第8話 偉い人にプレゼンした件

 ヴァレー伯爵ルネ・ド=セルジュ、銀髪で美形だが、女装の男性。しかも、ルシウスの協力者で、貴族だからおそらく権力者。


 多分偉い人そんなものがやってきたとなれば、カツキも畑の傍で話しつづけていいとは思わない。とりあえず室内、ログハウスでもいいから場所を移さなければならないと思い立ち、慌ててコルムに麦畑の収穫を一任する。


「コルム、この麦畑の収穫作業を任せてもいいか? 俺はあっちの対応をするから」

「うん、分かった。心配しないで、すぐ終わるからさ」

「何じゃ、そういうことならこの婆も手伝ってやろう」

「ありがとう村長、お願いします。収穫した麦は、普通のものとは別にして保管してもらえればいいから」


 こうしてコルムとエーバ村長を麦畑に残し、カツキはルネとアスベルを自宅であるログハウスへと招いた。


 そして、アスベルはログハウスの中を見て、怒った。


「お前、前に俺がきちんと掃除してたのに、何だこの散らかり具合は! ああもう、お茶は俺が淹れとくから、お前はテーブルと椅子を何とかしろ!」


 カツキはプリプリ怒るアスベルに大人しく従う。


 アスベルが怒るのも無理はない。ドルイドの本、アイギナ村で保管されてきた資料、それから作物の種から苗を育てる水耕栽培用の大量のマグカップ、食べかけの固くなったパン、残ったままの牛乳たっぷりたんぽぽコーヒー、そんなものが散乱しているからだ。広いとはいえ所詮はワンルームのログハウスはきわめて雑然としており、片付けよりも調査を優先したためカツキは家事をほとんどしていない。コーヒーや食事だって毎回コルムの家に頼んでいたほどだ。


(さすがにサボりすぎたけど、やることはやってたし……まあ、うん、アスベルってお母さんみたいだな……)


 テーブルと椅子の上に載っていたものを床に落とし、カツキはルネへ話し合いの椅子を提供する。ルネは特に何も言わず、まるで下々の者が自分に尽くすのは当たり前と言わんばかりの悠然たる態度で座るが、言葉に表れていない以上本心は分からない。


 そしてようやく、カツキはこれまでの調査結果をルネへ報告する。土地に数えきれないほど撒き散らかされた紫の小さな石、毒素『M-エム・Originオリジン』の存在、その生命力を吸収する作用。鳥から滲み出るように生まれる紫の小さな石、それを取り除き、肥料を与えた土地は作物を通常のおよそ百倍の早さで生育した事実。


 これらの報告を聞いたルネは、手を叩いてカツキを褒める。


「何も知らないはずなのに、着眼点は素晴らしいわ。あと、概念化の知識もあるようね。一端の知識人を名乗ってよろしくてよ」


 はあ、とカツキは生返事を返す。何せ、ルネは美人のお姉さんかと思いきや、声は野太い男性だからそのギャップに脳が混乱してしまう。他人の性癖に文句を言うのはよくない、カツキはそれについては今後も触れないつもりだ。


「それと、必要になるであろう書物や資料は持ってきたわ。ただ、一から読むより私が要点を絞ってレクチャーしたほうが早いでしょうし、参考程度に」

「分かりました」

「ああ、それと敬語はナシよ。ここにおいては身分の上下なく危機に取り組め、とルシウス大臣閣下のお達しでね。私のことは遠慮なく手足のようにこき使ってもらって結構、いいわね?」

「それは……気が引けるというか」


 たとえギリギリ子どもであるカツキも、ただでさえ年上の、それも貴族相手にため口は気が引ける。無礼打ちとかされないだろうか、と不安のカツキへ、三人分のお茶を持ってきたアスベルが背中を押す。


