第430話 風呂上りに
ピッチングは不思議だ、と直史は思う。
正解はない。ただし結果だけが存在する。
人生と同じだ、と言ってしまえばさすがに極端すぎる。
しかしそちらも正解はなく、幸福になってしまえば正解となる。
野球は幸福ではなく、勝利を目指しているものであろうが。
比較的三振を多く奪う試合となった。
相手の古川もここぞという時には、三振を奪ってくるピッチャーだ。
ただ速球系を主体にしていれば、どこかでヒットがつながってしまうものだ。
そして一点取ってしまえば、直史は負けないピッチャーだ。
それこそよほど運が悪くない限りは。
野球の神様が直史に、勝利への渇望を与えた中学時代。
そして理不尽を与えた二年の春。
運命のようにその力を、引き出そうとしていた。
遠ざかろうとしても、あちらから何度も招かれる。
高卒はともかく大卒で入っていたなら、果たしてどれだけの栄光を手に入れたか。
「もうこれで充分だ」
直史はそう言っただろう。野球選手としての大成は目指していなかった。
無欲であるからこそ、縛られずに済んでいる。
大介の場合は逆に、野球をやりたいという欲望しかない。
0か100で完全に、正反対のような存在。
だがそういう二人が、何度も優勝争いをするのだ。
他のピッチャーが直史と投げあうと、どうしてもお互いが引き分けてしまう。
直史にそんなピッチングを強要するのは、ごくわずかにしかいない。
その点では真田が、ライバル視されることもある。
だが直史はプロでは、二年しか真田と被っていない。
同年齢で対戦数も多いはずの武史が、本来ならライバル扱いされるはずだ。
しかし武史はそもそも、誰かと競うという意識が低い。
真田から見れば最大の障壁であった。
高校時代には最高の栄光を、一度も手にすることが出来なかった。
プロでは優勝しているが、タイトルなどは上杉に阻まれている。
そして上杉が故障している間は、佐藤兄弟が存在感を示していた。
真田は逆に因縁を感じすぎて、最後の一歩で勝てなかったのだろう。
不運な人間がいる。
圧倒的な運命に愛された人間の、引き立て役になってしまう者だ。
しかしそれに相応しいだけの、対抗馬という力はある。
充分にレジェンドであるが、それでもあと一歩が足りない。
もっとも求めすぎてはいけないのだ。
プロとしての活躍だけで、充分にもう実績は残した。
本来なら沢村賞を取っていたという年が、二度も三度もあったようなものだ。
江川卓に似ているかもしれないが、こちらは完全に成績で上回られていた。
野球は不思議なものだ。
ただ技術的に上手くなりたい、というだけではまだ足りない。
勝利への渇望がなければ、最後の勝利へと手が届かない。
だが執着しすぎても、それは手の中から逃げていく。
力だけでも技術だけでも、勝利が確実なものとはならない。
実際のところ直史と同じように、打たせて取るピッチャーはいるだろう。
それなのにボールが全て守備範囲に飛ぶなど、普通ならばありえない。
本人がどう言おうと、野球の神様には過剰に愛されている。
それこそヤンデレと言ってもいいぐらいに。
だから呼ばれては、そこで伝説を残してしまう。
ただ愛されているからこそ、力を失えばそれで興味をなくされる。
そのはずだが直史は、なかなか力を失わないのだ。
もはや単なる負けず嫌いである。
引退しても文句のつけようがない年齢だが、実績がそれを許さない。
負けるのが嫌なら負ける前に、もう引退してしまえばいい。
だが大介がまだやっているのに自分が引退するのは、なんだか違う気がする。
あるいは大介が大きく衰えたら、そこで引退するのもいいのだろうが。
八回の表、千葉の攻撃は四番のマヌエルから。
普段はDHで入っているが、今日はファーストを守っている。
現代野球はファーストも、色々と守備力が必要になっているのだが、右打ちが多かった時代からの変化であろう。
致命的なものではないが、ボールの扱いにやや難が残る。
そして守備で手こずっていては、バッティングにも影響が出てくる。
ここまで二打席、普通に凡退している。
空振り三振と内野ファールフライ、いいところがまるでない。
せめてミートするなり外野に運ぶなり、そういう打球を出していきたい。
アメリカでも若い頃、直史を見ていたマヌエルである。
だから格上とは分かっているが、いくらなんでもロートルである。
生きた伝説、と言われるような人間はいる。
だが直史は、現在進行形の神話だ。
NPBに復帰して四年目、ここまで負けていない。
