第380話 そして何も起こらなかった

 どんな非道な試合が見られるだろうか。

 レックスファンの中に混ざるナオフミストは、そんなことを考えながら、開場前の神宮への列に並んでいた。

 今宵の生贄は鳥である。

 焼き鳥おいしい、というのはセではよく使われる言葉。

 だがパにおいては鳥というのは、強いチームを意味する。

 しかし直史の前においては、共に差別なく供物である。


 普段と同じく長いキャッチボールから、直史の肩を作ることは始まる。

 今日の福岡の作戦は、ある程度読めている。

 だからこそペース配分は重要であるし、あとは味方の援護を待つのみ。

(バントをしてくるかな)

 一番の三船あたりなら、やってくるかもしれない。

 ただ福岡はチームとしては、その戦術を取ってこないだろう。


 第七戦までもつれこんだほうが、会社としては儲かるだろう。

 チケット代金以外にも、物販が売れるからだ。

 しかしいつまでも、直史がレックスの顔では問題だ。

 だからといって単純に、若手を無駄に使うわけにもいかないが。


 緒方などは引退したら、すぐに守備走塁コーチとして雇われるだろう。

 今年で40歳なのだから、さすがにもう引退してもおかしくはない。

 しかし日本シリーズでも、しっかりと存在感を出して来た。

 ツーランホームランの二点差というのは、あのゲームにおいては大きかった。

 ショートを30代の後半までやっていたのは、体格が向いていたといっても、本当にたいしたものである。


 怪我がない限りは、来年もいるだろう。

 ただ安定感はともかく、爆発力はなかなか求められない。

 打つべき時に打つ、ということは出来ていた。

 しかしこれを押しのけるぐらいの内野が、出てきてほしいものだ。

 セカンドはなかなか、打撃と守備のバランスで、難しいところがあるのだが。


 守備力重視のセンターラインで、打てないのはセンターぐらい。

 だがそこを打てるようにするより、他の守備負担の少ないポジションで、打てる選手を探すのが重要だ。

 ファーストの近本と、ライトのクラウンは問題ない。

 あとはサードとレフトの、チーム内競争がもっと、加速してほしいのだ。

(まあ俺が考えることでもないしな)

