第421話 勝利の基準
おおよそのスポーツにおいては、30代の前半から半ばが、フィジカルと技術と経験が、最高潮となってくる。
そう考えると20代の前半が全盛期のeスポーツなどは、スポーツの中でも過酷なのかもしれない。
メンタルが左右するスポーツとなると、ゴルフやビリヤードやダーツ。
集中力が必ず必要になるものなのだ。
そう考えた場合、バッティングとピッチングは、技術として大きな違いがあるものだと分かるだろう。
ピッチングは完全に主体的に、どう投げるかを決めることが出来る。
それに対してバッティングは、投げられた球に反応しなければいけない。
動体視力と反射神経。
もちろんフィールディングを考えれば、ピッチャーにも必要なものだ。
しかし多少はフィールディングが下手でも、ピッチャーは投げるのが最優先事項。
つまりバッティングよりは、技術や思考やメンタルが重要となってくる。
肉体の衰えを、そういったものがカバーしてくれる。
だから投手と野手を比べたら、投手の方にやや高年齢までやっていた選手が多い。
もっともそれも誤差のようなもので、この年齢までこの数字を残していることが、何より異常なことなのだ。
大介の場合はOPSが、シーズンで1.4を切ったことがない。
バッティングの能力が、あまりにも隔絶していたことを示している。
対戦機会が多かったから、というのもあるが直史から、ホームランを一番多く打っているバッターである。
もっとも大介から、一番多く凡退を奪っているのも直史だ。
ここ二年ほどで野球に興味を持った人は、二人を永遠のライバルとでも思うかもしれない。
だが直史は基本的に、チームの勝利至上主義者だ。
特に大介に打たれて、負けた機会がある。
なのでチームの勝利を確保して、大介と対戦することが多い。
昨年の直史は、完全に戦略的なピッチングをしていた。
それでも大介からは、ホームランを打たれたのだ。
その大介から、衰えの自覚を告白された。
本当かな、と思っていたりはする。
盤外戦のように、直史を油断させる手段ではないか。
大介はそういうタイプではない、と考えることも一つの油断に通じる。
本当の大介ならば、例え衰えを感じたとしても、それを弱音のように口にはしないと思えるからだ。
卑怯な手段などではない。
むしろそれぐらいのことを、他の選手はいくらでもやってくる。
直史が比較的、他の選手に対して冷たいのは、防衛のためでもあるのだ。
そもそもプレッシャーなどというのは、直史は存在自体がプレッシャーである。
他の選手に色々と言われても、面倒なだけである。
そしてその面倒を排除するため、交流を限定的なものにしている。
そもそも野球選手が本業ではないのだ。
それに最低限、味方のピッチャーにはアドバイスもしている。
ただ直史と同じことをすれば、99%のピッチャーが故障するであろう。
だから教えるのは、困っている部分を直すのみ。
特に壊れそうなことをしていると、それを止めているのだ。
そんな直史は今日も、壊れないように念入りなキャッチボールから入る。
投球練習では試合の中では、ほとんどスローボールで調整する。
もっとも今日は舞台が甲子園なので、まずは味方の攻撃である。
ライガースもローテの中では、一番協力であろう友永の先発。
だが豊田などはこれを見て、無駄なことではないかと思う。
確率ではなく事実として、直史に今年のレックス打線が加われば、レギュラーシーズンで負けることはまずない。
もちろんこの世に完璧なものはない。
直史にしても完全に、全ての試合に勝ったわけではない。
だが野球というスポーツの歴史の中で、最も完璧に近いものは、直史のピッチングと言ってもいいだろう。
パーフェクトを複数回達成したというピッチャー自体が、片手で数えるほどしかいないのだ。
それを毎年達成しているというのが、他のピッチャーと隔絶した部分である。
選手の価値は個人のパフォーマンスだけではない、という人間もいる。
しかしこの記録を無視することは、誰にも出来ないのは間違いない。
大介は今日も二番バッターなので、必ず初回から対決がある。
そのためにまず、先攻のレックスとしては、先制点を取っていてほしい。
左右田が出塁し、小此木が返す、というパターンがかなり多いレックス。
