1-4 NN-001
ニヴェンには未だに距離感が分からなかった。
外見はまったく同じで、相違あるのは内面のみなのだから当然ではある。他人を理解できないのは人間同士だって同じだ。だから、別にどうということはない。そう思っていた過去の自分に忠告したい。その考えはまったく別物であると。
魔兵士と接してまず感じたのは「これは違うな」という漠然とした感覚だ。
本能的に悟るのだろうか。理解するというよりは、ただ分かるという程度。
彼らが見ているもの、その動き、時折口にする言葉、そのすべてがどこか遠かった。ならば近づけ、という単純な話でもない。
目標が不明瞭だからかもしれない。どう接していいのか分からないのもそうだが、どういう関係でいたいのか。
自分自身のスタンスすら曖昧な状態で、適切な行動は選べるはずもない。その指針を立てることが先決だ。
セリオス魔兵士防衛隊要塞本部、第一訓練所。
それが新しく配属となった場所の正式名称だ。いや、正式かどうかも良くは知らない。そういう名だと教えられただけだ。
詳しい説明は特になかった。
詳細を求められる立場でもない。言われるままに付き従い、役職を与えられた。正確には役職名だけだ。仕事内容に関してはやはり何もない。
何をするのか分からないまま職に就くなどあり得えないと思うが、実際そんな状態で自分はここにいる。
一体何を求められているのか。あるいは、何も求められていないのか。
後者の可能性も十分あるだけに複雑な心境だ。
説明は敢えてしないという特色の国なのかとも考えてみたが、どうやら違うらしい。
困惑したまま直属の部下だという男に会って、それが分かった。
その人物は他国にも名の知れた有名人だった。
正直、実在しているとは思っていなかった。セリオス国のプロパガンダの一種かと邪推していたくらいだ。
「まず、最初に、あんたは、覚えておかなけりゃならないことがある」
挨拶も何もなく、そんな切り口上で始まった。強調するためなのか、やたら区切られていたのが耳に残った。だが、それ以上に次の言葉が強烈だった。
「俺たち魔兵士を人間と同じだと思うな。違う生き物だという前提に立て」
煙草に火をつけて、ゆっくりと煙を吐く。
喫煙者ではないニヴェンは、遠慮して欲しいと思ったが口には出さなかった。ここでは喫煙者の方が大多数だ。至る所で煙を吹かす者たちを見たし、兵隊蟻の如く地面を埋め尽くす灰溜まりを確認した。推奨されているとも聞いたことがある。
煙の向こう側、初めて会う部下はまるで部下らしくない。肩書はどうであれ、今この場の主導権はあちらにあることは間違いない。
「その上で俺たちを上手く人間らしく戻して、適当に使ってくれ」
ギィーズはそれだけ言うと、無造作に椅子に腰を下ろした。木が軋む音がやけに響く。この部屋には他に音がするものはなかった。
しばしの静寂。
無表情に煙草を吹かしている男を見る。
話は終わったのだろうか。随分と独特の言い回しだったように思う。
いきなりすぎてニヴェンは面食らったが、今のは詰まるところ、所信表明のようなものだったのだろうか。
分からない。
どう切り返していいものかも分からず、じっと相手を観察する。
ギィーズはなんとなく想像していたような大男ではなかった。中肉中背で特徴も特にない。見えている地肌に目立つ切り傷はあるものの、戦士として珍しくはない。精悍と童顔の中間辺りの顔つきで、いわゆる強面ではないのだが、不思議な威圧感があった。
一際目に付くのは、短く刈り込んだ黒髪の右側頭部に引かれたレッドラインだ。綺麗に一本道が際立っている。この一部の染色が魔兵士特有のもので、階級を表わすことは知っていた。赤色というのは即ち第一魔兵士を指し、最上級のクラスだということだ。
おまけに彼の二つ名は『最年長』。短命だという魔兵士の歴史上において、その継続年数を更新し続けている伝説の男だ。
「その……一つ質問をいいか?」
とにかく会話を試みようと切り出すと、
「その始め方はまったく無意味だな。拒否すればやめるのか?」
