第389話 若い力

 やはり打たれたか、という気持ちがある。

 打たせてもらえたな、という気持ちもある。

 バッティング練習の時よりは、少しだけ本気だと感じた。

 だがまだ本当の意味では、本気でないのだと分かっている。

(さて、ここからか)

 司朗は直史のボールを打ったことはある。

 だが一塁からその様子を見るのは、初めてのことだ。


 去年の盗塁数が、規定投球回に達したピッチャーの中で、最も少ないのが直史だ。

 規定投球回を、大きく上回って投げたのにも関わらず。

 クイックがとんでもなく速いという以上に、その動作の起こりが見えにくい。

 足を上げる動作から、前方への体重移動が、スムーズすぎてスタートのタイミングが取れないのだ。


 司朗は出塁するごとに、次の塁を目指している。

 盗塁の価値が下がったと言われる現在の野球であるが、条件が揃えばそんなこともない。

(ナオ伯父さんから点を取るには、ノーアウト二塁の状況を作る必要がある)

 行けるなら行けと言われている司朗だが、直史の背中からは、バッターに投げようという気配が読み取れない。

(大介叔父さんも盗塁まずしてないしな)

 単純にメカニックが洗練されているとか、クイックのスピードが速いとかではない。

 投げるという気配が感じられないのだ。


(本当にあれ、人間か?)

 マウンドに立って、対戦している時にも感じた。

 だが今はそれ以上に、生命の気配を感じさせないという存在になっている。

(どこまでもリードを取ってもいいような)

 だが牽制で殺した数は、回数はともかく頻度は多いのだ。


 むしろ直史ではなく、ファーストの気配を確認すべきだ。

 いくら直史が速く、正確なスローをしても、それを受け止めるファーストが存在する。

 近本の気配を感じながら、司朗は一塁ベースとの距離を開ける。

(なるほど、これならいけるな)

 ファーストの気配はやはり、高校野球までと変わらない。

 プロでも特別なのは、ほんの一部なのである。


 一番バッターというポジションが、司朗はほしい。

 そしてヒットを打ちまくって、最多安打と最高出塁率、そして盗塁王を目指す。

 もっとも最高出塁率は難しいが、首位打者やホームラン王に比べれば、まだしも可能性はありそうだ。

 とにかく塁に出て、大介をタイトルの重みから解放する。


 現役時代のほとんどで、三冠王を取っている大介。

 司朗にとっては叔母の夫なので、血はつながっていない。

 だが従弟妹の真琴や昇馬を見ていると、血統はしっかり仕事をしているように思う。

 とは言え自分と昇馬の間には、かなりの差があるとも思えるが。

(昇馬がこの世界に来るとしたら、大介叔父さんとの勝負をするか、ナオ伯父さんとの勝負をするため)

 そこに割って入るつもりの司朗である。




 司朗の盗塁を狙う気配を、直史は充分に感じている。

 そもそも今日のレックスは第二捕手なので、盗塁はしやすくなっている。

(頑張って練習しろ)

 そう思いながら投げた二球目に、司朗はスタートを切っている。

 直史の投げたボールは、スピードのあるカーブである。

 これをキャッチしてから投げたのだが、タイミングはぎりぎりでセーフ。

 迫水であったらアウトにしていたであろう。


 スタートのタイミングは、明らかに遅れていた。

 それでも爆発的なダッシュによって、無理矢理セーフにしてしまっている。

 いくら直史のピッチングを見ていたとはいえ、プロ一年目の高卒が盗めるものではないのだ。

 キャッチャーのレベルはともかく、立派なスチールではあった。


 盗塁は完全な数字の世界である。

 だが最初のスタートの遅れを、足で取り返すなど、普通ではない。

 ただ似たようなことは、大介もやっている。

 しかしせっかくノーアウト二塁にしたところで、バッターはファールフライを打ってワンナウト。

(使えねえ)

 二塁のベース上から、内心で呟く司朗である。


 これでバッターはピッチャーが回ってきたが、オープン戦だけにタイタンズも動いてくる。

 しっかりと代打を出して、このチャンスをものにしようとする。

(まあ司朗がどこまで走れるか、それは期待してるだろうしなあ)

