第446話 雨に降られて

 スターズは上杉が引退してから、間違いなく弱くなった。

 武史では上杉の代わりにはなれなかったのだ。

 だが今は再編の時期であり、単純にどうしようもない弱さではない。

 上位の3チームを相手にしても、それなりに勝ち越すことがあるのだ。


 特にピッチャーがいい時は、充分に勝負になる。

 武史は今日も、肩を回して投げる。

 今でもリーグ屈指のスピードではあるが、昇馬はそれを上回るスピードになってきた。

 若かった頃に対決していたらどうなったかな、と考えなくもない。

 もちろんそんなことは、ありえない現実の話である。

 お互いの成績を比べてみて、そこを考えるしかないであろう。


 司朗としても武史のストレートやツーシームは、ジャストミートが難しいボールだ。

 ある程度は配球ではなく、心を読んで打っていくしかない。

 ただそれでも球威に負けるのが、プロの世界だ。

 高校時代は甲子園でさえ、六割以上は打てていた司朗。

 それでもその甲子園の、さらに上澄みを煮詰めたピッチャーからは、なかなか四割も打てないのである。


 息子に対して武史は厳しい。

 娘に対しては、かなり甘いところがあるのだが。

 下手をすれば司朗がぐれてもおかしくなかったが、他の周囲にいる大人が良かった。

 そのため真っ直ぐに、高校野球を戦うことが出来たのだ。

 またプロの世界でも、導いてくれる人間がいる。

 これはとても幸運なことなのだ。

 人間の一生というのはどうしても、人と人との縁に左右されるところがある。

 そのあたりの強運は、まさに父親に似たのであろう。


 スターズは一点を先取したが、二点目がなかなか入らない。

 その間にむしろ、タイタンズに一点を返されてしまった。

 六回あたりから武史は、球威が落ちるかコントロールが乱れる。

 さすがに衰えてきているのだが、それもパワーピッチャーなら当たり前のことだ。

(厄介なバッターに育ったもんだ)

 特にチャンスの時に、そのまとった雰囲気が変わる。

(得点圏や決勝打、そのあたりが違うからな)

 あるいは大介よりも、警戒しなければいけない場合がある。


 クラッチヒッターが二人もいるタイタンズ。

 大介一人のライガースよりも、あるいは厄介であるのかもしれない。

 ただその二人を、一番と四番に置いていることで、なんとか対応が出来ている。

 途中の二番と三番を、どうにか打ち取ってしまえばいい。

(タイタンズはピッチャーがまだまだ弱いからな)