もっとも直史からすると、完投出来なかった試合でチームが負ければ、それは先発の責任が大きいと思うのだ。
点を取られないピッチャーなど、普通にいるはずもないのだ。
それが毎試合のように完封をして、パーフェクトの一歩手前まで数字を残す。
パーフェクトは結果であって、目的ではない。
そこを間違えると、変なプレッシャーでパーフェクトを逃すし、逆転までありうるのだ。
マヌエルに対して使った決め球はスルーチェンジ。
かろうじてバットに当てたボールは、直史が処理するピッチャーゴロになった。
体勢を崩していたマヌエルが走り始めたのと同時に、ファーストで既にアウト。
おそらくこれで今日のマヌエルは、バッティングの仕事は終了である。
今年の直史から点を取ったのは、ライガースとタイタンズである。
その2チームの特徴であり、他のチームにはない特徴とは何か。
正確にはレックスにも、存在する特徴なのだが。
それは一番と二番の長打力である。
ライガースは二番の大介、タイタンズは一番の司朗。
特にこの二人は、走力にも高いものがある。
四番にいくら強打者を置いていても、直史はそこに四打席目の機会を与えない。
実際に今年、9イニングを完投した試合では、四番に四打席目が回ってきたのは一試合だけなのである。
二番に強打者を置けばいい、という理屈は通じないのか。
あるいは一番に一番いい打者を、という理屈は通じないのか。
ライガースとタイタンズがそれをしているのは、クリーンナップに他の選手を入れられるからだ。
走力があって長打も打てるバッターなど、そうそういるはずもない。
レックスにしても小此木は、長打力があるとは言っても、30本を打つのは相当に難しい。
それに直史一人の対策のために、打順をあれこれ入れ替えるのはどうなのか。
守るポジションを替えただけで、一気にバッティングの成績が変わる選手もいる。
打順にしても日本はまだ、クリーンナップこそ強打者、というイメージが強いのだ。
大介は二番が最適であった。
それが証明されたのは、MLBに行ってからの話である。
もっとも最初のライガース時代は、他にそこまで打つバッターがいなかった。
なんなら四番に据えられても、おかしくなかったぐらいであるのだ。
MLBでは二番を、あるいは一番を打つ機会さえあった。
そこでの実績があるからこそ、今は二番を打っている。
統計で考えれば、当然のように分かるはずなのだ。
打順が一つ前であれば、それだけ打席が回ってくる数も多くなる。
そして得点にしても、そちらの方が期待値は高くなる。
これは全て統計で明らかになったことであり、一時は三番に最強打者を置いたほうがいいのでは、という議論もあったのだ。
結局はそれは、そのチームの戦力事情によって、最適の打順は変わってしまうという、当たり前の結論が出たが。
四番のマヌエルに期待されているのは、当然ながら長打力である。
だが打率もそこそこいいので、それで充分な仕事をしているのだ。
大介は盗塁機会こそ少なくなっているが、盗塁成功率は高いまま。
そういう走力も備えた強打者がいてこそ、初めて二番最強打者論は現実的になる。
野球選手もただ野球が上手いのではなく、運動能力全般が高いうえで、野球の能力が高いという選手が増えている。
ただ野球の飛距離を出すためには、やはりある程度の筋力が必要になってくる。
筋肉は重さであり、重さは関節に負荷をかける。
バッティングまではともかく、走塁でまでそんなリスクをかける必要があるのか。
盗塁の価値が昔よりも低く評価されるようになると、そういう意見も出てくるのだ。
野球は基本、ホームランを目指すものだ。
全打席ホームラン狙いで、その当たり損ないがヒットになる、などと言った選手もいる。
まあヒットは三つ重ねても得点につながらない可能性があることを考えると、ホームランはそれ一発で一点だ。
言うほどおかしな理屈ではない、とも言えるだろう。
もっとも選手によって、どういったバッターを目指すかというのは、やはり違うものなのであるが。
これでもうパーフェクトへの障害は、ほぼなくなったと言えるだろうか。
ただ直史は三振を、無駄に取っていくタイプのピッチャーではない。
基本的に打たせて取るのが得意なタイプなのだ。
だからゴロを打たせることが多く、そしてゴロはフライよりも事故が多い。
少なくともフライには、イレギュラーバウンドはないのだから。
ここから風呂に入ったら、早めであれば試合終了までには上がってこれるか。
そんなことを考えた人間が、日本中でどれだけいただろう。
もっとも直史のピッチングは、そんな甘いところに投げて大丈夫か、という組み立てをしてくることが多い。
