第436話 ピッチャーから見て

 直史ほどのベテランともなると、いい加減に後進にポジションを与えてやりたいものなのだ。

 だからといってわざと負けるような、そういう気持ちはもちろんない。

 プロスポーツの世界というのは、ポジションは自分で奪わなければいけない。

 こんなロートルをいつまでものさばらせていては、いい新陳代謝が働かないであろう。

 そういう意味では福岡というチームは、たくさんの選手を育成している。

 ただ成功も多いが、それ以上に失敗も多いと言っていいだろう。


 毎年10人以上も育成で獲得していた福岡。

 確かにそこから球界を代表するような、そんな選手も出てきている。

 しかしマイナス面も多く、それは競争が不適切なほど過熱しているということだろうか。

 本来ならば支配下契約になってもおかしくない選手が、育成のままで置かれている。

 毎年のようにクビを切られている選手が、それなりにいるのだ。


 育成契約について、直史は否定的だ。

 一球団が一年に、一人ぐらいというならまだ分かる。

 支配下では取れないが、どうしても伸ばしてみたいというものを、育成で取るというところだろう。

 だが一年に10人も取ってしまうというのは、明らかに教えるリソースが足りていないだろう。

 それでもまだ、大卒ならばいい。

 高校までと大学とでは、明らかに選手の思考力が変わってくる。

 高校野球までは甲子園を目指して、それで終わってしまうという選手が多い。

 わざわざ大学でまで野球をやるというのは、それこそプロを目指していたり、野球で就職を考えたりする人間だ。


 根本的に大卒というのは、学士の肩書きを得る。

 それだけで一つ、就職に大卒の経歴はつくのだ。

 高卒育成というのは、そこからの道が険しいものとなる。 

 野球人生はほぼ終わりだし、改めて大学に入るにも、三年間は野球をやっていたりするはずなのだ。

 青田買いにもほどがある、と直史は思っている。


 直史がプロ入りした時も、レックスは育成では一人も取っていなかった。

 今のレックスの選手で、育成で取ったというのは木津ぐらいである。

 よくもまあこれを育成で取ったなと思ったが、大卒の育成枠なので、試合で試してみたかったのだろう。

 そして実際に、25歳の育成最終年に、一軍で戦力となった。

 去年は完全に、ローテの一枚として機能している。

 今年も色々と、番狂わせを演じている。

 完投も一度あり、4勝1敗。

 凄いのはフォアボールが多いにもかかわらず、9試合のうちでクオリティスタートに失敗したのが一度だけということだ。


 福岡との第一戦でも、七回二失点のハイクオリティスタート。

 これは完全に、一番貢献度の高かったのは木津である。

 千葉との延長も制したのは、木津が七回まで投げたからだ。

 本当にもう、ローテに定着したと言ってもいいだろう。




 木津からすると直史は、お手本になるが反面教師にもなる。

 今のNPBの高速化の時代、ストレートのMAXが150km/hというのは、それほど速いものではない。

 だがピッチングの組み立てで、相手を完封してしまうのだ。

 投げた試合では勝てると、味方が信じてしまうぐらい、圧倒的な安心感がある。

 とは言え今日のような試合は、ピッチャーとしては勘弁してほしい。

 今年で選手寮を出た木津は、マンションでこれを見ていた。

 第一戦の先発であったので、ベンチに入るわけもないのだ。


 自分ならどうするだろうか、と木津は考える。

 もっとも直史に比べると、自分の持ち球は圧倒的に少ない。

 ストレートが生命線だ、とは言われている。

 ピッチャーなら誰もが、ストレートで勝負したいだろう。

 遅いストレートだからこそ、逆に効果的だとも言われた。

 低速度の高スピンストレートは、普通とかなり軌道が違うらしい。


 試合をテレビで見ていると、勉強になるところがある。

 ベンチから見ていても、それなりに分かるが。

 テレビだと解説が、色々と説明してくれる。

 ただ直史の配球というかリードは、解説もどうにも理解しがたいらしい。

 あのコースに平然と投げ込めるからこそ、これだけの結果が残っている。

 よくコントロールのいいピッチャーなら、直史のようになれるのでは、という意見がファンの間で聞くことがある。

