第435話 一休み後の選手たち

 レックスは平良が戻ってきて、順調に投げている。

 そしてスターズでは武史も、既に復帰している。

 その復帰第一戦では良かったのだが、第二戦は交流戦となっていた。

 まさかのジャガース相手に、今季初黒星である。

 復帰初戦には気をつけていたが、二戦目で油断していたということもあるだろう。 

 ただ味方が一点しか取ってくれなくては、負けてもおかしくはないのである。


 奪三振能力は相変わらず高い。

 またコントロールが悪くなったわけでもない。

 ただ出来に波が大きくなってきた、と言えばいいだろうか。

 完封勝利もあったが、クオリティスタートで降りることもある。

 普通のピッチャーであるなら、それでも充分なエースなのだが。


 現時点で6勝1敗であるのだから、まだまだ心配するようなことではない。

 去年も長期の離脱があったため、年俸はさすがに下がっている。

 もっともNPBでの年俸など、MLB時代に比べればたいしたものでもない。

 ただ現金資産はある程度、他のものにも回してある。

 有価証券などが投資先としては有望だが、貴金属や国債など、暴騰も暴落もしにくいものが幸いだ。

 なおSSホールディングの大株主の一人でもある。


 武史がいまだに現役でいるのは、それが仕事だからである。

 ただパワーピッチャーというのはそれなりに、寿命が早く尽きる。

 40代まで現役というのは、かなり珍しいのだ。

 それでも160km/hオーバーを普通に投げ、100球までは軽いという武史。

 これをエースとして使わない手はない。


 果たして上杉の記録を更新出来るのか。

 実は日米通算記録を考えれば、武史が更新出来る可能性はまだある。

 上杉は二年間、治療とリハビリで先発を離れていた。

 対して武史は大卒という、四年間のビハインドがある。

 既に400勝は突破した。

 MLBの過酷な日程があってこそ、この記録には到達したと言える。


 こう考えると上杉が無茶をせず、さらにMLBに行っていたらどうなっていたのか、などということも考えたりする。

 鉄人と言われもしたが、大介などの相手が少なければ、もっと楽に勝っていたのではないか。

 だがMLBはパワーピッチャーへの対応が強力なため、かえって打たれたかもしれない。

 もっとも武史が通用したのだから、上杉も通用するだろうし、実際にクローザーとしては通用していた。

 そのあたりのIFを考えるのは面白いことである。




 野球の場合ピッチャーは、本当に壊れやすい。

 それでも上杉などは、完全な故障から一度は、復帰してきたのだ。

 武史はそれに比べると、細かい故障や離脱が何度かある。

 そうやって休んだからこそ、かえって長く選手でいられるのかもしれないが。

 NPBに戻ってきても、一年目は完全復活クラスの活躍。

 二年目も二桁勝利をしたのだ。

 ただプロを引退したら、何をすればいいのか分からない。


 タレントでもやればいいだろう、と直史はかなり適当なことを考えている。

 武史は天然で、何か人生が上手くいくタイプの人間だ。

 またはその経歴を活かして、セレブの人脈とでもつながってほしい。

 プロ野球選手というのは、とにかく日程に縛られた存在だ。

 その中で20年も、活躍してきたこと。

 それだけで充分に凄いことである。


 MLBでも11年活躍した。

 殿堂入りの資格は完全に持っている。

 引退後五年となっているが、これに反対する人間はいるだろうか。

 よほど武史を嫌っていても、あちらは記名投票なので、逆にバッシングを受けるだろう。

 直史のような例外でもないのだ。

 大介と同じくNPBを引退したら、そこから数えて最短で、殿堂入りは間違いないだろう。

 あとはそれが、満票であるか否かが問題なぐらいである。


 先に引退するのかな、と直史は考えている。

 兄とは言っても一歳違いで、40代ともなれば年齢よりも、日頃の節制の方が問題となる。

 もちろん武史にしても、それぐらいは分かっているだろうが。

 スターズとしても今の武史は、実績の割には安く使えている。

 武史はもうMLBで充分に稼いで、モチベーションは落ちてきているのだ。

 それでも日本でプレイするのは、家族の尊敬を集めたいから。

 俗っぽい人間であるが、その成し遂げていることは超人的だ。


 下手に後遺症が残るような怪我をして引退するより、ここいらで勇退していくのもいいだろう。

 直史としてもやるべきことを終えれば、余力を残していても引退するつもりでいる。

