第391話 誰が悪いのか

 WBCは順調に進んでいった。

 日本は決勝に進み、アメリカと台湾の結果を待つ。

 さすがにそれなりにメジャーリーガーの多いアメリカが、勝つだろうと予想されていた。

 しかし意外なことに、決勝に残ったのは台湾であったのだった。

「あちゃー」

 ネットで試合を見ていた直史も、これには苦笑した。

 まだしも北中米の国が残っていたなら、メジャーリーガーがそれなりにいただろう。

 しかし台湾には、わずか一人がいただけ。

 そして日本においても、メジャーリーガーは全て日本人。

 つまりアジア人同士の決勝戦が、アメリカで行われることになってしまったのだ。


 別に悪いとは思わない。

 日本チームも大介が主力ではあるが、メジャーで長く活躍していたプロ。

 それに現役のメジャーリーガーが、それなりに参加しているのだ。

 それでも両国のチームメンバーが、一人を除いてアジア人というのは、想定外であったろう。

 一人は日系アメリカ人が、日本代表に選ばれていたのだ。


 一応は見た目はアフリカ系の黒人に近い。

 まあ遺伝的に出やすい性質であるというのは確かである。

 それにしてもアメリカで、アジア同士の国が決勝を行う。

 これに皮肉を感じてしまう直史は、歪んでいることを自覚している。

(相撲の東西横綱が、両方モンゴル人みたいな感覚なのかな)

