第388話 強化

 直史はピッチャーの強化に努めている。

 実際にそれで、投手陣は強化されている。

 直史の指導者としての長所は、自分のような技巧派ピッチャーではなく、変則派や軟投派、本格派までも教えられること。

 そもそも直史の体格で、投げられるスピードには限界がある。

 しかしその体格の割には、球速が出るな、とも言われているのだ。


 全力投球などをしていれば、早く壊れるだけである。

 そして全力でなければ抑えられないのなら、そもそもピッチングの方向性が間違っているか、プロとしての能力がない。

 直史は八分の全力、というちょっとおかしなピッチングをしている。

 ただこの本気で投げてはいるが、本当の本気ではない、というのは完投するのに必要な技術なのだ。

(最近の選手は、とにかく出力を出すことだけを求められているような)

 自分が学生時代の頃は、まだしもまだ完投数が多かったと思う。


 もはや完投と言うのが、ピッチャーにとっては異次元の世界になっている。

 アマチュアレベルならばともかく、プロでは六回まで投げればそれでいい、というのが基準なのだ。

 五回を投げてもなんとか及第点で、さすがに四回だと失格、といったところだろう。

 レックスの六人目のローテは、やはり3イニングを二人で分ける、ということになるのだろうか。

 一応は選手よりの目線である直史は、そんな壊れやすい運用は、肯定しがたいものがある。


 プロのキャンプとなるとさすがに、ピッチング分析は全て計測されていく。

 ピッチングフォームも解析して、出来るだけ壊れにくいようにするのだ。

 その上で出力を上げるか、出力をコントロールするか。

 直史自身はどちらも、可能な状態ではある。

 出力が必要な場合もあるし、コントロールが必要な場合もある。

 状況によってどちらも選択出来るのが、直史の強いところなのである。


 今年は百目鬼が、かなり仕上がってきていた。

 あるいは次のポスティングが、百目鬼になるかもしれない。

 レックスはポスティングを容認しているが、それでも高く売れてくれないと困る。

 海外FAになるよりは、ポスティングの方がマシだと考えるだろうが。

 やはり1000万ドルぐらいはついてくれないと、補強にも金が足らない。

 ドラフトと育成に力をかける。

 レックスの体制はそれを維持する。


 もっと決定的な資本力がほしい。

 そうすればタイタンズやライガース、そして福岡のように補強が出来る。

 今年は三島を打って、小此木を連れてきた。

 そして外国人のカーライルも、そろそろ日本のピッチャーには慣れてきている。

 これだけ打撃力が高くなれば、去年よりも楽に戦えるのではないか。

 しかし三島の抜けた穴を、他のピッチャーで埋めきることが出来るか、それが問題である。


 直史自身が、シーズンを通して投げられるか。

 百目鬼はまだまだ伸びているが、それでも限界はあるだろう。

 オーガスがやや衰えつつあり、木津は不確定。

 塚本は伸びてきたが、果たして本番で役に立つかどうか。

「WBCなんてなくてもいいよな」

 自分も出場したことはあるくせに、豊田はそんなことを言う。

「平良が無事に帰って来てくれたら、それで満足だ」

 日本球界はだんだんと、WBCに対する情熱を失っていっている。

 そもそも利益の配分で、MLBとは大きな対立があったのは、有名な話である。




 直史としてはベースボールはアメリカの国技なのだから、少しぐらい負けてやってもいいと思う。

 ただ今は日本が気を遣って負けても、他の国が優勝してしまいかねない。

 それならばアメリカには負けたが、優勝はしたという結果が一番望ましい。

 自分が投げていたら、絶対に点を取らせないのだが。


 どうせ日本や他の国に、凄い選手がいてもMLBに行くのだ。

 そしてMLBのピッチャーの記録もバッターの記録も、直史と大介で多くを残している。

 あるいは記録ではなく、脳に刻みつける恐怖のような、圧倒的な感情の記憶。

 当たり前のようにホームランを打ってしまう。

 当たり前のようにパーフェクトをしてしまう。

 直史の残したシーズン記録は、今後絶対に破れないものがある。

 もう永遠の存在になったからこそ、WBCへの執着は少ない。

 あまりアメリカをボロクソにしても、向こうの感情を煽るだけであるし。


 直史は大学時代に、大学選抜で日本代表をボコボコにした。

 そして特例として、日本代表に選ばれて、全ての国をボコボコにした。

 本来ならば愛国心が、とても強い人間である。

 だが今はその愛国心というか、郷土愛を野球には向けていない。


