第6話 観察、実践、結果が出た件 前編
曇り模様の朝、カツキは麦畑の端で座り込み、息を潜めていた。
地面に撒いたパンくずを、スズメくらいの小さな鳥がついばんでいる。翠緑色の羽はオウムのようだが、よくよく見れば黒とベージュが混ざった迷彩柄をしている、名前も知らない鳥だ。すると、それを嗅ぎつけたハトほどの大きさの鳥が——こちらは群青色で、目の周りだけが金色をしている——やってきて瞬く間に十羽ほどの集団になった。
そこへニワトリもやってきた。立派な赤い鶏冠を持った長い尾羽の鳥で、一羽また一羽と空から降ってきた。カツキの常識ではニワトリは飛ばないものだったが、認識を改める必要がありそうだった。
カツキの目の前では、大小の鳥が朝食のパンくずをついばむ、平和な風景が広がっている。しかし、それを見て和むことがカツキの目的では決してない。
鳥が羽ばたけば、羽が舞う。ほんの小さな羽毛が地面に触れると、風でさらわれていってしまいそうだったが、そうはならなかった。
羽毛が、地面にすうっと溶け込んでいく。さらに色も変わり、紫色の小さな点となった。やがてその紫色の点は浮かび上がり、ビーズ大の小さな石となる。
たった今、その目で見た現象に、カツキはじっと考え込む。
(紫の小さな石は、アイギナ村の人々の間では魔物の体内で生成される石と認識されてる。けど、今鳥の羽毛が地面にくっついて、紫色の小さな石が生まれた。となると……ここにいる鳥たちは、
いずれにせよ、渡り鳥だけでなくスズメやハトに似た留鳥さえも、カツキがとあるホラーゲームに登場するウィルスから名前を付けた『
紫の小さな石は、予想以上に鳥の間で広がりが早く、もはやヴィセア王国全土に撒き散らかされているのだろう。
そして、紫の小さな石の毒素が具体的に周囲へどんな影響をもたらすのか、それを突き止めたカツキは、どうしても焦る。本当ならこんなところでじっとしていられない。だが、カツキには他に何もできることがない。
その成果を今か今かと誰かに伝えたかったカツキは、遠くから自分を呼ぶ声を聞きつけた。
「カツキ、持ってきたよー」
七、八歳くらいの女の子が、カツキを見つけて走ってきていた。頭の両側面にそれぞれ羊の角を一つずつ生やしている少女は、簡素なジャンパースカートに可愛らしい母親手製のエプロンを着ている。
少女の手には麦藁で作られた人形があった。まるでおままごとに使う人形のようで、端切れで作った服まで着せられていた。
「去年の
麦を主食とする地域で見られる風習に、麦穂の収穫シーズン最後に刈り取った麦藁で人形を作り、翌春まで飾っておくというものがある。カツキが元いた世界では
カツキは昨日、コルムを通じて村中の家にこう頼んだ。去年作った
生憎他の家はもうそれぞれの方法で処分してしまっていたが、幸いにも少女の家にはまだあったのだ。少女はちょっと誇らしげに、
カツキはそれを受け取り、ジャケットのポケットから銅貨を三枚取り出して、少女の手に握らせる。
「ありがとう、ほらお駄賃」
「わーい」
少女は滅多にないお小遣いに喜んで、嬉しそうに帰っていった。その後ろ姿を、転げないよう見えなくなるまで見守ってから、カツキは
『
サンプル298:麦藁で作られた人形、民芸品。
【
コメント:時間経過により乾燥が進み、『
備考:『
『
「やっぱり」
てちてちと犬の足音がして、カツキのすぐそばにクリーム色の狼がやってきた。カツキの足に頭をすりつけて、上機嫌で狼姿の
「やあ、カツキ。どうだい?
「何だそれ。それより、去年末の麦藁には毒素はほぼなかった。急増したのは今年に入ってから、だと思う」
「うん……春先の野菜のくずにもあったよね」
キューン、とコルムは不安そうな声を漏らした。
カツキはコルムの頭を強めに撫で、現時点での推測をできるかぎり伝える。危険な情報は隠すとロクなことがないからだ。
「今は目に見える害こそ出てないけど、どうも紫の石は
「ひぇ……! た、大変だ」
カツキが元いた世界でさえ、インフルエンザに罹って死ぬ老人というのは後を絶たない。子どもだってそうだ、一歩間違えれば高熱による脳炎や肺炎の併発で死の危険を伴う。この世界よりも医療が発達した現代社会でさえそうなのだから、時代が数百年は遅れているこの世界の人々では罹った後の処置の効果になんて期待はできない。まったく役に立たない民間信仰を何とか躱しつつ、予防がすべて、と言っても過言ではないのだ。
だからと言ってまだ存在しない『R-○』や『ヤク○ト』を飲むこともできず、せいぜいがきちんと三食バランスのいい食事を摂る、石鹸で手洗い、うがいをする、くらいしかやれることはない。
「とにかく、石を取り除いた場所では普通に作物は育つんだ。
カツキはコルムを畑の一角へと案内する。目張りされた柵で仕切られたその一角は、大体八畳ほどの広さしかないが、今のカツキが管理できる農地面積はそれが限界だ。
そして、柵の一部を外すと、そこには豊かな穂を実らせた小麦がこれでもかというほど密集していた。黄金色の麦波が春風にそよぎ、今まさに収穫を待っている。
その
「あれ? なんかすごく……ええと、育ってる苗を使ったの?」
「違う。種から栽培したんだ」
「へー」
たっぷり五秒かけて考え込み、コルムはやっと驚愕しながら反論した。
「そんなわけないじゃん!? だって今春だよ!? こないだ種を撒いたばっかりじゃん!」
「そんなわけになったんだからしょうがないだろ! 一日でこれだよ!」
負けずにカツキも言い張る。嘘のような話だが、本当のことだ。
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