 いやそれは無理だ、とあまりコントロールのよくない木津も断言できる。

 直史の異常なところは、コントロールではなく精神性なのだ。


 配球とリードの違いに対する考え方。

 配球とは基本的に、効果的なピッチングの組み立て方である。

 だがリードというのは、配球を前提とした上で、実際にどう投げていくかというものだ。

 馬鹿正直にアウトロー一辺倒。

 高校野球までならば、これである程度は通用したりする。

 しかし本当に打ってくる強打者は、勇気をもって内角を攻める必要がある。

 そもそも高校野球までは、球威だけである程度上に行けてしまうものだが。


 球威だけを見て、育成で取っていくどこかの球団がいる。

 ただ球速ではなく球威ならばいいのだ、と直史は言っていた。

 木津のボールのことも、球威があると直史は言っているのだ。

 球速だけではプロでは使えないと、多くの人間が分かっている。

 しかし高校野球レベルでは、地方大会までであるなら、スピードだけで無双出来る。


 地方大会でも神奈川や大阪、東京といったあたりなら、スピードだけではどうにもならない。

 150km/hを投げるだけならば、いくらでも攻略してくるのだ。

 実際に神奈川では将典が160km/hを投げても、点が取られることがある。

 そう考えると昇馬の球速は、スピードだけではないのかとも思うが。

 165km/hオーバーをコンスタントに投げる高校生は、今後出てくるものであろうか。




 福岡を相手に木津は、七回を投げて被安打四本の四球三つで抑えた。

 木津にしてはかなり、フォアボールの少ない試合だったのである。

 奪三振が二桁に届いたのが、最終的な失点の結果と言えるだろう。

 チームとしても延長12回までを戦い、なんとか勝利を手にした。


 一日休んだとしても、12回を戦った影響というのは、スタメンには残っているはずだ。

 それが結局この三戦目の、わずか一得点という結果になっているのだろう。

 143試合の中の一つであったが、福岡は日本シリーズの有力対戦候補。

 それに木津の投げたピッチング内容も、かなりいいものであった。

 ピッチャーをあそこまで使ったのだから、試合には勝たなくてはいけない。

 そして勝ったのに、第三戦ではレックスがあまり点を取れていないのは、福岡がベンチメンバーを使っていることだからか。


 本来ならこの勝率が低い試合で、ベンチメンバーを試すというのは、育ちつつある自信をぽっきりと折ってしまうのではなかろうか。

 直史はそんなことも考えたが、福岡の首脳陣が考えていることはどうでもいい。

 ただレックスの好調な打線が、今日は一点しか取れていない。

 そのためにリードをする迫水も、かなりプレッシャーを感じている。

 直史の投げるボールは、それでもなかなか打たれないのだが。


 前の試合では惜しくも、パーフェクトを逃していた。

 ただあのイレギュラーを、左右田の責任にするのは気の毒である。

 別にだからどうというわけでもないが、直史は今日は慎重になっている。

 たったの一点しかリードがないのだから、相手の得点の機会はとにかく潰したい。

 直史にパーフェクトをさせる、比較的簡単な条件。

 それは一点でも取られたら負けるかもしれない、という試合にしてしまうことだ。

 すると直史としても、全力で相手を抑える必要がある。


 パーフェクトなどというのは、目的にしてはいけない。

 失点の機会をとにかく減らすことで、結果的にやってくるものだ。

 福岡もまた千葉と同じく、DHのため代打の切り札として、守備力の低い打撃自慢がベンチにいる。

 九回の表となれば、もうそれを使っていくしかない。

 パーフェクトなどされてしまえば、打線にとっては恥である。

 それ以前に今年も、日本シリーズで敗北してしまう未来が見えてしまう。


 なんとかパーフェクトを防いでくれ、と終盤になってから考えるのでは遅い。

 直史からなんとかヒットを打つには、もっと最初から考えておかないといけない。

 そもそも直史としても、パーフェクトは絶対に必要なものではないのだ。

 試合にさえ勝利すれば、それでいいと考えているからだ。

(思ったよりも出来るものだなあ)