 投手陣はリリーフが磐石だが、それだけに一枚外れても、一気に戦力が落ちる。

 また三島は日本シリーズでもしっかりと投げたため、これで遠慮なくメジャーに行けるだろう。




 今日で終わるな、とほとんどのレックスファンが確信している。

 この常勝の予感をさせるというのは、どれほどのピッチャーが出来るのだろう。

 防御率の優れたピッチャーとか、無敗のピッチャーとか、そういうものではない。

 勝って当たり前という雰囲気であり、そしてそれに直史が、プレッシャーを受けていない。


 打たれたら打たれたで仕方がない。

 その時は自分の限界が来たのだな、と判断するのみだ。

 しかし実際のところ、打たれる気がしていない。

 その圧倒的な自信と言うか、自分でも確信と言えるものは、むしろ当然のものとして存在する。


 心臓の鼓動にも、肺の呼吸にも、気負った感触は全くない。

 それでいながら頭は、いつもの通りに冷めている。

 神宮球場は満員になっている。

 直史は何を達成するか分からないし、そもそもあと何度投げているのを見られるのか、それも分からない。

 ちょっとした怪我をしても、もう回復までに時間がかかる年齢だ。

 おそらくその時は、引退するのだとファンも分かっている。


 もっとたくさん見たかった。

 日本で二年やった後、MLBで五年やった。

 その中で圧倒的に、勝ち星を稼ぎまくった。

 もちろんチーム力によって、勝った試合もあるだろう。

 だが21世紀以降のMLBでは、30勝をした唯一のピッチャー。

 それも何度もやっているのだ。


 当たり前のように、ノーヒットノーランやパーフェクトを達成出来る。

 分業制になった今の時代に、半分以上を軽く完投する。

 ただ剛腕というのでもなく、タフなわけでもなく、ひたすらに柔軟。

 柔よく剛を制す、という言葉の結晶のようなピッチャーなのだ。

 今年のポストシーズンも、ノーヒットノーランとパーフェクトを達成している。

 まったくバットの快音が響かない、異常な雰囲気のスタジアム。

 あの悪魔の儀式めいたものを見るために、ジャンキーのように訪れる。


 直史のピッチングには、人を酔わせるものがある。

 大介の打つような、爽快感のある一瞬の快楽ではない。

 徐々に試合が進んでいって、いつのまにか終わろうとする。

 そういった無茶苦茶なことをして、野球の妙な楽しみ方を、これまでにない層に広げてしまった。

 上杉も複数回パーフェクトなどはしたが、毎年のノルマのように達成したわけではない。

 そもそもNPBとMLBで記録されたパーフェクトのうち、半分以上を直史がしているという時点で、もはやピッチャーという存在の半分を、占めてしまっていると言ってもいい。


 今宵の生贄は、普段は見られないパの選手たち。

 もっとも既に二戦目で処刑されているので、今度はオーバーキルになるかもしれない。

 ただ基本的には、ピッチャーは初対決の方が有利である。

 今度こそという気持ちで乗り込んできた選手が、それなりにはいるだろう。

 だが単純に、強いとか弱いとか、そういうレベルで直史と対決出来るわけではない。

 怪物という言葉を通り越して、もはや魔法使いなのである。




 今年の試合も今日で終わりだな、と直史は考えている。

 もちろん試合が始まるのは、これからだと分かっているのだが。

 これまでの実績からして、直史は集中はしても、緊張まではしない。

 木津が勝ったのが、とにかく大きかった。

 技巧派ではないし、軟投派とも違う。

 球種やスタイルはむしろ、本格派に近いと言ってもいい。

 その木津を打てなくて、その後のリリーフにも封じられた。


 移動日の一日の間に、どうやって対策をしてくるか。

 福岡が日本一になるには、直史の投げる以外の試合で勝つ必要がある。

 もしくはもっと、直史を削りまくった後に、戦う必要があったのだ。

(ここから負けるとしたら、油断か)