「いいからありがたく思っとけ。ヴァレー伯爵はヴィセア王国有数の教養人であり、社交界の雄だ」

「まあ、人類滅亡の瀬戸際においては、もう社交界なんてあってないようなものだけれど。顔繋ぎくらいなら任せてちょうだい」


 ほほほ、とルネは笑う。ルシウスが送り込んできた人材だけあって、ルネの能力は高いようだ。


 であれば、カツキも今までアイギナ村では限界があり分からなかったことを、やっと知ることができるかもしれないと期待を持った。身を乗り出し、ルネへ問いかける。


「ルネさん、魔物ってどういう生態してる? こんな毒素の石を吐き出すような生き物?」


 カツキがポケットから取り出した、端切れ布に包まれていた紫色の小さな石たちをじっと見たルネは、首を横に振った。


「いいえ。どこから話せばいいのかしらね……そうね、私たちが知っている魔物は、そもそもが。でも十年前に魔王が現れてから、魔物の急速な進化が見られるようになったの。おかげで魔物は海を渡ってこの大陸にも押し寄せてきた。もうその進化を人類が把握できやしないわ、それくらい魔物が何をしでかすようになったか分からないのよ。これは魔物研究者の間では『急速なモンストロ魔物の進化・エヴォリューション』と呼ばれていて、国王陛下から下命を受けて最優先の研究課題となっているわ」


 これにはアスベルさえも驚いていた。十年前、魔王の出現、そこからの魔物の進化、これらは断片的に、噂として民間にもそこそこ知られていただろうが、貴族という知識を十分に得られる身分のルネが口にするのだから、疑うべくもない事実だろう。


 であれば、紫色の小さな石も、その『急速なモンストロ魔物の進化・エヴォリューション』によって最近できたものと推測できる。去年収穫された麦藁にはごく微量に存在し、今年の春先の野菜では増加し、目に見えるほど大地に撒き散らかされるようになった……この観測結果は正しいと言えるだろうから、カツキは自分の推測がおおよそこの世界の教養人と一致することに安堵する。


「一応聞くけど、魔物の食べ物は?」

「やつらは生き物のように食事や排泄をしないわ。生まれ持ったエネルギーのみで活動し、一部はより強力な存在からそのエネルギーを与えられて進化する、と言われていたけれど、実際のところは不明よ。魔王が何らかの手段で魔物全体に莫大なエネルギーを与え、進化を促した、くらいの推論は立てられるけれどね」

「そっか……じゃあ、魔物が死んだらどうなる?」

「死体は残るわ。頑丈な魔物の素材を使って武器や防具を作ったりもするわね」

「魔物の素材に毒はないの?」

「一部、毒を持つ魔物の素材は処理に手間がかかるとは聞いたことがあるわ。でも、ゴブリンやオークといった一般的な魔物は問題ないはずよ」

「なるほど。ちなみに、この紫の小さな石、今までにどこかで見たことはある?」

「ないわね。ただ、生命力を吸い取るといえばグールやヴァンパイアなんかの魔物が代表格だった……つまり、その能力が強化あるいは変異した結果、この石が生まれたとも考えられるわ。より広範囲に、無差別に生命力を奪う手段として、何らかの方法で渡り鳥に付着させて人類の生存圏にばら撒いた。そうだとすれば、困ったことに色々と辻褄は合うのよね」


 ルネの答えを咀嚼したカツキは、大きく頷く。


「うん、よし。大体、僕の考えてたことと違わない。で、そうと分かれば」


 カツキは腰を上げ、窓際にあるマグカップを一つ、持ってきた。ルネやアスベルが覗き込むと中には半分ほど黒っぽい土が入っており——アスベルが嫌そうな顔をしていた——一本の小さな麦の苗があった。