 まあモンゴル人なら人種的特徴が変わらないので、それほどの違和感もないのだが。


 現地の応援はメジャーリーガーの多い、日本への声援が多かった。

 戦力的にも日本が負ける可能性は、かなり低かったと言ってもいいだろう。

 キャンプ期間であるが、NPBのチームは既に本拠に戻ってきていて、オープン戦を戦っている。

 もっともこの時期は高校野球のセンバツも始まっていて、どちらも注目されていたが。


 直史からすれば、WBCには義弟の大介が参加している。

 プロのキャンプには弟の武史と甥の司朗。

 そしてセンバツには甥の昇馬に娘の真琴という具合だ。

 大介と昇馬は親子だが、その関係性は薄い。

 仲が悪いとか、相性が悪いわけではないのだが、お互いを尊重した上で距離を置いている。

 だが勝負となれば、本気でやりあっていく。


 大介は今でもMLBにおいてはレジェンドだ。

 そのホームラン数の記録は今後、もう更新されないであろうと言われている。

 21世紀に唯一、四割を記録したバッター。

 タイ・カッブとベーブ・ルースが一つの肉体に入っている、などとも言われたものだ。

 ただあの小さな体で戦っているところが、信じられなかったのも確かであろう。

 日本人は昔から、小さな英雄が敵役を倒す、という物語があるのだが。




 国内のオープン戦も残りが少なくなっている。 

 直史は順調に、ゆっくりと仕上げていっていた。

 他の親戚周りだと、司朗が一年目から活躍しそうだ、と言われている。

 そして武史も順調に、遅れて調整をしていっている。


 去年はキャリアで一番長い、三ヶ月の離脱があった。

 さすがにこれは限界か、と思われていたものだ。

 それでも一人で貯金を10個作ったのだ。

 いまだに先発のローテに入っているのは当たり前のことだ。


 ただスターズはやはり、上杉の神通力が切れてきた。

 オープン戦からどうも、調子が上がっていかない。

 武史は調整をしつつも、自分の限界を感じるようになってきている。

 おそらく今年か来年あたりで、もう引退ではないのか。

 そんなことをオープン戦で会ったら、直史と話したりもする。


 引退はもう、時間の問題だ。

 二桁勝てなくなったら、それが限界だと武史は割り切っている。

 ただあと二勝はしたい。

 すると日米通算の勝ち星が、401勝になるのだから。


 上杉の記録を抜くことは、ちょっと難しいだろう。

 それでも大卒投手が400勝を突破するというのは、偉業であることは間違いない。

 しかもこの中で200勝以上が、MLBで記録したものなのだ。

 間違いなくあちらでも、野球殿堂入りはするであろう。

 燃え尽きてしまいたい、などとは思っていない。

 だがこういう話をしていると、直史もさすがに自分のキャリアの終わりを意識してくる。


 大介が引退すれば、もうそれでいいだろう。

 今年一年は司朗とも、勝負する機会はあるはずだ。

 最後の一年は、FA権を使っていい。

 千葉に戻るのが、直史の最後の仕事になる。

 出来れば日本シリーズで、大介と対戦してみたいものだが。

 そこまで都合よく、両者の力が落ちないものであるのか。

 大介はWBCでも、主砲と言うよりはリードオフマンに近い仕事をしている。

 次の大会では、さすがに参加していないであろう。


 大介は野球をやるのが、とことん好きなのだ。

 生涯現役と言っているからには、NPBを引退しても、独立リーグでプレイする気が満々である。

 一つのことでこれほど、成功するような人生はまずない。

 もちろん大介の周囲には、理解者が多かったのも確かだが。


 運命のように、色々な人間が揃った。

 だがその物語も、終わろうとしている。

 死なない人間がいないように、どれだけ偉大なプレイヤーでも、衰えて引退する時は来る。

 故障しやすくなったり、純然と筋力が落ちたりと、衰え方は色々とあるだろうが。

 それでも人間に老いはあるし、もしくは事故や怪我もあるし、そして死が訪れる。

 同じように国家も滅ぶ。

 果たして継承する人間はいるのかどうか。

 少なくとも司朗は、怪物ではあっても大介に比べれば、まだしも人間の範疇に入っている。




 オープン戦も終りが近づいてくる。

 そしてWBCもいよいよ決勝だ。

 日本と台湾による、アジア勢同士の対決。

 第二回大会も日本と韓国が決勝で戦ったものだが、その後は長くアメリカや北中米の国が決勝に残っていた。

 幸いにも日本人メジャーリーガーの出場が多いため、観客動員にはそれほども問題はないようであった。

 五万人以上の観客が入り、ロジャースタジアムでまともな試合になっている。


 台湾はここまで、強敵相手にはロースコアゲームで勝ってきた。

 ただ日本代表も、それなりのロースコアゲームは経験している。

 試合前から戦力分析では、勝って当たり前、などと言われていた。

 確かに台湾は準決勝のアメリカ戦で、ピッチャーを球数制限まで使いきってしまっている。

 残っているピッチャーはもちろんいるが、アメリカ相手に投げた面子に比べると、やや力不足である。

 台湾としてはアメリカ代表に勝っただけで、もう充分であったのだろう。

 余力を残して勝てる相手ではなかったのだ。