 ワンヒットで一点が入るので、バッターを試したくはなるだろう。

 こういう時は内野ゴロではなく、三振を奪いたい。

 そう思っていた直史は、さすがに油断していたと言える。

 初球から司朗が、三盗を仕掛けてきたのだった。


 既に二球見て、少しはタイミングが分かってきている。

 さらに直史のクイックが、わずかながら遅かった。

 普段のクイックであり、盗塁殺しのクイックではない。

 そのためキャッチャーの投げた球も、わずかなタイミングで及ばず。

 これでワンナウト三塁という、様々なパターンで点が入る状況を作り出したのである。


 いい仕事をしているな、と直史は感心する。

 このあたりまだ、親戚の伯父さん的に考えている。

 そう思うと一つ、試してやりたくもなる。

 外野フライが打てる程度に、高めのストレートを投げ込む。

 それをタイタンズの一番打者は、狙い通りに外野に高く上げたのであった。


 距離的には微妙なところだろうか。

 司朗のダッシュ力は、昇馬とほぼ同じぐらい。

 ベース間の走力も同じぐらいであるが、ダイヤモンドを一周するとアルトが一番速く、昇馬が一番遅い。

 走塁のテクニックの問題であるのだろう。

 かつては大介が、この走力ではダントツのスピードを誇っていた。


 ライトのクラウンは、それなりの強肩だ。

 そこからのタッチアップとなると、難易度はそれなりに高い。

 しかし司朗は上手くスライディングし、ミットをかいくぐった。

 直史から一点を取ったのである。




 やはり足が速いな、と直史は感心する。

 この3イニングを終えたところで、直史は交代。

 オープン戦の直史は、そこそこ打たせることがある。

 それでも司朗がほぼ一人で、一点を取ったことは確かであった。


 タイタンズ首脳陣も、このインパクトをしっかりと受け止めていた。

 オープン戦の成績は、投打共にさほどアテにはならないのは、プロ野球の常識である。

 しかしこの次の打席、ランナー二人がいるツーアウトの場面から、司朗はホームランを打っていったのだ。

 ケースバッティングの極致と言えるであろう。


 タイタンズの首脳陣は、現在はあまり動くタイプではない。

 コーチ陣の意思統率をする監督が、あまり強権を発しないタイプなのだ。

 それはそれで場合によっては、いい方向に行くこともある。

 だがチームを率いる指揮官というのは、とにかく命令を守らせる格が必要となる。


 タイタンズの寺島監督は、性格的に明るく、強気なところがある。

 ただそれを補佐する人間が、いまいち合っていない。

 ピッチャー出身であり、威勢のいいところはある。

 しかし投手以外の点では、基本的にコーチ任せ。

 それでも司朗の運用は、重要なことだと分かっていた。


「一番に使ってみるか」

「悪くないですな」

 バッティングコーチに任じられているのは、現役時代はやはりタイタンズで過ごした茂野。

 故障がなければもっと、などと言われた選手であるが、技術自体は高いものがあった。

「MLB流に二番に持ってきても面白いと思いますが」

「特別扱いしすぎとか思われるだろ」

 競合一位指名の選手なのだから、してもいいだろうと茂野は思うのだが。


 司朗は契約の折に、かなり無茶をしている。

 タイトルや表彰など、多くの条件を満たしたら、ポスティングを認めるというのが球団との約束だ。

 タイタンズはいまだに、球界の盟主であるという、GMや親会社の自負。

 それが全く通じない司朗に対して、あれだけ欲しがっていた親会社のお偉方が、不満を抱えているというのは本当のことらしい。

 球団社長にもそれが伝わって、GMから司朗に対する視線は厳しい。

 もっとも現場としては、使えるならば使うのみ、という当たり前の感覚でいる。


 一位指名なのだから、普通に特別扱いはする。

 しかもここまで見た限り、即戦力級の力は持っている。

「父親譲りかねえ」

「確か甲子園でホームランも打ってましたね」

 司朗の父の武史は、ピッチャーだが高校時代、四番を打っていたこともある。

 そして高校通算では、30本以上のホームランも打っていた。


 さすがにあの強肩は、はっきりとは遺伝していない。

 しかし外野からレーザービームで投げられる送球は、150km/hを軽く超えている。

 数歩の助走を使えば、160km/hさえ超えるのである。

「守備も上手いからなあ」

「上位打線は打たせたいですね」

 ただこの現場の判断に、まだ早いなどと言ってくるコーチ陣もいるのだ。




 タイタンズ内の確執の一つは、ピッチャー出身の監督であるのに、ピッチングコーチとの意見が合わないというところにある。

 下手に自分が口を出すと、ピッチャーたちも混乱するだろうから、寺島は育成面ではあまり考えないようにしているが。

 自分が投げていた時代よりも、さらにピッチャーの投げるイニング数は少なくなっている。

 ただしっかり成果を出している打撃の茂野と、出せていない投手陣。

