16章 向かい風

第375話 安息から戦場へ

 日本シリーズの対戦は、大京レックスと福岡コンコルズ、それぞれペナントレースを制覇した一位チーム同士の対決と決まった。

 比較的余裕を持ってクライマックスシリーズを勝ち進んだ福岡と違い、レックスは第六戦までもつれている。

 さらにレックスは最終戦、四番の近本が負傷。

 主砲を欠いた状態で、日本シリーズを戦わなくてはいけなくなったのである。


 西片は頭を抱えた。

 ライガースとの最終戦で、直史も相当に疲労したのだ。

 中四日で回復するかは、かなり微妙なところである。

 対する福岡は、ほぼ万全の状態と言っていいだろう。

 四戦目で日本シリーズ進出を決めたので、先発のピッチャーもちゃんと休めている。


 ただ今年はセ・リーグが先にホームゲームである。

 つまり移動の時間も、しっかりと休めるのだ。

 プロの選手はベテランもベテランになってくると、休むのも間違いなく仕事になる。

 その休みに他の仕事を入れてしまっているのが、直史という人間であるが。

 年末年始はしっかり休んでいるが、他にGWとお盆も休みたいのだ。

 代わりといってはなんだが、オールスターを拒否してしまっているが。


 来年はWBCもあるので、色々と日程がずれるだろう。

 とはいえ40代のおっさんに、さすがに出場しろとは言ってこないだろうが。

 もっともこれを逃せば、SSコンビが同じチームで見られるのは、もう二度とないだろう。

 直史としてはさすがに、もう出場するつもりはない。

 どのみちアメリカもMLBの一線級ピッチャーは出してこないのだ。

 MLB主導のWBCに対して、価値を見出していない。

 客が集まらずに赤字が出ればいい、と思っていたりもする。


 時代がもう過ぎていくのだ。

 かろうじてその波に乗っているが、波が追い越していくのも感じられる。

 今でもアメリカチームを相手に、本気で戦えば勝てると思っている。

 だがそんなことをするのは、大人気ないとも感じているのだ。

 結局野球の舞台で、MLBでも頂点を取った二人。

 それは別に楽しくもなんともなかった。

 直史は日の丸を背負って戦うのに、それなりの意義を感じていた。

 しかしMLBの商業主義に利用されるのは、もう勘弁といった感じである。


 MLB主導というのが、そもそも面倒なのである。

 確かにオリンピックの競技から、野球が外されてしまった。

 これはMLBの陰謀の一つだと思うのだが、もういいではないかと思わないでもない。

 そもそもMLBはアメリカではなく、世界中の選手で構成されたリーグである。

 実際に日本人選手も何人もいるのだから、アメリカ自体が弱くてもいいのだ。

 圧倒的に優勝回数が多いのは、日本になってしまっていることだし。




 近本の完治には、約二ヶ月が予想される。

 しかも元の通りに打てるようになるかは、分からないのである。

 手首の捻挫というのは、後を引くものであったりする。

 また手の骨折というのは、小さな骨が集まっているため、治療が難しい。

 小指の先ほどの骨が折れただけで、バッティングが全く通用しなくなることもあるのだ。


 ただでさえ得点力に不安のある、レックスから四番が抜けた。

 しかしそれでも、レックスは投手力において、福岡よりは優位にある。

 福岡も福岡で、今年は大きな怪我人も出ずに、独走に近い形で勝利した。

 ポストシーズンもここまで、一つ落としただけの数字となっている。

 もっともそうなると、苦労した試合が少ないのでは、という考え方もある。

 接戦を制したレックスの方が、メンタルでは上回っているかもしれない。


 直史は中五日で二度投げてもらって、最後の試合にリリーフ、という形で使うのがいいだろうか。

 ライガース戦の最後に、128球投げたのがそれなりに響いている。

 キャッチボール以外はノースローで、疲労を抜くことに専念した。

 直史には二試合だけ投げてもらう。

 他に二試合、違うピッチャーで勝たなければいけない。

 しかも打撃力が低下している状態でだ。


 福岡がどう読んでくるか、それも考えないといけない。

 第一戦から、エースをぶつけてくるかどうか。

 ライガースのように直史には、捨て駒を当ててくるかもしれない。

 ならばこちらも、直史をあえて二試合目に使おうか。


 ここは三島を第一戦で使えばいいのではないか。

 レギュラーシーズンではいいのだが、ポストシーズンではあまりパッとしない成績。

 だがこのクライマックスシリーズでは、友永と投げて六回を二失点とクオリティスタート内に抑えた。

 レックスとしても三島は、出来るだけ高く売れてほしいのである。

 ポストシーズンでも強いという印象があれば、より高く売れるだろう。

 そしてその金で、得点力の不足を外国人で埋めたい。


 ピッチャーはオーガスがいて、野手ではクラウンがいる。

 他にも数人の外国人はいるのだが、一軍で確実に使える者はいない。

 この使える外国人が少ない、というのもレックスの弱点であったろう。

 ドラフトで取ってくる選手は、かなり使える選手が多い。

 上手く育成も出来ているのだが、即戦力しかいらない外国人が、あまり通用していないのだ。

 FA、トレード、外国人が、ドラフト以外の戦力獲得手段。

 そしてレックスは基本的に、あまりFAを取らない。


 西片などは例外的に、FAで移籍してきた人間だ。

 ただそれは家庭の事情が大きく、出場機会なども考えて、在京球団でもレックスを選んだのだ。

 トレードをするにしても、育成中の選手はまだ先が期待できる。

 外国人の獲得も、金銭的に大きくは動けない。

 だからこそ三島の、メジャー移籍はチャンスであるのだ。




 オフシーズンのことは、今考えることではない。

 それに最終的に判断するのは、編成なのである。

 今は三島をどう上手く使って、試合に勝つかを考えるべきなのだ。

 するとやはり、第一戦に投げさせよう、という話になる。


 直史はおそらく、福岡がエースを出してくる第二戦に投げてもらう。

 これで中五日なので、どうにか調整をしてほしい。

 結局ライガースとの最後の第六戦も、ノーヒットノーランには抑えた直史。

 あまり騒がれないのは、毎年同じようなことをしているからである。

 やって当たり前となってくると、それがどれだけ偉大な記録でも、驚きが少なくなってくる。

 直史という人間は、ピッチャーの評価基準を変えてしまった人間、としても歴史に残るだろう。


 首脳陣は早めに決めて、早めに連絡した。

 三島は直史の疲労度の問題もあるが、第一戦のピッチャーとして、奮い立ったことは間違いない。

 他のピッチャーに関しても。充分に登板間隔は空けている。

 この投手陣が、パでナンバーワンの福岡の得点力を、どれだけ抑えることが出来るのか。

 主砲がいなくなったレックスでは、ロースコアゲームをするしかない。

 近本の怪我は深刻であり、福岡側で試合をする時の、DHでさえ不可能であったのだから。


 壊れるのを覚悟の上で、三試合先発してみるか。

 しかし直史は約束をしてしまっている。

 来年からプロ入りする、司朗との約束だ。

 それはNPBの公式戦で、直史と真剣勝負をすることである。


 可愛い甥っ子の頼みに、直史は甘い。

 基本的に身内に対しては、とんでもなく甘いのがこの長男である。

 二試合に先発するとして、他の試合は誰を使っていくか。

 木津はもう、去年のような運勢を、失っていることは分かっている。

 だが捨て試合をそこそこの試合として成立させるためには、充分に役に立つピッチャーだ。


 ライガースがやったことを、今度はレックスがやる。

 直史に二勝してもらって、三島、百目鬼、オーガス、リリーフ陣の組み合わせで二勝する。

 出来れば六戦目までに決めてしまいたい。

 去年は相手も千葉であったが、今年は福岡。

 ホームで日本一になるためには、第六戦か第七戦で決める必要がある。


 福岡は本拠地移動当初は、あまり強くもなかった。

 勝てない試合に地元ファンが激怒して、移動バスに腐った卵が投げられたこともあるという。

 しかし今はペナントレースではおおよそ優勝候補となり、二年前には日本一になっている。

 選手層の厚さでは、まず間違いなく一番であろう。

 あまりに選手層が厚いので、三年契約の切れた育成を、支配下で分捕っていくという手法がとられているぐらいだ。


 直史もかつて、プロ入り二年目に日本シリーズで戦った。

 もっともあの年は、レックスの投手陣が完全に充実していて、四連勝で終わってしまったが。

 二年前はライガースに勝っているのだから、甘く見れるはずもない。

 色々と考えているうちに、あっという間に日本シリーズが開幕する。

 今年の日本一決定戦で、本来ならばレックスが有利と見る面が多かっただろう。

 しかし四番の近本の離脱が、それを厳しいものとするのは確かだった。




 第一戦をどうするか、それが双方の指揮官の、まず第一の意図が見える。

 ライガースは第一戦、直史が投げる試合を捨ててきた。

 そうは言っても大原は、充分以上に投げてくれたが。

 直史は今年で、復帰してから三年目となる。

 だが福岡と対戦したのは、一年目のみだ。

 その時は八回までノーヒットピッチングをしたが、球数がやや多くなったためクローザーに継投。

 もっとも福岡もしっかりと、直史のデータは集めている。


 単純に数字だけを見れば、200イニング以上を投げて、失点が一点のみ。

 もはや人間の数字ではない、と野球関係者なら誰でも思うだろう。

 これに勝てると思うのは、よほど野球を知らない人間だけである。

 ただ引き分けにならば、持ち込めるのではないだろうか。


 レックスはこの大一番に、四番を失ってしまっている。

 ただでさえ得点力の低いレックスに、これは痛い話である。

 もとも普段からレックスは、セットプレイで点を取ることが多い。

 それでも中軸は長打を打って、それなりに貢献してくれているのだが。


 近本はファーストであったので、それほどポジション的には難しくない、とも言われる。

 確かに守備の指標を見れば、ファーストが守備で試合に貢献するのは、あまり実力差はないと考えられる。

 だがそれでも、ボールに触れることは多いポジションなのだ。

 特に直史が打たせて取る場合、ファーストのエラーというのは考慮すべきなのかもしれない。


 それでもここは、打力を重視して入れるしかない。

 長打は打てるが打率が微妙、という外国人選手を、代打からスタメンに入れることとした。

 来年も契約するかどうかは、微妙なラインの選手である。

(外国人はもう、ピッチャーは速球は以外は取らないかな)

 リリーフに使うのはいいかもしれない。

 だがやはり、長打力が問題となる。


 今の三番のクラウンなども、メジャーに上がったり落ちたりといったところを、NPBが拾ってきたのだ。

 今年の成績から見て、まだ数年は使えるだろう。

 打撃力の中でも、特に長打力に優れたバッターがほしい。

 しかしケースバッティングで打率もそこそこ高くないと、今のレックスの得点スタイルには合わない。

(まあこの第一戦は、コンコルズも捨ててきたか)

 ローテーションの中でも、裏ローテなどろ呼ばれるピッチャー。

 負けが勝ちを上回るピッチャーを、この第一戦に使ってきたコンコルズである。


 レックスは三島を、この試合に登板させている。

 確実に勝てるとは言わないが、ここで勝てなければ日本一は難しい。

 最後に日本一になってから、メジャーに移籍してほしい。

 特にスカウトへのアピールなどは、こういった場面で重要となるだろう。




 ブルペンから直史は、試合の展開を見つめる。

 明日の先発予定であるため、さすがに今日は投げることはない。

 だがリリーフとして投げる場面は、おそらくあるであろう。

 最強のクローザーとして、平良をも上回る実績がある。


 正直なところここで三島は、いい判断だと直史は思う。

 まず地元で二勝してしまえば、一気に有利になるのは確かだ。

 もっとも福岡まで移動し、向こうのホームゲームになればどうだろうか。

 今年のレックスは、交流戦で福岡相手に勝ちこしている。

 ただしホームゲームであり、DHはなかった試合だ。


 アウェイでビジターユニフォームを着れば、また感覚も違うかもしれない。

 福岡はそれなりに、人気のある球団だ。

 それも勝って勝って勝ちまくって、優勝する強さを見せ付けて、人気を高めた。

 主力が抜けていた去年と違い、今年はそれなりの自信も持っているだろう。

 二年前にライガース相手に勝ったのも、その根拠となっているかもしれない。


 あの年の日本シリーズは、ライガースの打線の絶不調により決まった。

 ネットでは散々に、呪いを受けた結果だ、などとも書かれていたものだ。

 呪いかどうかはともかく、バッティングのタイミングが崩されたことは間違いない。

 そしてレックスも主砲が離脱と、福岡の有利に物事が動いている。

 だが野球は、短期決戦ならピッチャーが重要だ。

 三島が投げればこの第一戦、有利に戦っていけるだろう。


 福岡のベンチとしても、これは確かに想定外だ。

 直史は一日目に投げさせて、二先発にリリーフ一試合程度、と考えていたのだ。

 あるいは先発三回を、中三日で回していくか。

 直史の実力と実績であれば、そんな無茶もありうるはずなのだ。


 福岡はピッチャーもバッターも、相当に層が厚い。

 だが先発六人を、勝てるピッチャーで埋めることは、相当に難しいのだ。

 相当の確率で勝てるピッチャーを、四人集めていた。

 他の二人は育成中であったり、ローテを回す程度であったりと、期待値は低い。

 その微妙な感じのピッチャーを、三島の相手としたわけである。

 まず第一戦、投手運用の点で、レックスは勝利していた。




 今年のオフにポスティング予定の三島。

 本当は去年のオフに考えていたのだが、シーズン終盤の怪我が響いた。

 メジャーで通用するかどうかは、本人の実力も重要だが、それ以上に代理人の交渉力も重要。

 その代理人にしても、実績のある人間と契約をする予定であったのだ。


 だが去年、三島はポストシーズンで、あまりいい結果が出せなかった。

 特に一試合は炎上と言ってもいい試合であり、あの印象がとにかく悪かったのだ。

 今年のレギュラーシーズンは、去年をさらに上回る結果。

 これならばと自信をもって、メジャーに挑戦できる。

 球団にしても、二軍の若手などでピッチャーは育ってきていた。

 ただ打撃力をプラスするために、外国人に金をかけたかったのだ。


 ポスティングでは契約金額が大きくなるほど、球団に入る移籍金も大きくなる。

 よってレックスとしても、そこはシビアな判断をしたのだ。

 助っ人外国人で、クリーンナップを固める。

 それが数年続いている間に、和製大砲を育てていくのだ。

 実際に今年も、レックスはドラフトで、野手を指名する予定である。

 もっともピッチャーも、素質枠を数人は取って、ちゃんと育てなければいけないが。


 今のレックスは百目鬼や木津など、面白いピッチャーが出てきている。

 リリーフでも大平に平良と、若い力が育ってきていた。

 これだけピッチャーが上手く育ってきているのは、やはりコーチの力ではある。

 特に二軍の練習に混ざることが多い、直史の影響が大きい。

 選手ではあるが、他人の動きを少し見て、何がおかしいのかを指摘する。 

 実際のところは普通に、コーチやトレーナーにしても、同じことを言っているのだ。

 ただ誰が言うかは重要であり、どのように伝えるかも、直史は優れているのである。


 試合は開始され、三島は一回の表から調子がいい。

 立ち上がりに点を取られないあたり、ピッチャーとしての実績も、充分に積まれてきたと言えるだろう。

 三者凡退の好スタートをきり、まずは合格点といったところか。

 ただ福岡の打線は強力なため、かなり初回から球数は多くなった。


 難しい話だが、まずは先制点がほしいレックス。

 それに福岡は普段と打線が違うため、そこも弱点となっている。

 そしてレックスの一番二番は、チャンスを作るのがとても上手い。

 出塁率の高い左右田と、ほとんど併殺打を打たない緒方。

 ここで最低でも、得点圏にランナーを進めてしまうのだ。


 直史以外のピッチャーからなら、そこそこ点を取れる可能性はある。

 そんな甘いことを考えている福岡相手に、レックスは先制点を奪った。

 確かにレックスのピッチャーで、今年完投したピッチャーは、直史以外はせいぜい一試合か二試合。

 しかしそれは七回からのリリーフが、とんでもない制圧力を持っているからだ。

 初見はピッチャーが有利。

 なので終盤でリリーフが入れ替わっていけば、それはレックスが有利と言えるのだ。


 まずは初回、レックスが一点を先制。

 投げているのが直史であれば、よし勝った、となって風呂に入ってくる展開であろう。

 もちろんそこまで、三島には絶対感はない。

 それでも普通の年ならば、沢村賞候補になっても、おかしくない数字を残しているのだ。




 現代の野球は少し昔と比べても、大きな違いがある。

 特に言われるのは、フィジカル重視でスモールベースボール軽視といったところだろう。

 確かにそれは、どのスポーツでもその傾向にある。

 だが短期決戦であれば、スモールベースボールは強いのだ。

 またピッチャーの能力を活かすのも、スモールベースボールである。


 この試合に勝って、メジャーに行く。

 三島はその思考で、六回までにスタミナを使い切るつもりで投げている。

 それは間違っていることではない。

 継投もまた、スモールベースボールの一つなのだ。


 レックスがタイタンズから、決定的にファンを奪えない理由。

 それは確かに、大規模なイベントなども出来ない、資本力の差もあるのだろう。

 しかしこういったスモールベースボールが、印象を悪くしていることもあるかもしれない。

 だがそれでも、こういう野球は強い。

 これこそまさに、ベースボールではなく野球なのだ。


 戦略的に、戦術的に、精密な野球で勝利する。

 パワーだけならば、もっと野球は雑なスポーツになる。

 細かいことが出来てようやく、NPBではピッチャーとして通用する。

 三島は二回の表も、福岡の攻撃を抑える。

 レックスはここで、下位打線がホームランを打つという、意外な点の取り方をしていた。

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