第449話 西の雨、東には星

 ライガースのカップスとの三連戦は、全て雨で中止となった。

 この延期が果たして、ペナントレースにどう影響してくるか。

 タイタンズの試合消化がスムーズすぎて、かなりライガースとは差がついている。

 クライマックスシリーズは優勝したチームが、とにかく圧倒的に有利。

 そう考えればライガースとしては、タイタンズがレックスに勝ってくれて、首位までの勝率差が縮まるほうがありがたい。


 あるいはタイタンズにペナントレースを勝ってもらっても、そこからなら逆転出来るとも考えられる。

 とにかくレックスにアドバンテージが渡るのが、一番大変であるのだ。

 もしもファーストステージでレックスと対戦したら、直史を相手に一敗するかもしれない。

 だが他の二試合に勝てば、ファイナルステージに進める。

 そこでタイタンズを相手に四勝するほうが、明らかに簡単だ。

 いや、それはさすがに語弊があるだろうか。


 レックス相手に四勝するというのは、極めて難しい。

 ほとんど負けないピッチャーが、中四日で二試合は投げられるということなのだ。

 残りの四試合全てを、勝たなくてはいけなくなる。

 直史は第一戦に投げれば、第二戦と第三戦、リリーフ程度しか投げないだろう。

 そこでリードする展開になれば、直史がそれ以上に点を取られなくても、レックスが勝つことはない。

 復帰一年目に、ライガースが日本シリーズに行けたような状況だ。


 逆にレックスとしては、直史がポストシーズンに離脱したら、完全にそこで試合終了である。

 もちろん直史がいない試合でも、ちゃんと勝っているという事実はある。

 しかし最高戦力が使えないという時点で、完全に士気が折れてしまうのだ。

 その直史が、タイタンズとの試合で先発する。

 既に対決した経験はあるが、二試合とも勝利はしている。

 ただし直史が点を取られた、二試合のうちの一試合は、タイタンズとの対戦によるものだ。


 かなり本気で思考しなければ、勝つのが難しい試合であった。

 とはいえスコアの上では、それほどの苦戦にも見えていないのだが。

 次のライガース戦までに、完全には回復していなかったため、完投も出来ずにチームも敗北した。

 自分の投げた試合は、自分で勝利までの責任を持ちたい。

 直史はそういう古いタイプのエース観を持っているが、自分で気づいていながら無視している。

 合理主義であるが、合理だけで動かないのも、分かっているのが直史だ。


 直史のピッチングは、どう考えても合理の至るところではない。

 何か人間の論理を超えたところに、それが結実しているように思える。

 もっとも直史としては、自分が出来ることをしているだけである。

 それを追求した結果が、記録になっているだけだ。




 第三戦、西は雨雲により、雨天で延期となっている。

 しかし東の神宮は、問題なく行える天気だ。

 もう高校野球に関しても、地方大会が始まろうという季節。

 直史はそうでもないが、司朗にはこの季節、集中力が高まる条件になっている。

 甲子園で試合をするのが、日常となったプロの世界。

 司朗が次に目指すのは、アメリカの西海岸だ。


 どのチームでプレイするのか、ということはまだ考えていない。

 ニューヨークの記憶は残っているが、あそこは危険な場所でもある。

 両親の友人が亡くなり、母はPTSDを発症するようになった。

 叔母も銃で撃たれたりして、アメリカは危険な国なのだと思わせる。

 もっとも広大な大地を思えば、一言でアメリカとまとめてしまうのは、ちょっと乱暴な気もする。


 まだ懐かしいとも言えないが、神宮球場の中を歩く。

 高校野球の夏を行う場所であるが、神宮大会にも出場した。

 そして大学野球においては、ここが聖地とされている。

 プロになってみて来ると、興行の舞台になっているな、と普通に感じられるのだが。


 今日の試合に関しては、勝つのは難しいと思っている。

 連敗した後の最後の第三戦に、直史が投げてくるのだ。

 負けたイメージを払拭するために、強引にパーフェクトを狙ってくることすら考えられる。

 ただそういうことを考えていると、その思考すら利用してしまうのが、直史のピッチングであるのだが。

「なんとか二点取りたいな」

 そう司朗と話すのは、四番を打つ悟である。