なので見ている側とすれば、下手なホラーよりもドキドキしたりする。
だからおいしいところだけを見て、あとは結果だけを見たいという気持ちも、分からないではないだろう。
もったいないことである。
ホラー映画を見る醍醐味は、そのハラハラドキドキであろうに。
直史としてもマヌエルを打ち取っても、油断のしようがない。
ごく一部の例外を除いて、四番打者などそれほど怖くない。
それが直史であるからだ。
打率、出塁率、長打率の全てが高いバッター。
それこそが怖い存在であろうか。
統計ではおおよそ肯定できるだろうが、直史はそれにもう一つを加える。
三振をしにくいバッターである。
大介などはあれだけホームランを打っているのだから、もちろんフルスイングはしていっている。
だが当て勘というものを、生来備えている。
正確にはこの当て勘というのは、様々な能力の総合である。
また下手に当てるだけよりは、素直に空振りをしておいた方がいい場合もある。
大介はボール球をヒットにしてしまうのに、この感覚を使っている。
司朗の場合はもっと、予知に近い形で、バットをスイングしている。
ミスショットさせることは、ピッチャーにとって重要なことだ。
それが初球であったりすると、最終的には楽に完投出来る。
レギュラーシーズンにおいて、千葉を相手にパーフェクトを達成するのは、あまり効果的なものではない。
そんな考えがあるからこそ、逆に相手の意図を上手く、挫くことが出来ているのかもしれない。
ただそういったことを色々と、直史自身は言っていても、対戦相手や観衆は違う。
試合に対する支配力を感じるのだ。
投げている試合に、負ける気配がない。
もちろんこれまでもずっと、負けない試合を投げてきた。
とんでもない集中力があれば、ある程度のピッチングは出来る。
しかしそれを毎試合、しかも一試合を通じて行うというのは、ピッチャーの誰に訊いても無理だと言うだろう。
それなのに直史は、余裕をもって投げている。
パーフェクトなどというものは、求めるほどに遠ざかるもの。
そう分かったのは復帰して、パーフェクトを求めて投げていたシーズンだ。
狙ってパーフェクトをするのなら、己の中の何かを、削ってでも投げていく必要がある。
そこまでのことはもう、出来ないと考えているのが直史である。
そして風呂上りの人々が、呆気に取られて画面を見る。
「え、なんで?」
「イレギュラーしてショートが捕れなかった」
「左右田~!」
こうやってパーフェクトが、見ていない間に途切れているのも、お約束というものなのだ。
野球は風呂に入っている間に、逆転されているスポーツだ。
まだノーヒットノーランが残っているのだから、それを期待すべきであろう。
今日はおいしい試合だったのではないだろうか。
終盤までパーフェクトピッチングが続いて、観客は大いに期待したであろう。
そこからパーフェクトが途切れてしまったが、まだノーヒットノーランが残っている。
大記録が途切れた瞬間に、集中力も切れてしまうピッチャーがいる。
ただ直史は経験が、それをしっかりと防いでくれるのだ。
試合の目的が何か、忘れてはいけない。
それは勝つことであるのだ。
パーフェクトうんぬんは個人の記録である。建前としてはそうなっている。
もちろんチーム全体としても、こういったもので勢いづいたりすることはあるが。
しかしチームの一員としてなら、まずは勝利を考えるべきだろう。
パーフェクトにばかり注目されていたが、そもそも点差がさほど開いていない。
リードはしているが、たったの二点であるのだ。
一人ランナーが出て、一発が出れば同点になってしまう。
そういったプレッシャーを、感じていないのであろうか。
直史が投げるなら、一点で勝てる。
そう考えている人間は、選手にも首脳陣にも、ファンにも多いであろう。
だが直史の生涯の実績で見ると、数少ない負けた試合は、二点以上取られているのだ。
もちろん一点差で勝利した試合も、ずいぶんと多い。
しかしあまりに状況を、甘く見すぎてもらっても困る。
ランナーが出た後の八回の裏、直史はちゃんと考えている。
当然ながら千葉は、代打を使ってくるだろう。
あとは必ず回ってくる一番が、どれだけ長打力を持っているか。
一番バッターであり、司朗のような規格外ではない。
それでも毎年、二桁に乗るか乗らないかぐらい、ホームランを打っているのだ。
プロに入ってくるバッターで、ホームランが打てない選手などいない。
それは守備負担の大きな、キャッチャーやショートでも同じことだ。