 司朗が今年、驚異的な活躍を見せている。

 だが昇馬と同じ年齢には、相当の実力を持つ選手が、他にも複数存在する。

 上杉の息子などもそうであるし、真田の甥などもそうだ。

 坂本がアメリカから連れてきた日系も、その一人である。


 昇馬一人の存在が、他の選手の意識を変えた。

 無茶をして故障した選手もいたかもしれないが、昇馬を倒すために限界を超えた選手もいるだろう。

 一人の存在が、その社会のレベルを引き上げる。

 かつて上杉がやったのと、同じことをやっているというわけだ。

 だが本人がプロ入りするかは、微妙なところであるが。


 アマチュア野球のレベルが、プロ野球のレベルを担保する。

 よく言われることだが、逆も然りなのだ。

 プロ野球の市場が、アマチュア野球の才能を集める。

 プロのない競技というのは、なかなか大きくなりにくい。

 なんだかんだ問題を抱えながらも、サッカーで世界に通用する選手が出たのは、Jリーグの創設が大きかった。

 ただし野球に関しては、甲子園という絶対的なブランドがあるが。




 アメリカを目標として、多くの選手がプレイする。

 あるいはサッカーなら、欧州が世界中から選手をスカウトする。

 スペインやポルトガルなどは、南米を植民地にしていたため、言語が通用するというところが大きい。

 イングランドなども英語が、世界の共通言語になっている。


 もっとも野球の元となったクリケットも、実は世界的に見れば、巨額の年俸を得ている選手がいる。

 今ならアラブのオイルマネーで、様々なスポーツに投資されている。

 たとえば競馬などは、比較的最近に出来たのが、ドバイの競馬である。

 また競馬は賞金額が、日本が比較的高いのも維持されている。

 実は平場の賞金であれば、今でも世界基準で高かったりする。


 日本の場合、国内で完結する競技というと、まず野球であろう。

 他には団体競技は、一応サッカーであろうか。

 だがサッカーは野球以上に、潰しが利かないとも言われている。

 ただ最近は競技人口が増えているため、指導者自体は必要とされているのだが。

 世界規模で統括する組織があるため、指導者資格もしっかりとしている。

 もっとも審判は買収されて、変な判定をしたりしているが。

 戦争の原因がサッカーの試合であった、という前例もあるのだ。


 他に国内で成立するのは、競馬や競艇、競輪といった公営競技だろう。

 あとは個人競技なら、ゴルフやテニスもそれなりのものである。

 また日本ならば、相撲という神事も存在する。

 この中で女子の方がずっと、男子よりも大会が多くなっているのがゴルフ。

 だからこそ百合花が、選んだという理由もあるだろうが。


 スポーツはそれ自体は儲からなくても、スポンサーがつくことで成立していたりする。

 逆にスポンサーがつかなければ、よほど実家が太くないと、出来ないスポーツもあるのだ。

 その意味で野球は、日本の市場が大きなものである。

 もっとも野球以外でも、日本のスポーツは金がかかるものになってしまったが。

 サッカーなどが人気のスポーツになったのは、本来はボール一つさえあれば、どこでも出来るものであったからだ。

 アメリカではあちこちにバスケのゴールがあり、そのストリートバスケがスポーツの裾野を広くしている。

 裾野が広いスポーツこそ、頂点も高くなりやすいのだ。


 野球は本気でやればそれなりに、金のかかるスポーツだ。

 だが昔は空き地において、いくらでも草野球をしていた。

 今でも河川敷にグラウンドがあり、そこで草野球をやっている大人はいる。

 それでも競技人口は減っていたが、この20年ほどはまた微増している。

 子供の数は減っているのに、おかしなことかもしれない。

 しかしスター選手が出れば、やはりその競技は興隆するものなのだ。




 武史としては復帰して、二戦目で負けたことが痛い。

 今年はタイタンズまで厳しい相手になってしまって、そろそろ引退を考えている。

 息子との対決も成立したし、全盛期からはかなり衰えた。

 あとは息子が日本で結果を残し、メジャーに挑戦するのを見ていればいい。

 だが司朗を見ていると、ちょっと心配になることもあるのだが。


 武史はレジェンドと言われる選手の中では、一番俗っぽい選手であるだろう。

 国民栄誉賞などをもらったら、立小便もできなくなる、と言ってしまうタイプだ。

 妻との交流関係から、セレブの知り合いが増えてはいるが。

 そういう場合は下手にマナーを失敗しないよう、紋付袴を使用したりする。

 なお恵美理も彫りは深いのだが、和装をしたりするのだ。


