第415話 若いうちに苦労を与える

 地方大会にしても随分と、遠い場所でやるものだ。

 鹿児島などはまさに南の端である。

 だがこういう場所でやってこそ、ファンへの還元となるのかもしれない。

 それでも二万人は入る野球場がある。

 日本はやはり、野球が地域に密着した、野球大国であるのだ。


 二連戦のうち、第一戦は木津が先発である。

 果たして木津が、タイタンズを抑えられるか。

 今季はタイタンズと、初めての対戦となる木津。

 そのピッチングの特徴は、強打のチームを思ったより抑えるが、貧打のチームに思ったより取られる、というおかしなものだ。

 つまり一般的な打撃力は、あまり関係ないとも言えよう。

 タイタンズも木津との対戦データが、そろそろ揃ってきた頃だ。

 それだけにあるいは、攻略も出来るかもしれない。


 だが今年のタイタンズは、司朗が攻撃の嚆矢となっている。

 それを上手く抑えられたなら、案外脆くなってくれるか。

 ただタイタンズは、四番の悟も侮れない存在なのだ。

 今年で40歳になるが、今のところまだ打率が三割を維持している。

 これで長打を打っているのだから、驚異的な存在であるのは間違いない。

 幸いと言うべきか、ホームランの数は減っているが。


 去年の故障離脱から、おそらくわずかにパワーが落ちているのだ。

 膝の半月板の損傷で、わずかに踏ん張るのが難しくなったのだろう。

 年齢的にももう、衰えてきてもおかしくはない。

 彼が引退した時に、果たして攻撃の主軸をどこに置くか。

 タイタンズとしてはそれが、今後数年の戦力構想となってくる。




 このカードは一応、レックス側のホームのカードとなっている。

 なので先攻は、タイタンズであるのだ。

 一回の表、先頭打者は司朗。

 ここまでほぼ四割を打っている司朗にとって、木津のようなタイプは苦手なのだ。


 タイプとしては軟投型に近いのか。

 ストレートを主体としているのに、それがなかなか打てない。

 確かに遅いボールだが、なぜか思ったよりは速く感じる。

 それはボールのホップ成分が高く、速度に比して落ちないからだ。


 このストレートではなく、変化球を狙っていく。

 それが司朗の判断であった。

 ストレートはともかく、球筋をしっかりと見極める。

 一球だけは振ってもいいかもしれないが、司朗のミート力だと当たってしまうかもしれない。

 そして内野フライというのが、最悪の結果である。


 130km/hのストレートが、最初から投げられた。

(本当に130しか出てないのか?)

 140km/hはおろか、145km/hぐらいは出ているように感じられる。

 しかし球速表示は、間違いなく130km/hなのだ。

(この頭の中の、処理のバグが打てない理由か)

 打てないわけではなく、案外打てない、というのが正確なところだが。


 ボールの軌道に合わせて振ったら、体が泳いでしまう。

 ボールの速度に合わせて振ったら、空振りをしてしまう。

 なんとも不思議な、魔法のようなボールである。

(昔もこういう、火の玉ストレートってのはあったはずだなあ)

 それでも球速は、そこまで遅くはなかったのだが。


 カーブも投げてくるが、緩急をつけるためのボール球。

 追い込まれてからは、ストレートも打っていくしかない。

 投げてくると分かっているし、ちゃんと見えてもいる。

 だが当たった感触は、鈍いものである。


 打球はフライになるだろうな、と思っていた。

 だからあえて、ボール一つは上を振っていた。

 この一つ分というのも、タイミングが狂っている。

 内野ゴロに終わって、司朗は初回の出塁を逃してしまう。

(厄介だな)