「え、いや、そうではないが……」
常套句の入りから失敗に終わった。単なる社交辞令ではないかと思ったものの、そういうものすらないのが魔兵士だと思い出す。分かった気になっていただけで、やはり何も見えていないのだと実感する。目の前のギィーズも多少規格が外れているとはいえ、やはり魔兵士なのだ。
どう対応すべきか。
しかし、いくら思案したところで参照すべき前例がないのなら、私自身が自由に学習していくしかない。学ぶことは嫌いではない。ならばと開き直る。
「こちらからも提案したい。君が言う魔兵士と人間の違いを現時点で私はまったく理解していない。ゆえに、その理解の一助となって欲しい」
「具体的には?」
「魔兵士はあまり話さないと聞いているが、君は大分会話ができるようだ。こうやって普通に話をしてくれるだけでもいい」
まずはそこからだと単純に考えていたのだが、再びギィーズは煙草の煙をくゆらせるだけで何も答えなかった。沈黙だ。
こちらに視線も合わせない。
天井のどこかを見つめているのか、その顔は斜め上方向に固定されていた。
思考が読めない。この間が何を意味するのか、想像もつかなかった。いや、観察するしかない。この瞬間も私は学びとしなければならない。
それからもしばらく沈黙が続き、やはりこちらから何か言うべきかと思っていたところで不意にギィーズが口を開いた。
「普通に話をするってのは何だ?あんたの言う普通とは?」
妙な返しが来た。
「ふむ……そうか、普通の概念もおそらく違うのだな?いや、そういう疑問でもあり難い。君は平均的知能も高いようだ。今のようなやりとりでもかまわないということだ。とにかく、会話をすることで私は君たちをより理解できると考える。それを承諾してもらえるだろうか?」
再び、無言の時間が訪れる。
この間延びしたような会話のテンポは魔兵士特有のものなのだろうか。この間に、ギィーズは色々と思考を巡らせているのか。
それを感じさせる兆候は外部からは推測不可能に思えた。魔兵士は常に無表情だ。これまで見かけた者たちすべてが、おおよそ感情のない顔で淡々と過ごしているように感じた。極力感情を消すように作られているからだという。
戦うために不必要なものはとことん削ぎ落された形、それが魔兵士という新たな種だ。少なくともそう聞いている。
だが、人間と変わらない人体構造なので種族は同じはずだ。現状ではそう判断できる。
意図的に色々なものを切り離された存在。人造兵器、操り人形。様々な言い方、蔑称、呼称はあれどすべて憶測でしかない。彼らはここにしかいない。外には出ない、出させない、という確固たる意志を感じている。この世界、我々が生きる日常からも遠ざけられたものであることは間違いない。
この場所はなるほど、特殊な環境であることに疑いの余地はない。
そうすることで倫理的なものから遠ざけ、まったくの別物だという認識を刷り込ませたのか。
違うから、許される。同じではないのだから、別のルールが適用できる。
都合のいい解釈。傲慢な理論。その点に関しては、どこであろうと罷り通る悪しき慣習があることは嫌というほど知っていた。
時として人にはそういうものが必要で有効で最善となる。特に戦場においては。
「理解してどうする?」
直接的に返事はしない主義なのか、ギィーズは一歩踏み込んでくる。
そのための熟考の時間だったのだろうか。そうも思えない。相変わらず、視線はこちらを向かない。
「一応君たちの上官だからね。どういう人間なのか把握しておきたい」
「人間じゃない」
即答。初めに言われた忠告だ。こだわりがあるのだろうか。
「だが、君は『人間らしく戻して』と言った。ならば、そう扱うべきだろう?」
徐にギィーズが立ち上がった。
ずんずんと目の前まで迫ってくる。普通の背丈に見えたシルエットだったが、今はとんでもなく大きく感じる。殴られるのかと身構えたが、すっと右手が差し出された。
握手かと思って応じようとして思い留まる。その前腕部から手首にかけて手甲のようなものが見えたからだ。位置的には手甲とも呼ばないのかもしれないが、その手の知識はなかった。
