第4話 わんこもふもふな件

「ここが、家」


 カツキはそわそわしていた。


 目の前のログハウスのせいではなく、意外と綺麗な土道に可愛らしい子羊たちが歩いていたからでもなく、今すぐに飛び出したい気持ちを抑えていた。


「一昨年ここに住んでた爺さんが死んでから、空き家にしてたんだと。孫が手入れはしてたから、すぐにでも住めるそうだ」


 アイギナ村の村長と話をしてきたアスベルは、ログハウスの快適さを信じているようだった。確かに茅葺き屋根や土塀よりはずっと現代的で、しっかりした造りをしている。事故物件であることを除けば完璧だろう。カツキは幽霊がこの世界にいないことを信じるしかない。


 それよりも、カツキにはやるべきことがあった。


「じゃあ中の掃除はお願いしますね! 僕、用事があるんで!」

「おい、ちょっ」


 アスベルの制止を振り切り、カツキは走る。ログハウス周囲の木立を抜けて、村落の外縁部にある畑の一角へと座り込んだ。


 カツキの手が畑の土を遠慮がちに掬う。それを見て、カツキは確信を得た。


「やっぱり、土の状態が分かる」


 おそらく祝福ギフト農耕神クエビコの手』のおかげだろう。


 カツキの頭の中には、文字が湧き上がっていた。



ターゲット:サンプル01土壌 

採土日:晩春〜初夏

主要作物:麦、パンコムギ系と推測

土壌種別:黒土、肥沃土

不足:一部で極度の塩分不足が見られる

過剰:なし

Ph値:中性に近い

推奨される対策:本来腐食肥料となる一年草のサイクル回復に努める、あるいは適切な肥料を施肥する

コメント:典型的な腐食土の肥沃土であり、肥料よりも水分の適切な管理が好ましい。一方で局所的に土壌に不足する成分が異なっている可能性あり。



(……いきなりそんなこと言われても分からん!)


 自分自身のステータスよりも圧倒的に詳細な土壌分析結果を見せつけられ、カツキは不満だが、致し方ない。『農耕神クエビコの手』はあくまで農業専門の祝福ギフト、そう割り切るしかなかった。


 しかし、これらの分析結果を見て、バケツ稲作しかやったことのない農業素人のカツキには、はっきり言ってどうすればいいかよく分からない。対策では肥料を撒けと言っているのに、コメントでは肥料よりも水分の管理を、となっているのだ。


(『農耕神クエビコの手』のお告げを理解するのも時間がかかりそうだ。とにかく、この土が水分不足かもしれない、って意味は何とか分かる)


 幾条もの畝の伸びる畑にはすでに種が蒔かれ、ところどころ新芽が出てきている。しかし、よく見れば土の色が一面同じではなく、黒い土と茶色い土が混在していて混ざりきっていないのは一目瞭然だ。トラクターもブルドーザーもない異世界で畑全体の土を混ぜるのは大事業だから致し方なさそうだが、そのせいで作物の成長にムラがある……と『農耕神クエビコの手』は言いたいのだろう。


「となると、どうすべきか……雨は日本より少なそうだけど灌漑設備自体は整備されてるし、水を撒けばいいのかな」


 肥料と言われたって、カツキが思いつくのは日本史の授業で出てきた『草木灰そうもくばい』やかの有名な肥溜めくらいだ。後者は絶対にやらないとカツキは固く誓う。であれば草木灰を調達しなくてはならないが、村の人々に聞いて持っているかどうかを確認してからでも遅くはない。


 手っ取り早く水が不足している場所に水を撒く、という原始的な方法から始めようと立ち上がった矢先、カツキの腰あたりの高さから、人間の少年の声がした。


「こ、こんにちは」


 キョロキョロと辺りを見回して誰もいないことを確認したのち、視線を下に落としたカツキは我が目を疑った。


 クリーム色の上品な色合いをした、三角耳の短毛の大型犬が尻尾をブンブン振って見上げてきていたのだ。


「犬が喋った……? えぇ……?」

「あ、犬ではありませんよ。ウェアウルフです」

「人狼じゃん!」

「今は新月なので変身できないんですけど、れっきとした人狼ウェアウルフです。引っ越してこられた方ですよね?」


 じっと見上げてくる犬のような自称狼の目は穏やかで、初対面のカツキを敵視はしていない。そういうところはまるで狼ではなく番犬に向かないほど人懐こいゴールデンレトリバーのようだが、カツキは黙っておいた。


 それよりも、狼に犬と言ってはいけないだろう。カツキは頭を下げた。


「ごめん、失礼しました、僕はカツキです」

「ああ! あ、頭を上げてください! たまに間違えられますから、気にしないで!」


 慌てて人狼の少年はカツキへ自己紹介をする。


「俺はコルムです。コルム・ムイリス・ルアイドリといいます。祖父の住んでいた家の修理に行く途中でして」


 人狼の少年コルムは、とても愛らしい笑顔を作ってみせた。舌を出してじっと見上げてくる姿は、胸を打つ可愛さだ。家で二匹の猫を飼う猫派のカツキも、危うくハートを撃ち抜かれるところだった。


 カツキはその場に座り込み、隣にコルムも腰を下ろす。立派な前肢には革製の腕輪がくっついており、よく見れば耳元にもカラフルな付け三つ編みがくっついていた。それらの装飾品は、少なくとも人間に近い生活をしている証だ。つまり、話が通じるに違いない、カツキはそう希望的観測を持って、コルムに話しかける。


