5話 オーバー・キャパシティ

 こっちに来ないでほしい。

 本当に、心の底から来ないでほしい。

 今からでも席を立って逃げるか?

 いや、それはあまりに露骨すぎないか。

 俺はどうあれひとを傷つけたいわけじゃない。

 ただ背景に溶け込んで、だれにも気にされずに日常生活を送りたいだけなんだ。


 赤城さんが一歩、また一歩と近づいてくる最中、


「やあ、愛莉。お疲れ」


 落ち着いた声とともに、助け舟があらわれた。

 赤城さんの前に立ちふさがったのは、ひとりの爽やかな風貌の男子生徒だった。

 彼もまた、かなりの有名人だ。


 二年C組の東堂聖人。

 いや、活動者名のse1enセレンというほうが通りやすいか。

 その卓越したゲームセンスを買われて、去年とあるプロチームにスカウトされた、名実ともにプロゲーマーだ。

 得意遊戯ゲームは――〈ルシファー・オンライン〉。


「あ、セレン。ちよす」

「なんだよ、つれない反応じゃないか。それより愛莉、いいかげん考えておいてくれたかな。例の件について」

「例のどれ?」

「決まっているだろ――電甲杯だよ。今年こそ、オレと組もう。もうそろそろエントリーも締まっちゃうからさ」


 ――電甲杯。

 その言葉で、俺はなんとなく事情を察した。

 それは毎年夏に開かれる、ゲームの大会だ。正式名称は、電子機甲戦杯だったか。多くの企業とプロチームが協賛している、かなり大規模な国内大会である。


 この大会の最大の特徴は、参加資格が十八歳以下に限定されていることだ。

 大会の目的は、次世代のエースプレイヤーを探すことであり、そのため全国どこからでもエントリー可能となっている。

 この大会で勝ち上がり、人々を沸かせるプレイをしたり、果ては優勝したりすると、声がかかってチーム所属のプロ選手になれたりするわけだ。

 実際、去年の覇者はそうしたルートを辿っていたはずだ。


 その電甲杯に、セレンは誘っているようだった。

 出場部門は、十中八九ルシオンだろう。


「聞いたよ、愛莉もすでにエントリーはしているんだろ? でも、まだチームメイトが決まっていないみたいじゃないか。QGのメンバーで出場しないんだったら、オレと出よう」

「その話、前もしたじゃん。あたし、まだちょっといろいろ考えることがあってさ」

「なにを迷うことがあるんだ? 愛莉もちゃんとした大会で実績を残したいんだろ? だったら、オレが適役だよ。だいじょうぶ、うちのチームならすでに今年の世界大会には内定を取っているし、電甲杯でほかのメンツと組むのも認めてもらっているしさ」

「……やー、そうかもだけどさ。でもごめん、あたしまだイマイチ結論が出せなくてさ。ねえ、それよりセレン、ちょっとそこどいて」

「なんだよ、だれかに用でもあるのか?」


 そこで俺はハッとした。せっかく救世主が登場してくれたというのに、なにぼけっと会話を盗み聞きしているのだか。


「ああっと、そうだ! トイレトイレーっと」


 わざと大きなひとりごとを吐きながら、俺は一目散に教室の外に出た。一瞬、目端に映った赤城さんが「あ…」と残念そうにしていたように見えたのは気のせいだ。

 気のせいに決まっている。




 本当に気のせいか?

 俺はトイレの個室で腕を組んでいる。

 ない知恵を必死に絞って、赤城さんが俺に話したいこととやらを考える。

 いったいなにがありえるだろうか?


 可能性その1は……

 ……。いや、はじめの候補すら出てこないぞ。

 ならば考えても意味がないな。Youtubeでルシオンの動画でも見て、今だけでも平穏に過ごすか。と思っても、うまく集中できない。

 そもそも、ソーシャル・バッテリーが足りていないのがおかしな話なのだ。

 昨晩の配信は、終わり方が変だったせいで、充電が中途半端になってしまった。それに続いて、けさの赤城さんの一件だ。俺はもうくたくただ。

 やはり、悪いことというのは重なるものなのだろうか?


 俺には不安なことが多い。なんといってバッテリーが切れると、俺は本当になにもしゃべれなくなってしまうのだ。

 冗談や誇張ではなく、本当に。もしも放課後、赤城さんと話している最中に限界が来てしまったらどうすればいいのだろう。

 だが、弱音ばかり吐いてもいられない。

 せっかく入学から一年、毒にも薬にもならぬクラス委員長としての地位を確立したのだ。そう、コンディションさえ万全ならば、校内最強キャラの赤城さんとも対等に渡り合えるくらいの、立派な委員長キャラだ。

 今のままなら、俺はよくいる委員長のモブとして高校生活をまっとうできるのだ。だからこそ、放課後の一件はうまく迎え撃たねば。


 せめて相手の意図でもわかれば準備ができるのだが、俺の役に立たない脳みそはなにもシミュレーションしてはくれない。


「……すいに聞いてみるか?」


 俺はアプリのディスコードを起動した。

 相戸そうどすいは、俺が唯一学内で気軽に話せる友だちだ。

 学内どころか、下手したらこの町、いやこの世界で、翠はほとんど唯一俺が気楽に話せる相手だといっていい。

 それになにより、翠は俺と違って頭がいい。

 だが、思い当たるのが少し遅かった。もう昼休みも終わりだ。今から会いに行ってちゃんと話すには、もう時間がない。

 とりあえずメッセージだけでも送ろうと、俺は文字を打ちこんだ。


『翠。ちょっといいか』

『なに?』


 すぐに返信があった。向こうもスマホを見ていたのだろうか。


『もしも俺がいきなりクラスで人気のギャルから放課後に呼び出されたとしたら、理由はなんだと思う?』

『美人局と思う』


 かはっ、と声が出た。

 美人局つつもたせ。つまり、女性が色仕掛けで男を騙そうとすることだ。

 俺の場合は、なんだ? どっきりでも食らうか?

 いや、それは考えにくい、と信じたい。

 第一に、赤城さんはけして悪人ではない。

 第二に、俺はすでにクラス委員長としてのキャラが確立していて、そういうちょっかいをかけても場が冷めるだけなのは、全員にとって明白だからだ。


『それ以外で頼む』

『……クマ、相手の子の恨みを買ったことは? 逆に、弱みを握っているとか』

『人聞きの悪い。もちろんない』

『非常に難しい問題』


 そこで翠はしばらく黙った。ちなみに、クマというのは翠しか使っていない俺のあだ名だ。亜熊という、俺の変わった苗字から取っている。

〈Suiが入力中…〉という表記が出ているから、俺はなにも書かないでおく。ディスコは相手が今メッセージを打っている最中なのかどうかわかるのがいいところだ。


『行かないほうがいいと思う。よくない予感がする。お金を騙し取られるかも』


 翠はとことん俺が騙される方向だと信じているようだ。


『だが、そういうわけにはいかないんだ。翠……俺は行くよ』

『次回、亜熊杏介死す。デュエルスタンバイ』

『激励と受け取っておこう』


 ああ、意味のないやりとりだった。

 最後に、翠から『まさか冗談じゃないの?』と確認がきた。もう昼休みも終わる時間だったから、俺は怒っている顔のスタンプだけ送ってアプリを落とした。


 美人局か、そうでなければ冗談。

 かしこい友人の推測がそうなのだったら、本当にそうなのかもしれないと思えてきて、俺はますます気が滅入ってきた。

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