第404話 勝利にこだわる

 直史は本来ならば、前日に一軍復帰戦となる予定であった。

 それが雨のために、スライド登板というわけだ。

 全国のナオフミストはあちこちにいるが、現役であるのを見られるのは、もう数少ないであろう。

 そう考えてチケットを買った人間は、慟哭の中にあった。

 二日目のチケットを買っていた人間は、かなりお得感があったものである。


 ピッチャーとバッターを比べたら、ピッチャーのほうが選手寿命の長い選手が多い。

 技巧派や軟投派であると、身体能力の低下を補うことが出来るからであろうか。

 バッターはとにかく、スピードボールに目がついていかなくなる。

 それが選手としての引退の目安であろうが、どうにか走力と守備力で残っている選手もいる。

 さすがにスタメンで使われることは、もうほとんどないであろうが。


 過去の事例から見ると、大介の活躍出来るのは、せいぜい来年ぐらいまでであろう。

 もっともこの野菜の星から来た男に、一般論が当てはまるのかは疑問だが。

 プロ入りから24年間、日米を通算して全ての年で、ホームラン王を獲得している。

 こんな記録はもう二度と、現れることがないだろう。

 その大介は今日も二番打者。

 地方開催ではあるが、名目上はレックスのホームゲームとなっている。


 即ち先に、ライガースの攻撃がある。

 一番の和田を確実に打ち取って、次の大介へのピッチングをどうするか。

 まずは和田を打ち取るのは、もうここまでずっとやってきたことだ。

 和田にも直史に対しては、苦手意識というものがある。

 警戒されているからこそ逆に、打たれないようにしてきた。

 それだけの脅威と認められていると知ったなら、逆に今度こそ打てるようになるだろう。


 ショートゴロで左右田が処理してワンナウト。

 そして二番打者の大介である。

 日本最強のバッターが、同時に世界最強のバッターであることを証明した。

 アメリカだけでも800本以上のホームランを打っている。

 累計1000本以上というのは、毎年50本以上を打っていても、20年かかる数字である。

 だが50本どころか60本や70本、そして打席数の多い年で80本も打っていれば、到達する数字であるのだ。

 人間の出せる数字ではないが。


 この二人の対決を、観客は待ち望んでいただろう。

 だがいきなり、ここで申告敬遠である。

 ざわめきが大きい中、大介はバットを渡して一塁に向かう。

 直史としてはこれは、承知の上での敬遠であるのだ。


 大介はここまで17試合に出場し、六本のホームランを打っている。

 最初のカードの三試合を休んだことを考えれば、充分な本数と言えるであろう。

 おおよろ三試合に一本と考えるなら、今年も50本近くは打てるはず。

 だがここまで、最低の本数でも51本だ。

 それを考えればどうしても、ホームランを狙っていかなければいけないのか。

 そこまで打たなくても、普通にホームラン王は取れるであろうに。


 先取点を与えたくない、というのがこの慎重な選択になっている。

 それと同時に直史は、大介の盗塁も見たかったのだ。

 年々盗塁の数は減り、それでも何度も盗塁王になっている。

 NPB復帰後も二年連続で盗塁王になっているが、去年は二位であった。

 50盗塁を切ってはいるが、その代わりに成功率はキープしている。

 

 いまだに直史からでも、盗塁を決めることが出来るか。

 あるいは試みるかどうかだけでも、確認しておきたい。

 そのためにランナーに出したわけで、ワンナウト一塁からならば、普通に直史は0に抑える。

 これがワンナウト二塁になると、少しは可能性が変わる。

 なにせダブルプレイの可能性が、一気に減るのだから。




 大介は直史から、盗塁するのは難しいと思っている。

 単純にクイックが速いというのもあるが、モーションの起こりが分かりにくいのだ。

 他のピッチャーはおおよそ、力をためるためにわずかな筋肉の動きが、ユニフォームの上からさえ見えるのだ。

 しかし直史は、力を抜くようにして前に足を出す。

 その途中で右足が蹴り出しているので、ちゃんと体重も乗る。


 ピッチングは右投手の場合、まず左足を上げて体重を上に乗せる。

 その体重を前に出すことによって、パワーとなっていく。

 直史の場合は上には移動せず、滑るように最初から前に動く。

 それでいてちゃんと体重も乗るのだから、体の使い方が上手いのだ。


 段階を省略することにより、盗塁を難しくする。

 スピードではなくタイミングが、盗塁においては重要なのだ。

 MLBではシーズンの中で、100盗塁以上を二度も記録した大介。

 この走力があるからこそ、なかなか安易に歩かせることも出来ない。

 走力のあるスラッガーが、ホームランも伸ばせる理由である。


 大介はベースからのリードの距離を、あまり大きくしない。

 直史は牽制で殺す時は、確実に殺してくるからだ。

 大介の反射神経と瞬発力は、しっかりと理解している。

 とはいえ大介も、直史にプレッシャーをかけるため、ある程度のリードはするのだが。


 直史との対決は、単純な力と力、技と技、というものではない。

 ここに神経戦が加わってくるのだ。

 ピッチングについて専門家ではない大介も、これだけ長くプロで生きてくれば、おおよそそれが分かってくる。

 プレッシャーのある状態のピッチャーは、明らかにパフォーマンスが落ちる。

 だがプレッシャーを逆に、力に換えてしまうことも、人によっては出来るのだ。


 直史の場合はプレッシャーがかかると、どんどんと己の内面に入り込んでいく。

 そしてそこから、集中したピッチングを行うのだ。

 実は応援の声援なども、雑音にしか感じない直史。

 少なくともプロで投げる時は、そこまで応援など必要としていない。

 大学時代からこちら、直史にとって野球は、手段であって目的ではないのだから。

 高校野球のみは、甲子園自体を目的にやっていたが。


 後続の二人を、連続で打ち取る直史。

 これでまずは初回の、ライガースの得点という展開を潰した。

 今年のレックスは初回にかなりの確率で点を取っている。

 二番の小此木の打力が、明らかにそれに貢献しているのだ。

 地味にヒットの数ならば、大介よりも多かったりする。




 とりあえず二点取れば、レックスの勝ちは決まる。

 そう考えているのが、直史の投げる試合のレックス首脳陣である。

 ただ前回の試合の後、調子を崩したことは確かだ。

 正確には前々回の試合の後の試合で、調子がおかしかったのだが。


 この試合で直史は、絶対に勝っておこうと考えている。

 タイタンズの動向も心配なのは確かだが、やはりライガースが今年も対抗馬なのは間違いない。

 平良が戻ってきても、実戦の感覚を取り戻すのに、少し時間がかかるかもしれない。

 ならばシーズンの前半までは、ライガースを抑えて首位に立っておくことが必要だ。

 ライガースをなんとしても、抑えておきたい。

 本来ならば今年は、得点力が増加したことにより、それが可能であったはずなのだ。


 ライガース相手の三連敗以外は、充分に首位に立つ結果を残している。

 試合の内容もレックスは、かなり良くなっているのだ。

 ここでそのライガースに勝つ。

 それがシーズンを優勝するのに必要だと、分かっている選手がいる。

 二年連続で日本一になっていれば、勝負所も分かってくる。

 直史だけではなく、チーム全体が優勝を目指している。


 少し心配なのは、新戦力をNPB復帰メンバーと、外国人に頼っていることだ。

 ピッチャーでは成瀬が、今年からしっかりとローテに入っている。

 他には塚本も、しっかりとローテに全部入りそうだ。

 ピッチャーの方の新陳代謝は、かなり良くなってきているはずなのだ。


 この試合も初回から、レックスは先制点を取っていく。

 そして直史も大介以外のライガースは、しっかりと封じていくのだ。

 この間の試合のように、妙に球数が増えたりもしない。

 三振はやや少な目かもしれないが、ピンチを招くことがない。

 ただ二回には早々に、一本のヒットを打たれている。

 これでノーヒットノーランも途切れてしまった。


 しかしこれでいいのだ。

 ここまで二人、ランナーを出している。

 すると三回には、ツーアウトから大介の二打席目が回ってくる。

 ホームランを打たれる以外では、ツーアウトならば失点の可能性が少ない。

 大介に対応するための、一番有利な状況と言えるだろう。

