第407話 確実な勝利

 数字には出ない強さ、というものがある。

 実際に言うならば、数字以上に感じる強さ、であろうか。

 直史はパーフェクトやノーヒットノーラン、マダックスを達成している。

 これは結果から見た強さである。

 後から知らされて、凄かったのだな、と分かる系統のものだ。


 だがそのパーフェクトなどを、実際にやられている時はどういうものであるのか。

 試合の序盤であれば、全然ランナーが出なくて点も入らなくて、つまらない試合だと思えるだろう。

 しかしそれがずっと続くと、逆に恐ろしくなってくる。

 パーフェクトという存在自体は、多くの人間が知っている。

 だがその実現の可能性の低さも、分かっているはずなのだ。

 それでも直史が投げるというだけで、それを期待してしまう空気がある。


 直史本人としては、さすがに衰えを感じるところに、司朗がプロ入りしたのが皮肉だと感じる。

 神話における親殺しの政権移譲が、プロ野球界でも起こるのか。

 当の直史だけは、子供たちが野球をやっていない。

 直史としても真琴に、特に野球をやれなどとは言わなかった。


 直史は本来、寡黙な人間である。

 言論というものに責任を持っているのだ。

 だから子供たちへの助言も、適切に行っていこうと慎重になっていた。

 ただ野球の世界に女子が入るのは、今でも大変だったろうな、とは思うのだ。

 あれだけ背が伸びたのなら、テニスでもやっていれば良かっただろう。

 運動神経抜群であるところは、誰もが認めるところである。

 体格も170cmあれば、それなりに外国勢にも見劣りしない。


 もっともスポーツ競技などは、やりたいものをやらせるのがいい、と直史は考えていたのだ。

 自分の背中を見てきて、自然と野球をやり始めたのは、意外と言えば意外であったが。

 最後の最後まで投げて、誰かに負けるのではなく、老いに負けて引退する。

 普通のスーパースターは、そうやって時代と共に変わっていくのだ。

 一人の人間がいつまでも、栄光を独り占めしているのはおかしい。

 専制君主国家ではないのだから、時代は移り変わっていくべきなのだ。

 もっとも親もまたスーパースターなあたり、世襲制と言われても皮肉な事実だろう。


 直史としては自分に期待されているものを、また昇馬が期待されるようになる、とは思っていない。

 左右両投げではあるが、それでもパーフェクトなどを簡単に行うことは出来ない。

 むしろシーズンのことを考えれば、一試合はどちらか一方だけで投げた方がいい。

 肩肘だけではなく、ピッチングは全身に負荷がかかる。

 それでも中三日で投げられたら、直史以上の数字を残すことが出来る。


 パーフェクトだろうと、一点差の僅差であろうと、勝利は勝利なのだ。

 もちろんパーフェクトなどの記録による、打線の心を折ることは重要だが。

 昇馬ならばひょっとしたら、シーズン30勝に届くかもしれない。

 直史の最高記録が27勝で、これは21世紀以降の最多勝だ。

 二位タイは直史と上杉の26勝。

 これを抜くにはもう、投げる試合を増やすしかない。


 実際に直史は、MLBではさらに投げて勝利数を増やしている。

 シーズン34勝は、21世紀では最多記録となる。

 クローザーを務めたシーズンを除く4シーズンで、30勝以上を達成。

 これを塗り替えるのはもう、昇馬のような左右両投げしかありえない。


 ただこれをやったとしても、果たしてそこまで高い勝率が維持できるか。

 またスタミナがもつのかという問題も出てくる。

 長いシーズンの中で、30試合以上の先発。

 しかしMLBでその間隔で投げた直史は、投げるだけなら充分に投げられるな、と思っている。




 この試合の直史は、ストレートを多めに配球していた。

 分かっていても打てない、ホップ成分高めのストレートを、比較的決め球として使っているのだ。

 その前には落ちる球で、相手の目をその軌道に誘導する。

 そしてより前の位置で、ボールをリリースするのだ。

 すると低い場所で、しかもホームに近くから投げられたボールは、伸びるし速く感じる。


 三振を奪うことを、かなり積極的に考えている。

 だが四番の本多相手などには、変化球主体で抑える。

 フェニックスもそれなりに、新しい選手を入れてはいる。

 こういった新しい選手こそ、直史は打たれる可能性が高い。

 データが多ければ多いほど、打ち取る可能性が上がっていくのだ。


 ただでさえバッターは、初見のピッチャーは打ちにくい。

 普通なら球筋に慣れてくれば、打率なども上がっていく。

 しかし直史の場合は、球筋を知ったところで、全く意味がない。

 むしろバッターのデータを、直史が正確に把握していくのだ。


