第428話 楽しみな対戦
パ・リーグは福岡が首位を走り、千葉がそれに続いている。
ライガースが福岡と当たっている間に、レックスが千葉と当たるというのは、それなりに巡りが良かったと言えるだろうか。
強力な先発ローテ陣を誇る千葉。
それは二年前の日本シリーズで、レックスも経験している。
エースの溝口は今年が終わればポスティングが濃厚、と見られている。
パの投手タイトルもいくつも取っているだけに、直史がいなければ沢村賞であったろう。
一応はペナントレースの優勝もしているので、妥当なところと言えようか。
ただ日本一には届いていない。
その溝口はこのカード、初戦の先発であった。
163km/hを投げるパワーピッチャー溝口に対し、レックスの先発は木津。
ストレートの最高速度の差は、なんと30km/h以上もあるのだ。
「でも初回次第かな」
今日はベンチ入りしていない直史は、ブルペンの様子を見に来ている。
木津の投げる試合は必要なリリーフの数が、多かったり少なかったりする。
三振をあのスピードで取れるが、ホームランを打たれることもけっこう多いのが、木津というピッチャーなのだ。
もっともそれを言えば直史なども、1シーズンに取られた点が全て、ホームランであったという年もあったのだが。
近接する千葉だけに、それなりの応援にも来ている。
もっともこの日の試合は平日である。
それでも神宮が満員になるのだから、千葉の溝口ファンも多い。
またレックスにしても、溝口を見たいというファンは多いのだろう。
溝口と木津は比較してみれば、本当に対照的なピッチャーだ。
ただ木津は大舞台では、強いピッチャーだと見られている。
相手のピッチャーが強かった場合、どのような結果が出るのか。
少なくともポストシーズンでは、悪い成績を残してはいない。
二年前の日本シリーズでも、木津は千葉に投げている。
その試合は木津が六回を一失点に抑えて、最後には直史がクローザーで登板した。
千葉が記憶しているの第一戦、直史と溝口の投げあいであろう。
延長11回まで直史は投げぬき、パーフェクトに千葉を抑えた。
溝口もたいがい怪物と言われるが、直史相手ではちょっと格が違った。
それでもまだ溝口は、成長しているのだ。
まずは千葉の打線を抑えなければいけない。
今日の木津の調子は、果たしてどうであるのか。
それは先頭打者に投げたボールで分かった。
130km/hのストレートで、空振り三振を奪ったのだ。
リリーフ陣はともかく、先発ピッチャー全体の中では、木津の三振奪取率はかなり高い。
他の球団のエースクラスと比べても、遜色がないくらいなのである。
遅いが伸びるという、おかしなストレートが存在している。
これが上手く相手の打線と噛み合うと、三振をたくさん奪う。
だが上手く噛み合わないと、長打かフライのどちらかとなる。
フライが遠くへ飛べば、もちろんホームランになるのだ。
木津はツーアウトを取ったものの、そこから長打を一本打たれる。
さらにもう一本のヒットによって、呆気なく先制を許した。
ただし一回はこの一点のみ。
スリーアウト目はまたも、三振にて奪ったのである。
溝口は幸運なピッチャーであるのかもしれない。
デビューした時には既に、上杉は選手生活が晩年であった。
また武史が帰国しても、既に全盛期は終えている。
また直史も含めて、この三者とは同じリーグでなかったのだから。
14年間の実働で200勝した真田は、一度も投手タイトルを取れなかった。
上杉に武史、直史と活動の時期が被っていたのが、彼の不幸ではあった。
対してパ・リーグに行けばタイトルは、何人もの選手が分け合っている。
それはバッターもピッチャーも同じことで、バッターは大介がメジャー移籍後、多くの選手によって分割された。
メジャーのスカウトは選手を評価する時、タイトルや勝ち星などでは評価しにくい傾向にある。
どういったボールを投げるか、球速はどうなのか、奪三振率はどうか、コマンドはどうか。
木津のようなタイプのピッチャーは、計算しにくいので取れない。
そもそもあそこまで球速がなのに、プロで通用している方がおかしい、と考えてしまう。
だからパーフェクトなどに抑えられるのだ。
直史としてはそう言ってしまうだろう。
対する側は150km/hと130km/hでは大きく違う、と言ってしまうかもしれない。
