烈風は吹きすさぶ

 ナイフを使って繭を切る。中から出てきたのは、二人の男性。どっちかが海斗さんで、どっちかが奏夜さんなのだろう。

 二人ともまだ息はあるけど、明らかに顔色が悪い。目を開くと瞳孔が拡散している。これは、毒にやられたな。


「うわ」

「酷い……」


 後ろで見ているお仲間さんがそんなことを呟いた。


「その白衣、ヒーラーなんですよね!? 早く、回復魔法を!」


 それはダメだ。私は黙って首を振る。


:この状況で回復魔法はまずくね?

:え、なんで?

:回復魔法って代謝を促進させるから、体内に毒が残ってると逆効果なのよ

:毒の回りがかえって早くなっちゃうって聞いた

:はえー、そうなんや


 なんて説明しようか迷ったけれど、少し考えて無視することにした。彼らへの説明よりも、今は救助活動が優先だ。

 まずは解毒。えっと、蜘蛛毒に効くのは、たしか。


:蜘蛛毒は解毒血清の三号だっけ

:協会の講習で散々聞かされたわ、蜘蛛とやるなら三号血清は持っとけって

:ここのリスナーって有識者多いな

:実を言うと、リスナーの中に探索者が結構いる

:上級者のソロ探索って参考になるから

:いつもお世話になってます


 三号血清を注射する。これで症状は収まるはずだ。

 続いて二人目にも血清の投与を――。


:お嬢、前見て前!

:クモ! クモが来てる!


 うわ、本当だ。気づいてなかった。ありがとうリスナー。

 救援活動は一時中断だ。風起こしのシリンダーを抜いて、即発動。強風が巻き起こり、迫りくる大蜘蛛は勢いよく吹き飛ばされた。


「うわっ」

「おいマジか!?」

「敵が来てるぞ!」


 三人の男たちも色めき立つ。臨戦態勢に入って、大蜘蛛の対処に回ってくれた。敵の処理は彼らに任せて、私は救助の続きに戻ろう。

 配信を休んでいたこの一週間、私は日療で応急処置の手法を学んでいた。本職の方に比べれば付け焼き刃もいいところだけど、要救助者を前にそんな言い訳はしていられない。

 二人目にも血清を注射してから、風祝のシリンダーを使って回復魔法をかける。体内に残った毒も回るが、同時に血清の回りも早くなる。この二人は、きっと生きて帰ってこられるはずだ。

 風祝をかけ続けること数秒間。

 意識を失っていた二人が、目を覚ました。


「うぐっ……」

「おっ……」


 そして、目を覚ましてすぐ、その場にけたたましく吐瀉物をぶちまけた。


:うわああああああああああああ

:だから唐突にこういう絵面出すのやめろって!!!!

:おい俺飯食ってたんだけどどうしてくれんだ

:こんな配信見ながら飯食うお前が悪い

:グロもゲロもなんでもアリかよこの配信

:お嬢もそんなものまじまじと見ないで

:顔色一つ変えてなさそう


 吐瀉物の中には、彼らが飲み込んでいたらしい子蜘蛛が何匹も含まれていた。それも、生きている個体もちらほら。

 ……この二人の体内がどうなってるのかは、ちょっと想像したくない。それは安全なところに戻ってから、じっくり検査してもらおう。


「大丈夫?」


 私の貧弱コミュ力でも、これくらいの単語なら喋れる。

 そう言いつつ、私は彼らに生理食塩水のペットボトルを二本差し出す。これで口なり血なり綺麗にしてもらおう。


「ああ、ありがとう……」

「君が、助けてくれたのか……」

「ん」


:生きててよかった

:GG

:今日も救っちまったな

:初仕事おつかれ、お嬢

:色々あったけどよかったよかった


 まだ終わってないよ。

 ひとまず窮地は脱したけれど、私にはまだやらなければいけないことがある。彼らを安全に地上まで送り返すこともそうだし、それ以外にも。


「待ってて」


 剣を抜き、風研ぎのシリンダーを構える。

 応急処置中に襲撃を仕掛けてきたあの大蜘蛛。今はお仲間の三人が抑えているけれど、遠目で見るに戦況は芳しくない。

 救助者ではなく、探索者として。後輩たちの助太刀をするのも、大切なお仕事だ。











 #3-EX 決戦!悪疫の巣穴!【BlueSkyProject所属/東雲玲音視点】


 圧倒的だった。

 その少女は、あまりにも強く、鮮烈で、そして何よりも速かった。


:つっっっっっっっっっよ

:なんだこの……なんだこれ……?

:速すぎて見えない

:画面に映るすべてが残像

:もはや放送事故レベル

:なんだこの人、化け物か

:マジですごい


 東雲たちが三人がかりで抑え込むのがやっとだった大蜘蛛は、彼女が加勢した瞬間ものの数秒で血霧と変わった。

 そして今。負傷者二人を背負っての撤退中も、戦っているのは彼女だけだ。敵があらわれたかと思うと、少女の白衣が風にはためいて、次の瞬間には敵だったものが辺りに散らばる。