 ピッチャーの強さというのは、パワーと技術だけではない。

 読み合いの思考もあるが、思考から得た決断を、実行する精神力が必要になる。

 どんなピッチャーであっても、思った通りに投げられないことはある。

 それは打たれるというプレッシャーが、自分にかかってしまっている時だ。

 直史はそんな感情を、殺して投げている。

 結果として人間離れした成績を残しているが、肉体の能力は完全に人間のものだ。


 レックスが先制すると、もうフェニックスの打線陣は諦めが見えてくる。

 もちろん試合の勝敗と、自分の成績は別のもののはずだ。

 だが勝つための勝負でないと、なかなか人間は本気が出せない。

 モチベーションのコントロールが、プロには必要なことなのだ。


 そのモチベーションなどは、新人や若手の方が高い場合が多い。

 プロの世界に来て、とにかく我武者羅にプレイする必要がある。

 単純にプロのスピードの中で、慣れて行くというのもあるのだ。

 しかし敗北というのは、続けば続くほどモチベーションを落とす。

 プロの世界が単純に、自分の仕事だと考えられればいいのだ。

 だがフェニックスでそう考えているようなのは、本多の他に数人しかいない。


 試合が終盤に近づいていくと、それだけ援護の追加点も入り、楽になってくる。

 こうなるともうバッターの方は、思考が惰性でスイングをしている。

 なぜ自分の成績を上げようとしないのか、直史としては共感出来ないところである。

 一応理解までは出来るのだが、全く自分の価値観と合わない。

 直史と違ってプロで食べていくと決めたのなら、試合の勝敗はどうでもよくて、自分の成績を上げるべきだろう。

 たとえチームがどれだけ弱くても、本多などはそれで年俸が上がっているのだ。

 プロというのは金を稼ぐからプロなのだ。

 それなのにやる気をなくしてしまうあたり、アマチュア意識が抜け切っていないと言おうか。




 直史は自分自身や、大介のことを考える。

 直史は野球による金よりも、事業による収入の方が、もう多くなっている。

 そもそも自営業者として働くには、日本の税制は不利であるのだ。

 スポーツ選手など、その引退後の生活は、誰も保証してくれない。

 事業を継続して行くのが、一番安全なのである。

 もちろんどんな事業でも、経営の失敗はありえる。

 しかし多くの雇用を生み出すという点では、やはりこちらを選ぶべきなのだ。


 日本国内の野球による経済効果というのは、果たしてどれぐらいのものであるのだろうか。

 プロ野球だけならば、その球団の経常利益などから計算出来る。

 しかしそこから発生して行くのは、交通機関の活性化や、球場周辺の経済効果も含まれる。

 アマチュアにおいても、道具の売買だけで大きな市場があるはずだ。

 虚業であっても、人の生活にはつながっていく。

 フェニックスなどは今は弱いが、それでも中部地区においては唯一のプロ球団。 

 ファンの楽しみを生むという点では、大きな存在であるのは間違いない。


 そもそも愛知県などは、野球強豪県の一つである。

 日本のおおよそ真ん中あたりにあるのだから、どこから選手が集まってきても不思議ではない。

 移動にしても関東の次ぐらいには、楽であるかもしれない。

 そういう場所にあるチームが弱いのは、ちょっと悲しいことではなかろうか。

 愛知は愛知でそれなりの、繁華街がしっかりとあるのだが。


 今日は神宮なので、集客はレックスファンによるものだ。

 ただ名古屋ドームで試合をしても、客席がガラガラということはない。

 なお一番集客力が強力なのはライガースである。

 大介がメジャーに行っている間も、変わらず一番であった。

 レックスは残念なことに、そこまでの人気はない。

 同じ東京のタイタンズから、かなりファンを奪うことに成功はしている。

 しかし女性層を中心に、新しいファンが増えているのだ。

 イケメンを入れるのは、やはり強い。


 直史の淡々としたピッチングは、ずっと続いていた。

 そして七回が終わった時点で、いまだにランナーは一人も出ていない。

 今年もそろそろ見られるか、とスタンドの期待値が上がっていく。

 基本的にフォアボールを出さないのが直史だ。

 あとはエラーと、ポテンヒットや内野安打が出るかもしれない。


 神宮球場は期待に包まれている。

 これが夏場であれば、もっとビールが売れているだろう。

 直史の投げる試合は終盤、ビールはもちろん色々な食べ物も、売れなくなってくることがある。

 もっともレックスが攻撃している間は、一気に動くのだが。

 それでも基本的に野球観戦は、攻撃をしているのを見る方が面白い。