だが170km/hと150km/hでも大きく違うではないか、と直史は言ってしまうのだ。
つまり球速は物差しの一つではあっても、絶対的なものではない、ということだ。
今は140km/hの出せないピッチャーは、そもそもスカウトの対象にならない、という基準を作っていたりもする。
もしも高校の時点でまだ体が出来ていなければ、大学で作って来い、という時代なのだ。
大学に行けない選手もいるだろうに。
身長ばかりあって、まだ筋肉が付いていない選手でも、投げるボールを見れば分かる。
そういう素材をこそ、育成枠で取ればいいのだ。
もっとも育成枠というのは、潰しが利かないとも言える。
学歴があると有利というのは、確かなことなのである。
プロ野球選手には、セカンドキャリアが必要だと、直史は何度も言ってきたし、それに向けて活動をしている。
それこそプロ時代の財産のみで、一生を過ごせる人間など少ないのだ。
むしろおかしな投資の話などを持ち込まれ、財産を食いつぶす人間の多いこと。
プロならまずそういったことを、最初に教えるべきでは、などと思ったりもする直史である。
(まあそんなことすら気にしない、圧倒的な自信がないと、プロでは通用しないのかもしれないけどな)
高卒の時点での直史は、最高球速が144km/hであった。
プロで通用するかなど、あの時代でもかなり遅かったものだ。
ただおおよそのピッチャーというのは、プロに行けば球速の平均が落ちる。
なぜなら球威だけでは、打ち取れないことを思い知るからだ。
最低でも三球種はほしいかな、というのが今のNPBの先発ピッチャー。
リリーフならストレートの他に一種類でも通用したりする。
あとはそもそものストレートが、普通のストレートの平均から大きく外れる場合。
同じストレートでもギアを変換して、二種類投げられる方がいい。
直史の場合もストレートには、二種類あると言っていいだろう。
そういった基準であると、溝口の攻略はスライダーとチェンジアップになる。
ただのスライダーではなく、速いのにしっかりと曲がるスライダー。
そしてそれと比べても、しっかりと遅いチェンジアップ。
緩急を使わなければ、ピッチャーはピッチャーでいられない。
直史はコース以外でも、なんらかのコントロールは必要だと思っている。
自分は全てをコントロール出来るくせに。
木津は試合の序盤から、色々と工夫して投げていく。
対して溝口などは、序盤は球威だけで押していける。
160km/hオーバーとはそういうレベルなのだ。
しかし球数のことを考えれば、安易に力押しではいけない。
また単純な球速であれば、打ってしまえるバッターがレックスにはいる。
去年までMLBでプレイしていた小此木である。
なんだかんだ言いながら、MLBとNPBではピッチャーの平均球速に違いがある。
160km/hオーバーをコンスタントに投げるピッチャーの数も、MLBなら多いのだ。
100マイルオーバーと、向こうではおおよそ言われる。
だいたい5km/hほどは平均が違うと言うが、そもそも投げる球種にも違いがある。
使っているボールが微妙に違うので、適切なボールも変わってくるのだが。
小此木は第一打席から、しっかりとこのストレートを打っていった。
160km/hというだけでは、別に驚かないのである。
今のMLBでは球速だけなら、ショートや外野でもスピードボールを投げる選手はいる。
もちろんだからといって、溝口が雑魚なほど、レベルが違うわけではないが。
溝口としても去年までメジャーにいた選手に、どう対応するかは一つの課題であった。
二打席目以降、それを考えることになるだろう。
序盤は千葉が1-0でリードして進む。
逆に言うと木津は、序盤に一点しか取られていない。
140km/hぐらいはさすがに出てると感じるのに、表示を見れば130km/h。
これも一種の魔球ではないのかと、パのバッターは思うであろう。
溝口からすれば、あんなピッチャー相手ならば、もっと点を取ってくれと思うかもしれない。
今日は神宮が舞台であるので、彼にも打席が回ってくる。
そこで目にしてみてやっと、不思議な感じを抱くのだが。
なお普段はバッティングをしていない溝口だが、木津のボールをヒットに出来た。
むしろ普段はプロのスピードに慣れていないからこそ、ヒットを打てたのかもしれない。
もちろんそれでも木津の、三振奪取能力は高いものである。