 アメリカで過ごしたことがあるからこそ、日本は日本人のものだ、という意識が強い。

 先祖が土着して、少なくとも400年は、あの土地にいたのは間違いないのだ。

 そこを奪われるというのは、アイデンティティの喪失である。

 家を守るという、封建的な考えが直史の根本にあった。

 だが今は力を手に入れてしまっている。

 力を持つ者の義務として、上杉は立っている。

 その影響を受けたというか、守りたいものの範囲が広がってくると、やらなければいけないことも派手になる。


 野球をやっているのは、直史の中にある、なくならない子供の部分だ。

 あるいは高校時代にあった、輝ける青春の残滓。

 そういったものが心のどこかにないと、直史でも動けなくなってしまう。

 誰もが心の中に故郷を抱いている。

 その喪失は耐え難いものであり、それが野球につながっている。


 人間は大人にはなれないが、大人になったフリが段々と上手くなる。

 権力を握ってしまうと、箍が外れてしまうのが、こういうタイプだ。

 逆に子供の頃から、既に大人である人間もいる。

 直史は生活環境から、そういうように育てられたと言える。

 驕ってはいけないと常に考えているが、周囲が持ち上げてくる。

 それに対して上杉のように、上手く神輿にはなれないのだ。


 今の事業についても、子供の頃からの経験の延長にあるものだ。

 新しい技術の革命などには、あまり興味がない。

 それでもコンピューターぐらいは普通に使うが、考え方は常に保守的。

 保守的な知識の中から、何を選べばいいのかを考える。

 革新的なことは天才に任せる。

 自分は過去の成功例の中から、今に合ったものを選んでくるだけだ。




 首脳陣によるミーティングが行われる。

 今のレックスはまず、野手のポジションが全部埋まった。

 実戦ではともかく、カーライルが日本の球に合ってきた。

 ただ心配になるのは、故障者が出ないかということ。

 特にWBCに貸し出している、迫水と左右田。

 控えとはいえ使われるかもしれないし、そこでの故障などを考えたら、むしろ選ばれなかった方が良かった。

 レックスの首脳陣も、選手たちにとってはめでたいこととは思いながらも、WBCについてはかなりネガティブな印象になっている。


 ピッチャーに関しては、一応は足りていると思う。

 むしろ育てながら、戦っていくしかないだろう。

 育てながら勝つという、難しいことを実現しなければいけない。

 誰か一人ぐらいは、普通に壊れてもおかしくない。

 重要なのはそれが、シーズン終盤には復帰していることだ。


 シーズン全般を通じて絶好調という選手は、そうそういるものではない。

 大介でさえある程度、波はあるのだから。

 もっとも一番低いところで、他の選手のトップレベルではあったりする。

 安定して高いと、シーズンの記録も残せる。


 一軍で使えるかも、というピッチャーでも経験を積ませるために、二軍で多くの試合に出すということはある。

 だがどのピッチャーをどう使うか、というのは悩ましいものがあるのだ。

 性格的に先発しか出来ないピッチャーもいる。

 リリーフでどんどん毎日投げたいというピッチャーもいる。

 そのリリーフの中でもクローザーは、特に気が強くないと務まらなかったりする。


 成長の途中で、どの程度の期待をされるのか、それもまた選手のモチベーションを変えてくる。

 色々と考えながら、開幕一軍と二軍を分けていく。

 ただレックスは一軍と二軍でキャンプ地が違う。

 途中で豊田は、沖縄から宮崎へと移動していった。

 二軍のピッチャーの仕上がり具合を見て、一軍に合流させるためである。

 逆に一軍帯同のピッチャーも、オープン戦などで打ちまくられると、二軍に落とされることはある。


 とんでもなく厳しい、実力の世界だ。

 確かにドラフト上位指名は、下位指名よりもやや、待ってもらえる傾向はある。

 それでも根本的に駄目だと判断されれば、三年ほどでクビになるのだ。

 さすがに一位指名でそんな例は、ほとんどないがあることはある。


 育ててもらうことも重要だが、見てもらうことも重要だ。

 ここで下手に選手実績だけのある人間をコーチにすると、自分の成功体験から、その選手の長所を潰してしまうことがある。

 このあたりは難しい問題で、似たような感じのピッチャーを、しっかりと育てるタイプのコーチ、というのがいる。

 ただ違うタイプのピッチャーを、高いレベルに育て上げるコーチは少ない。

 下手な老害を使うよりは、データだけを見た方がいい場合もある。

