第434話 雨の翌日

 開幕から二ヶ月も過ぎてくると、若手が台頭してくるのが分かったりする。

 セ・リーグでは完全に、司朗が新人の年から傑出していた。

 いやいや白石大介に比べれば、などという年齢間で謎の知識マウント合戦が始まったりする。

 野球に限らずスポーツには、そういった面があるのだ。

 競馬などは「オグリのラストランリアルで見たもんね」などというのもそうだろう。


 過去のレジェンドを上回る存在は、もう出てこないのかもしれない。

 ドーピングが問題となってからは、そんな論調が当然のように見えた。

 もっとも出力だけが全てではないと、証明したのが直史だ。

 また上杉も170km/hオーバーを出した。

 バッティングも大介は、結局80本を打った。


 人間の可能性は無限、というのは月並みな言葉である。

 しかしもう二度と、と思われたような記録が、塗り替えられていく。

 さすがにピッチャーの最多勝などは無理だろう、と誰もが思っている。

 直史でさえ無理であったが、そこに昇馬が現れた。

 左右両投げのピッチャーである。

 登板間隔を上手く考えれば、40勝以上出来るのではないか。

 野球における浪漫の、左右両投げ。

 それを両方160km/hで投げているのだから、勝ち星をかなり増やすことは出来る。

 直史でもNPBでは、30勝には全く届いていない。

 シーズン最多で27勝である。


 かかる負荷が大きすぎるなら、両手で投げてしまえばいいじゃない。

 コロンブスの卵的な考えであるが、それが達成出来るかどうかはまた別である。

 出来るはずがない、と思っていたから試されなかった。

 少なくとも登録の段階では、両手投げで登録されているピッチャーは過去にもいたのだから。

 とんでもない体力と耐久力、そして充分な練習量があれば、そういったピッチャーは完成する。

 むしろ打撃も左右の両方で打つことで、肉体の左右バランスが整えられている。


 難易度は高いが、むしろ成功すれば効果は高い。

 それを高校野球の時点では、昇馬は証明した。

 ここからそれに続く選手が、果たして出るのかどうか。

 実際のところは今、MLBなどではピッチャーは完全に専門職となったし、色々なルール変更は考えられている。

 いずれは攻撃と守備で完全に選手が入れ替わるのでは、などという未来も予想されている。

 アメフトなどと同じらしいので、ありえなくはない。


 多くのスポーツはその根源を、戦争の代替として持っている。

 相手の陣地にボールを運ぶ、という競技などはまさにその通りだろう。

 野球の元となるクリケットなどは、ものすごい大量点が入ったりもする競技だ。

 そのあたりも考えていくと、点が入るかどうかという競技は、原点としては間違っていないが、面白みは確かに少ない。


 野球の優れている点は、逆転の可能性ではなかろうか。

 バスケットボールも二点や三点が一気に入るし、ラグビーも複数点が一気に入る。

 野球もまた一点ずつであったり、長打で二点であったり、ホームランで最大四点までが入る。

 そしてどのように点を取るかが、重要になってくるスポーツだ。




 バッターには打撃力が必要だ。

 しかしもっと必要なのは、得点力である。

 これはある部分は重なっているが、明確に異なる部分でもある。

 打撃は極めればホームランとなり得点に結びつくが、得点力の一部でしかない。

 状況を判断して、最も得点の可能性の高い選択をする。

 これが本当の一流バッターである。


 大介の欠点は、ほぼその一点のみである。

 得点することよりも優れたピッチャーとの、勝負を優先してしまうことだ。

 だがこれは優れたバッターの、本能とも言えるものだ。

 そしてピッチャーはバッターとの対決で、打たれたことで崩れていくことがある。

 むしろ優れたピッチャーというのは、打たれてからが重要であるのだが。


 ピッチャーにも本能がある。

 打たれたら次は封じたい、というものだ。

 これが打たれて自信を喪失するようだと、基本的にはピッチャーに向いていない。

 もっともピッチャーというのは、マウンドを譲らないという気迫が、必要なものである。

 プロの世界になってくると、割り切って投げられるピッチャーが、計算できるピッチャーとなるが。

 木津などはとにかく粘り強いので、メンタル的にピッチャーに向いている。


