第401話 波乱のシーズン

 直史に負け星がついたわけではないが、らしくないピッチングをしてしまった。

 そしてとりあえず登録抹消。

 故障だとかどうとかではなく、純粋にイメージと実際の動作に、ギャップがあるのだ。

 思ったように動かない体で、あそこまでのことをやってのける。

 充分にすごいことだが、さすがに少し調整の時間が必要となった。


 外部向けには背中が張ったとか、その程度のことを言っておく。

 全般的に間違いというわけでもなく、調子が悪いのは確かなのである。

 肉体の状態を確認していけば、特におかしなところはない。

 ただ血液検査をすると、血糖値が低かったりはした。

 試合の翌日であるため、そういうこともあるのかと思ったが、血糖値など糖分補給ですぐに戻るはずである。

 つまり問題は、フィジカルにあるのではない。


 このままローテに入って、騙し騙し使っていく、というのも無理ではなかったろう。

 しかし幸いなことに、今のレックスには余裕がある。

 なので調子を戻すため、練習だけはしながらロースターから外れる。

 あとは可能な限り、早く一軍に復帰するのみである。


 肉体と精神は、ある程度連動している。

 しかしたまに、精神が肉体を凌駕してしまうことがある。

 ただそれをやってしまうと、しばらくの間は調子が戻らなかったりする。

 昔ならそれでも、若さでどうにかしてしまったのかもしれない。

 だが今の直史はもう、いつ引退してもおかしくない年齢なのだ。


 一度抹消すれば、10日間は戻れない。

 その間に肉体の感覚を、しっかりと自分で確認できるようにする。

 二軍のグラウンドにやってきて、キャッチボールから始める。

 そしてピッチング練習を、ゆっくりとやっていくのだ。

 最後には目を閉じて、自分のイメージだけで投げる。

 あそこに行ったな、というところに投げられていればOK。

 コマンド能力は修正されていったので、あとは出力が問題となる。

 下手に球速を求めるのではなく、ここで必要なのは伸びやキレである。


 バックスピンをかけて、高めのストレートをはっきりと投げる。

 他にはスライダーやカットボールで、指先の感覚を確かめる。

 バッターボックスに選手を立たせて、試合に近い環境で投げていく。

 わずかなイメージとのブレが、やはり存在していたのだ。


 現在のピッチングにおいては、様々な機器により、その成分が分解されていく。

 だが本当に重要なのは、ピッチャー自身の感性なのである。

 指先のわずかな感覚の違いなど、その日によって修正するしかない。

 そのためにはどれだけの球数を、正確に投げてきたかが重要になる。

 あと1mmだけ指を動かすとか、そういうことを考えて出来るはずもない。

 完全に体が記憶していることを、どれだけ脳が自動化して動かしてくれるか。

 直史はそれを、ピッチングで試してみるのだ。




 直史が調整をしている間にも、シーズンは進んでいく。

 レックスはライガースに三連敗した。

 クオリティスタートで直史が投げたのに、リリーフが逆転されたのが、甲子園での大きな勢いとなったのだ。

 二戦目のオーガスも、六回四失点とそこまで悪くはない数字。

 だがリリーフした国吉が打たれて、その後に逆転までされた。

 三戦目の塚本も、七回四失点と悪くはないピッチング。

 それでも敗戦投手になっているのだから、世の中とは不条理なものである。


 ただレックスの首脳陣としては、打線の援護がそこそこあったのが、去年とは違うところなのでまだ安心できる要素がある。

 5-4、6-5、6-4という接戦での敗北。

 だがこういう接戦で敗北したことが、むしろチームの勢いを止めてしまうのか。

 このカードによって、レックスとライガースは、一気に10勝5敗で勝率が並んでしまった。

 なおタイタンズとカップスも、7勝8敗で勝率が並んでいる。

 スターズが五位、フェニックスが定位置と、そこはいいだろう。


 タイタンズとしては六連敗の後の四連勝など、なかなか例年とは違った試合展開である。

 とりあえず今年最初の、リーグ内チームが全て当たったこととなる。

 15試合を終了した時点で、大介はホームランや打点の数字を伸ばしてきた。

 リーグ内では二位であるが、例年であればこのあたりで既にトップ。

 やはり開幕三連戦に出られなかったことが、序盤は影響しているのだろう。

 それに対して司朗は、絶好調というしかない。

 この時点でヒットの数が24本とリーグ最高。