試合の中盤に入ると、レックスも一点を返す。
事前には思ってもいなかった、ロースコアの投手戦となった。
直史などは最初から、こういう展開もありうるかなと思っていたが。
千葉はここでおそらく、首脳陣が焦ってくるであろう。
エースの溝口を出しているのに、木津を相手に引き分けにでもなれば、むしろ敗北と同じように感じてしまう。
千葉の弱点はこの、首脳陣にあると言ってもいい。
去年のリーグ優勝を逃して、首脳陣が代わっている。
するとチームの方針も、ある程度変わっていくものなのだ。
キャンプ中に監督の方針などは、選手たちに浸透しているはずだ。
だが監督もコーチも比較的、若い者が多いのが問題だ。
野球は統計で考えるべきだ。
直史がそう言っても、説得力はないであろうが。
負けた試合から教訓だけを引き出し、いかに引きずらずにいられるか。
そういったことをするのが、首脳陣やチームキャプテンの役割なのだ。
「まあ、あんなピッチャーがいたら、それは勝ちたくもなるだろうな」
直史としても分からないではないが、そこに精神的な驕りが生まれる。
どんなピッチャーであっても、負ける時は負けるのだ。
何をやっても勝てそうにない試合というのも、年に一度ぐらいはあるのと同じで。
防御率が2を切っている溝口は、当然だが平均すれば、一試合に二点は取られない。
完投能力もある程度はあるが、それでも年に二回から五回ぐらいまでだ。
今は年に二回も完投すれば、充分にエース格と言える。
野球のやり方は以前と、大きく変わっている。
リリーフをどう使うのか、それが重要になってくる。
溝口も球数はそれなりに増えて、七回を終えるあたりで100球に到達しそうだ。
木津もそれは同じであるが、実は木津の球数限界は、一般的なピッチャーより多い。
武史もそうであるが、120球ぐらいまでなら投げられるのだ。
ストレートを投げるにあたって、肩や肘ではなく、指先のタッチが重要となる。
それが木津のストレートである。
このストレートとカーブの球速差は、40km/hほどもある。
スローカーブを意識させれば、130km/hのストレートも20km/h増しには感じるのだ。
もっとも遅いボールは、それだけ盗塁を阻止するのが難しい。
そこは確かであるので、木津はクイックを早くしている。
七回が終わったところで、スコアは1-1というものであった。
溝口には勝敗が付かず、不本意なものとなったであろう。
対して木津などは、ハイクオリティスタートを一つ記録した。
防御率も良化して、これでまた仕事を終わらせた。
そう、仕事である。
溝口と木津を比べれば、実力も素質も圧倒的に溝口が上。
だがそこに思考を加えるのだ。
それは野球を仕事として、しっかりと認識するかどうか。
直史が言った、球速は上げてはいけないというアドバイス。
このプロの世界で生き残るなら、変な夢は見てはいけない。
ただし現実をしっかりと見るならば、木津は長くプロでいられる。
世の中のチームが全て、先発をエース級で固められているかどうか。
また才能ならばずっと上であろう選手が、長く活躍していられるかどうか。
直史はフロントの評価は、統計的なものであると理解している。
現場の選手にとっては分かりづらいだろうが、木津の貢献度はものすごく高い。
規定投球回に達しており、奪三振率は10を上回る。
防御率もWHIPも、あまり優れたものではない。
それでも最終的に、勝ちが負けを上回るのだ。
ピッチャーの勝敗に重きを置かないというのは、メジャーでは当たり前のことだ。
なぜなら味方の打線の援護と、守備力に左右されるからだ。
木津はどの点で言うと、奪三振能力が高い。
ただしフォアボールも多いので、そこが弱点に見えなくもない。
もっともフォアボールが多い木津は、組み立ての中で逆球になったりもする。
そういうボールをバッターは振ってしまって、結局は三振が増えるのだ。
「さあ、ここからが仕事だ」
同点の展開ではあるが、レックスの方がリリーフは強い。
このリリーフの安定感こそが、レックスの首位の要因であると、果たしてどのぐらいが気づいているのであろうか。
記録では微妙だが、記憶には残るピッチャー。
木津もそういうタイプではあるのだろう。
レギュラーシーズンの勝率よりも、ポストシーズンの勝率の方が高い。
もっとも勝率はやはり、他の要因が大きいのであるが。
