第5話 努力に気付いてもらえた件
カツキとアスベルがアイギナ村にやってきて一週間が経った。
人類の滅亡が近いかもしれないという緊迫した空気は一切なく、ただただ穏やかに時間が過ぎ、アイギナ村の人々は降って湧いたよそ者二人を温かく迎え入れ、生活の手助けにと世話を焼く。この村に住むのは人間だけではなく、トロルの村長や
それゆえによそ者に過剰反応しないと考えれば、それはそれでありがたい。おかげでカツキは到着した日からずっと畑に出て、ひたすらに
幸いと言うべきか、カツキはこの世界の言語、文字がある程度分かる。
今日もまた、畑に座り込んで何やら作業をしているカツキがいた。
「やっぱり」
そのつぶやきは、後方で様子を見ているアスベルと、耳と尻尾が生えた金髪碧眼の青年の姿になったコルムにも聞こえている。
「なあ、カツキのやつ、ずっと畑に座り込んでやっぱり、やっぱりって言ってばかりなんだけど」
すでに一週間寝起きをともにしているアスベルは、同居人のカツキが家事を何もしないのですっかり面倒を見る側に回るしかなく、掃除洗濯料理を押し付けられていた。
とはいえ、朝から晩まで畑に座り込むことが必要な何かをカツキがやっているのだ、とアスベルも分かっている。そもそもそうする理由についてカツキから説明を受けたのだが、アスベルにはさっぱりだったからこそ、何も言えないのだ。仕方なくアスベルはカツキの面倒を見つつ村の人々と交流し——それはカツキとすでに友人となったコルムを通じてすぐに打ち解けられた——カツキの生活基盤を整えた。
それでもやはり、今のカツキの熱中ぶりを見ると心配になってくる。
コルムはコルムで、自分の祖父が遺したものを有効活用してくれるカツキに全幅の信頼を寄せているようだった。
「俺たちがカツキを手伝えたらいいんですけどできそうもありませんし、とりあえず祖父の本がお役に立てたようで何よりです」
「うーん、何やらあるんだったらまあ、放っておくか」
「そういえば、アスベルさんはそろそろ城へお戻りに?」
「ああ、ここでのあいつの世話はお前に任せた。ひと通り必要なことは済ませたし、一週間も空けてちゃ仕事にならないからな」
アスベルの本業は城の兵士だが、同時にルシウスの協力者としての仕事も重要だった。王女の決断やそれを支持した家臣たちとの軋轢もあり、また他の英雄たちがどう動くかもつぶさに観察しなくてはならない。
アスベルはカツキの丸まった背中へ声をかける。
「カツキ、俺は城に帰るから、あとはコルムに」
すると、カツキはぐるんと勢いよく振り返った。アスベルとコルムは飛び上がるほど驚き、固まっているところにカツキが走ってくる。そして、こう言った。
「アスベルさん! その前に手紙書くから、それも持ってってください!」
「お、おう……手紙?」
アスベルを見上げるカツキの目は、真剣そのものだった。
「ルシウスさんに土地の現状を知らせないと。急いで対処すれば何とかなるはずです!」
カツキたちはログハウスに戻り、一通の手紙を完成させて、アスベルを城へと送り出した。
内容こそ知らないものの、それが人類の未来を左右するほど重要な情報であると聞かされ、アスベルは村の駿馬を借りて大急ぎで城へと駆けていく。
(どうせ俺にはその重要さは分からないが……ルシウス大臣なら少しでも状況がよくなるよう、あらゆる情報を手に入れたがるに違いない。カツキを頭から信じるわけじゃないが、急いだほうがいいだろうな)
そんな思いを抱きつつ、行きは馬車で数日かけてやってきた道を、アスベルはたったの一日で踏破して城に帰参する。天候が快晴続きだったこともあるが、西の大国が魔物に占領されてからというもの、道が渋滞する主な原因である大規模な商隊や巡礼者はまったくいなくなってしまったため、何ともうら寂しい一本道を直進するだけでよかったのだ。
あとは城に直帰して、カツキの手紙を握り締め、ルシウスの執務室へと向かう。アスベルの兵士としての直属の上司にはルシウスから話が通ってある。何の手を使ったかはともかく、アスベルは比較的自由に動くことができた。
アスベルはノックして返事を聞く前に扉を開け、執務室にいる着座した白髭の老人へカツキの手紙を差し出す。
「大臣、急ぎです。この手紙を。カツキからです」
本来なら許されない無礼な行為ばかりだが、二人の間には何ら問題ない。そして、急ぎであれば交わす言葉はそれだけで十分だった。