 彼もまた高校時代、同じチームでプレイしたことはないのだが、直史の後輩ではあった。


 タイタンズの最大の得点源として、一番を打ったり二番を打ったりしたが、30歳を過ぎたあたりからは四番に固定されている。

 元はパのジャガース出身であり、彼がいた頃のジャガースは、まだそれなりに強かった。

 大介の活躍もあって、ポスティングでメジャーに行くかとも思われていた。

 だがFAとなって選んだのは、国内のタイタンズであった。

 これは後の夫人との関係で、選んだものだと言われている。


 実際に今も40歳になりながら、四番としての数字を残している。

 大介がいなくなった時期には、ミスタートリプルスリーなどとも言われたのだ。

 実際にホームランの記録なども、歴代で上位に入っている。

 間違いなく野球殿堂入りはするであろうし、名球会入りの資格もとっくに満たした。

 彼との組み合わせで点が取れないのなら、もうどうしようもない。

 そもそも直史から何点も取っているバッターが、大介しかいないのだが。




 タイタンズが優勝するためには、もうこの一年か二年が限界ではないのか。

 悟が引退すれば、タイタンズの得点力は落ちる。

 そして司朗にしても、長く日本にとどまるつもりはない。

 メジャーで活躍することは、己の使命とも思っている。

 多くの期待を、その肩に背負っているのだ。


 だがその前に、タイタンズに栄光をもたらしたい。

 MVPなどに選ばれたら、それで充分にタイタンズに貢献したこととなる。

 契約金と年俸の分は、ちゃんと働いてから出て行くつもりだ。

 ただ金の話をするなら、25歳までは日本にいた方がいいのだが。

 金のためにやるわけではない、というのがお坊ちゃんの思考であろう。


 もっともタイタンズに限らず、他のチームも戦力は落ちる。

 直史や大介、そして武史も長くなど、プレイ出来ないのは明らかだからだ。

 大介がほんの少しずつ、スタッツを落としているのは確かなこと。

 上の世代が抜ければ、一気にレジェンドが消える。

 そうすれば司朗は、おそらくMVPなどを取って、そこからメジャーに行くことが出来るだろう。

 

 父親たちの世代を倒す。

 司朗にとっては、親殺しのような感覚であるだろう。

 息子は父親を超えたいと思うものだ。

 特に司朗の場合、あまり父親を父親と感じたことがない。

 子供の頃に一緒に過ごすことが、少なかったので仕方がないが。


 度の強いマザコンである司朗は、その母の夫である父に、嫉妬を感じている。

 また今度も弟か妹が出来るということで、つまり自分の子供でもおかしくない年齢の、弟妹が生まれるのだ。

 そういった色々な情念を、司朗は持ってしまっている。

 恋人でも出来たらいいのだろうが、今の司朗は野球に集中している。

 ピッチャーとバッターで、役割が違うのが問題だが、父よりも優れた選手になることを目標とする。

 もっともそれを達成するなら、ほとんど毎年MVPを取らなければ、不可能な話なのだが。


 武史は400勝を達成した。

 日米通算記録で、日本のみで達成した上杉とは、また意味合いが違う。

 大卒ピッチャーの400勝など、ありえないと誰もが言っていた。

 あるいは高卒でプロ入りしていれば、などとは今でも言われる。

 だが武史のピッチングは、大学時代に樋口と組むことで、おおよそ完成されたのだが。


 ならば司朗は、4000本安打と400ホームランを目指そう。

 シーズン打率四割達成も、何度かしてやろう。

 MLBのみでの安打記録を、更新することは確かに難しい。

 だが不可能というわけではないな、と司朗は考えている。


 あまりにホームランが多すぎると、勝負される回数が減ってくる。

 それを防ぐために、盗塁の数が必要になるのだ。

 敬遠してもツーベース扱いなら、それなりに勝負されるであろう。

 ホームラン400本というのは、それほど難しくないと司朗は考えている。


 23歳でMLBに行きたい。

 もう少し早くてもいいが、あちらの記録だけで、4000本安打を達成出来るだろうか。

 高卒一年目から活躍している司朗は、安打の数なら相当に多くなるだろう。

 だが長打を捨てるというのは、バッターとしておかしな話だ。

(結局戦う相手は、記録になるのかもしれないな)

