第422話 精神的スタミナ配分

 直史はもう一般的なリードは、迫水にほとんど任せてしまっている。

 思考に回すカロリーを、浪費したくはないのだ。

 それでも脅威度の高い大介と、その前の出塁率の高い和田は、自分でリードを考えている。

 ただそこに対しても、迫水の意見を求めるようになっている。


 上手く育ったな、とふと考えたりすることもある。

 元々肩やキャッチングの技術など、総合的に高い選手ではあった。

 だがリードにもっと、悪意がないといけなかった。

 性格の悪いキャッチャーというのは、誉め言葉以外の何者でもない。

 迫水は不幸にも、その期待に応えてしまった。

 特に打てるキャッチャーというのは少ないので、これからも代表メンバーには選ばれていくだろう。


 一回の裏はそのリードの通り、直史は三者凡退スタート。

 ぶんぶん振り回す三番のアーヴィンは、スローカーブで三振している。

(けれど、15球か)

 直史としては多めの球数である。

 もっともそれは、和田と大介に、球数を使ったわけでもあるが。


 大介の第一打席が終わったので、残りの打席のどちらかを抑えれば、おそらくこの試合には勝てる。

 そういうことも考えながら、迫水は二回以降をリードする。

 だが任されれば任されるほど、責任は重くなっていく。

 直史の投げたボールは、キャチャーの要求の逆球になることは、シーズンでも一度か二度。

 そんなことがあるのか、と意外に思われるかもしれないが、ちゃんとあるのである。


 投げる瞬間に雨粒が目に入ってきたり、あるいは小さなゴミが鼻に入ったり。

 そういったどうしようもないことで、失投することは毎年3000球も投げて入ればあるのだ。

 重要なのはそういったミスよりも、ミスの結果を引きずらないこと。

 ピッチャーはミスによって崩れるのではなく、ミスを引きずることによって崩れるのだ。

 それがピッチャーに必要なメンタルである。


 野球の偶然性というのは、そういうところにもある。

 直史が自分の実力ではなく、上手く野球が出来ずに破れた、大阪光陰相手の雨の試合。

 あれもメンタルが崩れたわけではないが、雨の甲子園の戦い方など、誰も知らなかったのである。

 知らなかったものへの恐怖から、チーム全体が対応を誤った。

 純粋に打線は、大介だけでは足りなかった、と言えるであろうが。


 だからといって直史は、雨の時の投げ方に関して、特に訓練をしたというわけでもない。

 それでも今なら充分に、あの試合を投げることが出来るだろう。

 単純に足元を固めて、そしてボールを滑らないようにする。

 それを徹底しなかったからこそ、コントロールも少しずつ悪くなったのだ。

 あとはエラーもあり、そういったものが積み重なって負けた。


 もっともあの大会、大阪光陰相手に三点しか取られなかったというのは、充分にすごいことではあったのだ。

 甲子園初出場校が、二回も勝って王者に挑む。

 勝てるビジョンが明確に浮かんでいたわけではなかったが、完全に通用しないとも思わなかった。

 結果としては、完敗ではあったのだが。


 直史個人はそれ以降、高校と大学の間は、全く負けたという意識はない。

 強いて言えば坂本に打たれたのは、隙を突かれたという思いはあったが。

 大学時代にも一度、ひどくコントロールを乱したことはある。

 あの時もあれだけランナーを出しながら、最後には無失点であった。

 あれはキャッチャーの樋口のリードが、優れていたからだとは言える。




 直史はサイン通りに投げてくる。

 そのサインは複雑であり、いくらでも要求することが出来る。

 だがスルーなどはあまり使わない方がいい、というのは言われていることだ。

 肘への負荷が大きなボールであるのは間違いない。

 そして全力ストレートなども、やはり肩肘に負荷がかかってしまう。


 球数に関しても、迫水に任される。

 どれだけの球数を投げさせるのか、ここでは迫水のリードにかかっている。

 直史はそのサインを信じて、淡々と投げ続けるだけ。

 普段の直史は、もう少しサイン交換をする。

 そこに迫水の新たな気付きがあるのだが、今日はもう必死でリードをする。


 なぜそんなボールを、という組み合わせを自分で考えなければいけない。

 後から時間を使って考えれば、おおよそは納得する。

 しかし今はそれを、限られた時間で作っていく必要があるのだ。

 クリーンナップと対決する、二回もかなり考えた。

 そして味方が攻撃している間も、リードのことを考えている。


 あまり考えすぎていると、自分のバッティングが疎かになる。

 普段はそんなことのない迫水だが、この試合ではプレッシャーがかかっている。

 だが今年の直史は、まだノーヒットノーランもしていない。

 相手がライガースであるならば、ヒットが少しぐらいは出ても、当たり前とさえ言える。

(下位打線は、それなりに抑えられるんだけどな)