 シーズンが始まってからも武史は、順調に投げていた。

 しかし全力を出していくと、あちこちに疲労がたまっていく。

 直史に比べれば自分のコンディションケアに、無頓着であるのだ。

 それでずっと通用してきたのだから、まるで昭和のピッチャーである。

 時代が違えばあるいは、勝利数などを更新したかもしれない。

 ちなみにMLBの年間勝利数は、誰が何をしようと、絶対に更新は不可能である。

 時代を分けてもいいのなら、更新出来るかもしれないが。


 司朗を相手に勝負して、おおよそ勝ったと言えるピッチングをした。

 ここはもう父親として、威厳をもって勝ったまま引退してやろうか。

 だがあと一年は頑張れ、と直史などは言っている。

 そうすれば昇馬とも、対戦する機会があるからだ。


 昇馬は公式戦で、160km/hを軽くオーバーするピッチャーとは対戦していない。

 上杉の息子も、160km/hが限界であった。

 もちろんそれでも充分に、歴代でも屈指のレベルではある。

 しかし自分に匹敵するような、そんなスピードと公式戦で対戦すればどうなるか。

 昇馬は野球だけに囚われているわけではない。

 だがそこに未知の領域があれば、好奇心を抱くタイプだ。

 高校野球のレベルでは、一応負けたこともあるが、昇馬自身が負けているわけではない。

 本当のピッチャーやバッターと対戦する、数少ない機会である。


 練習には参加して、打ち取ったり打ち取られたりしている。

 だが練習と実戦とでは、全く違うのは確かだ。

 直史は練習においては、あまり大介を打ち取れていない。

 そのあたり勝負しても、まだ先があると昇馬に思わせる。

 本当の限界を知らないと、未知への挑戦のモチベーションにもならない。


 昇馬は野球自体を好きなのか。

 惰性だけでやっているなら、さすがに己をあそこまで鍛えなかっただろう。

 負けたことで意地になった、というのもあるだろう。

 しかしプロの世界では、昇馬の実力でもそれなりに負けるはずだ。

 ならば何を目指せばいいのか。

 左右両手投げで登板するなら、年間の勝利数の記録を上回るかもしれない。

 歴史に挑戦することに、昇馬が価値を認めるかどうかは分からないが。




 福岡との第三戦、レックスは直史が登場する。

 対して福岡も、勝てるピッチャーを持ってくるのだ。

 ただ一点でも許したら、それで決着がついてしまうかもしれない。

 まずはパーフェクトやノーヒットノーランを、防ぐのが福岡の意図であった。


 福岡が先攻である、神宮球場での試合。

 一回の表から直史を、上手く削ろうと考えている。

 だが直史のピッチングは、どうも力が入っていないように見え、そのくせスピードが出る。

 155km/hぐらいは出ているように思うのだが、球速表示はそれよりずっと遅い。

 つまりボールの伸びが凄いのだ、ということは理屈では分かる。

 しかし目の前のボールを見ると、そんな理屈だけでは通用しない。


 レックスとしても福岡相手には、あまり大量点は取れないと考えている。

 それでも一回の裏から、攻撃を上手くものにして、一点は取ってしまった。

 これで勝負がついた、と思う観客は多い。

 あとはどれだけ、直史がピッチングで魅せてくれるか。

 だが直史としては、完封までするならともかく、それ以上に力を入れるのは疑問である。

 おそらく今年も優勝候補の福岡相手に、ここで完全に心を折ることは、意味があるとは思っているが。


 二回の表にも、三振を奪ってアウトを増やす。

 ゴロとフライを上手く打たせることが、直史のピッチングの要諦だ。

 普通のピッチャーはゴロを打たせるかフライを打たせるか、どちらかであるのだ。

 だがこれがどちらも出来るということで、直史のピッチングは倍以上に広がる。

 落ちるボールはチェンジアップを多用する。

 あまり速度差がないが、ジャストミートはしづらいチェンジアップだ。

 あとはカーブとストレートの緩急差で、多くの空振りも取れる。

 出来れば三振などよりも、ゴロやフライで簡単に、アウトを増やしていくのがありがたいのだが。


 ある程度は当たるのだ。

 まるで打てないというボールでないのは、間違いない。

 ただツーストライクに追込まれた時、その次のボールがどうなるか。

 空振りを取ってくることもあれば、打たせてくることもある。

 そこをどちらかに固定しないことが、直史のピッチングの幅である。

 ずっとそうやってどんなバッターにも、致命的な隙を見せないようにやってきた。


