だからリリスは物理無効持ちだって!

:なにそれ?

:魔法しか効かないの! 物理は通らない!

:は?

:なんだよそれズルすぎだろ


「はは……。なんですか、それ……」


 さすがの蒼灯もかわいた笑みがこぼれる。

 蒼灯が持っているシリンダーは、氷結城の一本だけ。魔力を通す量を調節することで、氷結盾や氷結壁といった亜種に派生させることはできるが、基本的にこの魔法は防御用だ。

 攻撃用の魔法は蒼灯すずの手札にない。万に一つの勝ち目もないことを悟って、蒼灯はただ笑うしかなかった。

 愉快そうにリリスは嗤う。いい夢は見れたかと。

 その手には、桜の花びらが生み出されていた。


:さっきの魔法だ!

:やばいやばいやばいやばい

:逃げてえええええええええええええ


 最上位火属性魔法、火桜。桜の花びらに封じられた獄炎で、何もかもを焼き尽くす大魔法。

 あの白衣の少女を持ってして防ぐしかなかった魔法だ。その脅威はつい先程目にしたばかりだった。


「氷結、城――!」


 唯一の防御手段であるシリンダーに渾身の魔力を通そうとする。

 しかし。氷の壁が生み出されることはなく、ひんやりとした空気が周囲に立ち込めるにとどまった。


「ぐっ……!」


 強い悪寒に苛まれて、蒼灯すずはその場にうずくまる。

 魔力切れだ。限界を超えた逃避行と攻防は、蒼灯の体からすべての魔力を奪い去ってしまっていた。


:あおひー!!!!!

:魔法!!! 魔法使って!!!!

:もしかして魔力切れた!?

:ああああああああああああああああああ

:逃げてええええええええええええ


 もう魔法は使えない。立ち上がって逃げるだけの余力もない。

 蒼灯すずにできるのは、迫りくる死を受け入れることだけだ。

 それでも。


「――大丈夫」


 蒼灯は、最後の一瞬まで笑い続けた。


「来ましたよ。私の、お星さまが」


 火桜が爆ぜる。解き放たれた蒼炎が、あらゆるものを薙いでいく。

 その炎が蒼灯の身に届く寸前、一陣の風が吹き込んで、蒼炎を嵐の防壁が抱きとめた。

 炎と風のせめぎあい。大魔法同士の正面衝突。その光景は、先ほども目にしたもので。


「怪我は?」


 いつの間にか、蒼灯すずの前に少女の背中があった。

 左手にシリンダーを構え、白衣をはためかせる彼女は、抑揚なく蒼灯に問う。

 小柄で可愛らしい女の子だった。短く揃えられた焦げ茶色の髪は風に揺れ、瞳は紅玉のように透き通っている。一見して地味な印象を受けるが、纏う雰囲気は強者のそれだ。


「もうちょっと、ゆっくり来てもよかったんですよ」


 蒼灯の返事に、安心したように少女は頷く。

 少女のシリンダーが強く輝き、風が強く吹き荒れる。激しさを増した嵐は蒼炎を押し返し、壁に叩きつけるように蹴散らした。


「休んでて。すぐに終わらせるから」


 蒼灯すずが待ちわびた逆転の一手。光り輝く、とびっきりの一番星。

 日療の白石さんは、刃をその手に一歩前へと踏み出した。

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