 特に今年は小此木が帰って来て、ちゃんと点が入るようになってきたからだ。


 野球は点の取り合いが面白い。

 ちゃんとシーソーゲームになるなら、さらに面白いであろう。

 勝ったな、風呂入ってくる。の間に逆転されているのが野球。

 ただ攻守交替の間に、適度な休憩があるのもいいだろう。




 八回の表が始まる。

 あと六人を抑えれば、パーフェクト達成である。

 去年もパーフェクトを三回達成しているので、直史としてはおかしなことではない。

 だが普通ならシーズン全体で見ても、一度あるかどうかというものなのだ。

 一つ一つの試合が、歴史に残るものとなる。

 その大記録への過程を、しっかりと見ていけるのか。

 他のピッチャーでは不可能だが、直史ならば。

 過去の実績を見て、そういった期待が出てくるのだ。


 しかし24人目のバッターの打った球が、ボテボテのサードゴロとなる。

 やや深めに守っていたこのボールを、キャッチして一塁に間に合うか。

「捕るな!」

 迫水はもう、捕っても間に合わないと判断する。

 あとは三塁線を、切ってくれるかどうか。


 転がっていったボールは、ラインとほぼ平行に動いていく。

 そして三塁ベースに当たり、フェアとなったのであった。

 内野安打にて、パーフェクトとノーヒットノーランが消滅する。

 しかし球数的には、まだマダックスが残っている直史であった。


 フェニックス打線は、完全に気が抜けたと言えるだろう。

 どのみち点差的に、逆転は難しくなっていた。

 意地でもパーフェクトは阻止しよう、と考えていたフェニックス打線。

 それに成功した今、打線からは気が抜けるのだ。


 ここでまだモチベーションを保てるのなら、フェニックスはもっと強くなっていたであろう。

 そして本多への第四打席は、回ってきそうにない。

「余裕を持たれてるなあ」

 本多としてはそう、ため息をつかざるをえない。

 七点も差があるので、逆転の可能性はないと言える。

 直史が急に故障しても、リリーフで充分に回るだろう。

 結局はランナーが出ても、ツーアウトからのものであるのだ。

 これが下手にワンナウトなどであると、ダブルプレイが成立したりするのだが。


 フェニックスはこの敗戦処理にも、しっかりと投げられるピッチャーを使わざるをえない。

 負けている展開が多ければ、どうしても勝ちパターンのリリーフの出番が減ってくるからだ。

 試合から遠ざかりすぎても、リリーフにはいいことがない。

 どうにかこの負けが常態化しているところから、抜け出そうとしているのがフェニックスである。

 レックスにしても一時期は、暗黒期と呼ばれた時代があったものだが。


 結局は二人目のランナーが出ることもなかった。

 準パーフェクトなどと言われることもある、1ヒットで試合は終了。

 スコアも7-0と圧倒的な数字であった。

 去年までのレックスとは違い、しっかりと打線の援護がある。

 そしてやはりフェニックス打線の心は、折れてしまったのであった。




 いくら負けても折れない心の持ち主、というものがいる。

 なぜならそこで歩みを止めたら、それこそ本当の敗北であるからだ。

 野球に限らず人生というのは、上手くいかないことの方が多い。

 そのたびにへこんでいれば、生きている時間を無駄にするというものだ。


 前日のスターズとの試合では、武史から打点を奪った大介。

 だが四打数一安打と、勝敗を言うならば微妙だろう。

 試合に勝ったのはスターズなのだから、大介も負けたと言えるのだろうか。

 そう判定してもいいが、自分自身は負けていない、と思えるのが強さとなる。

 もちろんただの空元気ならば、問題となるだろうが。


 スターズとの第二戦は、大介が孤軍奮闘した。

 四打数三安打でホームランも打って、スリーベースが出ればサイクル安打、という数字であったのだ。

 結局はそのスリーベースが出なかったのだが、実はこういった試合は、これまでに何度もやっている大介である。

 大介の打席では、外野が深めに守ってしまう。

 なので上手く外野を抜けても、すぐに追いついて三塁まで進めないことが多いのだ。


 また一試合において、二打席以上も歩かされることが多い。

 これでは何をどうしても、サイクル安打など不可能である。

 しかしこれで、出塁率では司朗を上回ることになる。

「もっと勝負してくれたらありがたいんだけどなあ」

 今年もまだ、ボール気味のボールを打ちにいっている大介である。


 大介が本当に、出塁だけを狙うなら、その記録はもっととんでもないものになっていただろう。

 打てる球ならボール球でも打つ、という姿勢であるために、無理に打ちにいってしまうという結果がもたらされるのだ。