 司朗はピッチャーの気配から、投げてくるボールをおおよそ察している。

 しかし分かっていても打てないボールというのは、それなりにあるものなのだ。




 新人の一番打者が打てば、後続の先輩も打たざるをえない。

 だが凡退してくれると、出塁率が低くなる。

 木津は相変わらず、ゾーン内に散らしたストレートで相手を打ち取る。

 それは相手が司朗でも、同じことであるのだ。


 自分がバッターであったなら、木津をどう攻略するだろう。

 直史は以前からも、それを考えてはいたのだ。

 そして結論は、それなりに簡単に出る。

 攻略というのは何も、点を取るだけが条件ではない。

 マウンドから引き摺り下ろしてしまえば、それでも充分に攻略なのだ。


 だがその攻略は、直史が完全に合理的な、ピッチャーであるからこそ出来るものだ。

 プロの世界において、130km/hしか出ないピッチャー相手に、カット戦法は使えない。

 少なくともレギュラーシーズンの、普通の試合では使えないのだ。

 これがポストシーズンだと、なりふり構わずやってみてもいいのだが。

 直史はあくまでも、理性的に他の数人には言った。

 そして返ってきた答えが「プロらしくない」というものである。


 プロの仕事というのは、勝つだけではないのだ。

 いや、なんなら勝たなくてもいい、とさえ言える。

 ファンを逃がさないことこそが、プロにとっては一番重要なことである。

 つまり金を稼ぐことなのだ。


 直史はもう、投げるだけで商品価値があるので、この当たり前のことを忘れそうになる。

 それに大介はともかく、他のバッターを敬遠することもまずない。

 力というか、技量で抑えてしまう自信が、充分にあるからだ。

 そして打たれても問題ない時は、大介に打たれている。


 ピッチャーは主導権を握っている。

 勝負をするかしないか、その主導権はピッチャーにあるのだ。

 大介は今年、去年よりもさらに盗塁の割合が減っている。

 ランナーとして出しても、脅威度は下がっているのだ。

 それなのに他の数字がなかなか下がらないのは、やはり過去の実績があるからでもある。

 不用意に勝負すれば、ゾーン内ならあっさりとスタンドに運んでしまったりする。


 まずは一回の表、レックスはタイタンズを三者凡退で抑えた。

 次は当然ながら、レックスの攻撃である。

(さて)

 西片はまず、ここで先制しておきたい。

 タイタンズの先発は、ほどほどのピッチャーである堀田だ。

 ローテをしっかりと回しているが、エースクラスとまではとても言えない。

 またタイタンズは、リリーフでも崩れるのだ。


 想定した数字をデータだけで分析すれば、この試合の勝率は60%ほどとなる。

 だが先制点を向こうに取られれば、一気に勝率は50%以下に下がる。

 統計とシミュレーションによると、それぐらい野球というのは偶然性が積み重なる。

 その上で一番大事なのは、選手たちの士気である。

 攻撃も守備も、ある程度は偶然性に左右される。

 しかしその中で士気を保つのが、ベンチの首脳陣の仕事である。




 センターを守るのは好きな司朗である。

 キャッチャーはまだ後ろに審判がいる。

 だがセンターの後ろには誰もおらず、全てのプレイヤーが見える。

(レックスは強いな)