 あるいはデータには出ていないが、バッターにとっては打ちにくいというピッチャーもいる。

 球速は出ていないが、それ以外の要素に打ちにくさが積みあがっているのが、木津というピッチャーだ。




 二月も終盤になってくると、オープン戦が始まってくる。

 ここでも直史は練習だけで、試合にはまだ出ない。

 紅白戦であると、お互いの手の内がある程度は分かっている。

 直史はこの場合は、木津にはあまり投げさせないようにした。

 手の内が分かっている相手だと、打たれやすいかもしれないと判断したのだ。

 ピッチングコーチではないはずだが、意見が通ってしまう。


 直史が理解は出来ても共感は出来ない、ピッチャーの感情が一つある。

 マウンドに対する執念だ。

 何がなんでもあそこに立つ、という気持ちは直史には分からない。

 ただそれがないと、壁を超えるのは難しい、と感じてはいる。


 塚本は先発として投げて、確実に仕上げてきている。

 中でもツーシームが効果的なのは、しっかりと数字として上げってきていた。

 一つの球種を完全にマスターすれば、他の球種の威力も上がる。

 バッターの警戒が、そちらにも向けなければいけなくなるからだ。

 ただ一つの球種を増やしただけでは、まだまだ会得したとは言いにくい。

 やはりこれは、ピッチトンネルを揃えられるようにするべきだろう。


 塚本は小さいスライダーも投げられて、それはカットボールのようなものである。

 おそらく対戦したバッターによっては、カットボールと分類している選手もいるだろう。

 直史がいくつもカーブを投げ分けているように、スライダーも変化量で分けるべきである。

 たとえば今は高速スライダーなどは、スイーパーと呼ばれていたりする。

 他にも変化量の差などで、球速の違いだけが全てではないのだが。


 塚本はコンスタントに150km/h以上は出せるので、この球速前後で球を動かすことを推奨する。

 フォーシームにツーシーム、そして小スライダーとも言えるカットボール。

 実際のところカットボールは、投げ方が色々と違う。

 小さなスライダーをカットボールと言ってしまえば、それでもういいだろう。

 重要なのはどのように変化するか、ということなのだから。


 ピッチトンネルを合わせることが出来れば、カットボールやツーシームで、三振まではともかく内野ゴロまでは打たせることが出来る。

 あるいは縦のスライダーがあれば、三振も奪うことが出来るだろう。

 単純に球種を増やすのではなく、次に投げるボールも考えて、その前のボールも考えていく。

 ピッチトンネルを合わせやすいコースなどを考えておくと、相手に分析されたとしても、対応までは難しくなる。

 大卒二年目の上位指名は、やはり二年目に飛躍してほしい。

 それが無理であっても、確実に一年間、ローテを守ってほしいのだ。


 基礎体力を鍛える、というのはどのピッチャーにも言っている。

 ロードワークはさほど重視しない直史だが、それによって心肺機能を鍛えるのは悪いことではない。

 短い距離のダッシュで、下半身を鍛えていくこと。

 あとはバランスボールなどで、体幹も鍛えていく。

 ただここで下手に、コントロールを良くしすぎるのは問題である。

 狙ったところに投げられるというのは、思考力を伴ってこそ意味があるのだ。

 そしてこのコンビネーションは、バッテリーで考えていくことである。




 ローテーションの六人目をどうするのか。

 まだキャンプ中であるが、飛びぬけてくるピッチャーがいない。

 須藤と国吉は、どちらも使えることは使える。

 ただ国吉は実績がリリーフとして充分であるし、須藤は左である。

 これに大平と平良を加えた、四人で勝ちパターンのリリーフを回していくべきではないだろうか。


 七回からが勝利の方程式、などと言われている。

 ただ試合によって先発によっては、五回まででスタミナを消耗してしまうこともあるのだ。

 またリリーフを四枚用意しておくと、相性によってより順番を変えやすい。

 一人は同点の機会でも使うと考えれば、無理に先発に持っていく必要もないだろう。


 六人目はやはり、直前まで決めない方がいいだろう。

 その時に調子のいいピッチャーを、一軍に上げて使っていってもいい。

 あとは重要なのは、ビハインド展開や同点の場面で投げるピッチャーだ。

 もっとも敗戦処理ならば、いくらでも任せてしまっていい。

 だが早いイニングのビハインド展開なら、逆転の可能性が残っている。


 今年のレックスは、間違いなく得点力は上がっているはずなのだ。

 だから先行逃げ切り以外のスタイルで、勝つことも考えなくてはいけない。

