第7話 観察、実践、結果が出た件 後編

 昨日の朝、カツキは枯れ草を燃やした後にできる灰を近くの農家から樽一杯もらってきて、紫の小さな石を除去し、十分に鍬で深く耕した畑へと撒いた。適量は分からなかったが、『農耕神クエビコの手』のおかげで樽の三分の一がなくなったところで肥料はもう十分だということが何となく感じ取れた。それからコルムに分けてもらった麦の種子を……割と適当に播いた。土で軽く埋め、水をかけ、一晩経ってみればご覧の有り様だ。


 たった八畳ほどの広さではあるが、本来四ヶ月近くかかるはずが一日でできてしまった大豊作の麦畑である。当事者のカツキだって訳が分からない。


「何なんだこの世界、原始的な肥料をやるだけで生育スピードがざっと百倍になったんだけど! 意味がまるで分からん! 何だこれ!」


 ムキーっとカツキは叫び、ペタンと座り込む。麦の豊かな香りとまだ新しい枯れ草の匂いが風に流れてきた。


「草木灰でこれなんだ。ここに化学肥料をやったらどうなるか……恐ろしいな」

「そ、そうなんだ。でもさ、魔法じゃないの? それか、カツキの祝福ギフトのおかげでしょ?」

「それもあるかもしれないけど、それにしたって早すぎる。豊作だし」


 豊穣神デメテルを祀る村だから作物の生育が早い可能性もあるかもしれない、とカツキは考えてもいたのだが、コルムの反応を見るにどうやらその線は薄そうだった。むしろ『農耕神クエビコの手』の効果である可能性のほうが高い。それ以上に、初めて与えられた肥料に農地が過剰反応したのではないか、とすらカツキは思う。


 何にせよ、想定外の出来事ではあるが、決して悪いことではない。


 それに、背後にいつの間にかやってきていた背丈の低い老婆も、大豊作の畑に驚くと同時に見惚れていた。


「何じゃこりゃあ。すんごい麦穂じゃわ、見たことがない」


 そのつぶやきは歓喜さえ含んでいるようだった。


 カツキとコルムは、髪の房すべてに植物の蔓が絡まるトロルの老婆に挨拶する。


「エーバ村長、おはよう」

「おお、カツキ坊ちゃん。おはようさん、コルムも」

「おはよう、お婆さん。これってそんなにすごいの?」

「すごいなんてもんじゃあない! 大昔の麦穂は今の何倍もの実をつけ、誰もが飢えぬ豊かな暮らしをしとったそうじゃ。これを見たら、本当にそうじゃったんじゃなぁと思うわい!」


 どうやら、生まれてからずっと農民として畑を見てきたエーバ村長は、豊作の畑を見るとはしゃぐ心を抑えられないらしい。コルムだってそうだ、麦穂と狼は繋がりがあったはず——なんかドイツとかでそんな信仰があったとカツキはぼんやり記憶している——ので、どことなく嬉しそうにずっと尻尾を振っている。


 そんな姿を見ていれば、カツキはこれがいいことだったのだ、とだんだん思えてきた。豊作を喜ばない人間なんて、カツキが元いた世界の現代において市場価格が下がりすぎるからとせっかく作った作物を大量に潰して捨てる農家くらいだろう。


 であれば、他の畑にも同じように豊作の恵みを与えたい。カツキがそう思うのは自然であり、また理に適ったことでもあった。


「とりあえず、豆を育てよう」

「いきなりだね、カツキ」

「何言ってるんだ。豆類を育てて畑に鋤けば肥料になる。やったことあるから確かだぞ」

「そうなの? お婆さん、そう?」

「おお、そうじゃそうじゃ。麦が豊作続きで豆を誰も食べんようになってから、廃れたがの。わしのひいひい祖父さんの話らしいぞ」

「それって何年前?」

「そうさな、ざっと二千年前かの」

「昔過ぎない!?」


 コルムとエーバ村長のやり取りを傍で聞いていたカツキは、余計なことを言わないよう口を閉ざしていた。人間よりはるかに長寿のトロルでさえも、豆類を肥料にする実体験がない。どれほどこの大地がここに住む人々へ大きな恵みをもたらしてきたか、まったくもって途方もないことだ。


(それはそうとして、一応対策の方向は石の除去と肥料の供給、これでいい。『M-エム・Originオリジン』が含まれている作物をできるだけ食べないよう指導して、その上で生産量を落とさなければいきなり飢餓や混乱が起きることはない。それでも、早めに紫の石と毒素への根本的な対処をしないとまずそうだ。そもそも魔物の生態自体、あまり知られてないみたいだし……どうしようか)


 今のカツキが抱えている不安は、それほど多くの人に理解されるとはカツキは思っていなかった。何せ、カツキは祝福ギフトを持っているとはいえ、よそ者だ。いくら寛容な土地であっても、よそ者がいきなりやってきて作物に毒が含まれているから食うな、灰を畑に撒け、なんて言って信じてもらえるだろうか。否、まず無理だ。コルムのようなお人好しが一人二人は信じても、村全体となれば絶対に反対意見が出る。どれだけ被害が出ることを説いても、自分たちが今までやってきたことを否定するのか、と頑なになるだろう。たとえエーバ村長の支持があったとしても、説得には時間がかかる。


 それをどう回避すべきか。せっかく対策の道筋が見えてきても、また新たな問題が浮上するイタチごっこだ。


 麦畑でキャッキャしている人狼ウェアウルフの青年とトロルの老婆を遠い目で眺めていたカツキの耳に、馬蹄が地面を踏み鳴らす音が聞こえ、カツキはアスベルが帰ってきたのかと勢いよく顔を上げる。


 ところが、二頭の馬が走ってきて——先頭の馬に乗っている人間は、アスベルではなかった。


 銀髪の、えらく体格のいい女性ものの分厚いツイードドレスを着た……それの性別はどちらだろう、とカツキは失礼なことを考えていた。


「お困りかしら、少年プチ・コパン


 カツキの迷走は、その野太い声でやっと止まった。馬に跨り女装した銀髪の人間は、男性だ。


 固まっているカツキは、銀髪の男性の後ろからアスベルがやってきていることに気付かない。


 銀髪の男性はするりと馬から降り、丁寧な挨拶と自己紹介を繰り出した。


「ルキウス大臣閣下のご命令により参上仕りましてございます、ヴァレー伯爵ルネ・ド=セルジュと申します。よろしくね、勇者様ヴァイヨン?」


 いきなり来た貴族を名乗る女装した大人はルキウスの協力者だった。そして、カツキはやっと目に入ったアスベルがふるふる首を横に振っている意味を正確に理解した。


 アスベルの表情には、こいつはこういう人間だから、という諦めが含まれているようだった。

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