 ローテから三島が抜け、リリーフから平良が抜けていても、まだリーグのトップに立っている。

 もっともその差はわずかで、去年に比べればライガースとの差は、ずっと小さなものだ。


 シーズンの序盤でリードして、あとはずっと逃げ切る。

 それがレックスの勝ちパターンなのだろうが、今年はライガースが食らい付いている。

 三連戦で三敗したことが、レックスにとっては珍しいことだ。

 野球という偶然性の高いスポーツで、レックスは確率的にとても強いことをしている。

 カードの全てに勝ち越していけば、自然と優勝出来る。

 もちろんごく稀に、それでも足りない時はあるのだが。


 レックスはちゃんとランナーを出してくるが、外野に打たれれば司朗の出番である。

 NPBの他のセンターに比べても、おおよそ守備範囲が5m以上は広い。

 これだけでフライをキャッチ出来る可能性は上がるのだが、それに加えて強肩ということもある。

 球速でも150km/hを投げることは出来るのだが、それ以外にもストライク送球が重要である。

 このあたりはピッチャーとは、ちょっと必要とされるコントロールが違う。


 タッチアップを仕掛けてくる相手を、しっかりとサードやホームでアウトにする。

 そうやって失点を防ぐあたりは、司朗の好きな守備である。

 だがさすがにホームランを打たれてしまうと、これはジャンプしても追いつかない。

 ホームランという得点の取り方が、他のものよりも優れているのは、守備を無視できるからだ。


 この試合は双方の得点の、多くがホームランによるものとなった。

 そして司朗の場合、木津を打つことが難しい。

 高校時代もおかしな軟投派ピッチャーに、苦戦するということはあったのだ。

 だが木津のようなタイプは、ちょっとこれまでも見たことがない。

 一応は事前に、どういう理屈で打ちにくいのか、分かってはいたのである。

 しかし木津のピッチング、特にストレートに自分の感覚を合わせていくと、逆に他のピッチャーを打てなくなりそうだ。


 どれだけ素早くそういった、差異を修正して行くのか。

 プロの世界では先発をKOしても、平気でそれに匹敵するピッチャーが出てくる。

 高校時代は甲子園でも、六割ほどは打てていた司朗。

 だが四割にも届かないのは、さすがにボールのレベルが違うからだ。

 分かっていても打てないというのは、実際に目にしてみなければ、アジャストが出来ないということである。


 木津との対決は三打席あったが、結局は残りもフライを打って無安打になる。

 リリーフピッチャーからはいい当たりを打ったが、それが野手の正面に飛ぶことも珍しくはない。

 四打席無安打、そして出塁することも出来ず。

 司朗がこんな調子であったので、タイタンズ全体もわずかに二得点。

 レックスもやや得点は低めであったが、それでも四点を取ったいた。

 4-2でこの、大事な一戦を落としてしまったのであった。




 鹿児島には比較的、タイタンズファンが多い。

 九州なら福岡とも思うかもしれないが、北と南で大きく離れているのだ。

 だからこの第一戦は、ぜひとも勝っておきたかった。

 なにしろ第二戦は、直史の先発する試合であるのだから。


 直史の投げる試合は、敵も味方もホームもアウェイも、極端に観客の雰囲気が変わる。

 何かとんでもないことが起こってしまいそうな、それを期待する重い空気になるのだ。

 それもこれまでの実績を考えてきたら、当然のことと言えよう。

 NPBでは平成の間など、一度しかパーフェクトゲームは達成されなかった。

 だが直史は一人で、NPBとMLBで毎年、複数回のパーフェクトを達成している。

 NPBの歴史において、パーフェクトを複数回達成したのは、他に上杉ぐらいだ。

 他の数字はともかく、直史のこのピッチングの完成度は、もはや悪魔的である。


 神のごときピッチング、とはなぜか誰も言わない。

 不思議なものであるが、おそらく先にプロに来ていた、上杉や大介が神と呼ばれていたからだろう。

 また対戦した打線陣が、まるで悪夢を見ているようだった、などと発言しているのも大きい。

 打てる気がしない、というのは多くのバッターに共通したものなのだ。

 もちろん実際はちゃんとヒットを打っている。

 だが歴代のシーズン防御率などを見れば、上位のほとんどを直史が占めている。

 奪三振数などは、上杉が圧倒的に多いが。


 昨日の試合で司朗は、打率が下がった。

 これまで0.390を上回っていたのが、ようやく切ってしまったのだ。

 一方で大介は、スターズとの試合で三打数一安打。

 これまた打率は下がって、二人はほぼ変わらない打率となっている。

 しかし今日の相手は直史なのだ。

 最初に試合で対戦した時は、どうにかヒット一本を打つことが出来た。

 そして得点にも結びついたのだが、二打席目以降は完全に封じられた。


 公式戦における、本気の直史のピッチングと対戦した。

 第一打席は司朗を測るような感じで、第二打席からが本気であった気がする。

 そう考えると今日の試合は、最初から油断などは期待できない。

 四打席目が回ってくることを、期待するしかないであろうか。


 直史は基本的に、フォアボールがないのだ。

 申告敬遠はたまに使うが、フォアボールで歩かせるということがない。

 ゾーンだけで勝負するわけではなく、ボール球を振らせることもある。

 だがとにかく、フォアボールの出塁はほとんどない。


 一回の表、今日もやはりタイタンズは、一番に司朗を置いている。

 司朗の今日の目標は、出塁である。