 また打率も大介に続く二位と、新人としては信じられない記録を残している。


 開幕してまだ15戦である。

 単純に相手のピッチャーが本気でなく、またデータが集まっていないだけだ、と司朗は考える。

 こういったことを教えてくれるのは、先輩野手ではない。

 バッティングコーチであったり、先輩投手なのだ。

 野手は特に外野の場合、司朗が活躍すると自分のポジションがなくなる。

 一方の内野は、現時点ではポジションが被ってないわけだ。


 優勝を目指して一致団結、ということが出来ていない。

 普通ならそんなチームは、監督がコーチを解任させたりする。

 だがタイタンズの場合は、コーチ人事が監督の意向だけでは決まらない。

 もっとも他のチームでも、コーチ人事は監督が決めない、ということはある。 

 寺島の場合などは、とにかくチーム内で政治をやっているので、全力で戦えていない、という感じがしている。


 一応は野手も投手も、勝利を目指してはいるのだ。

 それに自分の数字を悪くしてまで、他の人間の足を引っ張ることはない。

 さすがにそんなことをしていれば、本末転倒だからである。

 もっとも司朗の見えないところでは、そういう選手もいる。

 来年か再来年には、もう消えている選手である。


 司朗はそういった人間にはならない。

 己の中に美意識というか、美学を持っているからである。

 貴族的な精神というか、フェアプレイの精神。

 もっとも相手が油断をしていれば、容赦なく噛み付いていく。

 直史との対戦で、それがどういう結果をもたらすか、分かったつもりではいる。

 しかしその直史が、登録抹消というのは、過去にもほとんどなかったことだ。




 セ・リーグの5チームと対戦し、レックス相手には三連敗した。

 ライガースには勝ち越して、そしてほどほどの順位である。

 Aクラスを求めるのが、今年の目的となるだろうか。

 司朗はとりあえず、最多安打を取りたい。

 ただそこまで甘くはないだろうから、新人王を狙いに行こう。

 ドラフト同期だけではなく、まだ一軍での出場が少ない、二年目や三年目の選手がいる。

 そういった中で新人王を取りに行くのは、実はとてつもなく難しい。


 高卒野手が新人王を取るのは、しかも一年目で取るのは、21世紀になってからは数えるほどしかない。

 ただ開幕から15試合を経過した時点では、司朗には充分にその可能性があるように思えた。

 問題はこの序盤の、上手く行っている時ではない。

 上手く行かなくなった時に、どう耐えることが出来るかだ。


 チーム内を見てみれば、悟が打点とホームランでトップ。

 やはり四番を打っていれば、打点は稼ぎやすいのだ。

 ただ一番バッターとして、ホームランを三本というのは、充分な数字と言っていい。

 このままなら30本近く、一年目から打てるはずだからだ。


 そしてリーグ内を見てみれば、やはり大介の存在の大きさを感じる。

 開幕三試合を欠場したのに、もう打点ではトップに立っている。

 打数は司朗よりもずっと少ないのに、当然のようにホームランも多い。

 打率も最初こそ、サイクル安打を達成した司朗の方が高かった。

 だが15試合が経過した時点で、それも上回られている。


 143試合の15試合が終わったぐらいで、シーズンを予測出来るはずもない。

 選挙開票とは違い、統計がこの程度では当てにならないのだ。

 司朗は打率が高く、盗塁も決めてくる。

 長打率も高いが、大介ほどではない。

 なので勝負をされる機会は多く、そこでヒットの数は稼げる。

 最多安打のタイトルを一年目から取れれば、それこそ新人王の可能性は高くなる。


 もっとも悟なども、一年目から新人王は取っていった

。20代の頃から30歳になるぐらいまでは、完全にトリプルスリータイプの選手であったのだ。

 フィールディングの負担がかかるようになってからは、長打を重視し始めた。

 そして四番になってからは、ホームランや打点のタイトルを取っている。

 悟から見れば司朗は、トリプルスリータイプの選手である。

 ただホームランの数だけは、一年目は届かないかもしれない。


「とにかく一年目は、盗塁王を狙うべきかな」

 悟はバッティングに関しても、司朗に教えられるぐらいの技術を持っている。

 ただこの二人は、体格がかなり違う。

 身長差が15cmもあれば、体の使い方も違ってくるだろう。

 若い頃の悟のような、走れるタイプの選手ではあるのだが。




 タイタンズはカップスと、Aクラス入りを争う。