 そのくせ責任転嫁は上手いのだから、一番始末に終えないというものだ。


 投手陣はピッチングコーチとその周辺のトレーナーの間で、大きく派閥が出来てしまっている。

 バッテリーコーチとの仲が悪いというか、そもそも考え方が違う。

 これだけバラバラの状況で、よくもチームとして機能しているものだ。

 しかしさすがに結果を出さないと、寺島もクビがかかっている。

 二年連続で五位という三年契約。

 フェニックスのおかげで、最下位を逃れているという状況だ。


「だいたい監督をする時、コーチ人事も任せてもらえるようにすれば良かったんですよ」

「いや、あのおっさんがあそこまでクセがあるとは思わなかったからさ」

 このあたり寺島も、人心掌握の手腕に長けているとは言えない。

「実際に昔は、けっこうちゃんと育ててたし」

「……監督になりたいから、わざと失敗してるとか?」

「失敗したら監督になれねーだろ」

 それは確かにそうなのである。


 球団内の政治が、激しすぎるのだ。

 他の球団であっても、大なり小なりあったりはするが。

 ただタイタンズはその監督人事などに、かなり限定した条件をつけている。

 ピッチングコーチなども、本来ならもっといい人事もあったろうに。

 そして不都合なのは、下手に無能ではなく、かつては有能であったという実績があることだ。


 寺島は三年目の契約最終年なだけに、ここで実績を残す必要がある。

 Aクラス入りというのが、その最低限の条件であろう。

 タイタンズの監督の座を狙っている人間は、大量にいる。

 だが今の状況のタイタンズを渡されても、果たして成果を出せるのか。

「今だから分かるんだけど、監督就任をする前に、人事権も握れるように根回ししないといけなかったんだな」

 寺島は人がいいだけに、そのあたりに疎いところがあった。

 次に監督をやりそうな人間には、しっかりと教えないといけないだろう。

 そんなことを考えてしまうあたり、やはりお人よしと言えるのだろうが。


 スターの登場が、チームを強くすることはある。

 司朗はその点、血統や実績など、スター性は抜群である。

 ただそのスターが、最初からメジャーを視野に入れているのが気に入らない。

 そんな狭い心の持ち主がいるから、現場にも歪みが出てくる。

 気持ちは分からなくもないが、どんどんメジャーリーガーを輩出してでも、なお強いチームを作ればいいではないか。

 寺島はそう思うが、自分自身はメジャーに行っていないだけに、タイタンズの限界も見えてくる。




 タイタンズの歴代の監督を見れば、全てタイタンズでデビューした選手に限られている。

 寺島もそうであるし、またコーチもタイタンズ出身がほとんどだ。

 それこそトレードなどでタイタンズを出ても、監督になるのは難しい。

 これを純血主義と言うらしいが、一応はこれを打破しようという動きもあるのだ。


 一時期のタイタンズは、それこそ日本人選手だけで、チームを揃えていた。

 だがよく見るとその時期には、戦後の日本に帰化した選手、というのがかなりいるのである。

 昔からスター選手を、ドラフトで指名することは多かったのだ。

 そして実績を残した選手を、監督として使っている。

 ただ寺島はもう何をやっても、四年目はないだろうとも言われている。


 タイタンズからメジャーに行った中なら、本多や井口といった路線もないのか。

 これもおそらくはないだろう、と言われている。

 完全にそうではないが、タイタンズの監督は、大卒がとにかく多い。

 球団内の政治のために、大学のコネクションも必要だ、ということなのだろう。

 高卒で監督になっている寺島は、球団政治の妥協の結果で、だからこそ人事権まではえられなかった、ということなのだ。


 茂野は大卒であるし、タイタンズ一筋だ。

 しかし活躍期間が短かった、という弱点もある。

「それこそ樋口とか西郷とか、ああいった選手を取れていたら違ったんだろうけどなあ」

 もっとも樋口はものすごく、上からは嫌われるか好かれるか、極端な人間だ。

 器量の小さな人間では、とても使いこなすことが出来ない。

「もう時代が違うと思うんだけど」

 寺島としてはそう言うしかないが、お偉いさんには通じないのだろう。


 タイタンズは資金を投下して、選手を獲得していっている。

 そもそもタイタンズのファンだった、という選手が多い時代が長かったのだ。

 しかし今ではもう、タイタンズの優位性が、なくなりつつある。

 もちろん金持ち球団であるので、そこは変わらず優位であるのだが。


 もう在籍経験があったぐらいでも、引っ張ってこれないものなのか。

 他のチームの監督をした人間に、オファーを出したという噂はあるのだ。

 ただそれに対して、反対する勢力がいる。

 これが消えるまでもう、タイタンズが強さを取り戻すことはないのではないか。


 タイタンズでデビューし、タイタンズで引退した。