 そう思っている武史の前で、スターズはツーランホームランが飛び出す。

 これで3-1となって、武史も楽に投げられるようになった。




 打順を警戒しながらも、武史は最終回はクローザーに任せる。

 八回一失点で、武史は九勝目。

 最終的なスコアは4-1というものであった。

 野球はピッチャーで決まるという。

 その決められるピッチャーの一人が、武史であるのだった。

 エースというものに幻想を持たない武史は、真っ向勝負をしていない。

 だが上手くボール球で、司朗や悟の狙いを逸らせることに成功したのだ。


 ヒットを打った司朗だが、この試合は四打数一安打。

 三割打てばバッターの勝ちなら、単打一本の司朗は今日、判定負けといったところだ。

 単純に練習で、速い球を投げてもらうだけなら、充分に対応が出来る。

 しかし公式戦の中では、リードというものが存在する。

 単純に読むだけでは足らない。

 分かっていても打てないのは、やはりピッチャーとしての格の違いか。

 あとは武史の場合、何も考えずに投げていたりもするからだ。


 まだ対戦の機会は残っているはずだ。

 しかし無限なわけもなく、下手をすれば今年限りかもしれない。

 もっとも司朗としては、戦えただけである程度、満足はしている。

 野球は団体競技であるが、その中でかなり個人の対戦の要素が強い。

 最も大きいのが、ピッチャーとバッターの対決。

 ホームランを打てばバッターの勝ちで、三振を奪えばピッチャーの勝ちである。


 直史などはチームの勝利を最優先している。

 大介との勝負も、最近では回避する場合が増えてきた。

 司朗を相手にしても、充分すぎるほどの安全策で投げてくる。 

 実際に今年、直史は二人の相手をしたために、調子を崩した時期がある。

 それでも勝ち星でトップなところが、本当におかしいと言えるのだ。


 その直史はカップス相手の第一戦を投げるところ、雨によってスライド登板した。

 カップスは今年、Aクラス入りからさらなる上を目指していたが、タイタンズに上回られている。

 さらにライガースも、まだまだ上にいる。

 いくら司朗という新戦力が入ったとはいえ、これはおかしなことである。

 しかし数人の人間には、その理由が分かっている。


 司朗はまず、守備力を上昇させている。

 一試合あたり0.5点ほども、センターの守備で失点を防いでいるのだ。

 だいたい日本の野球というのは、野手はバッティングを主に見る。

 それでも間違いではないのだが、プロの世界では積み重なったものが重要となる。

 成功率の高い盗塁は、どれだけ得点に寄与しているのか。

 そのあたりを考えるのと共に、得点圏での得点率も重要になってくる。


 勝負強いバッターというのは、間違いなくいるのだ。

 そういうバッターこそが、本当に重要なバッターだ。

 打線のどこに置くのか、チームとしては悩むところだろう。

 とりあえず今のタイタンズは、一番で成功していると思っているだろうが。




 ライガースに加えてタイタンズも、厄介な存在になってきた。

 シーズンの序盤だけならば、マグレということも考えられる。

 しかしもう試合を半分ほども消化したのだ。

 これは実力と言ってもいいだろう。

 もっともそれぞれのチームに、核となる戦力がいる。

 それが欠けてしまったならば、またチームの勢いが止まるかもしれない。


 その点ではレックスが、やはり一番安定しているのだろう。

 直史が投げるのは、中六日のペースであるのだから。

 つまり他の五試合は、違う先発が投げている。

 もちろんリリーフへの負担減は、何度も言われていること。

 しかし今季は二度、ローテを飛ばしてもらっている。


 直史を本当に重要な試合で、使えなくなっては困る。

 それが首脳陣の考えなのだ。

 また直史が外れることによって、他のピッチャーにも責任感や意欲が湧く。

 おそらく数年のうちに、直史は引退するのだ。

 その後にローテを争って、若手の競争は激化するだろう。

 そしてまた次には、百目鬼がポスティングで去っているかもしれない。


 野球の歴史の中では、どれだけ偉大な選手であっても、いずれは引退していくものなのだ。

 だからこそ人々は、その記録を残して称えるのである。

 今では映像として残せるが、記録だけを残した場合、直史などは実在が訝しがられたであろう。

 負けないピッチャーなど、プロの世界には存在しないはずなのだ。

 実際にここにいるのだから、もうどうしようもないのだが。

 直史は個人的には、野球選手として名前が残るのは、あまり重要と考えていない。


 カップス相手のピッチングは、それなりに人間的なものであった。

 味方が先取点を取ってくれたので、雨の影響も気にせずに投げられた。

 ほどほどに湿った程度のボールなら、指が滑るということもない。

 だが変化球ではなく、緩急を使った配球がメインなので、上手く飛べばヒットにはなる。


 レックスの守備力は、センターラインが固い。

 特に外野は、センターだけが守備力で突出しているという、ちょっと珍しい状態だ。

 左右の両翼も悪いわけではないが、このセンターの守備力があってこそ、打順は八番定位置でも許される。

 だがショートやキャッチャーにも打てない選手が入ったら、センターに打てる選手を配属するしかないだろう。

 今は幸いなことに、そうしなくても済んでいる。


「最後まで行けそうだな」

「72球ですからね」

 西片の言葉に、直史はそう返す。

 七回を終わったところで、ヒット三本の無失点。

 このまま最後まで、というのは問題ないだろう。


 3-0というスコアなので、リリーフに任せてもおかしくはない。

 移動で一日、雨で一日潰れているので、ちゃんと休養も出来ているだろう。

 それに天気予報では、明日もまた雨になりそうだ、などと言われているのだ。

「経験を積ませる、というのには三点差は厳しいですね」

 勝ちパターンのピッチャーであれば、三点差を抑えてくれるだろう。

 だが他の控えでは、まだ逆転の可能性はある。


 今年は離脱期間が長かった平良などは、かなり投げたがってはいるのだ。

 確かにこのままでは、年俸は微増といったところになるだろう。

 だが安定してシーズンを使うためには、リリーフは温存した方がいいのである。

 残り2イニング、直史に投げてもらう。

 直史の体力もまた、首脳陣の心配するところであるのだが。


 直史は他のピッチャーはともかく、自分の限界に関しては、かなり無頓着なところがある。

 本人はしっかりしているつもりなのだが、他人から見るとそうではない。

 故障すれば引退するだけだ、という無責任さがあるからだ。

 首脳陣はそこまで見抜いているわけではないが、直史を無理に使うつもりはない。

 リーグで首位を走っており、二位とはそれなりの差がある。

 どう判断するかは難しいが、ペナントレースの優勝は必須なのだ。


 結局最後まで直史が投げた。

 ブルペンで肩を作らせるにも、それなりのリスクがある。 

 本番のマウンドで投げるのとは違うが、やはり肩肘は消耗品なのだ。

 直史の場合は上手く、抜いて投げることが出来る。

 その抜いて投げたボールこそが、変化球として通用するのだ。

 最終的には4-0で決着。

 直史の球数は、93球であった。




 ライガースはフェニックスとの三連戦である。

 舞台が甲子園であるので、ここは取っておきたい。

(タイトル争いなんて久しぶりだな)

