第431話 五月の記録
昭和の末から平成の間にずっと、完投の価値は暴騰し続けてきた。
リリーフピッチャーが当たり前の、分業制になってきたからである。
そして上杉から始まる、ピッチャーたちの栄光の時代。
レジェンドと言われるピッチャーが、この期間に集中している。
その特徴としては、特に上杉と佐藤兄弟に顕著なのは、完投が多いということである。
上杉はチーム全体の投手事情を底上げした。
同じことを今、直史もやっている。
ただ10年ほど前と比べて今も、やはり状況は変わっている。
日本産ピッチャーが強力であるというのは、世界の常識になっている。
もっとも日本の名伯楽などから言わせれば、アメリカはピッチャー育成のノウハウが、画一的になりすぎているのでは、というところだが。
もっとアンダースローも使おうよ、という話になってくる。
存在自体が魔球と言われるほど、今はアンダースローのピッチャーが少ない。
アマチュアにはそこそこいるのだが、甲子園で活躍するほどのピッチャーはいない。
プロでかなりの実績を残したとなると、それこそ淳ぐらいにまで遡らなければいけないのではないか。
評価の仕方も悪い、と老成したスカウトなどは思うだろう。
一応プロのピッチャーでも、プロで通用しなくて、サイドスローやアンダースローに挑戦するというピッチャーはいる。
だが付け焼刃のアンダースローは通用しないし、結局は引退してしまうものなのだ。
下手をすれば直史のアンダースローが、通用してしまうかもしれない。
直史自身もアンダースローからのカーブには、かなりの効果があるのでは、と思っていたりする。
それはそれとして、交流戦の最初のカードにて、五月の全ての試合が終わった。
セ・リーグでは首位のレックスは変わらない。
だが二位はタイタンズがわずかに上回った。
とは言っても30勝21敗と、29勝21敗。
試合数が違うだけに、タイタンズが有利なのはほんのわずかである。
これに対してレックスは31勝17敗と、1チームだけ勝率が六割をオーバーしている。
試合の消化数の違いも、レックスには有利に働きやすい。
後回しにされた試合は、おおよそ九月の予備日に行われる。
そしてその予備日の間隔が空けば、それだけ強いピッチャーを使うことが出来る。
つまり直史が二試合ほども多く、投げる可能性があるということだ。
直史は大変かもしれないが、間隔さえちゃんと空ければ、それほどの負担もかからない。
チーム全体としても、あまり早くに優勝を決めたり、試合を全部消化するのは、良くないことと考えられている。
試合間隔が空けば、それだけ実戦からは遠ざかってしまうことになる。
かといってある程度の調整は必要で、それこそピッチャーの休養は重要だ。
何事もほどほどがいいのだが、そう都合よく回るはずもない。
レックスはオーガスの調子が二軍でも、まだ上がってきていない。
ただ平良は軽いリハビリを始めている。
この調子なら六月中には、戦線に復帰できるかもしれない。
それにしてもこの数年、レックスは序盤から首位をキープし、そのまま逃げ切るという展開が多い。
直史の使い方が上手くなってきた、と言う人間もいたりする。
ただ直史本人としては、どうも球のリリースの瞬間に不安が残っている。
どうも最後の一押しが、切れていないような気がするのだ。
ノーヒットノーランはあくまでも結果である。
投げているボール自体に、納得がいっていない。
ただもう投げ込みを行って、調整するのも難しい。
間違いなく回復力は、昔よりも落ちている。
「もう少し抜いて投げればいいんだろうけど」
豊田などは相談に乗るのだが、天才を超えた鬼才について、どういうアドバイスをすればいいのかなど分からない。
本人の話によるならば、力が衰えてきているということなのだが。
衰えた力で、ノーヒッターというのは何かの冗談なのか。
しかし直史本人は、間違いなく体感しているのだ。
季節的に暑くもなってくる。
春と秋がわずかな期間しかない、となってどれぐらいになるだろうか。
暑さの中でのプレイとなると、集中力も途切れやすくなる。
そして体力が衰えれば、それは気力の衰えと直結する。
もうトレーニングをしていない豊田は、暑さには弱くなったな、と思う。
直史も練習量やトレーニングは、かなり控えているように見える。
体力などが衰えるのは、どうしようもないことだろう。