 福岡とのカードが終われば、次に直史が投げるのは埼玉との試合である。

 直史は自分のピッチング技術自体は、まだ問題ないと思っている。

 だが身体能力の低下、あるいは体力自体の低下は、どうしようもないかと思っている。

 埼玉ドームは構造上、熱がこもりやすい。

 六月でも既に、暑さは最盛期に近くなっている。

 野球の季節的には、やはり夏だと思えるのだが。


「何か考えてますか?」

 迫水にそう言われるが、直史は特に何も考えていいない。

 迫水のリード通りに投げていて、今日は問題がなさそうなのだ。

「いや、特に問題はないかな」

「何か気づいたら教えてくださいね」

 まだ試合は中盤であるのだが、直史は一人のランナーも出していない。

 この間の千葉との試合でもそうだったが、パは今年の直史を打てていないのではないか。

 なんとなくそう思って、迫水は今日こそ達成出来るかな、と考えているのだ。




 日本野球史上一番、多くのパーフェクトを達成したピッチャー。

 そもそも二度以上のパーフェクトを達成しているのが、片手で数えられるほどしかいないのだが。

 ただパーフェクトを達成したキャッチャーということなら、樋口が一番となる。

 参考パーフェクトまで含めれば、どれだけその数が増えていくか。

 迫水はおそらく、自分が歴史上二番目に、パーフェクトを多く達成したキャッチャーになるのだろうな、と考えている。

 直史と組んだことで、それが言えるのだが。


 今年はまだ半分以上残っているが、パーフェクトは達成出来るのか。

 少なくとも直史は、三年連続でパーフェクトを達成している。

 だがプロ入りから一度目の引退まで、毎年パーフェクトを達成していた。

 そんなピッチャーも他にはいない。


 直史の記録は本でもネットでも、色々とまとめられている。

 アマチュア時代の記録は、高校生以降になるが。

 中学時代には一度も勝てなかった、というのは信じられない。

 ただキャッチャーが全力のストレートを捕れなかった、というのは意味が分かる。

 直史のストレートは、今はもう150km/hほどになっているが、それでもギアチェンジで球威が変わる。


 伸びのあるストレートなのだ。

 ラプソードなどで計ると分かるが、スピン量が高く出る。

 チェンジアップ的に、ほんのわずかに遅い球を投げれば、一気に回転数が落ちてくる。

 このボールを打たないといけない、バッターは大変だ。

 もちろんキャッチしないといけないキャッチャーも大変なのだが。


 よくこんなピッチャーが育ったな、とキャッチャー目線でも思う。

 高校時代に組んだキャッチャーは、帝都一で強力なチームを作った。

 全国制覇もしたほどの名将が、高校時代のバッテリーであった。

 直史の根底には、その高校時代の記憶があるのだと、迫水には分かる。

(う~ん、しかし……)

 この間はノーヒットノーランであった。

 だからまたしばらくは、パーフェクトの機会がないのでは、と思っていた。

 ただこの試合、福岡もピッチャーが頑張っていて、一点しか取られていない。

 すると直史としても、出来れば一人もランナーが出ないように、ピッチングを考えていくのだ。


 終盤に入ってきたが、まだ一人のランナーも出ていない。

 これは今日こそ、という予感と期待が出てくる。

 だが迫水としては、点差が一点だけというのが、むしろ不安なのだ。

 こういう試合ではパーフェクトが途切れた瞬間、あちらの打撃が炸裂することもあるのではないか。

 直史はそんな甘いピッチャーではないが、話にはよく聞く。

 九回ツーアウトから、ノーヒットノーランも崩れて逆転負け。

 そういう試合もあるのだと、野球ならば言える。


 ピッチング自体は完璧だ。

 だが点差を見れば一点差である。

 この緊張感がまた、味方の打線にさえ影響してしまっている。

 なんとかもう一点、小此木あたりが取ってくれないものか。

 そうすれば直史は、一本までならホームランを打たれても良くなる。

 そういった状況なら逆に、ピッチングの幅も広がっていくのだ。


 いや、それならお前が打てよ、と言われるかもしれない。

 だがパーフェクトを続けているキャッチャーなど、ピッチャー以上に重圧がある。

 だいたいヒットを打たれたり、点を取られたりして責任を追及されるのは、ピッチャーではなくキャッチャーなのだから。

(早く追加点をくれ~!)

 迫水の内心の叫びは、レックス首脳陣にはちゃんと届いていた。

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