 ミスター・トリプルクラウンなどとも呼ばれている。

 実際に打撃の主要三冠は、常に取っていたようなものなのだ。

 ある程度は競った相手もいたが、最終的には突き放して勝利していた。

 しかし今回の場合は、さすがに意識せざるをえない。


 シーズンが半分以上を過ぎて、首位打者争いをやっている。

 それも四割を境界に、わずかずつ上下するぐらいだ。

 一試合ごとにトップの座が入れ替わったりもする。

 司朗の能力は分かっていたが、ここまでプロでも対応してくるとは思わなかった。


 だが一緒に練習していた時のことを思うと、まださらに上があるようにも思う。

 単純な打率などを考えると、打点の数が多いのだ。

 つまり得点圏で、しっかりと打っているということになる。

 出塁率も五割を超えていて、既にレジェンドレベル。

 歴代の名選手を見ても、出塁率は0.450あれば凄いものなのだ。


 塁に出してしまえば、そこから盗塁をしてくる。

 一番打者であるので、それだけ機会が多く回ってくるわけだ。

 チャンスメイカーでもあり、クラッチヒッターでもある。

 大介にもその傾向はあるが、司朗はもっと複雑に考えて、あえて打っていない場面もあると思う。

 負け試合ではなかなか終盤に打てないというのは、モチベーションの問題だろうなどと言われている。

 だがチャンスに打てないよりは、よほどいいであろうと思うのだ。


 そんなことを考えていた大介は、集中しきれていなかったと言おうか。

 四打数の一安打で、打点は一点を記録する。

 しかしチームは得点が伸びなかった。

 フェニックスもたまには、ちゃんと打線がつながるものだ。

 この第一戦を落としてしまったのは痛い。


 第二戦はしっかりと、打線が噛み合った。

 すると9-3という、かなり一方的な展開にもなるのだ。

 この試合の先発の御堂は、新人ながら間違いなく即戦力であった。

 5勝2敗と立派な数字を残している。


 第三戦は勝って、勝ち越しを狙うつもりであったが、雨雲が西から流れてきた。

 雨天延期によって、結局はまた試合が流れてしまう。

「今年はちょっと多いな」

 一日が潰れて、兵庫のマンションで大介は呟く。

 マンションには一室をトレーニングルームとし、肉体が鈍らないように気をつけているのだ。

「これがレギュラーシーズン終盤、問題になるかもね」

 椿はそう言いながらも、どう影響するかは分からない。




 ライガースは次のカードも、甲子園での試合である。

 相手はスターズであるが、武史のローテとは当たらない。

 なんだかんだ言いながら、今年の武史は運が悪かった試合以外、まだ星を落としていない。

 ライガースとの対戦もあったが、全勝しているのだ。


 大介との対戦を避ければ、それで充分に勝っていける。

 またタイタンズ相手でも、警戒すべき相手を間違えたりはしない。

 上手く敬遠とボール球で、強打者を抑えているのだ。

 これは武史としては、パワーが落ちてきたために、配球に気をつけるようになったからだろう。

 技巧派と言うには、元々コントロールなどは良かったのだ。

 あとはリードの方を、キャッチャーが考えればなんとかなる。


 それだけに武史が投げない試合は、しっかりと勝っておく必要がある。

 だが今年は本当に、雨での順延が多い。

 九月の終盤に試合が集中すれば、そこまでペナントレースがもつれ込むかもしれない。

 そんな中ではタイタンズが、おそらく一番スムーズに試合を消化するだろう。

 絶対的なエースはいないタイタンズだが、それでも四枚まではかなり、勝敗が付きやすいローテを揃えている。

 ライガースは一応、友永が一番安定しているだろうか。

 ただピッチングが安定していても、勝敗までがしっかりとつくとは限らない。


 やはりピッチャーはレックスである。

 直史が完全に、勝てるピッチャーとして君臨している。

