私たちの救助作戦
ようやく動くようになった体を引き起こして、よろよろと氷の壁にとりついた。
叩く。何度も。ありったけの力を込めて。
しかし、壁はびくともしない。
:お嬢……
:蒼灯さんマジか
:足止めする気かあの子……
:三層探索者じゃ無理だろ
:死ぬ気かよ
:やめろって誰にも死んでほしくねえよ
分厚い氷壁の向こうでは、今も断続的な戦闘音が響いている。
考えろ。どうすればいい。どうすれば、蒼灯すずを助けられる。
「白石くん」
体は動くようになったけれど、魔力は乏しい。魔法はろくに使えない。剣ではこの氷は貫けない。
今すぐこの氷を叩き割るにはどうすればいい。なんだっていい。何か、手段はないか。
いや、それよりも、今は――。
「白石くん!」
耳につけたインカムが、やけにうるさい音を立てた。
「白石くん、ここは一度撤退するんだ。今は――」
「わかってます」
……言われるまでもない。
答えなんてとっくに出ている。私がやるべきことなんて、一つしかない。
「救助が優先、ですよね」
振り返れば、担架に載せられた要救助者がそこにいた。
彼をこの場に置いていくことはできない。それが蒼灯すずを見殺しにするという選択だったとしても、私にはこうするしかないのだ。
「あ、あの、先輩」
「ここを脱出する。来て」
「でも、蒼灯先輩が……」
「わかってる」
有無を言わせず急ぎ足で先へ進む。初心者たちも、迷いながら私の後をついてきた。
出会う魔物は容赦なく殺し、残り少ない魔力で風走りを使いながら走り抜ける。
何も考えない。ただ、手と足を動かすことだけに集中する。助けられる命を助けるのが、今私にできる最善だ。
:いそげいそげいそげ
:どうなん? まだ間に合う?
:二窓してるけど、蒼灯さんめちゃくちゃ頑張ってる
:リリス相手にどこまで持つか……
走って、走って、走り続けて。やがて私たちは、坑道を抜けて地底湖まで辿り着いた。
この辺りは魔力変動や魔力収斂の影響を受けていない。魔物の数も少なく、一層でも比較的安全な地帯だ。
ここまで来ればもう一息。後はもう、地上まで走り抜けるだけだ。
「先輩……。俺、ここで大丈夫っす……」
ふと、担架の上で苦しそうにしている男の子が、そんなことを言い出した。
「先輩は行ってください……。ここまで来たら、自力で帰れるんで……」
「ダメ。危険すぎる」
「そりゃ危険っすよ。でも、蒼灯先輩の方がヤバいじゃないっすか……」
冗談を言っている顔ではなかった。
明確な意志を持って、彼は真正面から主張する。
「俺、こんな風に下手こいて人様に迷惑をかけるような、とんでもねえクソ雑魚っすけど……。助けてくれた人を見殺しにするようなクズにはなれません……。そんなことしたら、母ちゃんにぶっ殺されます」
火のついた顔だった。
自分だって相当苦しいだろうに、目だけは強く輝いている。理想も情熱も捨てていない少年の顔だ。
きっと彼は、この瞬間に己の魂を賭けることにしたのだろう。蒼灯すずがそうしたように。
その覚悟は買ってあげたいけれど。
「ダメ」
それでも私は、その覚悟を否定しなければいけなかった。
覚悟だけじゃなんにもならない。命をチップに理想を得るには、もう少しだけ計算ってやつが必要だった。
「自力での撤退は、ダメ。君たちだけで帰すわけにはいかない」
:それはそうだけど
:初心者だけじゃさすがにね
:でも、それだと蒼灯さんが……
初心者だけでの行動は認められない。そんなことをして、なにかあったら元も子もない。
無闇に動き回るのではなく、その場で待機して救助を待つ。それがこの状況での正解だ。
「でも、先輩……!」
「リスナー」
振り向いて、カメラに呼びかけた。
奥の手だ。普段の私なら絶対にやらないことだけど、今はなりふりかまっていられない。
「お願い。誰か、ここに来てほしい。この子たちを回収してあげて」
:お嬢……!
:任せろすぐに行く
:お嬢が! お嬢が俺らを頼ったぞ!
:やるしかねえだろリスナーならよぉ!!!
「最初から、ずっと頼りにしてる。だからお願い」
:うおおおおおおおおおおおおおおおおおお
:行くぞお前らあああああああああああああああ
:戦じゃあああああああああああああああああ
:あの、数人でいいのでは?
:一層だぞ、何人行く気だよ
頼りにしているという言葉に嘘はない。こんな私が配信者を続けてこられたのは彼らのおかげだ。
余計なことを言ったり、妙に過保護だったり、変ないじりをしてきたりもするけれど、うちのリスナーは優秀だ。彼らならきっとなんとかしてくれる。
「君たちはここで待機。すぐに助けが来るから、もう少しだけがんばって」
「……! 了解です!」
「最後まで面倒見れなくて、ごめんね」
「とんでもないです! マジありがとうございました!」
彼らはこれでいい。私は私のことをやろう。
私には、もう一人助けなければいけない人がいる。
「……白石くん」
インカム越しに、苦々しい声が届いた。
「聞け、白石くん。君も撤退するんだ」
「……? どういう、意味ですか?」
「黒鉄坑道に戻ることは許可できない。現場の安全が確保されるまで、救助作戦は一時中断とする」
その瞬間、頭がじんと熱くなった。
言っていることはわかる。だけど、理解ができない。
「それは、蒼灯すずを見捨てろという意味ですか」
私にしては冷たい声が出た。
腹の底からふつふつとした怒りが湧き上がる。人と関わらないようになって、ここしばらく感じたことのない感情だった。
「ああ、そうだ」
オペレーターさんは、断固とした口調で応じた。
自分が何を言っているかはわかっているらしい。その上で、彼は真正面から私の激情を受け止めた。
:え?