ルシウスは無言で手紙を受け取り、封を切る。中に入っていた三枚の便箋のうち、二枚は何らかの手書きの図と数字が詳細に書き込まれており、肝心の要件は便箋一枚に収まっているようだった。
それをルシウスは瞬く間に読む。
「ふむ」
どうやら手紙の内容を呑み込んだらしいルシウスへ、まだ走ってきた息切れを整えているアスベルは尋ねる。
「どうでしょう? カツキは何に気付いたんですか?」
「土地の汚染状況だな」
「汚染、ですか?」
「すでに魔物に占領された大陸西部から北西部を通ってくる渡り鳥によって魔物由来の毒素が人間の領域にもたらされ、少しずつ作物の実りが悪くなっていっているようだ。ここ最近魔物の占領地が爆発的に増えたせいもあるだろうな、まったく」
ルシウスが語る事態の深刻さは、冷や汗をかくアスベルにさえ伝わってきていた。
直接的に魔物が攻めてくるのなら、撃退すればいい。それが叶わなかったとしても、その地域だけの問題だ。しかし、渡り鳥には国境も魔物も関係なく、大陸全土を季節ごとに行き来する。その渡り鳥が、人類に害のある物質をばら撒く原因となっている——食い止める手段はそれこそ何百万、何千万羽といる渡り鳥を絶滅でもさせるしかなく、まったくもって論外だ。
空になったと思っていた手紙の封筒から、ルシウスは数粒の紫色の石を取り出した。ビーズほどの大きさで、少し遠ざかればそこにあるかどうかすら分からないほど小さい。
そんなものが魔物の侵攻を受けていないはずの後背地にまで広がっている。兵士たちだけではない、抵抗する術のない農民や王侯貴族に至るまでその被害から逃れることはできない。人類の一員として、アスベルはこればかりは恐怖し、戦慄するほかなかった。
「渡り鳥は都市部よりも餌のある農村部に多く集まってくる。城にいる我々が気付かなかったのは道理というべきか、職務怠慢というべきか。何にせよ、この毒素を早急に分析し、無害化の道筋をつける。加えて、流通する食物中に含まれる毒素の量を推定しなくてはな。人体への影響も懸念するところだ」
アスベルは深刻な表情で頷く。ルシウスが即座に対処へ動く、それは喜ぶべきことだ。もしカツキのこの忠告が上手く理解されず、後回しにされていれば……などと考えると、知ってしまったアスベルはゾッとする。
ルシウスは紫の石たちを、棚から取り出した空のインク壺へ入れ、蓋をする。
「これは私お抱えの魔物研究者たちに調べさせよう。ただカツキの予想では、仮に毒素の名を『
「……あいつ、そんなことまでできるんですか? いくら
「いや、所詮
なるほど、とアスベルは納得する。自身と同じ戦いに役に立たないカツキの
その努力は誰でもができることではない。たった一週間だが傍で見てきたアスベルには、カツキのあのひたむきさを否定することはもうできない。
ルシウスは両手を叩き、杖を突いて立ち上がる。
「よし、速やかに動こう。極秘裏にカツキの支援チームを設ける。アスベル、君も参加したまえ」
「よろしいのですか? しかし、俺はただの兵士で」
「何を言う、立派な
「あ……そ、そうですね、確かに」
言われてみればそうだった。完全にアスベルは自分の
「ところで、カツキ以外の英雄ご一行はどうなったんですか?」
「気の急いた一部の少年たちが、すでに西へと出発したよ」
「もうですか? いくら何でも、もう少し留めたほうが」
「仕方あるまい。王女殿下も、彼らにありったけの支援物資を持たせて送り出した。我々にはそれ以上のことはできないのだから」
ルシウスの失望は目に見えるようで、アスベルは押し黙る。そこまで彼らが自分勝手に動くとは思ってもみなかったのだ。
ヴィセア王国とて、十分に物資があるわけではない。西の占領地奪還へ何度も派兵し、そのたび膨れ上がる戦費に四苦八苦しているのが現状だ。であれば彼らが一団となって勝率を上げ、着実に勝利を掴んでくれることを期待するのだが、そう上手くはいかなかったようだ。
すでに終わったことを嘆くよりも、ルシウスは前を向いていた。
「そちらに大勢の目が向いている隙に、我々はカツキが示唆してくれた危機へ対処する」
ルシウスは大臣として、ヴィセア王国の民を守るために密かに動き出す。たとえ、華やかな勲や武勇譚がなかったとしても、人々を守ることは同じで、上に立つ者の義務だ。
ルシウスによって内密に召集された賢才たちは、待ちに待った使命を帯びて行動を開始した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます