第394話 伯父と甥
直史は今日の試合、完投勝利を目標としている。
悪くても完封で勝ちたい、というのはリリーフに負担をかけないためだ。
開幕のスタートダッシュに成功すれば、そこからずっと勝率を保っていくのがレックスの野球。
それは直史がいるからこそ、成立しているものである。
「ライガースは負けてるのか」
他球場の中でも、セの試合には特に注目している。
フェニックスがカップスにリードしているのは、ちょっと意外な感じがした。
もっとも野球というのは、実力差があってもそれが逆転する可能性のある競技だ。
優れたピッチャーであっても、年間無敗はほぼありえない。
そのほぼありえないことをやったのが、直史であるのだが。
年間無敗が、平均ペース。
今後二度と現れないピッチャーであろう。
昇馬も確かに驚異的なピッチャーだが、上杉や武史と似た感じのピッチャー。
左右両投げを一試合の中で使っていくなら、その可能性もあるかもしれないが。
大介がいないこともあってか、ライガースはタイタンズとの殴り合いに負けている。
ただ両者の戦力を考えれば、おかしくはない展開である。
スターズ戦力も勝てるピッチャーを持ってきていない。
敵地開幕戦であると共に、相手が直史と予想していたからであろう。
去年の成績を考えれば、まず勝利以前に得点が難しい。
負けることを覚悟した上で、戦うしかないのだ。
レックス首脳陣が課題としていた、打撃面の向上が見られる試合であった。
特に二番に入った小此木は、この日ホームランとツーベースを一本ずつ打つ。
フォアボールも選んで素晴らしい復帰戦となった。
ポストシーズンから見ていれば、これぐらいはやってくれるかな、と思ったりもしたが。
そして直史も、四回まではパーフェクトを続けていた。
そこで内野を抜くヒットが生まれ、開幕戦からいきなりパーフェクト、というのは達成出来なくなったが。
今日はやや球数を少なくし、ゴロを打たせようとしている。
そして見事に、スターズはゴロを打ってしまっているのだ。
(守備がさらに堅くなったな)
レフトのカーライルだけは、まだ平均以下といった感じであるが。
それでもヒットを二本打って、存在感を示している。
さらにヒットを打たれても、内野ゴロでのダブルプレイで消してしまう。
小此木の守備基準は、MLBのものとなっている。
実はNPBとMLBでは、内野手の肩の力が、平均的にかなり違う。
正確に言うと肩の力と言うよりは、一瞬でも早くファーストに送球するスピードであるが。
このあたりは大介も上手く適応したものだが、メジャーのショートは運動能力の権化である。
小此木はある程度、そこも守ったことがあるのだ。
日本ではどうしても、高校野球のイメージから、ピッチャーの人気が高くなっている。
だがアメリカではショートを守りたがるのが、かなり多い。
ショート出身から、ピッチャーになった選手というのもいたりする。
それだけ運動能力を、ショートは求められるのだ。
これは別に不思議なことでもない。
ピッチャーは先発をすれば、中四日か中五日で投げることになる。
それに比べると野手であれば、休みが数日はあるといっても、150日以上は出場する。
打席に立つ数も増えるのであれば、活躍の機会も増える。
だから野手の方が好き、という人間は確かにいるのだ。
特に今のMLBは、DHの存在により、完全にピッチャーは特殊技能職となっているため。
違うスポーツであれば、サッカーなども国によって、人気のポジションが違う。
フォワードが人気の国もあれば、ゴールキーパーが人気の国もある。
もっとも多くの場合、ゴールキーパーは削られるポジションであるが。
野球などもピッチャー以外なら、キャッチャーが大好きという人間もいるだろう。
おそらくこれはドカベンの影響が大きい。
ピッチャーと共にバッテリーとして、扱われることも多いからだろう。
今はさらにピッチャーが細分化されている。
先発、中継ぎ、抑えという三つが主なものだが、敗戦処理もあるのだ。
直史は今日、とにかくゴロか三振を狙っている。
守備力がアップしているため、左方向に打たせることを意識しているのだ。
ダブルプレイを二つ奪い、失点を防いでいく。
そして球数も、そこそこに抑えていかなければいけない。
開幕戦は143試合の中の、一試合に過ぎないのだろうか。
そう考える人間もいるし、考えない人間もいるだろう。
直史は自分自身はどうでもいいと考える。
しかしそう考えない人間がいるのが重要だと、面倒な思考回路をしている。
レックスは去年よりも、得点力を増している。
そう思わせたいのが、この開幕戦である。
またレックスはWBCにおいて、重要な情報を手に入れている。
迫水が各チームのエースクラスの球を、実際に受けているのだ。
そういう蓄積もあって、レックスは情報を入手している。
機械で計測するものとは違う、生きた球の情報である。
その印象を共有するのは、チームにとっても財産となる。
スターズも比較的、守備型のチームである。
だが武史が開幕までに、仕上がらなかったというのは大きい。
もっとも対戦相手がレックスであるので、あえて勝負を避けたかったというのもあるだろう。
武史を大切に使って、どうにか今年はAランクに戻りたい。
スターズの首脳陣が考えているのは、そういうことである。
だが現場とGMなどは、違う感覚を持っている。
武史は確かに優れたピッチャーであるが、プレイヤーとしてのカリスマは上杉に遠く及ばないのだ。
上杉も最後の一年は全盛期並の活躍をしたが、そこまではやや数字を落としていた。
それでもチーム全体に、その影響はあったのだ。
現在のスターズは、また弛緩した空気が表出しようとしている。
キャプテンシーというのは、武史にとっては遠い言葉だ。
直史にもまた、他者を引っ張る資質というのは薄い。
全くないわけではないだろうが、それよりもはっきりするのは支配力。
マウンドにいる間は、その試合は直史が支配したもの。
確かにこの試合、そこそこヒットは打たれる。
だがまるで点が入る気配はなく、送りバントも簡単に一塁で取っていくのだ。
三塁は踏ませない。
そういう計算をして、バッターには打たせている。
送りバントを二つ続けて、三塁に送るならそれでいい。
そこまでして一点を取っても、充分な点差のリードがある。
そして直史は三塁にランナーがいても、何も動じない人間である。
レックスの守備の間、試合は淡々と進んでいった。
確かにたまに、ヒットは出るのだ。
しかし牽制球で、ランナーは進塁を難しくされている。
ランナーを背負っていても、直史が動じることはない。
クイックから投げられるボールは、盗塁をも阻止する。
この間のオープン戦で、司朗に盗まれた時から、より注意するようになった。
あまりランナーを気にしすぎても、バッターとの対決がおざなりになるだろうが。
この試合のポイントは、レックスの打線にあった。
ビッグイニングを作ることはなかったが、チャンスでしっかりとヒットを打つ。
そしてチャンスをつなげて、1イニングに二点以上を取る。
そうやって最終回までに、8-0というスコアを達成した。
コールドゲームの点差である。
直史もヒットを五本打たれたが、ダブルプレイを三つも奪った。
つまり対戦したバッターは、たったの29人である。
当たり前のように、96球でマダックスを達成。
奪三振は八つと、そこそこ少なかった。
シーズン開幕戦で、完封勝利。
これはレックスの、今季の勢いを示すような試合である。
ただ試合後のインタビューでは、他の球場の情報も入ってくる。
「ライガースが負けたか」
それもしっかり、殴り合いでの敗北であった。
そしてタイタンズの打線で、一番目立ったのが司朗であったのだ。
高卒野手がデビュー戦というのは、バットをしっかり振っていけたらそれで充分。
だが司朗はプレッシャーもなく、初安打を初打席で記録した。
そして二打席目、初打点を記録する。
ツーランホームランという、初本塁打での達成であった。
高卒新人にばかり活躍させていられるか。
そう考えたタイタンズ打線は、この日は積極的に点を取っていく。
ただライガース打線も、黙っていられるはずもない。
大介がいなくても、しっかりと点を取っていく。
だが殴り合いになると、やはり大介のいないことが大きい。
ショートを守る野手は、当然ながらそこまで打撃を評価されているわけではないのだ。
そして第三打席、司朗の打順である。
「もうええやろ~! おとなしく凡退しとけ~!」
「あんまり序盤から張り切らんでええぞ~!」
そんなことを言われても、ライガースは先発の畑を既に下げている。
敗戦処理に近くなっているが、ライガースの打撃力であれば、まだまだ逆転は可能だろう。
オープン戦でも感じていたが、プロは先発が降板しても、普通にそれに近い力のリリーフが出てくる。
当たり前の話だが、ピッチャーの平均的な力が、高校野球とは圧倒的に違うのだ。
ただ初対決となるからには、打てるかどうかを確認しておく必要がある。
「よ」
上手くバットに乗せるように、遠くへ飛ばす打球。
だがわずかに飛距離は足りない。
フェンス直撃のボールであったが、今度はさすがに二塁で足止めの司朗である。
後続のバッターに、ホームまで帰るヒットを打ってもらうしかない。
しかし既にツーアウトである。
ならばここは、試しておくべきであろうか。
二塁にいながら、三塁への盗塁。
ここでそれをやってくるか、というサインをベンチに出してもらっていた。
ピッチャーのクイックが遅かったのもあって、無事に三盗成功。
油断を突いた形になる。
(まあ走る必要はあまりなかったけどな)
こちらの足を見せ付けておきたい、と司朗は考えていたのだ。
ここでタイムリーヒットが出て、司朗は今日三度目のホームを踏む。
そしてベンチに戻ってきたわけだが、雰囲気が少しおかしい。
(まあ一年目のデビュー戦で、これだけ打ってたらそうなるか)
そう司朗は思ったのだが、当事者は気付かないものである。
緊迫した雰囲気の中、監督の寺島が声をかける。
「今日は、五打席目も回ってきそうだからな」
「はい」
リードしている展開であるし、ライガースも大介がいない。
おそらくこのままでいけば、開幕戦を飾ることが出来るだろう。
こんな殴り合いの展開で、負けるのは久しぶりのライガースであろう。
だが司朗の四打席目にも、しっかりとピッチャーを代えてくるのだ。
(ノーアウトだし、もう一度盗塁をしておくか?)
プロはどんどんとピッチャーを代えられるな、とつくづく思う。
オープン戦でもそれは見てきたが、公式戦でもこうなるのは、点を取られすぎているからか。
代わったばかりのピッチャーは、これまた若手のピッチャーである。
確か二年目であるから、ここもお試しといったあたりか。
ライガースの投手陣は、絶対的なエースがいないな、とは司朗も思っていた。
そしてどうせなら、ここでまた見せておくか、という気分にもなる。
ボール先行から三球目、バントで三塁線に転がす。
司朗のここまでの打撃を見ていれば、深く守りたくもなるだろう。
ただ盗塁をしてみせたのに、深く守るというのはどういうことなのか。
相手の不意を突けたのか、サードのチャージは遅れていた。
余裕のバントヒットで、一塁を駆け抜ける。
その瞬間、スタンドが大きく沸いた。
そういえば四打席連続ヒットか、と司朗はプロならやっぱり対戦してくれるのだな、と軽く考えている。
だがアウェイであるのに、大きな拍手が続いていた。
『神崎選手、サイクルヒット達成です』
え、と司朗は思い出す。
先頭打者として、確かにスリーベースを打っていた。
そして次がホームランで、その次がツーベース。
このバントヒットで、確かにサイクルヒットである。
猛打賞までは頭にあった。
だが司朗は、高校ではサイクルヒットなど達成していない。
そもそも打数が四度も、回ってこないものなのだ。
普通のヒットを打つぐらいなら、ボール球を選んでフォアボールで出塁する。
敬遠されることもあったので、本当に初めての達成であった。
大介もデビュー戦で、ホームラン二本とツーベース二本という、派手な数字を残したものだ。
しかしデビュー戦がサイクルヒットというのは、これは生涯に一度しか挑戦できないことである。
なぜ寺島がああ言ったのか、それにベンチの雰囲気が変だったのか、ようやく気付く司朗。
やや天然が入っているのは、やはりその身に流れる父親の血ゆえか。
この後にもう一つ、盗塁を決める。
記録になるようなことでもないのだろうが、一試合で四回、二塁ベースを踏んだことになる。
また後続のヒットによって、四度目のホームを踏む。
打線は好調で、二桁得点。
たださすがに回ってきた五打席目は、野手の正面へのライナーとなり凡退。
これが五打数五安打であったなら、一試合目が10割という記録にもなったのだろうが。
大介は最初の試合、五打席四打数四安打で10割であった。
フォアボールで歩かされたからである。
12-5でタイタンズは勝利。
この勝利にタイタンズ首脳陣は、ここ数年なかったものを感じている。
『開幕デビュー戦、サイクルヒット達成おめでとうございます』
『ありがとうございます』
『サイクルヒットの達成は、どのあたりで狙いましたか?』
『いえ、周りも何も言っていなかったので、達成するまで気付きませんでした』
ここで笑いが起こる。
五打席目が回ってきたのだから、あそこで打っても達成は出来たのだ。
バントヒットを見せ付けたのは、向こうの守備位置を確認してのことである。
『やっぱり新人で、向こうのピッチャーも油断していたので、記録できたことだと思います』
これは正直な本音であり、もう一度やろうと思っても、特にスリーベースが打てないであろう。
歴史的にみてもサイクルヒットは、同じ人間が二度以上という例は、日米含めてかなり少ない。
スリーベースを打つほうが、ホームランを打つよりも難しい。
大介はそんなことを言っているし、確かにそうなのかな、と司朗も思う。
もっとも大介の場合は、外野が最初から深く守っているため、スリーベースが打ちにくいという理由はある。
一試合を終わっただけでなんだが、司朗は最多安打の部門で、まずトップに立った。
盗塁も二度成功させて、こちらもトップである。
野次っていたライガースファンも、最後には拍手をしてくれる。
面白い野球を見せてくれるなら、それでいいという考えなのか。
司朗がまだ、新人だからというのも理由ではあるのだろう。
武史の息子であるが、大介の義理の甥でもある。
そういったところもまた、司朗への好意につながっているのかもしれない。
「派手なデビューだったな」
そして司朗は、夜の街に連れ出される。
翌日も試合があるのだが、こういう日ぐらいは祝ってもいいだろう、という話なのだ。
(どうせなら本拠地で達成したかったな)
おそらくこういうものは、二度と達成できない。
司朗としてはそう考えている。
まだ18歳であるので、食事のみとなる司朗。
だがさすがにタイタンズの派閥は関係なく、この日は先輩選手が奢ってくれた。
ここ数年、パッとしないタイタンズであった。
それが開幕で、ここまで大きくニュースを作ったのだ。
直史のマダックスをも上回る、珍しい大記録。
翌日の新聞は全て、スポーツ欄の最大のニュースとして、これを報じたのであった。
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