 もちろんランナーのいない状態だ。


 こういう状況を、直史は常に頭の隅に入れている。

 だが実際にこんなことを考えていても、大介の後には強力なクリーンナップがいる。

 これを他の下位打線と同じように、簡単にしとめてしまえること。

 それが直史の、NPBでのやり方なのだ。




 レックスは二点目を取っていた。

 そして三回の表、理想どおりに大介の打順が回ってくる。

 ここでは直史は、大介との勝負を避けない。

 初回の勝負を避けたのは、あくまでも負ける可能性を0に近づけるためだ。

 既にリードしているここでは、興行を優先する。

 ホームランを打たれても一点であるのだ。


 大介とは安全な状況以外では、出来るだけ戦わない。

 この直史の作戦を、見るものが見れば臆病と思うだろう。

 しかしそう思うなら、大介の後ろのバッターこそが、直史を打てばいいのである。

 また一番の和田がランナーとして出ていれば、直史も危険を冒して大介と勝負する必要も出てくる。

 あまりに勝負を避けていれば、ファンからも批判されていく。

 だからある程度は、勝負する必要がある。

 だが試合に負けるつもりはない。

 もちろん自分のリリーフが、打たれて負けるのはどうしようもないが。


 昔ならもっと単純に、コンディション調整も出来ていたであろう。

 だが衰えというのは、必ずあるものなのだ。

 タイタンズ相手にあそこまで疲れてしまって、調整が上手く出来なかった。

 それによってカード一つを、丸々落としたこととなっている。

 直史が第一戦、勝っていれば良かったのだ。

 そうすでば第二戦以降も、レックスの流れになっていたはずなのだから。


 MLBではWARなどという、勝利に対する貢献地を数値化したものがある。

 これが高ければ高いほど、標準的な選手よりもどれだけ、勝ち星を増やしたか、ということになるのだ。

 ただ直史は、これには懐疑的である。

 三連戦の第一戦、相手の打線を完封すれば、それは普通の試合で勝つよりも、大きな価値があるはずなのだ。

 また直史のように完投をするならば、よりチームのリリーフを休ませることが出来る。

 勝ち方にしても直史のように、パーフェクトをやってのけるなら、相手打線の心を折ることになる。


 メンタル面での評価が、これには加わっていない。

 野球というのはかなり、メンタルが重要なスポーツなのだ。

 こいつが投げてくるならもう、勝利は不可能であると思わせること。

 そうなれば相手の打線は、試合の始まる前から、戦意を落としていることになる。

 直史としてはそれが望ましいのだ。


 大介の二打席目、直史は単打までに抑える。

 あるいは一塁線などを抜けたら、長打になるかもしれない。

 だが重要なのは、ホームランだけは打たれないこと。

 ツーアウトからなら三塁まで進まれても、バッターをアウトにすればいい。

 そう考えるなら直史も、取るべき手段はシンプルになる。


 この打席、大介の打球はショートライナー。

 キャッチした野手の腕を負傷させるような、そんな凶悪な打球ではなかった。

 スリーアウトで二打席目を終わらせる。

 あとはどれだけ、ライガース打線のメンタルにダメージを与えるか。

 これが三連戦であったのなら、やれるだけやってしまうところなのだが。




 直史の思考法は、かなり他の選手とは違っている。

 目の前の試合が、次の試合にどうつながっていくか、それを見ているのだ。

 パーフェクトに抑えられた打線などは、どうしてもそれを引きずるところがある。

 それを思えば直史が、カードの最初の試合に出るのは、悪いことではない。

 だが今回のように、たった一試合だけの対戦となった場合、ライガース打線の調子を落とすべきなのか。


 普通ならばこれは、やはり落とすべきだろう。

 ライガースの次の対戦は、カップス相手である。

 カップスはタイタンズと、現在三位争いをしている。

 ライガース相手でも、それなりに勝ってくれるチームだ。

 だが今年は、ペナントレース終了時点で、三位のチームがどこになるのか、それが重要になってくると思う。


 タイタンズの動きが悩ましい。

 カップスも確かに油断は出来ないのだが、今年のタイタンズは相当に打力が強化されている。

 正確には得点力であるが。

 カップスが相手であれば、計算して勝利することが出来る。

 もちろんレックスとしては、首位を譲る気はない。

 アドバンテージがなければ大変なのは、去年のクライマックスシリーズでも間違いのないことであった。


 やはりカップスにも、ライガースを倒してもらうべきか。

 広島でのアウェイであるため、ライガースもかなり不利な部分はあるだろう。

 そのためにはこの試合で、ライガースの心を折っておいた方がいい。

 ただ日程的に、二日間が空いている。

 プロならば不調になった状態も、出来るだけ早く戻してくるだろう。

 そうするとせっかく直史が苦労しても、あまりライガースはカップスに負けることがないのではないか。


(今年は本格的に、体力が落ちたのを感じるな)