 日米通算では大介も、4000本安打を達成している。

 そこにケチをつけるのは、日本でのヒットが2000本になるからだ。

 もっとも大介の場合、MLBのみでのホームラン数で、記録を作っているので比較にならないが。




 試合の始まる時間、まだ日は没していいない。

 七月の野球は、まだにシーズンの野球である。

 司朗にとっては夏こそが、野球の最大の季節であった。

 秋もセンバツを決める試合があったが、甲子園はやはり夏こそがメインである。


 神宮での試合のため、まずはタイタンズの攻撃。

 先頭バッターの司朗は、直史の投球練習を見る。

 普段と同じ、キャッチボールのような速度。

 しかしスピンのかかっているものは、球速よりも明らかに伸びがあるのだ。

(この試合が終われば、いよいよオールスターか)

 レジェンドと言われる選手の中で、出場するのは悟ぐらいである。

 武史ぐらいは出場してくれてもと思ったが、確かに今年は離脱があったのだ。


 直史も大介も、完全にローテを守ったり、全試合に出場出来ているわけではない。

 特に大介の場合は、開幕の三連戦に欠場したのが、痛いと言えるであろう。

 あそこでもっと打っていれば、と司朗から見てもそう考える。

 もっともここまでのベテランとなると、怪我などとは必ず付き合っているものなのだ。

 悟にしても膝に、爆弾を抱えている。

 バッティングの能力が高いので、いずれはファーストになるかもしれない。

 これがパであれば、DHという選択肢もあるのだろうが。


 そんなオールスターのことは後回しで、まずは目の前の対決である。

 司朗の今のルーティンは、バッターボックスに入る前の集中。

 特に独自のものはなく、そのまま自然と構えていく。

 歓声の中で聞くのは、ピッチャーの心臓の鼓動。

 集中すればそれだけを、聞くことも出来るのだ。


 相手の心を読む。

 正確にはこれは、観察の能力である。

 直史は幅が広すぎて、さらに静か過ぎるため、簡単にボールを読むことは出来ない。

 だから読むのはキャッチャーの方。

 とりあえず先頭打者として、直史のパーフェクトもノーヒットノーランも消しておくのが役目と考える。


 キャッチャーの動くわずかな動作が、司朗には伝わってくる。

 迫水は静かなタイプだが、直史ほどの静寂に包まれてはいない。

 完全に読み取れるわけではないが、ストレートでないことは分かる。

(カーブかな)

 読んだ通りに、初球はスローカーブから入ってきた。

 一応はゾーンを通っているが、司朗は見逃す。

 判定はストライクで、今日の審判の判定の参考にした。




 空間が支配されているのは、直史も感じている。

 公式戦での対決は、やはり練習でバッティングピッチャーをやってやるのとは違う。

 司朗は確かに読んでくる。

 その動作の起こりを、直史は読み取ろうとする。

 お互いがお互い、同じタイプのプレイヤーだ。

 フィジカルばかりに頼るのではなく、もっとメンタルなところで似ている。


 大介とは対照的なバッターなのだ。

 スペックだけを見れば、似ているように思えるかもしれないが。

 大介は闘志で圧倒しようとして、その気迫が殺気に近いところまで昇華される。

 その燃えるような気持ちが、下手な読みを焼き尽くしてくる。

 司朗は同じタイプなので、純粋に上回っていれば勝てる。

 そう思っていたのだが、初球のスローカーブで気づいた。


 何かが違う。

 それが司朗の読みの違いであるとは、直史もすぐには分からない。

 迫水は黒子に徹しているのだから、立派にキャッチャーの役割を果たしている。

 もちろん司朗相手となると、下手なリードは役に立たないが。

 ピッチャーとバッターはパワー対決のところもあるが、読み合いでの対決もある。

 直史は完全に、相手の読みを外して投げていく。

 だが全てを完全に把握しているわけではない。


 ここに投げれば打たれない、と思うことは危険なのだ。

 むしろここに投げるのは危険ではないのか、というポイントを探していく。

 司朗は基本的に、ゾーンの中のボールなら、どこでも五割は打っていける。

 ボール球でもヒットにしてしまうのは、大介と同じ能力。

 しかし大介と違って、そこまで無茶なボール球を打っていくことはしない。


 打てるのは内角高目と、真ん中の高め。

 今では高めに投げられたストレートというのは、ピッチャーにとっての決め球の一つとなっている。

 司朗はそのストレートを、弾くようにして外野の前に落としていく。

 そういった単打でもって、チャンスを作っていくのだ。

(立派になったもんだ)