 出来るだけ球数も少なくするように、一桁のイニングを作っていく。

 だが一番から始まるところだけは、直史自身も考えているのだ。


 追加点がないまま、四回の表が終わる。

 この裏こそライガースが、一番から始まる打線である。

 糖分を補給した直史は、ここからまた攻略を考えていく。

 ただ和田に対しては、どうにか球数も抑えていきたい。

 ここまで既に、34球を使っているのだ。

 普通のピッチャーとしては完投ペースだが、直史としてはやや多い。

 

 初回を除いて得点が動いていない。

 和田はどうにか出塁したいのだが、直史は彼を警戒しているからこそ、よりしっかりと抑えている。

 するといつの間にか、直史に対する苦手意識が出来てくるのだ。

 本当ならもっと打てるはず。

 しかし一度形成された苦手意識は、そう簡単に消えてしまうものではない。

 そういった心理さえ、直史は考えている。

 スローカーブを上手く、二球目に打たせてアウト。

 これでまたもランナーのいない状況で、大介と勝負することが出来る。




 ホームラン以外なら許容範囲。

 だが第一打席を封じたので、ソロホームランでも許容範囲、となってくる。

 序盤に苦労をしておくと、後がどんどん楽になる。

 不思議な話だが、直史の場合はこうなのである。

 普通ならどんどん、スタミナが削られていくのだが。


 ゲームや競技でも、最初のスタートダッシュが大きいものはいくつもある。

 野球にしても序盤でリードしていないなら、ホームランも打たれたら困るだろう。

 レックスの得点力が上がったのは、当たり前のようにピッチャーが楽を出来るようになっている。

 もっともまだ得点力は、ライガースとタイタンズが上なのだが。

 一番からから六番まで、それなりに長打が打てる打線。

 これによってレックスは、爆発力よりも平均を上げた。

 さらに小此木によって、爆発力も少し上がっている。


 ここで大介を抑えれば、追加点が入るような気がする。

 だがそういった余念を、全て打ち消してしまう。

 欲を消して、最低限の役割を果たすように、大介に対するのだ。

 大介も大介で、直史の気配を探っている。

 この打席もホームランは打てない、とほとんど予知めいて分かってくる。

 しかしアウトコースのボールを、上手く流し打ちすることには成功した。

 レフト前のヒットで、直史のパーフェクトは途切れたのである。


 早めに直史のパーフェクトが、途切れることは悪くない。

 ライガースの打線は少し、プレッシャーから解放される。

 しかしそれ以上に、レックスの守備がプレッシャーから解放される。

 必要以上の集中力を、守備に発揮していた。

 それをバッティングに回せるのだから、悪いはずもないだろう。


 大介は二塁にまで進んだが、そこでスリーアウト。

 点に届く気配が、ほとんどないと言ってもいいだろう。

 迫水もこれによって、リードへの精神的な負担が軽くなる。

 客を喜ばせるつもりがないのなら、パーフェクトなどは目指さなくてもいいのだ。

 もちろんそれを、メディアの前で言うことは出来ないであろうが。


 そして予想通り、五回の表にはレックスに追加点が入った。

 これで四点差となり、満塁ホームランでも追いつかれるところまでとなる。

 直史も迫水に、経験を積ませることを第一と考える。

 引き続きリードを任せるが、完璧なリードというのは必要ない。

 そもそもリードは、一般化されている配球と違い、状況に応じて変わるものなのだ。

 結果論で評価されるのは、いつも同じことである。

 単打ぐらいは出ても構わない。

 そう考えてゴロを打たせることを優先すれば、長打が出る確率は低くなる。


 自分のサイン通りに、間違いなくボールが投げられる。

 まるで自在にドローンを飛ばしているような、そんな感覚にもなるだろう。

 上手く打たせて、球数を減らす必要もある。

 直史としてはヒットを打たれるよりも、早い球数で決着がついた方がありがたい。

 実際にまた一本、ヒットは打たれてしまったのだ。




 5-0とさらにスコアは変化している。

 試合の行方がほぼ決まれば、選手は自分の成績にこだわり始める。

 少しでも打撃成績をよくすることは、来年の年俸につながっていく。