 第二戦で直史は、福岡をパーフェクトに抑えた。

 そこで慢心していれば、警戒を薄くするかもしれない。


 どういう心理状態で戦うか、それが重要になる。

 福岡は直史にパーフェクトで抑えられ、そして木津のピッチングにも幻惑された。

 ここから選手たちの士気を上げるのは、相当に難しい。

 勝てるとしたら第七戦にもつれこみ、直史以外のピッチャーを打つ。

 それが第五戦で崩れてしまったのだ。


 先発の波多野としても、また全力で抑えていくつもりではいる。

 ここから福岡が優勝するには、この試合を引き分けに持ち込むしかない。

 そして第七戦、さすがに直史が連投先発はしてこないだろう。

 そこで勝利し勝ち星を同じとし、第八戦に決着を持ち込む。


 レックスが貧打とは言っても、この日本シリーズで無得点であった試合は一つもない。

 それを考えると波多野も、スタミナを消耗するピッチングが必要となるだろう。

 またフルイニングを投げられるか、それとも継投していくか。

 今シーズンの完投した試合数を見れば、直史は圧倒的な完投型ピッチャーだ。

 現代においては絶滅危惧種である。


 直史はマウンドに上がっても、スローボールのようなピッチング練習しかしない。

 本気で投げるとしても、最後に一度ちょっと速い球を投げるだけだ。

 これを見ている福岡の打線は、どうして打てないのかと不思議に思う。

 もちろん理屈の上では、色々と理由を見つけられるだろう。

 一言で言えば投球術に、ついていけていないということなのだろうが。


 先頭打者の三船がバッターボックスに入る。 

 とりあえずやらなければいけないことは、直史の体力を削ることである。

 もっともより粘っていって、精神的なスタミナも削らないといけない。

 そんなことが直史相手に可能なのか、直接対決した誰もが、疑問に思うことであった。




 直史のピッチングの特徴は、初球からストライクを取ってくる、ということである。

 もちろんそうではない場合もあるが、傾向としては間違っていない。

 相手のバッターが初球から手を出してくるタイプだと、そういうわけでもない。

 だがTPOに合わせ、そのピッチングは変わってくるのだ。


 MLBであればもう、相手のバッターの情報から、投げる球種のサインが出る。

 ただ統計だけであると、かえってそこから外したピッチングに対応できない。

 直史はこの試合、二段モーションなどを使ってきた。

 そんなものは使ったことがないだろう、と驚いているうちにストライク先行である。


 ピッチャーというのは己のフォームを固定することに、かなりの努力を要する。

 そして同じフォームから、様々な球種を投げるようにするのだ。

 特に速球系であれば、ピッチトンネルを上手く通すなら、よりミスショットを増やすことも出来る。

 しかし直史は本日、サイドスローなども使ったりした。


 いったいこれはどういうことなのか、と福岡としては混乱する。

 だが過去の記録を全て遡ってみれば、そういったピッチングも普通に行っているのだ。

 今日で今シーズンが終わると思うと、いくらでもピッチングのバリエーションを使える。

 後から分析してみれば、さほど難しい球というわけでもない。

 しかし一度限りならば、充分に通用する。

 そしてまた忘れた頃に、使ってみるのである。


 一回の表は三者凡退。

 今日はあまり三振を奪うつもりはなかったが、このピッチングのフォームの違いから、ボールの軌道を誤認させることとなった。

 とにかく球数を増やす、という目的は失敗している。

 そして福岡の首脳陣は、レックスが攻撃をしている間に、自軍の作戦も考え直していく。

 主に直史の攻略法であるが。


 レックスは先頭の左右田が、いきなりヒットで出塁した。

 前の試合である程度、波多野のボールに慣れていたということも言えるのだろう。

 ただそれを進塁させていっても、最後の一発が足りなくなる。

 やはり長打が必要だ。

 しかし波多野もこの試合、かなり神経を使って投げている。

 どちらの先発が、先に音をあげてしまうか。

 もちろんそれは福岡の方だろうと、大方は予想している。


 直史はアマチュア時代には、15回をパーフェクトに抑えるという、空前絶後の記録を達成している。

 プロ入り後も12回まで、パーフェクトというのは達成している。

 なのでフルイニングを、無失点に抑えることぐらいは、普通にやってのける。

 ライガースを相手にした時に比べれば、大介がいないだけ楽なものなのだ。


 二回の表も、三者凡退でスリーアウト。

 淡々とアウトを積み重ねて、またパーフェクトをやってしまいそうな空気になっていく。

 だがいくらパーフェクトに抑えようと、重要なのは試合に勝つこと。

 レックスの打線もいまだ、得点はない。




 またも投手戦か、と流れである。

 当然ながらこれは、予想されていたことだ。

 ただレックスの打線は少しながら、波多野に対応出来るようになってきている。

 160km/hオーバーのストレートなどは、確実にカット出来るようになった。

 これであちらの球数は、かなり多くなってきている。


 直史の場合は三振と、凡打が上手く組み合わさっている。

 福岡としてはなんとか、球数を増やしたいところなのだろう。

 だが直史はそもそも、負荷のかかりにくいボールを使っている。