ただ、何かは分かる。
「人間にこいつが扱えないのはなぜだと思う?」
目の前でギィーズの唇が少し広がった。今にも燃え尽きそうな短い煙草が落ちそうで落ちない。燻る煙の臭いが鼻腔をくすぐる。
近くで嗅ぐと、不思議と嫌な臭いではなかった。特別な煙草なのか。
「条件は固有の魔力が適応できるかどうか、だと聞いている。魔兵士が使えるのはそれに慣れさせた結果であって、根本的には人間が扱えないというわけではないのだろう?」
魔器についてはある程度の知識しかない。
この国の最高機密であるのだから当然だ。その最前線の現場にあっても、未だに何も知らされていない。
「あんたは使ってみたいか?」
「いや、私はもともと魔法には長けていない。魔力の質も量も並以下だと昔の判定で出ている」
「適正なんて聞いちゃいない。使いたいかどうか、だ」
無表情のままギィーズが詰め寄ってくる。実際はそんなことはない。目の前から動いてはいない。ただ、そう感じるだけだ。
重要な問いかけだということは分かる。熟考したいところだが、それほど相手は待ってくれそうにない。
「……試しに使ってみたいとは思うが、一度嵌めたら二度と外せないと聞いている。だから、多分……使わない、という答えになるだろう」
思うままに答える。
「…………」
ギィーズはその後もしばらくその距離間を保っていたが、無言でまた椅子の方に戻った。
私は何か間違えたのだろうか?
先の接近が何を意味するのか、未だに見当もつかない。伝説の魔兵士はもう一本煙草に火をつけ、再び天井を眺めながら煙を吐いている。
また、だんまりだ。
この沈黙に何を思えばいいのか。
話しかけるべきか否か。
迷っていると、再びギィーズが口を開いた。
「選択肢があるってことを俺たちは知らない。いや、考えない」
それは魔器のことだろうか。それとも彼らの存在そのものを指しているのか。
「あんたの理解が深まれば、その選択肢ってやつを増やせると思うか?」
その問いかけはとても真摯なものに聞こえた。重みのある声で、まるで喉元に刃を突き付けられているかのような緊張感を覚えた。それは錯覚だと分かっているのに冷汗をかく。慎重に、言葉をつなぐ。
「そう……なるように願ってはいる」
その返答の後、長い間が空いた。私はずっとギィーズが煙草を吹かしている姿を黙って見ているだけだった。
なぜかその時は何も言わないでいるのが正解だと思ったのだ。
何度目かの沈黙が降りた。
何の変哲もないありふれた部屋が、見知らぬ異国の洞窟内部のように冷え切った空間に思えた。今頃、魔兵士と二人きりでいることに気づく。急に危険を察知した自己防衛本能が震えているのだろうか。いや、ここに来ることになった時から覚悟は決まっていた。今更怯えるような純情な子供でもない。
腹を据えて気を確かに持つ。ギィーズは今は私の部下だ。少なくともそういうことになっている。そこから疑えば何も始まらない。何もまだ分からずとも、まずは歩み寄らねばならない。
やがて、伝説の男は思い出したかのように、ただ、呟いた。
「そうか……」
たったそれだけの言葉だったのだが、ひどく印象に残っている。
その日の会話はそれで終わった。ギィーズの言いたいことを完全に理解したとはお世辞にも言えない。話も飛び飛びのようで、実は関係性があったとしても、その時の私には見えなかった。話題が四方八方に飛ぶように話す者はいるが、ギィーズのそれは比較にならない別種のような気がした。
魔兵士全般がそういうものなのかも分からない。あまりにも、私は何も知らなすぎた。
それでも、何かはつながったように思う。錯覚であっても、そう思わずにはいられなかった。
その程度のか細い線をつないだような始まりではあったが、特殊な魔兵士との邂逅は悪くはなかったように感じた。
あくまで、人間としての私の感想ではあるが。
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