 対して日本は、確かに決勝トーナメントは、強い相手と当たってきた。

 オーストラリアにもメジャーリーガーがいて、注意すべき選手はいたのだ。

 もっともオーストラリアの場合は、マイナーの選手が主力となっていたが。

 南半球であるので、調整も北半球とは違ったであろう。


 日本の方が投手力で、台湾を上回っている。

 双方スモールベースボールだが、作戦の幅は日本の方が広い。

 台湾にもスラッガーはいるが、日本ほどの得点力は持っていない。

 全体だけではなく、それぞれの戦力を比較しても、日本が劣っているところは一つもない。

 だからといって確実に勝てる、などという空気を作ってもらっては困るのだが。


 絶対に勝てというプレッシャーは、地味に日本代表に効いているようであった。

 序盤から双方のチームに、点が入らないという立ち上がり。

 これは先取点を取った方が、勢いづくというパターンではないのか。

 ただピッチャーの質が上である日本は、次々と継投をしていく。

 台湾はチャンスの芽を、次々と潰されていくのであった。


 大介としてもこの大会、故障をしないように控えめに、プレイしてきたと言えるだろう。

 ただそれによって、マークが緩くなっている。

 ランナーがいる状況で、しっかりとゾーンの中に投げてくれる。

 この時を待っていた。


 大介に甘い球を投げてはいけない。

 だが想定外の球であれば、甘く見えても打ち損じることはある。

 今回のボールは、その球自体は甘くなかった。

 しかしこれを大介に投げるというのが、甘い想定であるのだ。

 レベルスイングから打ったボールは、見事にそのままスタンドへ。

 まずは二点を先取した日本代表であった。




 継投を続けてきて、このままリードを保って勝てるか。

 そう思えてきたところに、アクシデント発生である。

 そしてこのアクシデントは、日本で試合をチェックしていた人間にも、想定外のものであった。

「おいおいおい」

 WBCにチームの主力が出場している以上、西片はそれを見ないわけにもいかない。

「何やってんだよ」

 八回に出てきた平良が、わずか一人に投げたところで、肘を押さえて降板。

 言うまでもなく、レックスの絶対的なクローザーである。


 よりにもよって肘である。

 まさか靭帯か、と思ってしまっても仕方がない。

 トミー・ジョンは今時、ごく普通に行われていることだ。

 しかし復帰には、丸一年はかかると見て間違いない。

 違和感程度で勘弁してくれ、とはレックス関係者は誰でも思ったことだ。

 こういうことがあるから、ピッチャーをWBCに出したくないのである。


 ただ八回であったのが、幸いであったと言うべきか。

 日本チームはまだ、他のピッチャーを用意していた。

 ランナーもおらず、ワンナウト取ったところで、交代というわけだ。

 状況としては、決して悪くはない。


 それにしても平良が、こんなことになってしまうとは。

 ずっとクローザーをしていたのを、セットアッパーとして使っていたkら、わずかな違和感が生まれてしまったのか。

 あるいはWBCは初めてなので、力が入りすぎたのであろうか。

 ベンチはまず、この試合に勝たなくてはいけない。

 負けてしまえば平良が、変に責任を感じてしまうかもしれない。


 ピッチャーというのは本当に、わずかな怪我で駄目になってしまうことがある。

 レックスとしてはクローザーを、壊されてしまってはどうしようもない。

 他のポジションが埋まっていったのに、一番代えの利かないポジションが、こんなことになってしまった。

 もちろんすぐに現地に連絡し、状態を確認することになる。


 WBCの決勝であっても、こういったアクシデントなど、誰も求めてはいない。

 正面からの対決で、試合は決着してほしいのだ。

 ここからまだ、投げられるピッチャーがいるのが、日本が投手大国と言われるところであろう。

 むしろこういうピンチにこそ、闘志を燃やすのがクローザーだ。

 リリーフピッチャーはまだ、日本は備えている。


 試合自体は日本が、そのままリードを守って勝利した。

 もちろんこれはこれで、めでたいことである。

 ただ監督の金剛寺をはじめ、コーチ陣は頭が痛い。

 こういったことがないように、しっかりと球数制限も守ってきたのに。


 優勝インタビューを受けながらも、内心では平良のことだけを考える。

 故障者を出して優勝しても、喜ばしさは半減といった感じか。

 あるいはこういうことだけは、絶対にしてはいけないことであったはずなのだ。

 代表メンバーには他にも、レックスから選手が出ている。

 左右田と迫水の二人は、すぐに日本と連絡を取るよう、金剛寺から言われたのであった。




 結果として言えば、最悪ではなかった。

 軟骨剥離骨折で、内視鏡手術が必要なものではあった。

 去年は武史がやった、肘の関節部分の骨が、わずかに剥離して関節の動きを阻害するというものだ。

 完治するまでにはおよそ、三ヶ月ほどが必要。

 レギュラーシーズンの半分ほどを、戦線離脱することになる。


 リリーフピッチャーに、故障は付き物だ。

 WBCへの参加がなくても、シーズン序盤で壊れていた可能性はある。