延長に突入したこの試合、それでもレックスが勝利した。
先発の溝口のところで、リードできなかったことが大きいであろう。
ただレックスとしては、せめて二点は取りたかったというのも正直なところだ。
二年前の日本シリーズでも、直史と溝口は延長戦に突入したのであるから。
七回まで木津が投げたので、リリーフは充分な働きが出来た。
それでも綱渡りのような試合であったが、勝ちは勝ちであるのだ。
引き分けでも充分と思っていたが、2-1でサヨナラ勝ち。
第一戦で敵のエースに勝ったことは、カードの中でも重要なこととなる。
これは本当に、レックスにとっては大きな勝利であったのだ。
日程的にもオーガスが抜けている今、レックスは第二戦に強い先発を持ってこれない。
そこで二軍にいた阿川を、引き上げてここで使ってくる。
他の若手を使うべきでは、という声もあった。
だが阿川は一度先発で失敗しているが、今年は二軍でいい成績を残している。
一軍ではリリーフでも微妙であったので、これがラストチャンスになるかもしれない。
そういう登板なのである。
ピッチャーというのは二軍では無双しているぐらいでないと、一軍では通用しない。
ただ一軍に上がってすぐなら、相手がデータをあまり持っていないので、通用する場合がある。
ここで下手に怖気づけば、それはもうプロでは通用しないというものなのだ。
年齢的にも20代の後半と、セカンドキャリアに転じるならぎりぎりの状態。
ピッチャーは毎年、三人は取っているのがレックスなのだ。
キャリアで最高の年俸だった年が、2000万に達しない。
そういう選手はたくさんいる。
2000万など一般企業なら、相当の高所得と思われる。
だが野球選手というのは、とにかく潰しがきかないものなのだ。
それでも若ければ、まだ違う道を行くことが出来る。
一般企業なら40代から50代で、管理職になっていればまだまだ働き盛り。
しかし50代のプロ野球選手など、NPBの記録では一人しかいない。
40代の選手であっても、片手で数えられるかどうか。
セカンドキャリアを、球団に用意してもらえる選手など、本当に少ないのだ。
球団職員になるにしても、その席は限られている。
28歳か29歳といったところが、一般的な引退年齢。
だが一部の主力は、そこから10年も現役でい続ける。
直史としては後進が育てば、残るは後進に負けてやるのが最後の仕事。
それで勝てないのは、勝てない方が悪い。
直史が復帰してからも、レックスは何人もピッチャーを指名している。
そしてそういった若手は、直史の席が空くのを待っているのだ。
しかし漫然と待っていては、塚本のようなほぼ即戦力や、成瀬のような高卒からの成長組に、ローテの席を取られてしまう。
それでもリリーフならば、まだ色々と試してもらえる。
ビハインド展開のリリーフで、どれだけ腐らずに投げることが出来るか。
そういった精神面も、プロとしては重要なところなのだ。
木津などは一度試して、駄目ならもう次の契約はないな、というところからローテに入った。
一度しかなかった一軍でのチャンスを、見事に手にしたのである。
直史は何重にも保険をかけて、このプロの世界に挑んでいる。
だからモチベーションという点では、他のピッチャーには負けているはずなのだ。
だがバックアップがあるというのは、それだけノンプレッシャーで投げられるということでもある。
勝敗さえも手放すからこそ、直史のピッチングの幅は広い。
どうしても勝ちたいと思うのは、大介との勝負ぐらい。
こういったメンタルの状態が、むしろいい方向に働いてくれる。
そういうこともあるはずなのだ。
第二戦も直史は、ブルペンから様子を見る。
千葉はこの第二戦も、強いピッチャーを持ってくることが出来るのだ。
あるいは今、ピッチャーが比較的若手で形成されているという点では、千葉は一番伸び代が多いのかもしれない。
もっとも若手ばかりというのは、崩れる時には崩れやすいかもしれない。
(第三戦、果たしてどうするか)
千葉と対戦するならば、マリスタに行きたかったかな、と思う直史である。
執着から離れた、まさに悟りのような状態。
モチベーションはないが、ノンプレッシャーでもある。
あとは集中力が続く限り、直史のピッチングは安定し続けるであろう。
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