 そう思っていたところで、都合の悪い相手と対戦することになる。

 アウェイでのスターズ戦は、普通に寮から移動できる距離だ。

 しかしそのスターズ戦、先発が武史なのである。


 この間対戦したばかりであるが、シーズンにはこういうこともある。

 三振の少ない司朗が、今年唯一、一試合で二つの三振をしてしまった。

 ただホームランも打っているので、どちらかが決定的に敗北したというわけではない。

 試合としてはスターズが勝っているので、武史の判定勝ちと言えるだろう。


 ここの裏で、カップスはレックスと対戦している。

 レックスはカップス相手に、今年は最初のカードで勝ち越している。

 だがローテから直史が一時離脱し、そしてクローザーの平良もいない。

 序盤のスタートダッシュには成功したように見えたが、ライガース相手に三連敗して同率首位となっている。


 そしてライガースの相手は、残るフェニックスとなっている。

 今年も普通に弱いフェニックスならば、ライガースがレックスを逆転する可能性は高い。

 もっともまだ序盤、というのはここでも言えることだ。

 タイタンズとしてはレックスにカップスに勝ってもらえば、三位に上がることは楽になる。

 本当なら一気に、ペナントレースの優勝を狙いたいところであるのだ。

 しかし今の戦力では、レックスとライガースを追い越すのは、まだ難しいと言えるだろう。


 親子対決が今度は、神奈川スタジアムで行われる。

 そうでなくとも武史は、スタープレイヤーに違いない。

 基本的に野球は、点の取り合いの方が見ていても面白い。

 だがその次に面白いのは、ピッチャーが三振を奪いまくるゲームであろう。

 一回の表、タイタンズの攻撃。

 いきなり親子対決であるので、観客のテンションも上がってくる。


 司朗は帝都一出身であるため、神宮球場をよく使っていた。

 その点ではレックスは、全力で司朗を取りに行くべきであったのだ。

 ただ直史も言ったのだが、司朗はどうせメジャーに行く人間。

 確かにポスティングで金にするのも重要だが、やはり長く主力になる選手を、取るべきであるのは確かだ。


 もっとも今の時代、FAが普通に行われる。

 ポスティングに加えてFAという時代、長期的に戦力を見るのは難しい。

 短期間でしっかり育成し、数年間を使っていく。

 ただ緒方や青砥のように、長く一つの球団で働く選手もいる。

 悟にしてもジャガースからタイタンズに移籍しただけで、あとはずっとタイタンズだ。


 この神奈川スタジアムでは、初めての親子対決。

 司朗はただ集中して、バッターボックスに入る。

 対して武史は、序盤から考えるピッチングをする。

 下手にストレートなどを投げれば、簡単に打たれることは、さすがに分かっている。


 ムービング系のボールを使って、内野ゴロを打たせる。

 下手をすればこれは、内野安打になったり、外野に抜けていったりもする。

 ただ出塁までは、許容範囲とする。

 そんなスターズ側の思惑を、タイタンズが正確に分かっているはずもない。




 ほぼ160km/h台のムービング系。

 簡単に三振を奪いに来るのではなく、ちゃんと対等の相手としての対決だ。

 もっとも先日の試合も、三振を二つも奪われている。

 司朗から三振を奪うのは、かなり難しいことである。

 大介から奪うよりは、簡単なことだろうが。


 合わせて打ったつもりであるが、野手の守備範囲内。

 高校野球までなら、それでも内野安打の可能性があった。

 地味にアマチュアとプロ、特に高校野球とでは、守備の差が大きい。

 守備を鍛えることが、高校野球の基本ではある。

 だが反射神経や肩の強さなど、プロとはやはり圧倒的に違う。


 アマチュアでも大学から社会人となっていくと、その守備力がさらに上がっていく。

 加えてメジャーに行くのなら、内野の守備でもショートやサードは、150km/h送球が普通に求められる。

 実際は肩の力だけで投げるので、そこまでのスピードは出ないのだが。

 内野への当たりはよほどのもの以外、ヒットになるのは期待しない方がいいな、と司朗は判断する。

 スターズの場合は特に、守備力の高いチームだ。


 かつては野球の緻密さも、今ほどではなかった。

 ファーストやライトといったポジションは、かなり軽視されていたのだ。

 投内連携は別としても、ファーストなどはまず打力がないと話にならない。

 メジャーであると今は、もうDHがどちらのリーグにも作られるようになったが。

 メジャーの守備は粗いなどと言われるが、それは日本の野球の守備の動きと比較してのものだろう。

