第372話 見えない壁
才能の限界というものはある。
努力の限界というものに近いであろう。
ただそれは性質が悪いことに、一般人には見えないのである。
才能や努力の限界というのは、その人間の本当の限界であろうか。
そうではなく、思考の限界というのもあるのだ、と直史は考えている。
ピッチャーは一番考えるべきだ。
もちろんキャッチャーも、外部に付属した補助頭脳ではある。
日本の場合はキャッチャーの方が、よりデータを把握しているが。
バッテリーというからには、二人で攻略を考えて、バッターと対戦するのだ。
二人で考える分、バッターよりも有利という見方もあるだろうか。
下手に球速があったりすると、それに頼ってしまったりする。
もちろん問答無用のスピードで、対応できなくしてしまうのもありだろう。
しかしただスピードを上げるだけでは、さらなるスピードで対応されてしまう。
大介がむしろ、パワーピッチャーの多いMLBで、各種数字が伸びてるのもそのためだろう。
もちろん数を増やす記録は、試合数が多いのでそれも増えるだろうが。
人間の肉体には限界がある。
しかしその想像力には、限界がないのだ。
もっとも想像以上のことをやってしまう、現実の人間もいるわけだが。
おかげである分野においてはもう、ありえないことを書くのが難しくなっている。
本当にもう、O谷とかF井とかは、現実的な範囲のパフォーマンスで我慢してほしい。
ともかく直史がバッターを封じることが出来るのは、想像力に柔軟性があるからだ。
またリスクを取ることを、恐れない場面がある。
それが実はリスクではないのだと、違った方向からのアプローチをする。
しかしその選択は、自分を信じていないと、出来ないことであろう。
大介に対して、ど真ん中に近いストレートを投げたことも、その一つである。
二回の裏、レックスはまたもランナーを出したものの、下位打線では決定打を打てなかった。
そして三回の表が始まる。
ライガースも下位打線から始まる。
しかしもしここで、ランナーが出たとすれば、ライガースはどうするだろう。
七番か八番あたりにヒットが出たとして、九番の津傘にそのまま打たせるだろうか。
今日は継投していくとしても、三回の裏から次のピッチャーというのは、ちょっと早いタイミングだろう。
だが大介の前にランナーがいれば、長打一発で一点が取れる可能性は高い。
大介の前にランナーは出さない。
それが大介と対決するための、大前提である。
もしもランナーがいるなら、歩かせることを考えていく。
しかしそれでは試合が白けるため、やはりランナーは出さない方針で行こう。
そうは思っていても、普通はランナーなど、自然と出てしまうものなのだが。
直史はいつものことだが、最初の一巡をパーフェクトに抑えた。
ライガースは津傘に対して、代打を出してこなかった。
そして三回の裏は、直史からの打順となる。
ここでの直史は、完全な置物である。
ピッチングをするだけの生命体に、バッティングを求めてはいけない。
過剰な期待をしてしまうと、それは足を引っ張ることになる。
むしろバッターボックスに立ってもらっただけ、ありがたいとでも思うべきなのだ。
そして四回の表を迎える。
ここまでパーフェクトに抑えてきたので、当然ながら先頭は一番打者。
つまり大介との、二度目の対戦である。
直史はバッターボックスから戻ってきて、味方が奮闘している間に、意識をまたピッチングに切り替えていた。
三回の裏はランナーこそ出なかったものの、かなり津傘のボールを捉えている打球があった。
ただそれがヒットにならないのは、野球の偶然の偏りである。
レックスもライガースも、どちらも一発で勝負が決まりかねない。
特にライガースの打線は、一番から五番までが要注意だ。
和田は直史からまるで打てていないが、その過去から警戒を外すわけにもいかない。
しかしまずは大介である。
第一打席は運よく、三球だけで終わった。
だが同じパターンは、忘れてもらうまで使うことを許されない。
この試合ではもう、単純なストレートは使えないだろう。
速球系を使うことが難しくなっている。
直史としてはここは、遅い球を見せて行きたい。
だが下手にゾーンに投げて、ストライクカウントを取りにはいかない。
あわよくばという考えは、楽観的に過ぎる。
確信した上で、投げていかないといけない。
しかしその確信すらも、疑っていく必要があるのだ。
人間の想像力の限界である。
直史が考えることは、大介もほとんど考えられる。
それに大介は、思考ではなく反射でボールを打っていく。
ただ直史が考えるのは、まさかそんな、ということである。
そんな危険なボールを投げてきて、打たれない自信があるのか。
一打席目のほぼど真ん中も、そんなボールであった。
投げてくるわけがない、と思ってはいけないのだ。
そして投げてくるわけがない、と思ったボールが投げられた時、焦って打ちにいってはいけない。
焦りは即ち力みに通じる。
大介はリラックスして打席に入って、打つのはほんの一瞬の力とするのだ。
その体格でホームランを量産するコツ。
それは全身を使うことと、スイング直前までのリラックスである。
直史はとにかく、ホームランの失点だけは防ぎたい。
そういう点で考えれば、ストレートで勝負するというのは、かなりの冒険であったのだ。
フライは遠くにまで飛べば、スタンドに入ってホームランとなる。
だが最初からゴロだけを打たそうと思えば、ピッチングの幅を狭めてしまう。
狙い球を絞るか、それとも全てに対応して行くか。
このあたり直史と対戦するバッターは、絶対に苦労して行くところなのだ。
初球から内角にカットボールを入れてきた。
ぎりぎりストライクから、外れたかもしれないコース。
それを打った大介の打球は、わずかにライトのポールの外に外れていく。
あとほんの少し球を捉えられれば、スタンドに入るホームランになっていたであろう。
大介に打たせてストライクカウントを奪うのは、かなり難しいことだ。
せめてライナー性の当たりで、フェンスに直撃するなら安心するのだが。
空振りでも見逃しでも、ファールでも全てストライクカウントは増える。
だが大介のミート力を考えると、ファールを打たせるのは一番現実的だ。
あとは落ちてくるカーブを打たせて、単打までに抑えるか。
他の変化球と比べても、点で捉えなければいけないカーブ。
あれならば大介であっても、スタンドにまで運ぶのは難しい。
出来れば遅いボールの方が、バットに当たった時に発生するエネルギーは小さい。
直史の力ではなく、自分の力だけで、スタンドに持っていく必要がある。
だからカーブ、そしてチェンジアップあたりは、出来れば打ちたくないのが大介である。
もっともそれが分かっていて、直史はスローカーブを投げてくるのだが。
そのスローカーブに、大介はタイミングを合わせる。
しかしスイングをすることはなく、見送っていた。
カウントがどうなるかは、この審判の場合は分かっている。
ストライクとコールされて、この打席もあっさりとツーストライクに追い込まれている。
(ここからはボール球かな)
そう思っていたところにストレートが来たからこそ、大介はジャストミート出来なかった。
このカーブも追い込まれたら、カットしていかないといけない。
カットするだけならば、それほど難しくはないボールである。
三球勝負はここではないな、と大介は考える。
二打席連続でそんなことをしてきたら、今度は確実に打っていくのみだ。
直史はプレートの立ち位置を変える。
一番右に立つと、左打者の大介とは角度がつく。
しかしそこから投げていったのは、アウトローのボールである。
遠いところから、やはり一番遠いところへのボール。
だが大介はそれを振りに行って、ツーシームの逃げる変化をカットしていった。
見送ればボール球であったろう。
カウントは変わらないが、大介の意識は外に向けられる。
直史はプレートの立ち位置を、今度は左端に持っていった。
このプレートの立ち位置というのは、誰もが使うことが出来る。
しかし普通は真ん中を使って、そこからコントロールするのが一般的なピッチャーだ。
直史はボールの軌道を変えるためにも、プレートの位置をあちこちに変える。
それによってボールの軌道が変われば、変化球が増えるのと似たような効果があるのだ。
ここで投げたのは、インハイストレート。
大介はまた振っていったが、打球はバックネットに突き刺さった。
都合よく前に打っていてくれたら、フライでアウトになったであろう。
だがそこまでコントロール出来ないのが、野球というものだ。
カットされてファールになれば、それだけどんどんと直史の投げられる球が少なくなっていく。
この打席も出来れば、今のストレートをミスショットしてくれて、フライアウトになってほしかったのだ。
ツーストライクと追い込まれている。
ここから空振りが取れる球があれば、直史の勝ちである。