 ただこれで色々と、考えなくてはいけないことは増えた。

 もっともまず一番に考えるのは、クローザーを誰に任せるか、ということであるが。


 去年、平良以外にクローザーをしたのは、大平である。

 右腕と左腕ということで、相手の打順の左右によって、大平がクローザーをする試合があったのだ。

 その前年にもやっていて、経験値はかなりある。

 ただ平良と比べると、どうしてもフォアボールの多さが気になるのだが。


 あとはもう一人、クローザーとして別格の実績を持つピッチャーがいる。

 もちろん直史のことであるが、これはもう無理である。

 若かった頃と違って、今ではもう回復力がない。

 耐久力という点でも、さすがに昔のような無茶はきかない。


 そもそも直史を先発から抜けば、リリーフ陣への負担が増える。

 それに勝ち星そのものが、減ってしまうのも明らかだ。

 基本は大平をクローザーとし、シーズン中に試していくべきであろう。

 須藤と国吉は、勝ちパターンのリリーフとするべきだ。

 ただ須藤の場合は、国吉ほどの安定感はない。


 チームメイトの故障というのは、首脳陣は悩ましいことだ。

 しかし同じチームの、しかもリリーフピッチャーであれば、チャンスにもなるのである。

 同じリリーフであっても、セットアッパーとクローザーでは、年俸が変わってくる。

 それにどちらかというと、クローザーは大切に使ってもらえるのだ。

 大平は去年、回跨ぎを数度している。

 だがクローザーならば、普通は1イニングのみのピッチングとなるのだ。


 シーズン直前のこの時期に、クローザーが離脱。

 三ヶ月で戻ってきても、感覚を取り戻すのに時間がかかるかもしれない。

 レックスの編成陣は、ここから外国人助っ人を探すことになる。

 今のところレックスは、外国人助っ人を三人まで、スタメン的に使っている。

 だからあと一人、増やそうと思えば増やせるのだ。


 オーガスは先発なので、それとは違うもう一枚。

 クローザーに必要なのは、奪三振能力。

 そういう点では球速があれば、それなりに奪三振能力とも比例する。

 だがアメリカのマイナーから、そんな選手を拾ってくるのは、この直前には難しいことである。

 もちろん出来なければ、勝率は一気に下がってしまうだろうが。




 投手陣には問題はないはずであった。

 問題は打線の得点力だ、とレックスの首脳陣は考えていた。

 しかしクローザーが抜けるというのは、まさかという話でもあったのだ。

 ただ大平にも、それなりのクローザー適性がある。

 だからまだ、致命的な事態とはいえないであろう。


 打線により、援護の力が求められる。

 一点差を守るクローザーというのは、本当に精神的な重圧がすごい。

 それが余計に、体に負荷をかけることになる。

 出来るだけ余裕のある点差で、リリーフ陣には投げさせたいのだ。


 そのためにも先発は、なんとか六回までは投げてほしい。

 当初の予定では五回まで投げても、六回に須藤を使う、という予定であった。

 ただ三島が抜けて、平良も三ヶ月は抜ける。

 若い平良であるので、復帰には比較的、短い時間で充分かもしれないが。


 それにしてもレックスの公式戦でもなく、オープン戦でもないというのが、頭を悩ませた。

 WBCというものに対して、特に初めて出場する選手は、特別な感慨を持っていたであろう。

 そこの気負いが、わずかにピッチャーの調整を早めてしまったか。

 もっとも去年の登板数を考えると、どこかで壊れてもおかしくはなかったのだ。


 誰の責任か、というのはここで語るべきではない。

 とにかく目の前の事態に、対処していかなければいけない。

 大平はクローザー抜擢に、複雑な思いではあった。

 しかし自信はしっかりとあるのだ。

 オープン戦でも短いイニングを、しっかりと抑え切っている。

 平良がいない間は、それこそクローザーとして働いていたのであるから。


 プロ野球の世界は、ポジションの奪い合いである。

 直史のような余裕を持った人間は、本当にごくわずかなのだ。

 スタメンの機会があるならば、故障してくれと考えるのもおかしなことではない。

 ピッチャーであればローテに入りたいし、ショートやキャッチャーはそれこそ奪い合い。

 バッティングがあるならば、どこかにコンバートされることもあるが。


 クローザーが平良でなくても、それなりに勝つことは出来る。

 ただ確実なリリーフが一枚、失われてしまったのである。

 復帰するまでの日程にしても、本当に元の通りに投げられるとは限らない。

 そして直史は元クローザーとして、色々と大平に教えていくことになる。


 帰国した平良は頭を下げていたが、怪我は誰だって、したくてするものではない。

 重要なのはしっかりと治して、早めに復帰すること。

 だが焦ってはいけないのも確かで、平良は帰国後すぐに手術を受けた。

 おそらく二ヶ月ほどで、普通に投げられるようにはなる。

 しかし元通りに投げるには、メンタル的なものも問題になるだろう。

 レックスはかくして、主力に不安を抱えた状態で、開幕戦を迎えることになったのである。

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