しかし技術と組み立ての冴えは、まだまだ通用している。
ノーヒットノーランなどを達成してしまえば、世間はまた次を求めだす。
直史としては無理をしてまで、それに応えることはない。
だが出来そうなピッチャーは直史だけと、世間では考えられるのだ。
チームの成績だけではなく、個人成績も今年は注目されている。
特に二位争いをするチームにおいて、これは重要なものとなってくる。
首位打者争いは大介がほんの少しリードしているが、試合の場面場面では、司朗が上回った瞬間もあるのだ。
なんだかんだ言いながら、このままなら司朗は他の打撃タイトルも、上位で終わりそうである。
ただ規定打数を記録するまで、しっかりと試合に出続けないといけない。
そのためにはまず、怪我しないことが一番重要なのだが。
故障しない選手がいい選手である。
ただ故障はしなくても、シーズン中にある程度、休ませる必要はある。
長いシーズンの中では、疲労が蓄積しているものなのだ。
また控えの選手に機会を与える、というのも育成の上では充分な意味がある。
野球は鉄人と言われるような、全く休まない選手を、尊敬するようなところがある。
確かにコンディションを整えるのが上手いのは、それだけで立派なことだ。
しかし他のスポーツであると、試合の行方が決まったら、主力を休ませるということも少なくない。
特にピッチャーなどは、投げるイニングが短いほど、消耗を少なくすることが出来る。
野手にしても最後は、守備固めの選手が使われることがある。
日本に比べるとアメリカなどは、守備固めの選手がキャッチャー以外、どのポジションも守れたりする。
ベンチに入れるメンバーと、ロースターの違う日本とは、選手運用が違う。
野球はバッティングで点を取るゲーム。
守備も重要ではあるが、そこで故障されてはたまらない。
なんなら最後には、代走として使ってもいい。
小此木も最初は、代走や守備固めで使われることが多かったのだ。
その経験でMLBに行って、様々なポジションを守っていた。
今年の打撃タイトルは、二人が独占するだろう。
しかしそれとは別に、それぞれのタイトルの上位に入ればどうか、ということも重要になってくる。
上杉が無双していた時代、大きな変化はそれであった。
インセンティブにタイトル獲得を条件とする、というのが使いにくくなったのだ。
当たり前のように投手の、先発タイトルは全て独占していく。
なのでタイトル争いの、上位何位までに入れば、というものが多くなった。
ただタイトルを取ったというのは、二位とは宣伝効果がまるで違う。
それでも翌年以降の年俸には、反映されるものであるのだが。
若い司朗はまだしも、大介も開幕カードを離脱していた以外は、全試合全イニング出場を果たしている。
三試合に出ていないが、それよりも大介の場合は、敬遠されている数が多すぎる。
この点ではMLBの方が、敬遠は多かったのだ。
なんだかんだNPB時代は、大介の出塁率が六割に達したことがない。
大介はそこでも、MLBの記録を更新している。
今年も二ヶ月で、18本の本塁打。
特に五月は11本と、全盛期に近いだけのホームランを打っている。
使うボールの変化により、バッターの成績もまた変化するものだ。
ただ大介はさほど、大きな変化は見せてこない。
飛ばないボールなどといっても、芯を食えば飛ぶのだ。
ジャストミートこそが重要だと、大介はバッティング理論で考えている。
司朗としても既に、13本のホームランを打っている。
一つの目標である30本に、このままならば届く計算となっている。
他の目標とする、三割と30盗塁は、後者は既に確定している。
あとは注目されるのは、シーズン記録を更新出来るかどうかだ。
その点では司朗は、単純に更新することには意味がないと思っている。
それこそギャンブルスタートをしてでも、数だけを増やすことは出来るのだ。
95%ほどの成功率を維持した上で、どこまで数を積み上げていけるか。
そう考えながら走っているので、無理に走るというわけではないのだ。
司朗は自分の長打力を、やや控えめに使っている。
おそらく統計で考えるなら、大介のように二番バッターとなって、長打を狙っていった方がいいのだろう。
ただ一番であるならば、ヒット一本と盗塁一つを稼ぐことが出来る。
ツーベースを打った方が、OPSは上がっていく。
しかし今の司朗は、タイトルを狙っていくのだ。