 直史はそう思いながら、ピッチングを組み立てていく。

 勝つ程度のことを考えていたが、結果としてはパーフェクトになっていた。

 球数も90球で済み、直史としては問題のない、パーフェクトピッチングであった。




 今年の直史は過去と比較すれば、調子が悪いはずであった。

 実際に完投が出来なかったり、打たれたヒットが多かったりと、パーフェクトと比べればいくらでも、ケチはつけられるものであったのだ。

 13奪三振は、今年投げた試合の中では、一番多い三振の数である。

 武史が短期では離脱したのと、以前よりは完投が減っているので、奪三振のタイトルも取れるかもしれない。

 ただ直史としては別に、もうタイトルだのにはこだわっていないのだが。


 またやりやがった、と多くのピッチャーが見ていた。

 先発は現役であっても、あがりなどで自分が登板していなかったら、自分のチームではなく直史のピッチングを見る。

 そこから何か学べるものがあるのか。

 実際は何か訳の分からないことをしている、だけで済んでしまう。

 人工知能に調べさせても、最適手を選択していない、という答えが出てくるだけだ。


 野球と将棋の違いは、読み合いである程度は分かっても、肉体はその通りに動かないというものだ。

 だから読まれていても、球威で圧倒することが出来る。

 直史もストレートの、球速はなくても球威はあるつもりである。

 さらにほんのちょっとチェンジアップなど、そういうストレートも使える。

 全力投球で故障するのを、恐れているのが直史である。


 ここまで色々とやってしまうと、対戦する相手が最初から、緊張して相手にならない、ということも起こりうる。

 実際にスイングすらせずに敗北する、という打席は存在するのだ。

 打てるだろうと思える球を、バッターが振らない。

 それを振らないのではなく、振れないのだと理解できる人間が、どれぐらいいるだろうか。

 心理的な死角、というものを直史は理解している。

 必要もないのに多大なリスクを取るボールなど、まさにそこを突いたものである。

 ストレートに強いバッターに対して、さほどストレートのスピードのない直史が、初球からストレートを投げてくるか。

 投げないはずなのに、実際には投げているのだ。


 そういったリスクの取り方の計算が、直史は優れている。

 ジンや樋口もまた、そういった判断をしていた。

 歴代のキャッチャーの中では、坂本はもうちょっと性質が悪かった。

 キャッチャーにとって性質が悪いというのは、間違いなく誉め言葉である。


 福岡はこれでレックス相手に、二度負けたことになる。

 パのチームの中では、交流戦では勝っておきたい相手であった。

 さらに延期になった一試合が、後に行われるのは当然。

 その試合でもひょっとしたら、直史の投げるローテが回ってくるかもしれない。

 さすがにあまりに先発が多いと、直史も疲れてくるが。




 今年初めてのパーフェクトということで、直史へのインタビューは長かった。

 ただロッカールームに帰ってくれば、かなり精神的に疲労していることが分かる。

 実際は精神ではなく、思考していた脳である。

 糖分を多く使ったために、それだけ血糖値が低くなっている。

 ここから思考力は、落ちているわけである。


 脳の機能全体が、今は落ちているというわけだ。

 つまり咄嗟の判断力も落ちているわけで、直史はタクシーで今日もマンションに帰る。

 帰りの車の中では、今日のピッチングのニュースが流れていたりする。

 これでパーフェクトをしたのは何度目だったのか。

 いちいち覚えていない直史であるが、誰かが勝手に数えてくれるので、自然とそれを答えればいいだけになっている。


 次に直史が投げるのは、パの最下位である埼玉との試合だ。

 かつて直史がプロ入りした時などは、もっと強かったジャガースである。

 ここ10年ほどはもう、ずっと弱いままの埼玉。

 だが経営の面から見ると、直史としてはむしろこのチームは、戦力や現場の問題ではないと分かる。


 どうしてこんなに弱くなったのかなど、色々な人間が解説をする。

 分かりやすいものとしては、20世紀の埼玉の強さと比較することだ。

 その後にも少しは、強くなる時期があった。

 しかし今は決定的に、弱いチームとなっている。


 現場も問題であるが、現場に問題があるというのは、フロントが現場を整備していないということだ。

 それこそジャガースはハード面でもソフト面でも、問題を抱えている。