 去年までは三島がいて、そして百目鬼もおそらくメジャーに行くだろう。

 条件があるので25歳までは、こちらで稼げるだけ稼ぐのだ。

 年俸が億に届いても、まだ安心は出来ない。

 日本で稼いだ年俸などは、メジャーで生活している間に、あっという間になくなってしまうのだ。


 色々とシステムにおいては、日本よりも優れていると言われるMLBだが、若手には厳しい。

 実力主義と言いながらも、FAを取るまでは年俸が安いままなのだ。

 年俸調停の資格を得ても、まだまだその実績には伴わなかったりする。

 FAになって初めて、本格的な稼ぐ状況になってくる。

 複数年契約で一億ドルオーバーというような、そういうスター選手になっていくのだ。


 日本とアメリカのシステムを考えれば、いっそのこと25歳になるまでは、日本でやった方が年俸が上がったりもするだろう。

 ただ年俸調停のラインがあるので、そこは微妙なのであるが。

 日本で大きな結果を残して、そしてMLBで複数年契約。

 これがピッチャーとして成功するには、一番的確な選択だと思う。

 もっともとにかくMLBに行こう、などという選手もいる。

 坂本などはそうであった。


 アメリカは選手時代の実績で、コーチになることは難しい。

 そのあたりは本当に、厳しい世界であるとも思う。

 マイナーでは金銭的にも、日本の二軍よりも悪かったりする。

 直史はメジャーのことを問われると、今の一番いい選択について話す。

 三島はまだ納得が行かず、一年間アメリカ行きを遅らせた。

 だが百目鬼はこの調子なら、25歳でメジャーに行きそうである。




 ピッチャー以外でメジャー行きを考えているのは、やはり司朗の名が筆頭に挙がる。

 ポスティングの年齢などについて、事前にスカウトにも話していたのに、タイタンズが指名してきた。

 ただタイタンズとしては、この調子で打ってくれるならば、五年しかNPBにいなくても、充分に還元されるとは思う。

 下手にNPBの他のチームに行かれるよりは、よほどいいだろうという考えだ。

 出来ることならMLBとの、条件を変更するように、コミッショナー同士で話したいのだが。


 実力主義のアメリカであるのに、一定の年齢にならないと現実、年俸が高くならないという現在の制度。

 ピッチャーなどは故障すると、一年や二年で消えていくこともある。

 25歳までタフなリーグで生き残ったなら、充分に実力を示したと言えるのであろう。

 だが日本の場合は三年目で、年俸が一億に到達することもある。

 アメリカでは基本的に、大学で実績を残し、アーリーエントリーで指名されるのが主流だ。


 ハイスクールのリーグに、そこまで選手を評価するような、それこそ甲子園がないからであろう。

 今のアメリカはスポーツで成功するにも、家が太いことがかなり重要になっている。

 格差社会の中では、スポーツに資本投下するにも、金がないとやっていられない。

 それにスポーツビジネスで成功することが、他の何かで成功するより、よほど難しいとも知られている。

 だから賢いアメリカの高校生は、よほど才能があると見られていても、ショーの世界には入ってこなかったりする。


 ただそんな中でも、ミュージシャンかスポーツの世界でしか、抜け出せないという人間はいる。

 そしてそういった選手は、執念が違うのである。

 もっともそれで成功しても、成功を持続させることが出来ない。

 巨額の金を掴みながらも、破産していく人間のどれだけ多いことか。

 しかしそれはアメリカの話だけではなく、日本でも同じことが言える。

(通用しないなら通用しないで、勉強をし直せばいいだけだ)

 そんなことを考えられる司朗は、実家が太いからこそ言えるものなのだ。

 皮肉にもそういった精神的な余裕が、彼のプレイからプレッシャーを除かせているのである。

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