だが一番速く感じるインハイストレートを、大介はカットしていった。
すると速球系では、ほぼ空振りは取れないであろう。
ならば選択するのは、おそらくスルーチェンジ。
チェンジアップよりはずっと速いこのボールに、大介が対応出来るのか。
もちろん出来る。
バッターボックスの中で、姿勢を崩しつつも粘っていって、カットしてしまえばいい。
ただその際に注意すべきは、フェアグラウンドに飛ばないようにすることだ。
内野フライにでもなってアウトになれば、悪い結果としか言いようがない。
(難しいな)
大介としては出来れば、ホームランで点を取ってしまいたい。
後続のバッターを信頼していないというわけではないが、それ以上に直史の脅威を認めているからだ。
ノーアウトの打席なのだから、とりあえずヒットでもいい。
しかし出来れば長打で、二塁にまでは進みたいのだ。
二番の和田は意地でも、大介を三塁にまで進めてもらう。
あとは外野フライでも内野ゴロでも、どうにか大介はホームを踏んでしまうだろう。
ただノーアウトの状況からでは、直史は大介を単打でも出さないようにしてくる。
今日の試合、一番で出場というのは、悪い選択ではなかった。
一人でもランナーが出れば、大介に四打席目が回ってくるからだ。
それにノーアウトで大介がランナーとして出れば、直史は気力を消耗させるだろう。
涼しい顔をしていても、それぐらいは分かる大介だ。
(そろそろ俺が勝つぞ)
選手としての数字であれば、大介が勝っていると言えなくもない。
だが結局試合に勝つのは、いつも直史の方なのである。
高校時代の紅白戦でも、直史は大介にヒットを打たれても、点につながらないピッチングをしていた。
練習試合などでは、わざと先頭バッターを出してから、そのピンチを防ぐ練習などもしていたものだ。
WHIPの数字は基本的に、気にしないのが直史である。
重要なのは点を取られない、防御率であるのだから。
もっともそのWHIP指数も、直史はトップである。
ほとんどフォアボールを出さないのだから、それも当たり前の話だ。
どれだけ優れたバッターであっても、打ったボールがヒットになる確率は四割まで。
ならばフォアボールを選んだほうが、確実に出塁できるということでもある。
この第二打席、大介が粘りに粘っていく。
直史としても際どいだけのコースであれば、打たれる危険性があると分かっている。
ちゃんとしたボール球か、打たれないコースのストライク。
そしてチェンジアップをしっかり見逃し、ボールカウントがやっと増える。
追い込んでからの直史は、奇策も使ってきた。
フォームを微妙に調整し、サイドスローに近いものとしたのだ。
そこから投げられるストレートは、当然ながら普段の軌道とは違う。
しかしこれもまた、大介はカットで逃げることが出来た。
なんだかんだ言いながら、ボールカウントは増えていかない。
そして球数は大介に対して、もう10球にもなってきていた。
削って倒すしかない、というのが直史に対する首脳陣の考えである。
とにかく今年は一本しか、ホームランも打たれていないのだ。
長打二発で一点とか、そういう簡単な点の取り方は、とても通用しないだろう。
しかしセットプレイでも、レックスの守備は堅いものなのだ。
またバントや走塁を絡めるのは、ライガースの苦手なところである。
長打を打って勝つというのが、ライガースの手段であった。
その基本的な戦術が通用しないとなると、もうどうすればいいのかも困ってしまう。
40代の肉体と考えれば、やはりスタミナを削っていくべきか。
だがこの一試合に限れば、それもおそらくは通用しないだろう。
日本シリーズまで回復しないぐらいに、削っていくなら別であろうか。
しかしそれは日本シリーズで、対戦する相手が楽になるだけである。
この試合は比較的、球数を使ってきている。
大介を一番にしてから、他のバッターへも注意が強くなっているのだろう。
ただそれでも、120球ぐらいで完投するペースではある。
単純に球数だけを見ても、直史のスタミナは分からない。
遅いボールを上手く使って、最終的な体力配分は、ちゃんと考えているだろうからだ。
その中でやはり、大介だけは別と考えるべきであろうか。
ここでもこうやって、際どいボールも粘ってきているのだから。
それに大介相手に消耗すれば、他のバッターを相手にしても、ピッチングのクオリティは落ちるだろう。
とにかく全てのバッターが、直史のスタミナを削っていくのだ。