 もちろん守備の方も、手を抜くというわけではないのだが。

 ただ守備は少し、気負いがないように気を抜いた方が、むしろミスは減るものだ。

 プロ野球選手などは全ての動作が、もう自動化されている。

 ここに変なエラーなどの経験が加わると、イップスなどになってしまうことがあるのだが。


 大介との第三打席は、ツーアウトから迎えることになる。

 直史としてはそれなりに、望ましい状況だ。

 首位打者争いをしている司朗のために、ここは伯父さんが援護をしてやろうか。

 そういう直史の思考を、大介は理解していない。

 なので普段の直史を、想定してこの打席に入ってしまった。


 普段よりもずっと攻撃的と言える、あっさりとした配球。

 だがそれで大介は、打ち取られてしまったのだ。

 伸びるわけでもない、平凡な外野フライ。

 ただ深く守っていたセンターは、それなりに急いで前に出てくる必要があったが。

 心理的に直史が、軽く投げてきたのには気付いた。

 普段とは違うということは、大介の読みを狂わせることだ。

 これでもバッティングとしては、一本のヒットを打っている。

 なので最低限の仕事はしているのだ。


 九回には四打席目が回ってくる。

 そこでまた打てたなら、今日の試合は四打数二安打。

 つまり打率は上がることになる。

 もっとも大介の出塁率は、五割をずっと上回っている。

 つまり出塁率は下がっていくわけだ。


 今日の仕事はほぼ終わりかな、と考えている直史。

 迫水のサイン通りに投げても、せいぜい一失点ぐらいで終わるだろう。

 球数を抑えることを、第一に考えている。

 試合の勝利が見えてきたなら、あとは安全に直史を投げさせることが重要となる。

 変な故障などをしないように、勝てる試合をしっかりと終わらせる。

 事故を考えれば終盤には、リリーフを使ってもいいぐらいだ。


 ピッチャーの球数は、100球を目途に運用している。

 だが最近のMLBなどは、投球間隔が短いのもあるが、90球を目途にしているチームも少なくない。

 このあたりピッチャーの運用というのは、首脳陣にとっても一番悩ましいものである。

 ここを安定させなければ、勝率も安定しないのだ。


 レックスはタイタンズまでが勝率を上げてきたので、その対処も必要になっている。

 バッティングは水物なので、あるいは簡単に打ち取ることも出来るかもしれないのだが。

 逆に変に噛み合って、大量点を取られる可能性もある。

 守備の強いレックスは、安定して勝てるチームではある。

 だが短期決戦であれば、戦力の偏りにより敗北する可能性はあるのだ。


 クライマックスシリーズで対戦するなら、カップスのほうが計算出来る。

 向こうもどちらかというと、守備的なチームであるからだ。

 だが今年の調子を見ていると、レックスが首位を独走するというのも難しい。

 この数年はずっとそうだが、ペナントレースの結果が最後の数試合まで決まらない、ということになってきそうであるからだ。




 レックスはさらに追加点を取り、6-0となっていた。

 もう完全に試合自体は、レックスの勝利となっているだろう。

 味方にまで野次を飛ばすライガースファンであるが、相手が直史だとその勢いも弱い。

 負けて当然、と言えるようなピッチャーなど、時代の中に一人ぐらいはいるだろう。

 しかし本当に全く負けないピッチャーなど、過去を見ても例はない。


 勝率がそれぐらいに高いピッチャーだと、上杉や武史に、あとは真田もそうである。

 この中で真田だけは、タイトルを一つも取っていない。

 タイトルを取っていない選手の中で、最も偉大なピッチャー、などと言われるだけのことはある。

 せめてリーグが違ったなら、一つや二つどころではない、タイトルも取れたであろうに。

 FAで移籍するという手段も、真田は取らなかった。

 もちろんライガースが、懸命に引きとめたというのはあるが。


 高校時代に信州から出てきて、ずっと近畿の中でも大阪と兵庫にいるのだ。

 もうこちらがホームになってしまった、というのもある。

 事実息子たちは、兵庫代表で甲子園に出場している。

 次男坊としては、故郷を出るのに躊躇もなかった。


 シニアの頃までは世界一にもなったし、NPBでも栄光を手にした。