 タイミングを外すのには、クイックでのピッチングもかなり使っているのだ。


 打者二巡目あたりからは、双方の動きが出てくるであろう。

 直史としても自分の打席で、波多野のピッチングは観察していた。

 メジャーに将来は行くのだろうな、と普通に考えられるポテンシャルは持っている。

 だが手元で小さく動く球がないので、バッターにミスショットさせる数が少ない。

 そうなると自然と粘られて、球数が増えてくる。


 もっとスタミナをつけて、ポストシーズンでは完投が出来るぐらいにはすべきだろう。

 直史の場合はスタミナとはちょっと違うが、ピッチングの動作の最適化がされているので、体力の消耗は少ない。

 この動作解析の精密さから計算すると、直史は肉体の能力の、98%を使えているそうだ。

 かなりの一流ピッチャーであっても、93%前後が普通らしい。


 ただ波多野の場合は、動く球を投げるようになったほうがいいだろうな、と直史は考える。

 スプリットとスライダーを使えるだけでも、既に充分な球種とは言える。

 これにカーブが加わるのだから、緩急もつけられているのだ。

 しかし球種を見分けるのは、それなりに出来る。

 鋭く変化する変化球も脅威だが、小さな変化球を投げるようになれば、もっと少ない球数で打ち取ることが出来るだろう。


 二巡目の終りまで、まだ直史はランナーを出すことがない。

 ちょっとぐらいは出てくれた方が、こちらの野手もバッティングの方に、意識を切り替えられるのだが。

 こういった投手戦になってくると、双方のバッテリーや守備陣、全員が神経を削っていく。

 その中では不利なのが、普段はDHを使っている福岡か。

 わずかな違いであっても、接戦では最後に影響してくる。

 特にこのような、日本一を決定する試合では。


 波多野も以前に日本シリーズで、大舞台を経験しているはずだ。

 ただこの試合に負ければ、日本一の決着は終わるのだ。

 そういったプレッシャーの中では、スタミナの消耗も激しいのだろう。

 対して直史は、普段の試合の中の一つ、とほぼメンタルがフラットに維持されている。

 とりあえずこれが終われば、長いシーズンも終わりというわけだ。


 プレッシャーによるエラーから、崩れたのは福岡が先であった。

 そしてそういった時に、セットプレイで確実に一点を取っていく。

 送りバントの期待値は、あまり高くないというのは常識になっている。

 しかし確実に一点を取りたいならば、打者によってはそちらの選択もあるのだ。




 タッチアップからの一点で、レックスが先制。

 それだけでスタンドやベンチは、空気が弛緩した。

 まだ試合など、何も終わっていない。

 だがここで何かを言っても、野手には通らないかもしれない。

「ナオ、この次だぞ」

 西片の言ったことの意味を、直史はもちろん分かっている。


 試合はわずかながら動いた。

 この動いた試合を、再び動かなくしてしまいたい。

 そのままずっと続いたら、一点差のまま試合は終わるだろう。

 だが西片の予想通りというか、イレギュラーからのエラーが出た。

 パーフェクトは途絶えたが、この場面なら良かっただろう。

 九回まで続いてしまっていると、かえって守備の緊張は、プレッシャーがかかるものになっていたであろうから。


 ここで間違いのないように、三振か内野フライを奪う。

 それが直史のピッチングである。

 ストレートでちゃんと、空振りが奪えるピッチャー。

 これが上位打線ならば、外野の前まで飛ばしてしまうのかもしれないが。


 難しい場面でこそ、簡潔な方法でアウトを取る必要があるのだ。

 三振で追い込んだ後に、内野フライを打たせる。

 動きかけた試合を、また元に戻してしまう。

 この不動の心こそが、直史を唯一の存在としている。

 相手によってはむしろ、アドレナリンを分泌させて、フルパワーで投げる必要もあるのかもしれないが。


 わずかなチャンスを、しっかりと潰していく。

 そして試合は徐々に、レックスの優勝に近づいていく。

 味方のエラーがまた出ても、それに動揺することがない。

 ただひたすらに、アウトを重ねていけばいい。

 そしてこの試合は終盤に入ってくると、球数もしっかりと使っていく。

 序盤から中盤に、ちゃんと球数を節約出来たのが大きい。


 これは勝ったな、と言える。

 代打を出してきても、福岡のランナーは出ない。

 そもそもエラーでしかランナーが出ないというのが、致命的な部分であろうか。

 何も起こらないのだ。

 何も起きない試合を、直史は続けているのだ。

 九回の表にも、先頭打者が代打で出てくる。

 しかしそれもまた、アウトカウントを増やすだけ。


 四番に四打席目を回さない。

 直史が考えていたのは、それぐらいである。

 そして実際に回さなかった。

 2エラーによる出塁が二人のみ。

 ただこれを、ダブルプレイにするような、そういう危険な打球は打たせなかったが。


 最後まで、何も起きない試合であった。

 1-0のまま、レックスは四勝目。

 日本一が決定し、そして神宮のスタンドが盛り上がる。

 地味にノーヒットノーランを達成。

 だがそれを気にしているような人間は、最後の瞬間には一人もいなかったと言っていいだろう。

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