「コルム、アイギナ村ってどんなものを作ってる?」

「主に小麦ですね、他には特産の野菜です。種まきは先週終わったばかりで」

「へえ。あと肥料は何使ってる? ちょっとほしいんだけど」

「え? 何ですか、それ」


 クリーム色の狼コルムは、キョトンとした顔を傾けた。


 『肥料』を知らない。その事実に、カツキは衝撃を受ける。


「まさか、肥料も撒かずに今まで作物が育ってたのか……!?」

「うぇ!? お、おかしいことですか、それは」

「当たり前だろ! 理由は? 何年それで作物ができたんだ?」

「はわわわ、だってずっとずっと昔からそうだし」


 コルムは混乱しているが、カツキが問い詰めることにも一応理由がある。


 元の世界の、生物科学部でバケツ稲作をしているときのことだった。先輩たちはきちんと苗から稲が育っているのに、カツキのバケツではそうならない。競争の意味もあって原因を教えてもらえないため、カツキが図書館で借りた本にかぶりついていたところ、土の準備が足りなかったのだとやっと結論に至ったことがある。作物に合った土質、水分量、肥料、多すぎても少なすぎてもよくない。そのバランスをいくつかのバケツで試して、ようやくカツキのバケツ稲作もスタートしたのだ。


 このときのカツキは知らないが、元の世界には肥料に依存しない『黒土チェルノーゼム』という土壌が存在し、世界三大穀倉地帯を形成している。自然の循環だけで肥沃な土が作られて長年堆積し、人間の手で肥料を与える必要がないのだ。


 それと同じくらい肥沃な土が、このアイギナ村にはある。そのはずなのだが——。


(コルムが嘘を言っているとは思えない。実際今までそうだった、でも今年は違うってことか?)


 先ほどの『農耕神クエビコの手』による土壌成分分析によれば、目下の畑には水や肥料が一部足りなくなっているようだ。その原因は何だろう、とカツキが目を凝らすと、太陽光を反射して何かが土の表面できらめいた。


 カツキはを指先でつまむ。ビーズ大ほどの紫色の石があり、よく見れば畑のそこいらに見つかった。アメジストのようで曇っている紫色の石についても、カツキはコルムへ尋ねる。


「つまり、この土地に人が住み着いてから一度も肥料を撒かずに作物を育ててきたのか。この紫色の石のせいか?」

「いや、それは学校で習ったんだけど、魔物の体内から取れる石らしいよ」

「え? それが何でここに?」

「魔物に占領された土地から渡ってきた渡り鳥に撒き散らされてるんだよ。でも、分かってるのはそれくらいで、見つけたら取り除けって言われてるけど、ご覧の有り様でさ」


 やれやれ、とコルムは紫色の石を恨めしそうに見る。


 ちょうどいいので、カツキは『農耕神クエビコの手』で紫色の石を分析してみた。何か分かれば儲けもの、分からなくても祝福ギフト機能の限界を知ることができる。


 ところが、分析結果はただ一つ、『警戒すべしアラート』しか頭の中に出てこない。それ以外はどうやら分析できなかったのか、とにかく危険性があるらしい。


「毒? っぽいな、やっぱり」

「そ、そうなんだ」

「でも、これだけの量を畑から取り除くのは無理だ。無害化を考えたほうがいいよな」


 たとえば雨が降りすぎて土壌が酸性になったならアルカリ性の石灰を、土壌が塩分過多なら高低差を利用した除塩法を、というふうに必ず対策があるものだ。普通の砂利石を取り除くならいざ知らず、一日かけて踏破するような広い農場でビーズを拾い集めるなど不可能に近い。


 さてどうしようかとカツキが考え込んでいると、ふと隣から熱視線を感じた。


 コルムが——とても可愛い希望に満ちた顔をして——カツキをつぶらな瞳でじっと見て、尻尾をブンブン振っているのだ。


「カツキ、物知りなんだね。すごいな!」


 いきなりの褒め言葉を、カツキはまっすぐ受け取れない。


 コルムは純粋に、カツキの話を聞いてそう言っただけだ。カツキはそう自分へと言い聞かせる。色々な感情が渦巻く、複雑な胸中は隠して。


 すると、何も知らないコルムは興が乗ったのか、ペラペラと身内について喋り出した。


「うちの祖父さんは人狼ウェアウルフだけどドルイドだったんだ。家の中に見たこともない植物やどこかの水がいっぱいあって、畑の開墾前には儀式をしてたらしいんだけど、もう死んじゃったから何もかも分からなくなっててね。誰も跡を継がなかったし、邪魔だからって全部捨てちゃったよ」


 きゃっきゃとはしゃいでいるコルムは、すでに畑の話は聞き逃さない耳ができているカツキにとんでもなく有益な情報を提供した、とは思っていない。


 カツキはコルムのもふもふした肩を両手で撫でまくりながら、こう頼み込む。


「コルム」

「な、何?」

「ドルイドに関する本、全部持ってきてくれ」

「全部!?」


 カツキは頷く。コルムの首元を指先で強めに掻いてやりながら、念押しした。


「ものすごく役に立つかもしれないから、急げ!」

「あいいいい! きもちいー!」


 すっかり首を伸ばし切ったコルムは、恍惚の表情でカツキの手櫛ブラッシング術の虜となっていた。


 とはいえ、すぐにコルムの祖父の遺品は回収されることとなる。カツキがこれから住むログハウスがコルムの祖父の家であり、裏庭に積み上げられた木箱にドルイドの遺した資料が山ほど入っていたからだ。


 それらを使って、カツキはこの土地の過去と現在を知る。


 豊かな大地は、徐々に侵略を受けていた。

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