 直史がここまでフォアボールのランナーを出さないのを、なんとか解消してしまいたい。

 デッドボールは危険であるが、ヒット以外の出塁は何があるか。

 エラーか、あるいは打撃妨害といったところであろう。


 その中で司朗が現実的だと考えるのは、内野安打である。

 内野のエラーでもいいが、左方向に上手く打つのだ。

 レックスは内野も守備力が高く、さらには直史のフィールディングも優れている。

 そこから内野安打は難しいだろうが、普通に直史からヒットを打つよりは、まだしも打てるであろう。




 直史がタイタンズ相手に投げるのは、これが二度目となる。

 前回は色々と失敗したが、今日はやることが分かっている。

 出来れば完封がいいが、タイタンズのピッチャーのことを考えると、完投でも充分であろう。

 問題になるのはこの試合で全力を出しすぎて、次の試合に響いてしまうことだ。

 次は甲子園でのライガース戦。

 少しでも調子を落としていたら、敗北する可能性も充分にある。


 直史は自分だけが、負けていなければそれでいい、という考えではないのだ。

 チーム全体が最終的に、優勝することを考えている。

 実際のところは自分に、負け星がつくようなピッチングはしない。

 だがレックスがしっかりと儲けることを、重要視してピッチングしている。


 直史が出来るだけたくさん投げて、そしてペナントレースを制する。

 さらにチームが日本一になればそれがいい。

 野球は偶然性の高いスポーツなので、本当はそれは難しい。

 だが直史が投げているのに、優勝出来なかったチームというのは、これまでの10年間で二度しかない。

 MLB時代の一度と、NPB復帰の一年目だけだ。


 優勝請負人という言葉があるが、まさに直史はそういう存在なのだろう。

 シーズン中にトレードで出されて、そこから30セーブもしてしまったりもした。

 無失点の無安打という、頭のおかしな数字も残す。

 なんといってもそこに、0という数字しか並ばないのであるから。


 大介には負けたくないが、大介になら負けても仕方がないかな、とも思う。

 感情の問題ではなく、実力の問題であるのだ。

 他のピッチャーやバッターに、負けると思ったことはない。

 たとえば上杉などは、自分だけの正面対決なら負けないな、と思えた。

 上杉は勝敗よりも、試合による盛り上がりという、美学を重視していた人間なので。


 上杉は正しいピッチャーであった。

 圧倒的に誰からも、愛されるようなピッチャーであった。

 だからこそ神などとも言われたし、カリスマでチームを引っ張っていった。

 大介などは美学ではなく、ただひたすら楽しむために、野球をやっている。

 あるいはそこで負けてしまっても、次に戦う喜びに変えてしまうのが、大介という人間なのだ。


 そういう時代がずっと続いていた。

 だがそれももう、終わろうとしている。

 人間が誰しも死ぬように、選手にも引退がある。

 今回は上杉や大介の子供たちが、それと入れ替わりにプロの世界に入ってくる。

 しかしその中で、直史の子供がやってくることはない。

 ならば自分がやるべきは、最後の障害となってやることではないのか。

 時代の移り変わりとして、最後の関門になってやる。

 そしてまたプロ野球には、新しいスターが現れる。


 上杉が引退し、武史が連年離脱し、知っていた顔もどんどんといなくなる。

 さすがにもう、引導を渡される頃だと思うのだ。

 しかしだからといって、ただ優しく倒されるつもりいはない。

 最後まで険しい障害として、それに相応しい存在として、この子供たちの世代を圧倒してやろう。

 最後の最後で一点ぐらい取られて、そして体力の限界とでも称して、引退すればいいだろう。

 実際に直史は回復力が、もう落ちてきているのは感じているのだ。


 だが、この試合はまだ早い。

 司朗が変に調子に乗らないように、念入りにここでは潰しておく。

 そこから立ち上がることが出来たなら、ようやく負けてやる心の準備も出来るだろう。

 いつものような気の抜けた投球練習が終わる。

 先頭バッターとして、司朗がバッターボックスに入ってくる。

 この試合はまず、司朗を抑えて始めよう。

 そう考えて投げたのは、いきなりのスルーである。


 前日には木津のピッチングで、ややタイミングが狂っているはずだ。

 下手に打っていこうとすると、精密なバッティングをしているバッターこそ、調子を崩すのが木津なのである。

 逆におそらく、昇馬などのスラッガーとは相性が悪い。

 とりあえず司朗には、ここで凡退してもらう。

 スルーからカーブ、そして高めに外した釣り球のストレート。

 これによって珍しく、司朗は三球三振した。

 大介ほどではないが、圧倒的に少ない三振数。

 それを与えることが出来るのが、直史というピッチャーなのである。


 絶対に司朗には打たせない。

 それによってタイタンズの打線も勢いを落とす。

 他には悟がいるが、この二人を抑えれば、タイタンズは特に問題のないチームとなる。

 もちろんそれを気軽に言ってしまえるのは、直史ぐらいであろうが。

 上杉も去り、武史も離脱し、伝説のピッチャーたちは消えていく。

 その中で最後の門番として、得点を与えない存在でいてやる。

(上杉さんも息子と戦いたかったのかな?)

 自分の息子とは戦うことのない直史は、ふとそんなことも考えたのであった。

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