 そんな木津が、福岡相手の初戦に投げる。

 雨雲が近づいてきていたが、今日はどうにかもちそうだ。

 すると明日には崩れて、おそらく延期となる。

 この間は負けはしたものの、ピッチング内容はよかった阿川としては、投げたい機会であったろう。 

 これが直史であれば、スライド登板もさせるはずだ。

 だが阿川のために、そうするのは効率が良くないのではないか。


 もっとも直史をスライド登板させれば、三連戦の初戦に持ってくることが出来る。

 相手の打線の心を折っておいて、残りの二試合を楽に戦えないか。

 相手はパのチームだけに、そういうことも考える。

 ただ今年の直史は、いまだにパーフェクトを達成していない。

 ノーヒットノーランをしているので、力が落ちたとは言えないだろうが。


 コンディションの調整を、直史は最優先にしている。

 バイオリズムはどうしても、無理が利かないところがある。

 数日前から調整していくならともかく、一日や二日では通用しない。

 直史のピッチングは精密機械。

 なのでその扱いにも、無理をさせてはいけないというわけだ。


 他の選手であれば、それもありえたのであろう。

 上杉などはそういう時に、一番効果的な運用をされていた。

 直史も昔ならば、そういったことをやっていたであろう。

 だが今年はさすがに、自分でも衰えを感じている。

 同じピッチャーとして、レックスの仲間たちでさえ、宇宙猫の表情になってくるのだが。




 ともあれ第一戦である。

 木津はフォアボールが多いために、WHIPが悪いピッチャーである。

 ただその割には、比較的防御率がいい。

 奪三振でピンチをしのぐため、ランナーがゴロアウトの間にホームに帰る、ということが少ないからだ。

 他にも奪三振は、タッチアップの機会を減らす、という場合がある。

 あとはフライアウトが増えるため、ゴロからのエラーも減る、といったところか。

 もっともエラーでは自責点が増えるわけではないが、そこから崩れるということも少なくなる。


 だいたい木津に負けた場合、相手は木津の調子のことを言う。

 今日の木津は打ちにくかったとか、そういったことである。

 だが木津は実際のところ、あまり試合によってピッチングの波がない。

 レックスのピッチャーをコーチングするメソッドに、そのあたりを安定させるものがあるのだが。


 神宮での試合のため、直史はまたもブルペンに入っている。

 もちろんベンチメンバーではなく、臨時のブルペンコーチのようなものだ。

 木津は比較的、球数が増えても球威が落ちない。

 それでも100球ほどで交代するのが、今の先発の基本である。

 初回から福岡は、積極的なスイングをしてきた。

 ここでランナーを二人出したが、一点までに抑えるというのが、レックスの守備である。


 とにかくビッグイニングを作らない。

 レックスの守備はその点に、大きく意識を割いている。

 そしてその守備力に加えて、ピッチャーの運用。

 少なくとも西片の前から、育成だけはかなり上手くいっていた。

 バッターの得点力は、左右田と迫水の二人によって、大きく向上したのだが。


 お互いに初回に一点ずつを入れた。

 そして投手戦に突入する。

 福岡はエースを出してきて、ここを確実に取るつもりだったのだろう。

 第三戦が直史のローテであることは、順番的に確かであるからだ。

 おそらく明日が雨で中止となれば、三戦目に勝てる確率が低い。

 ならばこの第一戦で、どうにか勝とうと考えるのはおかしくない。


 しかしそういう場合に、木津は投げるボールを持っている。

 高めのストレートなのだ。

 昔はとにかく、高めは危険と言われていた。

 だが高めが危険なのではなく、高めに浮いてしまった球が危険なのだ。

 木津の高めは、打てると思って振ったら、空振りしてしまうストレート。

 フルスイングしていくバッターにこそ、効果的なところがある。




 福岡は福岡で、木津のことも意識しているのだ。

 去年もクライマックスシリーズで、木津は五回までながら、無失点に福岡を抑えた。

 不思議な勝負強さを、木津は発揮している。

 ピッチャーとしてはまるで、エースが持っているような資質。

 そのストレートのスピードだけでは、評価が出来ないというタイプ。