そういうことを考えていると、初球は簡単にストライクを取ってきたりもするのだが。
やはり大介の一発に期待してしまう。
一打席目も浅い外野フライのように見えて、滞空時間はかなり長かった。
あれで距離が出れば、間違いなくホームランになるのだ。
もちろんそれを許さないのが、直史のピッチングなのだが。
(ここで粘って、どうにか削ってくれ)
ベンチではそう願っているが、最後には大介の打球は、鋭く前に飛んだのであった。
しかしショートの左右田が飛びつく範囲。
ショートライナーにて、二打席目も凡退に終わった。
ベンチに戻ってくる大介は、何か色々と考えこんでいる。
反射だけで打っているところもあるが、ちゃんと考えて打つこともあるのだ大介だ。
元々地頭はいいのだから、読み合いというのも充分に行っている。
ただ直史を相手にしては、それでは通用しないのではないか。
凡退という結果だけを見たら、大介の負けになるだろう。
しかし今日の大介は、まだ空振りをしていないのだ。
直史が投げてきても、確実にバットに当てていくことは出来ている。
ならばそのスイングを、より強いものとしていけばどうなのか。
1イニングに20球も使ってしまった。
大介だけではなく、他のバッターも粘ってきたからだ。
一巡目はそれほど、苦しいこともなかった。
だが二巡目からは、確実に粘って削りにきている。
それは分かっているが、打たせて取ることを期待しすぎることはない。
基本的には追い込んでから、三振を奪えばいいのだ。
単純な球数で、スタミナが削れることはない。
スローカーブやチェンジアップを上手く使って、緩急で打ち取っていけばいいのだ。
(それはともかく、まず先制点だな)
この四回の裏もまだ、ライガースは津傘を代えない。
確かにボールにまだ、力はあるらしいのだ。
しかしこの回は、レックスはクリーンナップからの打順となる。
もっともレックスの得点の仕方で多いのは、左右田か緒方がランナーとして出ている場合である。
ソロのホームランなどはともかく、そういう状況で長打を打つことが多い。
クリーンナップだけだと、連打の得点は少なかったりする。
それがデータとして残っているのだが、この回は三番のクラウンが、いきなり長打で出塁した。
ライガースもライガースで、ピッチャーの継投のタイミングを考えていたのだろう。
ここで山田は、すぐに動いてきた。
普段はセットアッパーや火消しで使うピッチャーを、迷いなく投入してきたのである。
変にランナーがいる状況で、他の先発に代えないのは、そういう状況に慣れていないからだ。
先発はランナーがいても、それが自分の出したものでないと、ピッチングのリズムが狂うことがある。
ノーアウトの二塁からなら、どうにか一点ぐらい取ってほしい。
そう直史は思っていたら、四番の近本が高い内野ゴロを打った。
内野安打とはならないが、上手くランナーを進ませることが出来た。
これでワンナウトランナー三塁である。
ヒット以外でも、充分に点が入る展開だ。
ただタッチアップや内野ゴロでの得点は、クラウンの足だと微妙なところだ。
だからといってスクイズなど、期待できないのがレックスのクリーンナップである。
そんなものは普段から、練習していないのだから。
(まともに打ちに行くしかないか)
あるいはクラウンに、代走を出すという選択もあるかもしれないが。
まだ試合は半分も終わっていない。
クラウンは足はともかく肩は強いので、外野の守備としても必要なのだ。
ここでリスクを承知の上で、何か手を打っていくか。
そこでまだ動けないのが、西片の限界と言えるだろうか。
ライガースはまだ、ここからどんどんとピッチャーを代えてくるだろう。
その中の一人がミスをしたら、それだけで充分に点が入る。
西片は動くことが出来ず、内野ゴロでランナーは動くことなく、ツーアウトになる。
ただ西片は、ここで期待もしているのだ。
六番はキャッチャーの迫水。
キャッチャーの方に専念してもらうため、打順は六番としている。
しかし打率は三割ほどあり、またホームランも二桁打っている。
ここで直史を援護できるとしたら、迫水しかいないのではないか。
(一点がほしい)
それを切実に望んでいるのは、直史よりもむしろ監督の、西片の方であったのだろう。
試合の勝敗は、全て監督の采配に帰結するのであるから。
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