 そんな選手はもう、どんどんと減っていっている。

 それこそ司朗なども、タイタンズに関心を示していない。

 強いて言えばファンであったのは、父と伯父がいたレックスなのである。

 ただその伯父と戦いたいために、他のチームを選んだというだけで。

 もしもそれがなければ、比較的ポスティングに寛容な、レックスは第一候補に上がっていたかもしれない。




 司朗のバッティング、守備、走塁の力がプロの中で明らかになってきた。

 そもそも両親の血統から見ても、育成環境から見ても、優れたものが生まれると思われるのだ。

 外野の中でも特に、守備範囲の広くなるセンター。

 あるいは肩を活かすためのライトというのもあったが、そこは走力を活かしてセンターを守らせることとなってきた。

 高卒一年目の野手が、ほぼ一軍のスタメンを約束される。

 これはかなり珍しいことだが、示した実力が圧倒的過ぎる。


 あとは打線のどこに入れるか、ということも重要になってくる。

 走力と出塁率を考えるなら、一番がいいであろう。

 ただその気になれば、長打も打てるのだ。

「一番でしょう」

「その心は?」

「今のうちの打線は、一発よりも塁上で引っ掻き回せる選手を必要としてます」

 茂野と寺島の会話から、司朗は一番で使われることが多くなっていった。


 とにかくバットコントロールの上手さが目立つ。

 高校時代も最終学年までは、安打製造機のクラッチヒッターとして知られていたのだ。

 ただそれでも通算で、100本塁打を打っている。

 これをスラッガーと呼ばないというのは、ちょっとありえないことであろう。


 こんなバッターを、白石昇馬は抑えていたのか、という話にもなってくる。

 同時期にはセンバツも始まり、今年のドラフトに向けて、スカウト陣は走り回ることになる。

 ただよほどのことが起こらない限り、一位指名は白石昇馬。

 絶対に競合が入るので、上杉将典を指名する、というチームもあるだろうが。


 司朗としてもプロのレベルが、自分の想像の範囲であることには安心した。

 そもそもこのレベルを想定して、ジンは司朗を鍛えていたのである。

 ジンのプロの選手たちとのコネクションは、高校と大学、そして指導者になってからも、深く堅いものとなっている。

 そこから今のプロのレベルを、しっかりと計算した。

 司朗の肉体の特徴も、しっかりと見据えた上での強化。

 二年目までは敏捷性を第一に、そしてようやく最後の冬に、長打力を伸ばしていった。


 ただそれでも基本的に、司朗は打率を残すタイプだ。

 そして下手に打率を高くしすぎるよりは、打点を稼ぐタイプでもある。

 もっとも一番バッターとなれば、打点はさすがに少なくなるだろうが。

 大介はMLBで一番を打っていた時も、しっかり打点王を取っていたが。


 司朗の野球IQとしては、一番バッターであった時、まずは相手のピッチャーの様子を確認する。

 高校野球と違ってプロの試合では、カットもまた一つの戦術である。

 無理に三振を奪いにいっても、ストレートなら合わせてホームランにしてしまう。

 司朗のホームランはフルスイングよりは、むしろ技術で打っているホームランだ。

 ボールに対するスイングの軌道は、状況に応じて変わってくる。

 ヒットでよければヒットで、ホームランがほしければホームランで。

 しかし長打すらも、技術で打っているというものなのだ。


 タイプとしては樋口が似ている。

 ただ樋口よりもずっと、打率が高くなっていたりするが。

「打率を上げすぎない方がいいこともあるぞ」

 オープン戦で対戦した時に、大介はそんなアドバイスをした。

「勝負してもらえなくなるからな」

 いや、そこまでのものではない、と司朗は思ったが。


 打率や出塁率でも、やはり大介を上回ることは出来ないか。

 ただ大介も今年は、仕上がりが遅めになっている。

 もちろん一流バッターとして、間違いのない打撃を見せてはいる。

 長打力では敵わないと思うが、意外と打率が上がってきていないのだ。

 三割を打っていて、打率が低いとはなんとも言えないが。

「三番を打てば、勝負してもらえる機会が増えると思うけどなあ」

 こういったのは四番の悟であり、確かにそれも一理ある。

 タイタンズは外国人で、しっかりとクリーンナップを固めている。

 それでも悟は、四番を打っているのだ。


 去年の故障から復帰し、オープン戦でも順調な仕上がりを見せている。

 かれこれタイタンズで、10年以上も主砲を務めている悟。

 ただ走力があったため、四番ではなく三番や、あるいは二番を打っていたこともあった。

 この二人が揃っている間に、タイタンズはなんとかチームを再建する必要がある。

 しかし球団政治がどうにかならない限り、ペナントレースの優勝を果たすのは難しいとも思う首脳陣であった。

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