 そのために必要なのは、さらなる投手陣の厚み。

 もっともそれは、チャンスを与えられたピッチャーが、自分の手でもぎ取っていくものであろう。


 打撃についても確かに、補強はしっかりと行った。

 だがこれを上回るような、そういう選手が出てきてほしいのだ。

 緒方は間違いなく、もう選手寿命が切れかけている。

 もっともそれを言うなら、直史の方がよほどに深刻だが。

 スタメンに関しては、去年よりも強化された。

 しかし将来を担うような、そういう選手はなかなか出てきていない。

 もっともキャッチャーとショートが若く、投手陣も若手とベテランが揃っているので、バランスはいいのであろう。


 ただ次のレックスの、中心選手というのは誰なのか。

 確かにピッチャーもバッターも、それなりの選手は揃っている。

 だがこれこそが、と呼べる若手は誰なのであろう。

 近本は四番と言うには、ホームランより打点を重視する。

 迫水はキャッチャーとしては打てるキャッチャーだが、大卒社会人を経由してきた。

 もちろん小此木も、選手寿命はそれほど長くないだろう。

 ならばピッチャーの方に、中心選手がいるというのか。


 プロのチームの核となるのは、やはりエースよりも野手であろう。

 ピッチャーであっても上杉ぐらいのカリスマがあれば、また話は変わってくるのだが。

 レックスは比較的、FAでよそに移籍してしまう選手が多い。

 それも考えればなかなか、次の中心選手というのは、育てにくいと言うべきか。

 あるいはポスティングの年齢までに、次々と優れた選手を育てていくべきであるのか。


 選手の育成というのは、素材が良くて指導者が良くても、相性の問題というのがある。

 それを考えると本当に、人材育成は難しい。

 直史などは舞台を色々知っているため、技術的なことはかなり教えられる。

 しかしメンタル的な部分は、マリー・アントワネットになってしまうことが多い。




 沖縄でのキャンプ期間も、そろそろ終わりかという日、直史はマウンドに立つ。

 タイタンズ相手の試合で、3イニングほど投げる、ということになったのだ。

 そしてタイタンズの一軍スタメンは、司朗を七番センターで起用していた。

 もっともここまでのオープン戦打率で、三割オーバーを打っているのが、高卒新人野手としては珍しいことだ。


 タイタンズは相変わらず、長打力のある選手は揃っている。

 これを活かせていないのは、監督の采配の問題であるか。

 指揮官であるのだから、断固とした姿勢で挑めばいいのだ。

 それが上手くいっていないから、こういうことになっているわけだが。


 オープン戦の成績は、レギュラーシーズンとは全くの別物となる。

 だがこの日の直史は、普通に打ち取るつもりでタイタンズ打線と対戦している。

 ヒットを打たれても仕方がないかな、という配球。

 迫水がいないので、久しぶりに全部自分で考えている。


 そして三回、司朗との対決である。

 ただ構えているだけでも、空気が違って見える。

(なんというか、独特だな)

 どこに投げても打たれる、という感じがするのは不思議である。

 もっともオープン戦の司朗は、そこまでヒットを量産しているわけではないのだが。


 理由としては分かっている。

 打てる球でも初球からは打たず、じっくりと打席を味わっているからだ。

 あとは際どいボールを見逃して、ストライクゾーンを確認している。

 高校野球とNPBでは、ゾーンの広さが違うのだから。

 

 これまでに対戦した、多くのピッチャーも分かっているだろう。

 司朗のまとっている、独特の空気は不思議なものだ。

 威圧感というのではなく、何か流れるものが見える。

 直史の目にしても、司朗のフォームには力みが見えない。

 ここからならどんなボールでも、普通に打ててしまうだろう。


 練習でならばいくらでも投げたことがある。

 そしてこれもまだ、公式戦ではない。

 だが司朗の体が発散しているのは、抑えられた闘志である。

(これは打ってくるだろうな)

 全力で抑えにいくわけではない。

 直史もまた、試合の中での司朗の力を、探っていかないといけない。


 野球という舞台の中で、主人公は交代して行く。

 それは人間の世界の中で、誰もがやがては失われるのと同じことだ。

 直史が色々と考えて、三球目に投じたカーブを、司朗は打った。

 センター前へのクリーンヒットで、今日の直史からの、初めてのヒットであった。

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