一年目は勢いだけで、どうにかシーズンを走ってしまう。
昔はそういうこともあったが、最近ではそのシーズンの途中で、分析から対処まで出来るようになってしまう。
だが司朗は余裕を考えて、今もヒッティングをしている。
対応されればそこで、また違うスタイルにする余裕がある。
今はタイトルを二つ、取ることを重視しているのだ。
長打狙いに変更しても、とても50本に届くとは思えない。
今の自分の力なら、40本が限界であろう。
打率を無視してしまえば、確かにそれも届くかもしれない。
問題はホームランではなく、試合に勝つことなのだ。
そして今はまだ、試合に勝つためには一番としての役割を果たす。
常にランナーとして、ピッチャーのメンタルを削っていく。
それが数字にならない貢献の仕方である。
チームの順位も二位に上がっている。
タイタンズはその首脳陣が主に、派閥で分かれていることで有名だ。
監督・打撃の派閥と投手の派閥に分かれている。
だが当の監督の寺島は、元はピッチャーなのである。
このあたりの歪んだ構造で、よくも勝てているものだ。
それこそタイタンズが、さらに打撃力が上がったからである。
正確には得点力であるが、主に司朗一人の分で、わずかずつ数字が挙がっている。
NPBではあまり話題にならないが、WARなどを計算したのならば、相当に高いものになっているだろう。
打撃と走塁が評価される司朗だが、守備も実は貢献度が高い。
強肩でタッチアップをアウトにしているため、相手もスタートが切りにくいのだ。
ライガースは少しだけ、困っている。
残りが93試合もあるので、まだ慌てるような時期ではない。
しかし今の状況から、さらに何かが伸びてくるとは思いにくい。
そもそもピッチャーでは新人の御堂がローテを守っていて、確かな即戦力となっている。
問題はやはりリリーフなのである。
レックスと比べると、敗戦投手にリリーフがなっている数が、あまりにも多い。
タイタンズも同じ傾向にあるので、ここをどうにかしないといけないであろう。
レックスへの対処が、シーズン最終盤の問題とはなるだろう。
だがこの時期にはピッチャーを試して、リリーフを安定させたいのだ。
二軍ではしっかりと、ピッチャーの育成をしている。
いっそのこと一軍と二軍で、ピッチングコーチを変えたいと思ったりもする。
もっとも二軍のピッチングコーチの岩崎は、派閥に属していない。
一応は寺島寄りではあるのだが、それは監督に従うのがコーチとしては当然、と考えているからだ。
二軍の試合も今では、ちゃんと見られるようになってきている。
ブルペンでいくらいい球を投げても、本番のマウンドでは通用しないピッチャーはいる。
その試合の映像も、しっかりと流れてくるのだ。
そこを考えると、誰を引き上げるのか、監督の権限で決めてしまってもいい。
人事を握っているのはフロントである。
このフロントに入っている主流が、寺島とは敵対派閥なのだ。
しかしこの数年、あまりにもタイタンズが不甲斐なかったため、政治で寺島が監督となった。
それなのにコーチ陣の人選が、寺島に全て任されたわけではない。
そもそもそういった人事は、確かにフロントにあるべきなのだ。
バッティングの方は好調なだけに、実績で選べたのが幸いと言えるだろう。
だから寺島としても本当は、即戦力ピッチャーを期待していたのだ。
高卒野手など取っても、仕上がるのに時間がかかる。
そういった想定は幸いにも、司朗が圧倒的な実力で覆してくれた。
身体能力の高さが、ほとんど全てチームで一位であった。
わずかにパワーでは助っ人外国人などに負けていたが、ボールを飛ばすのはパワーだけではない。
それならば明らかに筋力の少ない、悟があそこまで打てないはずなのだ。
パワーとスピード、とおかしなことを言う人間は多い。
確かにパワーとスピードは正しいが、この場合のパワーは筋力ではなく、エネルギーと考えるべきなのだ。
エネルギーが発生するのは、質量とスピードによるものだ。
この場合質量というのは、体重だけを指すのではない。
もちろんそれも重要だが、インパクトの瞬間にどれだけ、差し込まれないかが重要なのだ。
パワーはそこから生まれる。
つまり単純な筋力ではなく、スピードのある筋力が問題だ。
速筋優位のスポーツが、間違いなく野球である。
多くのスポーツが、速筋を重視して鍛えている。
クソ長い時間のかかるゴルフであっても、運動強度はそこまでではない。