「これはそこの土に、肥料である草木灰を混ぜたもの。そこに種から苗を育てていて……一つだけ、実験して分かったことがあるんだ」

「へえ、何かしら?」

「強引だけど簡単な、紫の小さな石に含まれる毒素『M-エム・Originオリジン』の無害化の方法」

「そんなことがもう分かったのか!?」

「うん」


 色めき立つルネとアスベルへ、カツキは実践してみせる。


 布で包まれていた紫色の小さな石を一粒取り、土入りマグカップへと落とした。


 すると——紫色の小さな石は、麦の苗に触れた瞬間、黒に染まり、粉々に砕けた。あとには何も残らず、マグカップ内の土と苗は何事もなかったかのようにそこにある。


 カツキは、たったそれだけの単純な現象の中身を、正確に把握していた。


「生命力を吸収するなら、好きなだけ吸収させる。そうすれば、勝手に自滅するよ」


 コップ一杯の水に、さらに水を追加すればコップから溢れ出るように。


 養分に満たされた土と作物から生命力を吸い取るのなら、さらなる生命力を与えて処理能力を超えさせる。まさに『強引だけど簡単な』対処法を、カツキは生み出したのだった。


 目の前の出来事を理解しきれておらず呆然とするアスベルは黙ったままだが、すでに得心したルネは賞賛の拍手をカツキへ送る。


「なるほどね。見事なものだわ」


 カツキはふう、と胸の空気を吐き出し、プレゼンの成功に頬を緩めた。


 この世界における権力者側の人間に意図が伝わったなら、カツキのやったことは成功に程近くなる。


 所詮、異世界から召喚された英雄だの祝福ギフト持ちだの言われても、影響力なんてごく限定的だ。それよりも、いい方法を思いついたのなら現地の有力者に実施してもらう、手柄も何もかも与え、人々のために働いてもらうことが最善なのだ。


 すぐにカツキは草木灰の存在と作り方をルネへ教え、サンプルとして床にある草木灰入りの布袋を提供した。必要な肥料の量に関してはカツキにその心得がなかったため、各土地の農民たちに好きなだけ使わせればいいという旨も伝えて。


 そこまで情報とサンプルがあれば十分、とばかりにルネは城へととんぼ返りすることとなった。


「じゃ、私はルシウス大臣閣下へ『肥料』の製造と全土への供給を頼んでくるわ」

「よろしく、それと殴り書きだけどこの手紙の内容のほうも役立つはずだから」

「ええ、期待しているわよ、少年プチ・コパン


 カツキは再度、ルシウス宛の手紙を上機嫌きわまりないルネに託しておいた。内容は「他にも肥料はあるから作る。それと魔物対策に植物が役立つかもしれないから続報を期待してほしい」とだけ書いてある。


 実は、まだカツキには隠し玉があった。ただまだ確信を得ていないため、今回はルネにそこまで伝えなかったのだ。


 ほとんど休まず、元気に馬で駆けていったルネをアスベルと見送る。


「それにしても、お前はすごいな。祝福ギフト云々じゃない、すごいよ」

「そうかな」

「ああ、そうだ! 胸張ってろ、でも家事はちゃんとやれ。今日から俺もここに常駐するけど、お前にも手伝ってもらうぞ!」

「えぇー」


 家事手伝いなんて、元の世界でも全力で逃げ出してやらなかったというのに。カツキは心底嫌で逃げたい気持ちだった。


 誤魔化すように「畑の様子を見に行く」と言って、カツキはあの収穫を迎えた麦畑へ舞い戻る。お目付け役のアスベルとともに戻ると、畑作業のために人の姿になったコルムとエーバ村長が刈り取った小麦の藁の山を作っていた。


「カツキ! すごいよ、これ! 麦がこんなに獲れた!」

「かっかっか! 百日麦ならぬ一日麦じゃ!」


 道端には、もう収穫祭の季節か、と疑われんばかりのこんもりとした小麦の藁山だ。生粋の農民であるコルムとエーバ村長の喜びは、人類が持つ原始的な喜びの一つだろう。きっとカツキの祝福ギフトを構成する農耕神クエビコだって喜んでいるに違いない。


 それはそうと、カツキは思い出したことをコルムへ尋ねる。


「コルム、頼んでた場所は見つかったか?」

「もうすぐ見つかると思うよ。一度見たことがあるし」

「何だ? まだ何かやってたのか?」

「ええ、海鳥の生息地になってる島から、肥料になるものを持ってこようと思って」


 これもまたカツキの隠し玉の一つだ。しかし、アスベルは怪訝そうに首を傾げる。


「海鳥……食べるのか?」

「違います。鳥の糞や死骸が堆積してできる層が、すっごい肥料になるんです」


 何も知らない人間にその原理を説明しても長くなるだけである。カツキは「必要なことです」と言い張り、後日その堆積層を採取しに行く役目を負うアスベルには黙っておいた。

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