 既に二度も完投をしているが、直史の自己認識としてはそうなのだ。

 無理をすればもう、疲労がなかなか抜けない。

 またコンディションを整えるのに、時間がかかることも確かだ。


 ライガースを脅威と思っているのは、間違いなかった。

 だが今年からは、タイタンズにもある程度、注意していかないといけない。

 こうして疲労がたまっていって、やがてもう全力が出せなくなるのか。

(この試合、そこまでしてライガースを完封する必要はない)

 直史としてはライガースを、わざわざ弱体化させようとは思わなかった。

 もちろんこれが三連戦の最初なら、考えていたであろうが。


 大介は第三打席を、ファーストフライでアウトになってしまう。

 そしてレックスは、追加点をどんどんと取っていった。

 この調子ならば直史が、完投する必要はないというぐらい。

 勝ちパターンのリリーフでなくても、他のリリーフでも充分。

 そう思えるようになれば、試してみたいピッチャーは他にもいるのだ。




 八回を終えて、5-0のスコアで、直史はマウンドを降りる。

 確かにこの点差ならば、まず逆転の可能性はないであろう。

 だが少し危険ではないか、と思わないでもなかった。

 九回の裏ならば、ライガースはピッチャーにも代打を出していく。

 そしてそこから、大介の第四打席につながるのだ。


 その直史の心配は当たり、ライガースは二点を返すのに成功する。

 だがそれでも、五点差を一気に返すのは無理であった。

 大介自身もツーベースを打っていたが、ここまで封じられていたことで、ライガース打線は調子を狂わせていたのだ。

 5-2というスコアにて、直史は今季三勝目。

 ただ四月度で三勝だけというのは、直史にしては珍しいことである。


 やはりライガースに逆転された試合と、不調のための登録抹消が痛かった。

 それでも直史は32イニングを投げて、いまだに二失点。

 これだけの数字を残していても、去年に比べるとかなり、成績は落としてしまっている。

 2イニングに一人はランナーを出してしまっているペース。

 防御率が1を切っているのに、本人のキャリアワースト。

 まだシーズンは序盤であるのに、色々と言われてはいる。


 さすがに衰えてきたのだ、と言われている。

 それは大介も同じことで、司朗が入ってきたことによって、世代交代の象徴になってきている。

 来年に昇馬が入ってくれば、それこそ完全に世代交代となるのか。

 ここまで直史と大介がNPBに復帰し、大きな話題にはなっていたのだが。


 どんなスーパースターも、いずれは衰える。

 その次のスーパースターがいるかどうかで、そのスポーツの人気が続くかどうか決まる。

 司朗も昇馬も、それぞれ将来的に、メジャー移籍が現実的である。

 特に既にプロ入りしている司朗は、新人でとんでもない記録を残す可能性がある。

 序盤で一気に稼いだとういのもあるが、最多安打の記録である。

 まだ四月度も終わっていないというのに、35本のヒット。

 23試合が終了した時点であるので、とんでもないペースであるのは間違いない。


 また盗塁の数も、リーグ最多となっている。

 これはやはり一番バッターであるというのが、大きな理由であろう。

 出塁率が五割オーバーというのも、この記録につながっている。

 レックスの一員として見た場合、厄介なバッターが増えてしまったな、というのが感想だ。

 しかし球界全体から見たならば、久しぶりのスーパースター誕生ということになる。


 司朗の場合はとにかく、圧倒的に顔がいい。

 それだけで女性ファンが、増える理由にはなっている。

 これで成績が悪ければ、顔だけと言われてしまうのだろう。

 だが司朗は打撃の指標において、多くの部門でトップ10に入っているのだ。


 あるいは二人目の四割バッター登場か。

 そんなことも言われているが、父親とは違うポジションというのが、オールドファンには物足りないのか。

 あとは親子対決において、8打数1安打と、抑えられているところが大きい。

 もっともシーズン序盤で、そんなことを気にしてしまっても、とも言えるのだ。


 直史としては常に勝利を、そして優勝を目指している。

 だが最後には、新しい世代に負けて、その力の移譲を行うべきなのか。

 こんなことまではさすがに、今まで考えてこなかった。

 しかし大介がNPBから引退すれば、直史も引退することは決めている。

 その時に果たして、球界の中ではどう受け止められるのか。

(俺はともかく、大介がどう考えているのやら)

 独立リーグに行っても、野球選手でいたいというのが大介だ。

 選手として以外では、ユニフォームを着たいとも思わないだろう。

(あと二年ぐらいかな)

 今年も三冠を狙っているような大介であるが、直史の目には衰えがわずかに見え始めているのであった。

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