 実力差、なんてものでは言い表せない。探索者をはじめてそろそろ一年になる東雲だが、ここまでの力を持つ探索者は見たことがなかった。


:それにしても、なんとかなりそうで本当によかった

:女王蜘蛛戦で負けた時はマジでもう無理って思っちゃった

:誰だか知らないけど助けてくれてありがとう……

:この人がいなかったらどうなってたことか

:うちらの推しを助けてくれて本当にありがとう


 一連の出来事は、東雲にとってはまるで奇跡のようだった。

 女王蜘蛛戦での決定的な敗北。これまで苦楽を共にしてきた仲間を置いての逃走。

 仲間の死という現実と、それに背を向けた自分という二重苦に苛まれていた東雲の前にあらわれた彼女は、まるで雲を払う烈風のように、彼の絶望を吹き飛ばしていった。

 そして今も、風の音は鳴り止まない。


「……すごいな」

「ああ、ケタが違う……」


 隣を走る仲間と共に、その光景を目に焼き付ける。

 魅せつけられた、圧倒的な力。東雲たちが苦労した道中など、児戯に等しいと言わんばかりの決定的な実力。

 嵐のような力を振るいつつも顔色一つ変えない少女は、やはり変わらない顔色で振り向いた。


「急ぐよ」


 少女はポーチからシリンダーを抜く。

 魔法が籠められたシリンダーだ。探索用装備の中でもかなりの高級品で、それを一本でも買うことができれば初心者は卒業とされる。

 東雲たちが持っているシリンダーは一本だけ。それも個人ではなく、グループ五人の共有財産で一本だ。


:あのシリンダー、何本目だ?

:風で吹き飛ばすやつと、剣に風を纏うやつは見た

:あと回復するやつも

:シリンダー三本も持ってんの?

:とんでもねえ上級者じゃん


 少女がシリンダーを発動すると、東雲たちの足に旋風がまとわりつく。

 この魔法は知っている。風魔法の中でもとりわけ有名な加速魔法だ。


:風走りだ!

:四本目のシリンダー……

:一体何本持ってんだこの人

:大手所属の方?

:いや、大手所属にしては見覚えがなさすぎる


 向上した移動速度をもって、一行は全速力で撤退を続ける。道中にあらわれる魔物は、やはり少女が一人で倒していた。

 護衛なんてレベルではない。これではほとんど、子どものお守りをさせているようなものだ。

 それに悔しいと思えるのは、東雲の中にまだ闘志が残っているからか。


 東雲玲音にも憧れがあった。こうなりたいと願っていた探索者の姿があった。

 朧げだったその夢は、今確かな実体を伴って、彼の前に姿をあらわしていた。


 やがて東雲たちは転移魔法陣のもとに辿り着く。魔法陣をくぐれば、そこは慣れ親しんだ探索者協会だ。

 協会に辿り着くやいなや、スタンバイしていた医療スタッフがすぐさま駆け込んでくる。どうやらすでに話が通っていたらしい。海斗と奏夜の二人は、看護師と医師の手により手早く搬送されていった。


 嵐のような時間が過ぎ去って、残ったのは四人。東雲たちと、例の少女だ。

 一仕事終えた彼女は、ふうと息を吐いて、ポーチから取り出した生理食塩水をくぴくぴと飲んでいた。


「あ、あの……」


 声をかける。少女は、少し困ったような顔をしていた。


「本当にありがとうございました。あなたがいなければ、俺たちどうなってたか……」

「ん」


 それは、返事なのだろうか。会釈ともつかないほどに、ほんのわずかにこくりと頷く。

 ……それだけだった。


:喋らないんかい

:無言で草

:無視された?

:一応、返事っぽい何かはあったが

:無口キャラマジ?

:この人も一応配信者だよな?

:後ろにカメラ浮いてるし、多分そうだと思うけど


 配信者は喋るのが仕事だ。話し好きな人間が多いこの業界で、ここまで無口な人は東雲も初めて見る。


「俺ら、BlueSkyProjectって言います。俺は東雲玲音、この度は本当にありがとうございました」


 所属グループの名前を出しても、少女は顔色を変えない。

 BSProjectはアイドル売りをしている男性探索者グループだ。実力こそまだ二層相応だが、知名度は決して低くはない。名前くらいは知っていてもおかしくないはずなのだけど。

 本当に話を聞いているのかと疑問になるほどの無反応。ここまで反応がないと、どうしていいものか困ってしまう。


「失礼ですが、お名前は……?」

「あ」


 そこでようやく、自己紹介を求められていることに気づいたのか。少女は間の抜けた声を出した。

 ……綺麗な声だ。話さないのがもったいないくらいに。

 少女はポーチをごそごそと漁る。中から取り出したのは赤い腕章だ。

 鮮烈な赤地に、真っ白な天使翼のマーク。刻みつけられた救急の二文字。

 その腕章を、少女は思い出したように白衣の腕にくくりつけた。


「日本赤療字社所属。名前は――」


 その時、着信音が鳴り響いた。

 東雲たちのものではない。目の前にいる少女のものだ。彼女は白衣のポケットからスマートフォンを取り出し、すぐに応対した。


「白石です」


:日療!?

:日療所属の探索者なんているんか

:え、医療従事者の方ってこと?

:そんな人いるの!?


 コメント欄がざわつくのも当然だ。探索者業界に身をおいている東雲だって聞いたことがない。

 東雲を無視して少女は電話に応対する。一言二言話したかと思うと、通話を切って、すぐに身を翻した。

 もう行ってしまうらしい。おそらくは、次の要救助者の元に。


「待ってください!」


 呼び止める。このまま行かせてしまうわけにはいかない。


「せめて、なにかお礼を……!」


 彼女に救われた命がある。それをただ、ありがとうなんて言葉だけで終わらせてしまうわけにはいかない。

 少女はくるりと振り向いて、変わらない顔色で、腕章に記された天使翼の紋章を示した。


「募金、待ってます」


 そう言い残して、今度こそ少女は去っていく。


:かっけぇ……

:去り際までかっこいい

:日療の白石さんマジでありがとう

:日療ってすげえんやなって

:おい募金するぞお前ら

:お仕事お疲れ様です。ありがとうございます、頑張ってください


「はは……」


 意図せず、東雲の口から乾いた声が出る。

 それは配信なんてものを意識しない、心からの一言だった。


「なんだよそれ、ヒーローかよ……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る