だが小此木は出塁率も高いため、よりビッグイニングのチャンスを作れる可能性も高まる。
外国人二名と近本で、長打を狙っていける。
加えて六番の迫水まで、油断できないバッターが続くのだ。
今は緒方が七番にいて、チャンスの時だけはしっかりと打ってくる。
まさに去年よりも、打撃力は上がっているのだ。
メジャー帰りの小此木のケースバッティングは、本当に臨機応変のものだ。
おそらくこのまま今シーズン、20~30本ほどのホームランを打つだろう。
打率と出塁率も高く、決定打という点ではクリーンナップに負けるが、平均点では上回る。
この試合もまず二人が、球数を投げさせて出塁という最上の結果を出した。
ここからトリプルプレイなどは、プロの世界ではまずありえない。
だがダブルプレイ程度は、しっかりと注意していかなければいけない。
最低限の仕事は、進塁打を打つことである。
右方向の内野ゴロ以外には、ライトの深いところへの外野フライ。
左右田の足ならばそれで、三塁まではタッチアップで進める。
ライガースのライトを守るアーヴィンは、比較的肩は強い。
だがレーザービームでランナーを刺すほどではないので、ここからはある程度計算が立つ。
フォアボールの出塁が二度続いた友永に対して、クラウンはどう打っていくか。
一点でいいのか、それとも大量点を狙うのか、それによって指示は変わる。
もっとも直史が投げるなら、ほとんどは一点で充分。
しかし相手がライガースなら、もう少し余裕がほしい。
このあたりの判断力が、監督には必要なのだ。
また送りバントはこの場合、あまり適切とは言えない。
一点をとるならば、次でダブルプレイにならない、送りバントも有効ではある。
しかし二点以上はほしいな、とベンチでは判断する。
そう都合よく、ヒットが続くはずもない。
三割打てれば、バッターは一流であるのだから。
だがライガースの場合、守備の粗いところがある。
それ以上の攻撃力で得点する、というのが一般的なものであるのだ。
バッティングの偏りに、頼るのは本来ならあまりよくない。
レックスは確かに打撃力と得点力を増したが、それでもピッチャーの育成を急いでいる。
ただこの三連戦、一試合が雨で中止になり、直史を三戦目に回せたのは、幸いであったと言える。
木津もいいピッチングをしたのだが、それでも平均的に負けた。
ライガースとレックスの、得点の爆発力の差である。
こういったこともここまでの試合を考えれば、ありうることだとは分かっていたのだ。
もっとも得点は偏るもので、失点も同時に偏るもの。
それを問答無用で封じてしまえる、ピッチャーこそが一番恐ろしいのだ。
三番クラウンの打球は、意外なものであった。
打ち損ないの内野ゴロは、むしろバントよりもランナーを送りやすいというもの。
これでワンナウト二三塁となり、バッターは四番の近本。
長打が出れば一打で三点が入るが、初回から満塁策は考えられない。
そうライガースは考えていたのかもしれないが、勝負の選択は完全に、裏目に出てしまった。
チーム内ホームランのトップを走る近本は、これで一気に打点も3増える。
レックスが直史を先発に置いて、初回から三点をリードすること。
これはもうほとんど、試合は決まったようなものである。
だが自分の成績の数字を、少しでも良化させようという友永は、ここで集中力を切らしたりはしない。
ランナーがいなくなったことによって、むしろ切り替えることが出来る。
立ち上がりの三失点で、どうにかレックスを抑えたのであった。
三点差は安全圏だ。
直史がどう否定しようとも、誰もがそう考える。
満塁ホームランを打たれない限りは、一発逆転などはない。
そして直史は大介相手に満塁であれば、申告敬遠を使うつもりである。
一点を渡してでも、大介とは勝負しない。
もちろんそれが、試合の決まってしまう一点なら、話は別だが。
まずはこの一回の裏、早速やってくる大介との対決。
その前にしっかりと、和田を抑えておかなければいけない。
和田との対決の中でも、一番重要なのがこの、一回の対戦である。
もしもランナーを出してしまえば、一発で二点が入る状況で、大介と対決することになるのだ。
ホームランでなくても、長打で一点は入るという状況。
大介はそれなりに、直史からヒットを奪うのだから。