 もっとも今のスカウトの中に、木津を指名しろと言うような人間は、もういなくなるのだろうが。


 130km/hのストレートで、なぜかバンバンと空振りを取る。

 今のプロの分析であれば、すぐに対応出来るはずのもの。

 それがどうしても対応しきれないのは、他のピッチャーに目が慣れているからだ。

 現在はピッチャーを育てるメソッドが、かなり確立している。

 確かにそれで、いいピッチャーは着実に育てやすい。

 しかし標準から外れてしまったピッチャーは、むしろ打ちにくくなる。

 バッターもピッチャーの標準に、かなり合わせてしまうからだ。


 福岡はそのバッティングにおいても、今は外国人を主軸に使っている。

 その外国人こそがまさに、木津のストレートを打てていない。

 怒りのあまり、自分でバットを折っている選手を見ると、直史には嫌悪感が湧いてくる。

 道具を大事に出来ない人間は、絶対に一流ではない。

 バットやラケットをぶっ壊し、自分のフラストレーションを解消し、すぐに冷静になるのだ、という技術とは知っている。

 だがその程度も制御出来ないのでは、人間として見方が悪くなる。

 日本人は道具を大切にするのが、一般的であるからだ。


 この木津のピッチングは、かなり福岡を抑えている。

 ただ福岡はピッチャーも、レックスをそれなりに抑えている。

 木津は七回で降板したが、ここから延長戦に突入していく。

 そしてレックスはやっと、平良が戻ってきていた。


 左のワンポイントを使ったり、他のリリーフも上手く使っていく。

 気が付けば試合は、12回にまで至っていた。

 ここで平良が使われて、レックスはとりあえず負け星を消す。

 そしてその裏が、最後の攻撃となっている。


 一点を取れば勝てる、という勝負にはレックスは強い。

 代打で使えるバッターもいるため、12回の裏は圧倒的に有利になるのだ。

 そして得点圏にランナーが進めば、勝負強いバッターがいる。

 小此木のサヨナラタイムリーで、レックスはこの激戦を制したのであった。


 一番貢献度が大きかったのは、七回を二失点に抑えた木津である。

 もちろんその後の継投は、ブルペンのアドバイスが大きかったが。

 平良を最後まで温存し、敗戦処理以外のピッチャーを駆使して、どうにか福岡の打線を抑え込んだ。

 これはパワーとパワーの衝突ではなく、的確に戦力を置いていった、選手運用の差であろう。

 もっとも福岡も福岡で、かなり采配は良かったのだ。

 最後に差をつけたのは、クローザーの力であったか。

 あるいは小此木の、主人公体質であったかもしれない。

 ともかく大事な第一戦を、レックスは制することに成功した。

 そしてその翌朝には、もう今にも振り出しそうな雲が、空に広がっていたのである。




 二日目の試合はやはり、延期と決定した。

 直史は軽い調整を行ったが、他のチームも確認する。

 雨雲は広く、関西までをも覆っている。

 つまり甲子園での試合も、延期となっていた。

 しかしこういう時に、ドームのチームは有利である。

 予定通りに選手を使えるのが、ドームの利点であるのだ。


 リアルタイムでドームの、タイタンズと東北の対戦が見られる。

 大介と司朗の首位打者争いは、現在やや大介がリードしている。

 それでも0.01ほども差はなく、一試合で順位が入れ替わるほどのようなもの。

 ただ司朗のバッティングを見ていると、とにかくヒットを増やそうとしているように思える。


 重要なのは出塁率だ。

 もちろん長打も、それなりに打っている司朗である。

 長打率が七割を軽くオーバーしていれば、間違いのない長距離砲である。

 ただ司朗はホームランの割合より、ツーベースの方が圧倒的に多い。

 典型的な中距離打者と言えるのかもしれないが、それにしてはホームランも打っている。


 この日もタイタンズが勝利して、順位は二位となっている。

 だが直史からすると、司朗はかなり意図的に、ヒットと出塁率を増やしているような気がする。

 長打を打たないバッターならば、ある程度は勝負してもらえる。

 そう思ってわざと、打撃力を抑えているのではないか。


 ちなみに四球や敬遠の数は、大介の一年目に比べれば多い。

 それだけ多くのピッチャーや首脳陣が、小さな大介を甘く見ていたことである。

 翌年からどんどんと、四球の数は増えていく。