 これを強くするのには、それこそ上杉が行ったような、奇跡が必要であろう。

 しかし上杉の時代から見ても、今はもう時代が違うと言える。

 変な精神論ではなく、まずは現実的なシステムの問題がある。

 ただ球団社長やGMといったところ、あとは編成に関しても今は、もう昔とは比べ物にならない。


 選手がいないわけではないのだ。

 ちゃんと戦力として機能はしている。

 ただ悟も当然のようにFAで去ったし、アレクや蓮池もメジャーに渡った。

 そういうメジャーに選手を出したという点では、むしろ育成が上手くいっているのかな、とさえ見えてしまう。

 しかしそんな戦力を抱えていながらも、どうして勝率がここまで悪いのか。

 セでもフェニックスがそんな感じであるが、これを解決出来る人間がいるのだろうか。


 なんなら埼玉は、FAで出て行った選手でさえも、監督やコーチとしては招いている。

 そのあたりの人材の流動性は、優れていると言ってもいいだろう。

 ただ昔の強かった埼玉というのは、ドラフトでの寝技などが、かなりきな臭いことまでやっていた。

 関連会社の社会人に、有力選手を就職させていた、などという手段もあったのだ。

 さすがに今では使えないことが多いが、ドラフトでスカウトが見てくるものは、それなりに凄いものがいる。


 あるいは昇馬を指名するのか。

 ただ昇馬の場合、やることをやりきったらもうすぐに、引退してしまう可能性がある。

 逆にそんな昇馬だからこそ、敬遠する球団もあるかもしれない。

 司朗にしてもすぐにメジャーに行くようなことを裏でしていたのに、タイタンズは指名してきた。

 それでも充分に、タイタンズは元が取れたと言っていいであろうが。




 直史が投げて戻ってくる日は、瑞希もしっかりと起きたまま待っていてくれる。

 なんとも前時代的とも言えるかもしれないが、これが逆の立場でも、同じことをしていたであろう。

 基本的に瑞希は体が弱いので、少しでも無理はしてほしくない直史なのだが。

 ただこの日はパーフェクトをやってしまったので、真琴も普通に起きていた。

 直史の投げるものを見ていると、キャッチャーとしては勉強になるのだ。

 もっとも真琴は短いイニングなら、甲子園でも充分に通用している。

 女子の世界であれば今でも、日本でトップであろう。


 パーフェクトなどをする時、直史は何を考えているのか。

 昇馬などもパーフェクトを、何度も既に達成している。

 そういったピッチャーの考えを、真琴は知っておきたいのだ。

 最後の夏を前に、自分の出来ることはする。

 あと二ヶ月もすれば、夏の甲子園が始まっている。

 それ以前に地方大会を勝ち抜くのが、白富東としては重要なのだが。


 パーフェクトのコツなど、直史に分かるはずもない。

 ただここにならば投げて打たれても、野手の守備範囲内に飛びそうだな、というボールは予想できる。

 あとは相手の狙いを、いかに外すかがポイントだ。

 昇馬の場合はとにかく、出会いがしらでさえなければ、どうにかなると考えている。

 しかし昇馬の球種は、さすがに直史ほど多くはない。


 自分がキャッチャーであったなら。

 そう思い出すのは直史にとって、なかなかに苦しい記憶である。

 中学時代には自分がキャッチャーをしても、キャッチャーを相手に投げても、まるで勝てなかった。

 今はもう少子化もあって、合同チームとなって大会には出ているのだという。

 野球でもそうなのかと思うが、一般的には野球など、やれる場所が限られているだろう。


 体育館があれば出来る、バスケの方が人気なのか。

 もっともサッカー部も、最近はあまり人気がないらしい。

 このあたりの少子化を防ぐのは、直史としては自分の仕事だと思っている。

 だが過疎化は食い止めても、なかなか人口増までは持っていけない。


 団体競技が強い国は、国力もそれなりに強い。

 あるいは人口が多ければ、それに比例して人材も多くなるか。 

 日本の場合は人材を、いかに育成するかが問題である。

 そのためにまずは、地元を豊かにしたいのだが。


 この夏を終えれば、またしばらく甲子園とは無縁となる。

 あるいは来年までは、どうにかなるのかもしれないが。

 最後の甲子園は、出来れば見てやりたいな、と思う直史である。

 その点はとっくの昔に引退して、息子たちを指導している、真田をうらやましくも思うのであった。

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