 正面で捕れなどという日本式と違い、アメリカではとにかくアウトにする送球が必要なのだ。

 よって肩が強いことは、送球の多いポジションでは重要となる。

 内野であればショートとサード、外野であればライトとレフトといったあたりだ。


 キャッチャーの肩にしても、とにかくスピードが重視される。

 もっともこの点に関しては、NPBの方が優れているかもしれない。

 少なくともピッチャーのクイックなどは、また重要度が見直されてきている。

 ルールが変わったために、盗塁がしやすくなったからである。


 ともあれここでは、まず第一打席は内野ゴロでアウト。

 タイタンズの攻撃は、三者凡退で終わる。

 四番の悟としては、どうにか得点圏にランナーがいて欲しかった。

 目の前で攻撃が終わってしまって、次は自分が先頭打者。

 武史は試合で、二点取られることが少ない。

 だからチャンスを作れば、すぐに一点を取りにいかなければいけないのだ。


 それにしても武史のスピードは、手元で動かしてもほぼ160km/h。

 最近はストレートとツーシームの投げ分けが、上手くなっているのかと思える。

 以前に比べれば間違いなく、パワーピッチャーとしての力は衰えている。

 だが現在のNPBで、五指に入るピッチャーであることは変わらない。




 この試合はスターズのホームゲームということもあるが、あちらの有利に働いていた。

 初回に一点を取ったかと思うと、続く二回にも一点。

 もっともタイタンズのピッチャーが、ピリッとしないことも要因であろう。

 ローテに入っているうちの、四枚は確かに勝つためのピッチャー。

 だがそれでも、確実にクオリティスタートを決めるというほどのものではない。

 せめて半分、クオリティスタートを決めてくれれば。

 タイタンズ首脳陣としては、そう考えているのだ。


 武史もツーストライクに追い込むまでは、打たせて取ることを意識している。

 だが160km/h近いムービング系は、なかなか打つことは難しい。

 直史ほどの精度はないため、甘いところに投げることもある。

 そこでわずかに、ヒットなどは出るのだ。


 しかしそれが連打となると、どうしても難しい。

 やはりプロの実戦では、練習と違うなと司朗は認識する。

 もっとも武史としては、今日は一本のヒットも打たせるつもりもない。

 だが追い込んでから、粘られるだけでも面倒である。


 武史は今季、開幕までに上手く仕上がらなかった。

 去年もシーズンの半分ほどを、棒に振っている。

 全盛期に比べれば、充分に打ちやすくなっているのは間違いない。

 それでもなかなか、点が取れないピッチャーなのである。


 今の父を普通に打てるようになれば、メジャーでも充分に通用するだろう。

 あちらはあちらで、ピッチャーの運用がかなり違う。

 司朗は高校時代に、居候している明史に聞いて、NPBとMLBの違いなども出してもらった。

 そこで分かるのは、メジャーの厳しさというものだ。


 そもそもドラフトで指名される人数が、NPBとは圧倒的に違うのだ。

 そしてその中から生き残った選手が、ピッチャーとして投げてくる。

 もっともそのピッチャーと、対戦する機会もあまりない。

 五年ももつピッチャーと言うのが、それなりに珍しいからだ。


 多くのバッターの、あるいはピッチャーのデータが必要になる。

 そんな中で10年以上も、通用しているようなピッチャーは化物なのだ。

 その化物がまさに、全盛期の武史であった。

 サイ・ヤング賞の最多受賞記録は、伊達ではないというものだ。

 少しばかり衰えたといっても、充分にNPBで通用する。


 日米通算で、401勝に到達。

 あとはこの記録を、どこまで伸ばすことが出来るか。

 大卒ピッチャーとしては破格の、400勝投手。

 ここから上杉の持つ、最多勝記録を抜くことが出来るのだろうか。

 今日も大量の三振を奪いながら、それでも全盛期ほどではない。

 まずはこの父から、普通にヒットを打てるようにならなければいけない。

 だが第二打席も、ファールフライでアウト。

 開幕戦からの連続試合安打は、15試合で止まるのかもしれない。

 大介の記録を抜けそうな、唯一のバッターと言ってもいい。

 だが同時に今のNPBファンとしては、あの記録を抜く選手が、いてほしくないと考えるオールドファンもいるのであった。

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