もしもホームランが出てしまえば、一気に一点差となってしまう。
せっかくの初回の三点が、詰められてしまうわけだ。
そうなると試合の流れとしては、ホームのライガースに有利となる。
そこまでも考えて、和田をしっかりと打ち取る。
ボール球を使っていけば、普段よりもピッチングの幅が広がる。
それによってまず、内野ゴロでワンナウトを奪う。
カウントによって選択肢が増えれば、それだけバッターは狙い球を絞れない。
いつものように簡単に打ち取ったように思えるかもしれないが、和田は直史のメンタルのスタミナを削っている。
直史は肉体的には、球数も少ないためスタミナは問題ない。
だが思考の方にこそ、カロリーを使っているのだ。
そのため攻撃している間には、ベンチで糖分を補給する。
脳に糖分を回して、また思考して行くのだ。
それはピッチングと言うよりは、多少の運動を含む将棋の読みに近い。
ピッチャーとバッターの対決は、複雑な読み合いが存在する。
あるいは何も考えず、絞り球にだけ反応していくか。
読みも反応も、両方を使えるのが、アベレージを残せるバッターである。
大介も基本的には、読みを使って勝負する。
だが直史に対しては、反射だけで対抗することが多い。
思考だけでは不充分なのだ。
相手の反応を見て、そこから分析して行く必要がある。
それこそ将棋などの勝負にしても、ただ駒を運ぶだけではなく、その時の手の動きなどに、感情が表れるはずだ。
野球の勝負などは、それこそピッチャーもバッターも、お互いの表情を見る。
もっとも直史は自分の表情はおろか、気配さえも消して球種を読ませないようにする。
正面対決、というのはパワーピッチャーにのみ許されたものなのだ。
その理屈でいくと木津などは、球速はないがパワーピッチャーであるが。
直史はまず前座を終わらせて、本番に取り掛かる。
前座と言うには、面倒な相手ではあったのだが。
大介が素振りをして、バッターボックスに入ってくる。
和田に対して野次を飛ばしていたファンが、大声援を送る。
その中には直史に対する、懇願にも近い野次も混じっていた。
負けないことが直史のピッチャーとしての、最大の価値である。
常勝と言うには、途中で交代してしまったために、負け星がチームに付いたことがあるので、言葉の上では正しくない。
不敗と言うのが、直史の伝説である。
もっとも本人は、しっかりと敗北の記憶を、ずっと脳裏に思い出すのだが。
大介に打たれて、ワールドシリーズに破れたことがある。
それを除けば直史は、決戦とも言える試合に負けたことがない。
自責点でないものも含めるなら、高校一年の夏を含めてもいいのだろうが。
基本的に人間は、勝てば勝つほど強くなる。
そして戦う相手も、どんどん強くなっていく。
しかしその強さには、そして成長にも、限界がやってくる。
力だけならば、その限界は早々にやってくる。
人間の限界がないのは、その思考から発生する想像力である。
直史はその想像力から、半速球をど真ん中に、投げたりもしていた。
球種や球速、コースなどの組み合わせは、それこそ無数に存在する。
ピッチャーの強さには、二つのタイプが存在すると、直史は思っている。
一つは本格派と言われるような、ストレートを主体で球種一つを磨いたような、単純なピッチャー。
選択肢が少ないからこそ、それを使って勝負する。
分かっていても打てない球、というのはそれによって成立する。
もう一つは直史のように、なんでも出来るピッチャーだ。
もっともなんでもと言っても、球速には限界がある。
150km/hが限界であっても、自由自在にボールを投げる。
これで多くのバッターを翻弄するのは、素人目にも理解出来るであろう。
直史は状況に応じて、いくらでも選択が選べる。
ただ一つしか武器を持っていなければ、それを信じて投げるというのも、立派な戦い方だろう。
直史には絶対に出来ないことである。
大介はここで、何を狙ってくるのか。
二人はランナーが出ないと、大介には四打席目が回ってこない。
ならばヒット又は出塁が、最低限必要となってくる。
しかし大介が打たなければ、点が入らないというのも確かであろう。
直史から他のバッターが、連打というのは考えにくい。
盗塁もあまり成功しないし、フォアボールのランナーも出さない。