ピッチャーであっても高校時代は、四番でエースという例が少なくない。
もっとも直史は、プロ入り後ホームランなど打っていないが。
遡っても甲子園で、ホームランを打ったことがない。
代打に出てくるようなバッターは、交流戦でセ・リーグチームがホームの場合、パの代打を恐れるべきなのだ。
普段はDHで使っているバッターを、守備のどこかで使う場合が多い。
するとそのバッターは、さらにポジションを移動するか、ベンチスタートになるわけだ。
この九回の攻撃に、千葉は普段スタメンを打っている、打撃力の高いバッターを使える。
こういうところがセとパで戦った場合、パの方に攻撃のバリエーションが増える理由なのだろう。
ワンナウトを取ってから、その代打と勝負する。
一発の打てる確率が、それなりにある代打である。
今はもう昔と違って、代打の切り札というのが出て来にくくなっている。
そんな長打力があるならば、最初から素直にスタメンで使うからだ。
スタメンで使うには守備に問題があるなら、二軍に落として守備の経験を積ませる。
一軍で戦いながら育てる、というのもあるがそれは難しい。
育てながら勝つというものだからだ。
育成と采配は、明確に別の技術である。
もちろん両方を持っている人間はいるが、どちらかに偏っていることは間違いない。
たとえば西片などは、ピッチャーの育成には向いていない。
だがバッティングに関してなら、かなりの指導も出来るのだ。
アメリカなどでは選手実績とコーチ実績が、そうとうに明瞭に区別されている。
技術を教えるのが上手くても、それを実際に出来るかどうかは別だと考えるのだ。
これを日本の場合は、選手実績も重視していた期間が長かった。
むしろ今でもある程度は、選手としての実績を必要としている。
そうでなければ選手が従わないからだ。
しかし選手の方もまた、進化しているのは確かだ。
かつては経験的に伝えられていた、野球における技術論。
それを言語化することが、今では簡単になってきている。
トラックマンなどで数字を見れば、出来る人間と出来ない人間で、明確に違いがあったりもする。
その数字の違いを、動作解析で説明するのは、間違いなく知識が必要になるのだ。
ピッチングにしろバッティングにしろ、個性というものはある。
だが最初に型を作ってしまえば、ある程度は素質に合わせて成長する。
アンダースローやサイドスローは、そういった一般的なやり方では、通用しない人間の見出した手段。
ピッチャーは型にはめるのはほどほどに、長所を伸ばしていった方がいい。
メジャーにはカットボールしか投げられず、ただそのカットの角度や変化量が少し違う、というピッチャーもいたりする。
対戦回数が少ないリーグであると、そういうピッチャーも通用するのだ。
この型を理解していた上で、さらに何かを積み上げることが出来るのが、名伯楽と言われる存在だ。
特にピッチャーの場合、あるタイプのピッチャーを育てるのが上手い指導者もいれば、色々なタイプのピッチャーを育てるのが上手い指導者もいる。
自分の経験則でしか話さない人間は、ほぼ老害になっているのが現在の野球である。
直史は今日初めての対戦となる相手には、スルーとチェンジアップを使っていった。
それによって無難に、ゴロのアウトを取ることが出来た。
あとは一人、四打席目の回ってきた一番を打ち取るだけ。
それは直史にとって、簡単ではないが当たり前に出来ることであった。
28人と対決し、ノーヒットノーラン達成。
偉大な記録であるはずなのに、なんだか損をしたという観客は多数。
なお左右田はしばらくSNSなどのネットから遠ざかった。
さすがにイレギュラーに対応出来ないのは、ある程度仕方がないと直史さえも思うのだ。
だが何も責める権利がないはずの人間が、一方的に落書きをあちこちに出来る時代。
「今時の若い者は大変だなあ」
自分の若い頃も既に、ネットの害は多かった直史である。
ただあの頃は今のように、SNSなどで発信することは少なかった。
本当のファンであるならば、左右田を叩くことのデメリットを理解すべきである。
彼は貴重な戦力であり、客観的に見て平均を相当に上回るショートだ。
何も責任がなく権利もなく、もちろん義務もない人間が叩く。
直史はそういう時、情報開示という手があるのだな、とちょっと呟いてみる。
すると簡単に火消しが出来るので、やはり直史にはリリーフ適正もあるのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます