第379話 普段の空気

 良くも悪くも空気を読まない、あるいは読めない人間がいる。

 それは本当に、これまでの展開を考えない結果を出してくるのだ。

 福岡は大差で三戦目を制したあと、四戦目も勝利。

 これによって勝敗は2勝2敗と互角になった。

 福岡はこれで一気に勢いづいた。

 このままホームゲームを全勝すれば、神宮では直史が先発したとしても一試合。

 もう一試合を勝ってしまえば、それでレックスを倒せる、という思考法である。


 そして第五戦、レックスのピッチャーは木津。

 この日の木津は珍しくも、あまり三振が奪えない。

 フォアボールが多く、フライを打たせることも多いのに、奪三振でそれを相殺させているというのが、木津というピッチャーである。

 全く奪えない奪三振型ピッチャー。

 そんなものにはクソほどの意味もないだろう。

 だが木津というピッチャーは、やはり流れがある。


 福岡のバッターは、強打者が多い。

 先頭打者などはもちろん、出塁を重視してはいる。

 しかし二番に小器用なバッターを持ってこなかったり、そのあたりはメジャーを意識しているのだろう。

 そのフルスイング攻勢が、完全に今日の木津のピッチングとハマってしまっている。

 内野フライと外野フライで、アウトが量産されていく。

 ダブルプレイの可能性もあるが、進塁打になる可能性もあるゴロよりも、さらに悪いと言えるだろうか。

 さらにまずいことには、適度な量で三振も奪っていること。

 あまり早くに打ちにいくな、とは福岡の首脳陣も言っているのだが。


 木津の奪三振率は今年、10.59であった。

 実は直史よりも、少しだけ高い。と言うよりはリーグトップレベルでリリーフ並だ。

 もちろん投げているイニングが違うので、奪三振の総数では、圧倒的に直史が勝つ。

 ただ木津は今年、しっかりと規定投球回を達成している。

 間違いなくレックスの戦力の一員ではあるのだ。


 そんな木津はこの試合、四回を終えてフォアボールが一つあったのみ。

 つまりノーヒットノーランが続いている。

 第二戦で直史がパーフェクトをやっているので、そこまで新鮮な驚きはないか。

 そもそも四回の時点では、まだなんとも言えないであろう。

 ただ直史以外がこういうピッチングをしていると、打線の方もちゃんと援護があるのだ。


 五回の表に、さらに一点を加えて4-0のピッチング。

 ただここでやっと、外野の手前にヒットを打たれた。

 フライが上がって、守備範囲内でなかった、という運の悪いヒット。

 だが今日はそれ以上に、守備範囲内の運がいいフライが多くなっている。


 前の試合までの流れとしては、第五戦まで福岡の連勝が続き、神宮に戻って直史が第六戦を勝利する。

 そして第七戦は全戦力を投入し、どうにか勝利するというのが、レックスとしては流れだと考えていたかもしれない。

 しかし実際には、こういうことになってしまう。

 フライを打たれることによって、あまり球数が嵩むこともない。

 なにしろ当てるだけならば、充分に当てることが出来るのだから。




 空振り三振ならば、まだしも対処法を考える。

 しかし普通に当たる分には当たるので、アジャストすればヒットになりそうでもあるのだ。

 今日はもう、センターフライが多すぎる。

 普段は打撃で貢献できていないが、この守備力はまさに一級品。

 打率とは言わないが出塁率がもう少しあれば、レックスの得点のパターンも、さらに増えていくのだが。


 木津の勝負強さというか、こういう大一番での運というのは、どう判断すべきものなのだろうか。

 今のトラックマンなどを使った測定であると、攻略法もしっかり分かるはずだ。

 しかし実際には、そう上手く行くこともない。

 実戦で対戦して、交流戦でもフライが多かった。

 これはもう現代では高校野球でも言わないような、ゴロを打てと思いたくなる事態であろう。


 このままの試合展開であれば、リリーフをどうするかが重要なポイントとなる。

 しかし六回の裏、福岡の攻撃からは、上位打線で連打を浴びる。

 打者も三巡目で、ようやく目が慣れてきたということなのだろう。

 ここでレックス首脳陣は、迷わずに勝ちパターンのリリーフ陣を投下。

 久しぶりの出番だが、まずは大平を投入したのだった。


 ランナーが二人もいる状況で、大平を投入する。

 これはかなりの冒険だと言えた。

 確かにランナーのいるところで、奪三振率の高い大平を使うのは、悪い判断ではない。

 しかし第一戦では、リリーフ陣の中で唯一点を取られているのだ。

 ブルペンでも一応、修正はした。

 ただし大平の場合、下手にコントロールが真ん中に集まると、かえって打たれる可能性もある。


 フォアボールで満塁になれば、ホームランで一気に同点という場面である。

 しかし大平には、この条件でも投げる球がある。

「ストレートで押せ」

 ブルペンで豊田は呟き、迫水はそのサインを出し、大平はストレートを投げた。 

 163km/hが出ているのに、手元でほんのわずかに変化する。

 しかもその変化が、どうなるかは本人にも分からないのである。

 キャッチャーの迫水は、ミットの中で指を抉られる。

 それでも空振りが取れればいい、というのがキャッチャーであるのだ。


 賭けには勝った。

 フルカウントになる前に、大平は三振を奪う。

 むしろ前の試合での、失点が福岡に、慎重に攻めさせる理由になったのかもしれない。

 下手に振るよりも、ある程度見ていった方がいいのではないか。

 そう思わせた時点で、レックスの作戦勝ちである。

 大平は続く、七回の裏にも登板する。

 回跨ぎであるが、ピンチを脱していた大平はモチベーションが高かった。

 球種は少ないが、それでも通用する。

 2イニングを投げて、奪三振は四つ。

 ただしフォアボールも一つはあった。




 これは完全に勝てる流れである。

 八回はさすがに、国吉にチェンジした。

 ここで一点は取られたものの、4-1のリードで九回の攻防へ。

 レックスとしてもダメ押しの一点がほしいところ。

 ただそこで一発の出ないのが、レックスの悪いところだ。


 九回の裏、ついに平良がマウンドに立つ。

 クローザーではあるが、平良がマウンドに向かった直後から、直史はキャッチボールを始めた。

 三点のリードがあれば、平良ならばなんとかしてくれるだろう。

 ただ野球というのは、運の要素も必ず働いてくる。

 その運の要素ではないホームランを、ソロではあるが平良は打たれた。

 しかしそれを引きずらないのが、平良のクローザーとして安定したところである。


 木津が五回を無失点に抑えたのが、本当に大きい。

 そして大平のピッチングが、ピンチを救ったのだ。

 そこからは一点を取られても、アウトカウントを優先するという、作戦通りのピッチング。

 レックスは4-2で、この難しくなった第五戦を制したのであった。


 なんというか本当に、木津は持っている男である。

 去年でクビの予定であったのに、最後のチャンスをモノにした。

 それだけではなく去年のポストシーズンは、ライガース相手にも勝利投手になったのだ。

 そして今年も打撃有利の福岡を、五回まではしっかりと抑えた。

 ただノーアウト一二塁から、ピンチを救ったのは大平の爆発力である。


 木津のストレートから、大平のストレートへという、速度差のギャップがすごかった。

 それも一応は計算の上で、先に大平をマウンドに送り出したのだ。

 もしもそこで点を取られていれば、レックスはどうしていたか。

 当然ながら国吉か平良を、そのままで続くリリーフとして出しただろう。

 そして直史という、最強のクローザーを、九回の裏には使った。


 つまり木津が踏ん張ってくれたおかげで、余裕を持った運用が出来た、というわけである。

 レギュラーシーズンの木津は防御率もWHIPも、あまり良くなかった。

 それなのにこの試合では、5イニングを投げて無失点という結果になった。

 自責点が付くところを、大平が消してくれたのである。

 この大平がしっかりと、立ち直ったことも良かった。


 かなりの賭けではあった。

 それでも点差があったのと、大平の度胸にベットした。

 度胸と言うよりは、無鉄砲さとも言えるかもしれない。

 結果が過程の全てを肯定する。

 勝利という成果こそが、西片の求めていたものだ。

 スーパースターになるのは選手であるだろうが、その成果を得るのは監督。

 一年目からして、早くも日本一にリーチをかけたのであった。




 両チームが東へと向かう。

 第六戦の先発投手は、レックスは当然ながら、中五日の直史を持ってくる。

 そして福岡も波多野をまた出してくるのは間違いない。

 エース同士の対決となる。

 だがエースではジョーカーに勝てないのは、誰もが分かっていることであった。

 それは実際に対決した、福岡のチームが一番よく分かっている。


 直接対決すると、格の違いを感じるとでも言おうか。

 直史のピッチングには、想像を超えてくることはあっても、圧倒的な威圧感があるわけではない。

 ただ、淡々とアウトを積み重ねていくのは、徐々に天井が下がってきて、いずれは圧死するような、そういうイメージを与えてくる。

 早くそこから逃れようと、まずはヒットを狙っていく。

 すると早打ちになったりするし、かといって見極めようとすると、簡単にストライクを取ってくる。

 そのあたりの駆け引きが、本当に上手いのだ。


 相手の心理を読む心理戦は、即ち神経戦にもなる。

 体を動かすわけではないが、お互いが消耗することにもなる。

 直史が強いのは、この集中力が高いからだ。

 そして集中を持続させるのも、極めて高い能力が必要となる。

 結局のところ最後には、人間としての全体的な力が重要になるのかもしれない。

 野球の力だけでは、おそらく足りないだろう。


 既に一試合は対戦し、おおよその力量は把握したと思う。

 そしてその次に、福岡がどう作戦を立てるか、それも考える。

 福岡は打線に自信を持ちすぎていた。

 確かにここまでレックスに先行されながらも、得失点差ならば上回っている。

 レックスは僅差の勝負に強い、という評価がされるだろう。

 それとあとは、どうやって直史を攻略するかだ。


 直史を攻略するのは不可能、と考えた方がいいだろう。

 実際に直史は、負けないピッチャーであるのだ。

 際どい勝負であればあるほど、失点を許さない。

 そんなピッチャー相手でも、どうにか試合には勝たないといけない。

 そしてピッチャーが攻略出来ないのなら、他のアプローチをするべきだ。


 直史をマウンドから引き摺り下ろす。

 手段としては、いくつかの方法がある。

 許されない方法も含めて、ということだが。

 単純なものであれば、まずデッドボールで退場を狙う。

 しかしこれはさすがに、是非もなく不可としなければいけない。

 ただここから、ある程度は直史を削る方法を、考えることは出来るだろう。


 球数を投げさせるのも、もちろん削ることの一つだ。

 他に何かをするとすれば、まずは走らせることを考える。

 味方の攻撃の間に、塁に出て休めなければ、それは微小ながら削っていくことになる。

 それに直史が前にいると、左右田が足を活かせない、という展開になるかもしれない。

 あとはもちろん、ピッチャーに捕らせるバント攻勢などであろうか。




 そこまでやって削っても、勝てるかどうかは分からない。

 だがこれぐらいのことをしなければ、引き摺り下ろせるか分からないのだ。

 直史としてはバッターボックスでは、一度もスイングをするつもりがない。

 だからもちろん、デッドボールを回避するぐらいはするが。


 自分のピッチング以外に、点を取る方法も考えたい。

 ここまで五試合で15得点と、レックスはレギュラーシーズンに比べれば、かなり抑えられてしまっている。

 もちろん近本がいないという、単純な打力の問題もあるが。

 ただ直史としては、もっと楽に点を取ってほしい。

 そのためには自分も、打線の中の一員として、使うべきであるのだ。


 バッティングはしない。

 ボールにバットを当てるだけでも、腕が痺れてピッチングに影響が出るかもしれないからだ。

 ただ福岡が、あえて直史を敬遠してくるという可能性。

 ほぼ自動でアウトが取れるバッターを、申告敬遠で塁に出すということを、ありえるものとして考えればどうか。

 ベース間を走らなければいけないと、それだけ体力が削られる。

 ベンチに座って休むことも、気力の回復も出来ない。

 しかしそれだけのために、直史を歩かせることはあるだろうか。


 ないはずだ。

 それはルールの上では禁止ではないが、プロの試合としてはやってはいけないことだろう。

 ただもしもそんなことをされれば、直史は盗塁をする。

 そしてわざとアウトになるか、盗塁でも違った形の盗塁を考える。

 一点を争う勝負になれば、それでも充分に効果的ではあるだろう。


 歩いての盗塁、というのは野球のルールの盲点を突いて、実際にされたことがある。

 またスリーアウトを取ったという勘違いから、失点をするということもあるのだ。

 相手の心理的な死角を突いて、一点を自分で取ってしまう。

 もちろん実行の可能性は極端に低いが、逆に相手が似たようなことをしてくるとも考える。


 もしもやってくるとしたら、振り逃げの可能性を考えておくべきだろう。

 直史の投げるボールは、それなりにバウンドしてからミットで捕球される場合が多い。

 そこで上手く振り逃げをするというのは、過去のことを考えればすぐに思い出す。

 高校一年生の夏、県大会の決勝戦だ。

 あれは純粋に振り逃げで、勇名館が勝った勝負であったが。


 迫水のキャッチングは上手いし、最悪でも前には落とす。

 なので普通の振り逃げなどは、ありえないと言ってもいいだろう。

 ただキャッチャーを前に出して、打撃妨害を取ってくることなどはありうるかもしれない。

 スモールベースボールで、レックスの守備を疲弊させるのだ。

 それは同時に、直史を疲弊させることにもなる。




 とりあえずマンションに戻ってきた直史である。

 SBCで軽く調整をするが、向こうで投げなかったのが、肉体の疲労を回復させている。

 中五日の期間があったため、充分なコンディションで対決出来る。

 ただこの時期には、高校野球もまだ色々とやっているのだが。


 プロの世界というのは、高校野球や大学野球とは、また違うものである。

 結果が全てとは言われるが、その結果というのは何の結果なのか。

 チームの優勝、というのは確かに、ご祝儀的に年俸に反映されたりする。

 しかしそれよりも個人成績を伸ばす方が、ずっと重要なことである。


 チームが最下位であっても、自分の成績が良ければいい。

 本来のプロスポーツというのは、そういうものであるべきだ。

 チームワークなどというのは、それぞれの導き出した結果から、単純に発生していくものだろう。

 ただ大介などは、単純に野球が好きであるから、ずっと野球をしているだけだ。

 その中でも特に、直史と対決するのが好きなのである。


 エースならば壊れてでも、チームを勝たせろ、という時代ではない。

 ただ高校野球であると、甲子園に出るために、本当にそんなことをやってしまう選手はいるが。

 指導者側としても、将来の日常生活に支障が出ないなら、ちょっとぐらいは壊れてでも、使い続けた方がいいと考える人間もいる。

 完全燃焼出来ないことが、不幸なことだと考える人間だ。


 直史はチームのためやファンのために、野球をしているという意識はない。

 全ては自分のため、家族のため、そして将来のためである。

 知名度と名声を高めるために、今は勝つことを優先している。

 不敗神話が終われば、それでもう引退してもいいのだ。

 実際に一度は、肘の故障で引退したのであるから。


 ただセカンドキャリアのためには、色々とこの知名度で、交流して行くのは便利である。

 最後の年には千葉に移籍して、そこで名前をさらに売ろう。

 直史は来年で、レックスとの契約が四年目となる。

 最終的には千葉で終わろう、と考えている。

 それは駄目だとレックスが言えば、引退してしまえばいい。

 引退されるぐらいなら、金銭か何かでトレードの方がいい、とレックスの編成も考えるだろう。

 まったく直史は、ことチームの編成にとっては、厄介すぎる選手である。

 ただ一人そこにいるだけで、勝てるチームに変わってしまうのだが。


 大介が衰えて、そこからどうなるか。

 また司朗の成長や、昇馬の選択など、色々と考えることは多い。

 だが長くても、45歳のシーズンには引退だろうかな、と考えている。

 もういい加減に自分がいなくても、次の世代が引っ張っていかないといけない。

 スーパースターなどというのは、代えの利かない存在であると思っても、また新しいスターは出てくるものなのだ。




 第六戦の朝が来る。

 直史にとっては昨日と変わらない、一日の中の一つである。

 試合前の練習と、そして最後のミーティング。

 今日でもう終わらせるつもりであるし、今日で終わらない何かが起これば、それはもう敗北することになるだろう。

 考えやすいものとしては、0-0のまま引き分けになることか。

 第七戦に直史が、先発で連投することは考えにくい。

 すると第八戦が発生する可能性が出てくる。


 中一日で休んで、第八戦に直史は投げるか。 

 投げられなくもないだろうが、投げたくないというのが本音である。

 この試合でもう決めてしまおう。

 そのためには福岡の選手たちの、心を折ることが重要だ。

 第一戦のように、パーフェクトを狙っていくのか。

 次の試合を考えなくてもいいなら、むしろ第一戦よりもやりやすい。


 いつ引退してもいい、という人生を送っていると、本当に心理的に有利になる。

 ストッパーが外れてしまって、出来るピッチングは全て出来てしまう。

 そのあたりまだ若い波多野などは、どう考えるのだろうか。

 こういう試合で勝敗を左右するのは、経験の豊富なベテランであったりする。


 比較的若い福岡を、ごく一部がベテランのレックスが、その力で制圧する。

 もっともほとんどは、直史頼みになるだろうが。 

 去年に続いて今年も、日本一にはなってみよう。

 そう考えている直史は、いつも通りに淡々と、肩を作って試合に臨むのであった。

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