打った瞬間の瞬間的なパワーが、重要になってくるのだ。
海の向こうを見る限り、MLBはここのところさほど、新しい野球を生み出していない。
ただピッチャーのタイプは、やはり画一的になりつつあるか。
上手く育てればいいピッチャーになる選手ではなく、メソッドに上手く当てはまるピッチャーを選ぶほうが、育成的には楽になる。
そしてどんどんとピッチャーも大型化していくのか。
三島はちゃんとメジャーのマウンドに立っているが、極端に活躍しているわけではない。
ローテを守ってはいるが、それを飛ばしたこともあった。
勝敗はあまり問題にはならないが、他の点はちゃんと評価対象になる。
先発で使われているというだけで、ある程度は成功であるのだ。
メジャーは1000万ドル以上の譲渡金を、レックスに払っている。
日本円にすれば15億円ほどにはなり、三島レベルなら五年分ほどの年俸になるか。
ただレックスのピッチャーは、守備力で底上げされているのだ。
そのあたりを理解していないと、メジャーの情報野球でも、三島を使うことは出来ないだろう。
ピッチャーというならむしろ、レックスが今は困っている。
当初の予定よりもオーガスの復調が、長くかかっているからだ。
一週間ほど休んでから、二軍の試合で調整し、またすぐに一軍に戻す。
だがその球威がどうも、衰えてしまっている。
どこか故障というわけではないが、普通に筋肉の炎症などはあった。
そこから調整しているのだが、もう早い衰えがきていても、個人によってはありえなくはない。
日本のピッチャーがMLBで活躍するのに、MLBで通用しなかったピッチャーがNPBで通用したりする。
不思議なことだがそれが、二つのリーグの違いであるだろう。
アメリカは中五日か中四日、日本は中六日。
ロースターとベンチ入り人数の違いがあるため、日本のほうがピッチャーを休ませて使いやすい。
つまりアメリカの日程では、通用しなかったのがオーガス。
日本の登板間隔なら、それが問題ないというわけである。
それはつまり、耐久力や回復力の問題。
30歳の半ば近くになって、オーガスはそこが衰えたのか。
本人は地道に、瞬発力のトレーニングと、休養の回復を行っている。
もしもこれがそういう体質なら、ピッチングスタイルを根本的に見直さない限り、どうにも通用しないだろう。
そして根本的な変更は、パワーピッチャーであったオーガスには難しい。
あるいはリリーフなどへのポジション変更がいいのか、などとも思うが。
直史はローテでブルペンに入らない日は、二軍の方で調整することも多い。
その時には色々と、アドバイスもするものなのだ。
しかしエンジン自体の耐久力が落ちてきている人間に、どのようにアドバイスをするべきか。
食生活の見直しや、サプリメントの使用は、普通にチームがやっていることなのだ。
あとは考えられるとしたら、柔軟性の問題であろうか。
ピッチャーは絶対に、肉体の持っている理論限界まで、球威を出せていない。
それは直史でさえそうなのである。
体の全箇所を上手く連動させれば、球威は戻ってくるかもしれない。
そのためには柔軟性である。
具体的にはフォーム改造となる。
これはメカニックにメスを入れることになるため、時間がかかってしまうことは間違いない。
しかし今のままでは、オーガスは一軍での戦力として不充分だ。
ならばもう、やるしかないであろう。
日本に来てからもう、五年以上になる。
その間にアメリカに帰る可能性も、ちゃんとあったはずなのだ。
だがオーガスのピッチングは、日本向けのものなのは間違いない。
その通用する球速が、今はスピン量などが衰えている。
他にも有望な新人はいるのだ。
年俸の高い外国人は、切ってしまうのも悪くはない。
だが直史は基本的に、ベテランの経験を重視する人間である。
もちろん若手を蔑ろにするわけではないが、オーガスにはちゃんと実績があるのだ。
二軍のピッチャーはおおよそ、一度は一軍を経験して、それで落とされてきたものだ。
それに比べるとオーガスの方が、一軍のローテを守っていただけあって、保守的な直史は教えやすい。
まだ90試合以上残る今年のシーズン、ベテランは終盤の優勝争いでこそ、その力を発揮してほしいものである。
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