:なになに?
:なんか揉めた?
配信に載っているのは私の声だけだ。インカムから聞こえてくる声は、リスナーたちには届かない。
「救助隊の安全を確保できない以上、作戦を続けるわけには行かない。今の君が向かったところで被災者を増やすだけだ」
「危ない場所に行くのが、私の仕事です」
「違う、そこまでやれとは言ってない。まずは自分の安全を優先しろ」
「余計なお世話です」
「あのな、白石くん。これは日療としての判断だ。君に責任はない」
「関係ない」
安全だとか、責任だとか、そんな話をしたいんじゃない。
私は、どうすれば彼女を助けられるかっていう話をしてるんだ。
「私は、助けが必要な人を見捨てるために、組織に所属したわけではありません」
「聞け! 助けるにしても今は無理だ!」
「今ですよ。今、助けなきゃいけないんです」
日療の理念には共感している。こういった仕事をすることは私にとっても本望だ。だけど、組織に所属したことで救えない命があるのなら、私はこの仕事を受けるべきではなかった。
日療に所属したからって、私は私のスタイルを変えるつもりはない。
助けが必要な誰かを見捨てるなんて、そんなものはくそくらえだ。
「必ず助けます。私を信じてください」
言うのと同時に、不思議と腑に落ちた。
蒼灯すずがどんな気持ちであんなことをしたのか、今ならわかる気がする。
勝算ならある。だけど、どうなるかはわからない。リスクを承知で意地を貫くには、もう信じるしかない。
私は私を信じている。私なら、きっとできるはずだから。
「本気で、やるつもりか」
「はい。必要なら、一人でも」
「……ったく」
オペレーターさんは深くため息をつく。
「そういうところは頑固なんだな、君は」
少しだけ、インカム越しに伝わる気配が柔らかくなったような気がした。
「白石くん。俺の声を配信上に載せられるか」
「……? どうするつもりですか?」
「大人には大人の仕事があるんだよ」
……なんか今、子ども扱いされたような。
言われた通り、インカムの音声を配信に載せる。何を言うつもりかは知らないけれど。
「聞こえるか。日本赤療字社、オペレーターの真堂司だ。白石くんに頼んで、この声を配信に載せてもらっている」
:オペさん?
:男の人だ
:いつもお嬢がお世話になってます
:なんかお嬢と喧嘩してた?
オペレーター――真堂さんは、よどみなく話し始めた。
「時間がない、手短に行こう。本救助作戦についてだが、現時刻を持って一時中断とする。救助隊の安全が確保できない以上、作戦の続行は認められない。以後の救助活動は、魔力収斂災害の収束を待って再開する予定だ」
:は?
:おいマジで言ってんのか
:蒼灯さん見捨てるってこと?
:いや言ってることはわかるけど
:そりゃお嬢も怒るわ
「……あの」
「というのが、日本赤療字社としての判断であることを、先に言っておく」
真堂さんは私の抗議を無視して続けた。
「ここから先は高度な現場判断だ。以後の作戦指揮は日本赤療字社の指針を逸脱するものであり、当作戦において生じたいかなる責任もこの真堂司が負うものとする」
:え?
:どういうこと?
:もしかしてそういうことっすかこれ
:うわー、腹くくったな
:マジかよ、やるじゃん真堂さん
え、なに? どういうこと?
リスナーたちは察したようだったけど、私はピンと来ない。
ただ、真堂さんが頭ごなしに否定しようとしているわけではないということは、なんとなく伝わった。
「白石くん」
「はい」
「どうしても行くんだな」
「行きます」
「一つだけ約束しろ。絶対に死ぬな。できるか?」
「できます」
「行って来い」
:背負う気かこの人……!
:出た! 一生に一度は言ってみたいセリフ!
:責任は俺がとる! 責任は俺がとるじゃないですか!
:実際にやると後でめちゃくちゃ問題になるんだよな
:真堂さん、あんた男だよ……
……ああ、そういうこと。なるほど、確かにそれは大人の仕事だ。
私は剣を振ることはできる。魔法を使うことはできる。人を助けに行くことは、できる。
それでも私はただの現場担当だ。すべての責任を取ることは、できない。
「真堂さん」
「なんだ」
「ちょっとかっこいいですよ」
「いいから、さっさと行け」
きっと今、私はたくさんのものを託された。
蒼灯すずの命も。少年の覚悟も。リスナーたちの協力も。真堂さんの責任も。私の意地も。折り重なったそれらがどこに行き着くかは、何もかもこれからにかかっている。
なんで誰もがこんなに必死になっているのだろう。
その疑問は、考えるまでもなく答えが出た。
誰だって、最高の明日が見たいからだ。
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