 しかし一年目の数としては、大介の記録を更新するのではないか。

 二度と出ないと思っていた記録も、意外と出たりするものだ。

 少なくとも盗塁や安打の数は、このペースなら更新するだろう。


 ただ司朗の数字では、ホームランがこの六試合出ていない。

 六試合ぐらいであれば、出ていなくても不思議ではないのだが。

 むしろコンスタントに、三日に一度ほど出すほうが、おかしいとも言える。

 大介などは二試合に一本以上のペースで、何本も叩き込んでいたものだが。


 司朗はそのあたり、クレバーな選手と言える。

 もちろん自分の価値を高く買わせるため、ある程度の数字は残すだろう。

 しかし直史から見ていても、本当に重要なところで点を取るため、抑えているような気がしないでもない。

(まあそれを調べるのは、チームの分析班の仕事だけど)

 司朗は本気で打つなら、一番ではなく二番の方がいいのではないか、と直史は思う。

 もっとも出塁率も高いため、今のチーム構成なら一番でいいのだろうが。


 まずは出塁をして、チャンスを作り出す。

 チャンスで回ってきたなら、それをものにするか、あるいはチャンスを拡大するか、それも判断した方がいい。

 直史はさすがに、タイタンズの試合を全てなど、見ていられない。

 だが一試合を見ただけでも、なんとなく察するところがある。

 自分の年俸や、表彰のための成績を必要とする。

 それ以外はチームが勝てるように、得点の期待値を最大化させるというものだ。


 想像以上に貢献していると見えたのは、その守備である。

 やはり強肩と俊足の組み合わせは、タッチアップを殺すのに向いている。

 ただ肩が強いだけでは不充分で、捕球から送球まで、その時間の短さが重要になる。

 そのあたりを見ていると、やはり司朗はピッチャーが適性ではなかったのだな、とも分かったりしたが。




 翌日、雲はまだ残るものの、降水率は低下した一日。

 また風なども、それほど吹かないだろうと予想された。

 福岡を相手に、レックスはエースを投入する。

 これが第一戦であれば、直史は完全に抑えることも考えていったかもしれない。


 雨で一日が潰れたため、双方のリリーフ陣は共に、一日を休むことが出来た。

 ただ延長まで投げた試合というのは、精神的な疲れを残しているかもしれない。

 そこで投げるのは、完投の多い直史である。

 第一戦で両軍は、かなり精神的に疲弊した。

 もちろん雨の一日で、かなり回復もしていることは確かだ。

 しかしロースコアゲームであったため、打線もまた調子を落としているかもしれない。

 ならば直史がすることは、一点も与えないことである。


 試合前のブルペンから、直史はいつも通りの調整をする。

 この試合で勝つことは、かなり重要なことである。

 もしも日本シリーズまで進出すれば、今年もその第一候補であると言えよう。

 もっとも千葉は千葉で、エースがポスティングをする前に、なんとかリーグ優勝は狙っているのだろうが。


 直史は予定をしっかり組むタイプなので、雨などは好きではない。

 ただ野球をやっていると、そらが見えてくれた方が嬉しい。

 夜空の中に輝く、わずかに見える星もいいものだが、それよりは青空の方が好きだ。

 都会のど真ん中にあるのに、空の広さを感じさせる。

 その青空の下で、投げるのが好きなのだ。


 福岡は一日休んだものの、あまり調子が良さそうには見えない。

 延長12回までの試合で敗北したというのは、かなり引きずるものなのだ。

 そして気分を切り替えようにも、投げてくるのが直史である。

 福岡はここまで、それなりに日本シリーズで、直史と対決したことがある。

 しかし当然と言ってはなんだが、一度として勝ったことはないのである。


 去年も二試合、直史は先発として投げている。

 その結果がパーフェクトとノーヒットノーランなのだ。

 こんなピッチャーを相手に、士気を保てという方が無理である。

 なのでどうにか、ヒットの一本は打ってくれないものか。

 ただ前の千葉との試合では、ノーヒットノーランを達成している。

 衰えたと言われながらも、いまだに無敗。

 今年もそろそろパーフェクトを達成しても、おかしくないなと言われているのが直史であった。

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