 甥や姪、そして息子に娘と、子供たちの中での最年長。

 だから自然とお兄ちゃんっぽさを持っていた司朗である。

 それでも小さかったあの子が、今は強敵としてバッターボックスの中に入っている。

 思えば自分も、年を重ねたものである。


 人間の平均寿命の、半分はもう過ぎてしまった。

 だが衰えてからの方が、人生というのは長いものである。

 若者の前に立ちふさがる、厄介な強敵という立場。

 それでも自分の役目を、しっかりと理解しているのである。




 静かな直史の気配から、力が抜けていく。

 そこに立っているという気配さえもが、司朗からは感じられなくなる。

 迫水の気配を読もうとするが、どうしても意識はマウンドの方に割かれてしまう。

(幻と戦っているみたいだな)

 この体験を積み重ねていけば、むしろ打てなくなるばかりであろう。

 打てている大介のメンタルは、完全におかしいと思う。


 変化球でカウントを取られる。

 珍しい高速スライダーなど、普段は投げていないものだ。

 緩急をつけることによって、150km/hのストレートでも、それよりもずっと速く感じさせることが出来る。

 緩急差は最低でも30km/hはほしい。

 直史はそうやって、ストライクカウントを積み重ねていくのだ。


 際どいところも振っていかなくてはいけないカウント。

 司朗はツーナッシングから、あえて読みを浅くする。

 どんなところに来ても、反射でそれを叩けるようにするのだ。

 それが無理だと判断したら、カットに切り替えられるようにする。

 亡霊と亡霊との戦い。

 キャッチャーボックスの中の迫水は、二人の気配の薄さに、どこかぞっとしてしまう。


 直史と大介の対決は、プラスとマイナスの対決だと感じる。

 押せば引き、引けば押す。

 対して司朗の場合は、マイナスとマイナスの対決と言えようか。

 どちらが優位かとか、優れているかは関係ない。

 とにかく性質が違うことだけは、間違いないのだが。


 このカウントからならば、打ち取ることも難しくはない。

 だが高めに外した、手が出そうなストレートには、まるで反応しなかった。

 それは見えているぞ、とこちらに伝えるかのように。

(同じ人間でも、こんなに差があるものなのか)

 直史とバッテリーを組んでいると、自分のレベルが無理やりにも引き上げられる。

 そして恐ろしいバッターも、誰のことだか分かるのだ。


 ボールカウントが一つ増えて、わずかに天秤の均衡がバッター側に戻る。

 それでも有利なのは、ピッチャーに間違いはない。

(何を投げればいいのか)

 迫水のサインに対して、直史は首を振った。

 だが直後に、向こうから同じサインを出してきたのだ。


 迫水の戸惑いを、司朗は感じた。

(サインが伯父さんの方から出た?)

 だがそれだけではなく、キャッチャーの迫水の気配が、大きく動いたこと。

 意外性のあるボールを、投げてくるのではないか。

(ストレートか、あるいはカーブ)

 同じように高めのストレートを、投げてきてもおかしくはない。


 直史は既にプレートを踏んでいる。

 そこから足が上がって、ボールがリリースされる。

 司朗はそれを速球だと理解した。

(高め)

 だがこれは充分に、入っているのではないか。

 スイングが始動し、そしてそれが落ちていくボールを追う。

(スルー!)

 バットはボールの頭を叩き、ピッチャー正面への平凡なゴロ。

 どれだけ司朗が俊足であっても、内野安打にはならないゴロのボールとなったのであった。


 まずは最初のワンナウト。

 一番ランナーに出してはいけないバッターを、直史はアウトにした。

 司朗の敗因は、迫水の気配の動きに、対応してしまったこと。

 カットに専念していれば、まだアウトにはなっていなかったであろう。

 四打席は回ってくると考えていい、一番出塁率の高いバッター。

 直史であるならば、どうにか盗塁は防げるのかもしれない。


 初回のタイタンズは、三者凡退に終わった。

 だが直史としては、微妙に気力を減少させることとなった。

 司朗の成長は、プロに入ってからもどんどんと増している。

 ほとんど毎日試合をしているのだから、そこでの駆け引きが成長の大きな要素になっているのだろう。

(どこまで成長するのかな)

 自分に引導を渡すのは、果たして誰になるのか。

 直史としては司朗の伸び代に、期待しながらも疲れてはいた。

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