一発狙いの方が得点を取るためには、確率が高いのだ。
今年は既に、ヒットが上手く組み合わさって、一点を取られている。
だがそれが年に一回か二回という、その程度であるのが直史なのだ。
去年も大介のホームランがなければ、シーズン無失点という記録を作るところであった。
他にも自責点が本塁打だけ、というシーズンが何度かあるのだ。
その直史と、大介の対決。
騒々しい甲子園の大応援団が、緊張感でおとなしくなりかけている。
直史としてもここは、集中する場面である。
もっとも応援の騒音などは、野球においてピッチャーのメンタルを乱すようなものではない。
(さて)
第一打席から、直史はメンタルのスタミナを使っていく。
大介を封じるために、直史が考えていること。
まずファーストストライクを取るのが、一番難しいと言っていいだろう。
下手なボール球であっても、長打にしてしまう大介。
それでもまず初球でストライクカウントを得られれば、一気にピッチャー有利になる。
だがバッターの打率も、この初球にストライクを取りに来た時は、かなり高いものなのだ。
もちろんスリーノーでストライクしか投げられなくなれば、バッターにはさらに有利になるのだが。
大介の厄介なところは、フルカウントになった時に、打率が上がることである。
またツーナッシングなどでも、むしろ追い込まれて集中したりする。
打てる範囲の広いバッターから、どうやってアウトを奪うのか。
いっそのこと単打まではセーフとするか、あるいはホームラン以外はセーフとするか、そのあたりの判断もしなければいけない。
既に三点の差があるので、主導権は完全にこちら側にある。
大介はバッティングにこだわりを見せるが、この状況ではどう考えるか。
ここから先の試合の展開も考える。
おそらくまだレックスは、追加点を取るだろう。
ならば試合自体は、おそらくレックスの勝利になる。
負け試合において大介は、好き放題にするだろう。
つまり直史との勝負だけに集中する。
一発を狙ってくるだろう。
甲子園の大観衆も、たとえチームが負けたとしても、大介のホームランさえ見られればそれなりに満足だ。
チーム全体としても、直史から点を取ったということで、士気が落ちることはない。
もちろん他のバッターが、打てなければ同じことであろうが。
ならばここは、ホームラン以外なら勝利、と基準を定めるべきだ。
マウンドの上から、大介の気配を探る。
隠しているつもりかもしれないが、気配に殺気が混じっている。
この威圧感によって、並のピッチャーはすぐに失投してしまう。
もちろん直史は、強靭なメンタルと慣れによって、そんなことはなくなっているが。
大介のこの気迫は、あくまでも全力を出すためのもの。
それを殺気にまで感じてしまうのは、それだけこの戦いを楽しみすぎているからだ。
だから直史は、それに対して正面から勝負はしない。
あっさりと歩かせてしまってもいいのだが、それもまた大介の戦意を高めるだけになるだろう。
(ここではゴロを打たせるのが、一番いいだろうな)
ゴロはどれだけ飛んでも、ホームランにはならない。
ただ大介ならばゴロを打たせるボールを、救い上げてしまうかもしれない。
ある程度のリスクは、必ず存在する。
リスクなしでリターンを取るというのは、あまりにも都合のいい話であるのだ。
ここで低リスクのボールは、高めに外れるストレート。
高めに浮くストレートは打たれるが、最初からしっかりと投げ込んでおけば、それは差し込むボールになる。
そう考えて、組み立ての中で投げた。
大介はこのボールも、しっかりとスイングしてくる。
高く上がったボールは、甲子園の広い右中間へ。
守備範囲の広い、最初から深く守っていたセンターが、ぎりぎりでキャッチしたのであった。
(まあ、これがぎりぎりか)
直史としては、一応凡退と安心するわけにはいかない。
あと少しでスタンド入りだ、という期待をライガースは持ったであろうから。
(追加点をどんどんと取っていってほしいな)
そうは思うがレックスの野手は、守備の方に神経を回してしまうのが、去年までのレックスであったのだ。
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