 だが明らかに個人としては、同時代に強いピッチャーが多すぎたのだ。

 メジャー挑戦にしても、当時のメジャーで使っていたボールと、真田の能力が合わなかった。

 体格的にもどうかと思われていたが、結局は実働14年で引退したのだから、耐久力にも問題があったとは言えるだろう。

 それで200勝して名球会に入ったのだから、充分に成功した人生ではあるのだろうが。


 直史は大介との、四打席目にも勝利した。

 これはもう偶然と言うかなんと言うか、普通に勝負して大介がミスショットしただけである。

 打たれたくないというボールではなく、打たれるかもしれないな、というボールを直史の持つパターンの中で作り出す。

 それを大介が対応し切れなかった、というただそれだけの話である。


 甲子園の勝負であったが、直史は最後まで投げきった。

 ヒット三本の96球でマダックスと、立派な数字を残している。

 だが今年の直史は、やはりまだノーヒットピッチングが出来ていない。

 試合にさえ勝っているのなら、そんなものは必要ないのだが。


 ライガースを相手に完封勝利。

 これだけでも充分に、レックスとしては弾みがつく勝ち方だ。

 直史としてもマスコミに囲まれるが、今日の試合は流れ自体が有利であった。

 味方が先制してくれたことで、こちらは相手の心理的死角を突くことが出来る。

 ピッチャーというのは心理戦に長けた者である。

 もっとも直情的で、フィジカル優先のピッチャーは、リードしてくれる者が必要となるのだが。




 二位のライガースと、三位のタイタンズが逆転した。

 直接対決であっさりとまた変わるだろうが、とにかくタイタンズが二位になったのだ。

 もっともペナントレースは、一位になるとかなり有利だが、二位と三位の差はさほどでもない。

 次はライガースとタイタンズの三連戦。

 ここでまた順位が入れ替わるかな、と考えるのは不思議ではない。


 レックスは一応首位を走っている。

 さほどの差はついていないが、それでもこの時点では有利だ。

 ライガースとタイタンズは、潰し合いを期待しよう。

 もちろんだからといって、レックスを相手に手を抜いてくれるはずもないのだが。


 甲子園でのタイタンズ相手の試合、ライガースは大きく盛り上がるだろう。

 ここで直史に完封されていても、そのダメージはさほどのものでもない。

 大介以外にも、ちゃんとヒットを打っているのだ。

 もちろん直史も次の試合に、響かない程度に投げてはいたのだが。


 次の試合はスターズが相手となる。

 神宮での三連戦で、まだ武史は出てこない。

 ここで二位との差を、少しでも広げておきたい。

 ただレックスはレックスで、まだピッチャーには不安が残っているのだが。


 三島が抜けたことは仕方がないことだ。

 次を考えて、二軍でもずっと鍛えていたピッチャーはいたのだから。

 ただ平良が抜けたことは、さすがにどうにも出来ていない。

 大平をクローザーにしているが、平良ほどの安定感はない。

 もっとも爆発力ならば、むしろ平良よりも上なのかもしれないが。


 大平はおそらく、メジャーでも普通に通用する潜在能力を持っている。

 平良がそうではないとは言わないが、大平の方が出力や耐久度が高いのだ。

 それだけトレーニングも出来るのだが、あまり投げさせすぎるわけにもいかない。

 またオフの間にでも、自分で鍛えればいいことだろう。

 ただ大平に関しては、メンタルというか思考の方を、もっと鍛えた方がいいと思う。

 高校時代もあまり、大きな試合には出ていないのだ。

 160km/hオーバーを軽々投げるのに、使われなかった原因。

 ノーコンはかなり、改善されてきているのだが。


 あまりコントロールをよくしすぎるより、ある程度は散っていた方がいい。

 だがここぞという時には、狙ったところに投げられる力が必要だ。

 特に大平は、高めのストレートがしっかり投げられた時、強烈なスピンがかかる。

 安定して投げられるわけではないが、それがむしろ脅威になることもあるのだ。

 スターズ戦は彼も、必ず出番が来るだろう。

 平良の復帰までは、他の中継ぎのリリーフが、より必要となってくる。

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