 冗談のような本当の話だが、リーグで一番フォアボール出塁の多い大介は、選球眼の悪いバッターとして数値化されている。

 それは打てそうなボール球を打っても、ある程度は野手の正面に飛ぶからだ。

 またボール球を打つのは、それこそ選球眼が悪いという判定になる。

 結果としてはホームランを打っていることも、少なくはないのだが。


 大介は毎試合出る野手だけに、チームの勝利にこだわるところがある。

 そしてOPSという数字が、大介には上手く当てはまらないことを、関係者なら普通に分かっている。

 単純にOPSが2以上であれば、そのバッターは全て歩かせた方がいい、ということになる。

 大介のOPSは、1.5未満である。

 ただし大介の場合、長打率が極めて高い。

 ランナーがいればいるほど、その打席での脅威度は高くなるのだ。


 満塁の状況で敬遠されたことが何度あるか。

 一塁が空いていたなら、すぐに敬遠というのが大介への対処法である。

 打線の中に一人いるだけで、ピッチャーにかける重圧が大きいものとなっていく。

 そんな中で直史や武史は、普通に勝負していくのだが。




 第三戦も、大介は自分の役割を果たす。

 ヒットは一本だったが、出塁率は六割である。

 つまり二打席を敬遠されたのだ。

 二番を打っていれば、五打席目が回ってくることも珍しくない。

 だがフォアボールがどんどんと積み重なると、ヒットを打つ機会は減っていく。

 いっそのこと最多出塁というタイトルでも作ってくれないかな、と思ったりする。


 ヒットの数よりも、フォアボールの数の方が多い。

 冗談のようであるが、この10年以上の大介は、ほとんどがそうなのである。

 実はNPB時代の方が、むしろこの傾向はマシであった。

 それなりに勝負してくれていて、だからこそ70本以上もホームランを打てたわけだ。

 MLBでも最初の数年の方が、ホームランはずっと多かった。

 途中からは本当に、敬遠の数が増えていったが。


 ランナーが二塁で一塁が空いていると、ほぼ自動的に敬遠。

 これはもうずっと続いている。

 だからこそ大介の後には、スラッガーが必要なわけである。

 そしてそのスラッガーも、ちゃんと打点を記録する。

 ライガースが点を取れる理由は、大介を中心としているからである。


 しかし大介は頑張れば頑張るほど、最多安打のタイトルから遠ざかる。

 少ないバッティングチャンスで、確実に点を取っていこうとするからだ。

 実際にホームランを打っている確率は、歴代一位と言っていい。

 大介がいる間は、打撃三冠は固定といってもよかったのだから。


 四月終了の時点では、その大介と差がなかった司朗。

 だがヒットの数は差を広げても、打率や打点は大介のようにはいかない。

 ホームランにしても一年目の一ヶ月で七本なのだから、充分だとは言えよう。

 ただ司朗は自分なりに、目標を設定している。

 打率はさほど求めていないが、30本、200安打、50盗塁といったところである。


 実際にこの数字は、充分に現実的なものだ。

 打点が入っていないのは、一番打者なのでチャンスメイクを考えているからだ。

 ただ30本という目標は、後から追加したものである。

 実際のシーズンを体感して、これぐらいになるだろうな、と感じたのである。


 大介はNPBでは、一度も200安打を記録したことがない。

 一番多かったのが、去年の186本である。

 ただこれに対して、ホームランの数が64本。

 ヒットの三分の一は、ホームランという計算である。

 こんなバッターとは、まともに勝負してはいけないであろう。

 OPSを基準に考えても、ボール球をあえて打っている、という基準は出てこない。

 これでもって衰えた、と言われているのだ。


 昔に比べて、勝負されることが減っただけでは、という話である。

 実際に打率は、四割をわずかに切る程度。

 これだけ打っているバッターならば、もう勝負を避けても仕方がない。

 だが甲子園でそんなことをすれば、相手のピッチャーへの野次は罵詈雑言である。

 レックスの方が、首位に立ってはいる。

 しかしライガースもそれについていく。

 去年や一昨年と変わらないような、そういう展開がやはり始まるのか。

(最多安打はもう取れないよなあ)

 他の全てを達成してきただけに、そこは無念と言えなくもない。

 だが大介は忘れている。

 あと少し頑張ったならば、キャリア通算のヒット数が、日米最高を記録することを。

 あとおそらく、2シーズンを働いたなら。

 そのためにも今年も、大きな怪我をなく働いていかなければいけないのだ。

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