第366話 選択と結果

 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、第一戦が終わった。

 レックスがまずは直史のピッチングで一勝。

 球数も112球と、さほど消耗したわけではない。

 だがそれは肉体だけの話で、精神的にはかなり消耗している。

 そして精神的な消耗は、肉体にもある程度影響が出るのだ。

 逆に肉体が疲労していても、火事場の馬鹿力でどうにかなることもある。

 直史は肉体の限界ではなく、感覚の限界を超えるのだが。


 ヒット一本に抑えたわけだが、大介の打席はどれも、狙い通りに抑えられたわけではない。

 滞空時間の長い外野フライ、内野ほぼ正面の当たりと、少し打球の方向が違えば、ヒットにはなっていた。

 三振を奪ったのもたったの八つで、打たせて取った割には球数が多くなっている。

 ライガースは粘っていたのだ。

 ヒット一本であろうと、直史が疲れたのは確かである。

 それでも試合後のインタビューなどでは、平静な様子を見せていたが。


 ロッカールームに戻ってくると、さすがに座り込んでしまった。

 こういう時はさすがに、人間っぽさがある。

 マウンドの上に立っていると、もはや神々しくすらあるのだが。

 今日はもう、最終回はリリーフに継投しても良かったのかもしれない。

 だがあの打順では、代打が出てきたときにどうなるか、微妙なものがあった。

 直史はマウンドの上では疲れた顔を見せないし、それはベンチの中でもそうであった。

 だからこそ首脳陣は、続投という選択をしたわけだ。


 そもそも明日以降に、使われることは決まっている。

 レギュラーシーズンでなかった回跨ぎや、三連投もあるかもしれない。

 だから直史に、最後まで投げてもらったのは間違ってはいない。

 ただそれが本当に正解であったのかは、日本シリーズが終わった時に分かるのであろう。

 現在のところ直史は、この運用で間違っていないと思っている。

 しかしそれはそれとして、疲労しているのも確かであるのだ。


 普段は自分の運転で球場に来ている直史だが、さすがに今日はタクシーを利用する。

 だいたい自分が投げる時は、タクシーを使って少しでも、集中力の衰えを防ぐのだ。

 もちろん領収書はもらって、確定申告を行っている。

 自営業というのは大変であるのだが、実は直史の場合、弁護士事務所の事務員さんに、一緒にやってもらっていたりする。

 どこまでが自分の役割なのかはともかく、直史には自分でしか出来ないことが多い。

 時間と金と労力、どれを使っていくかという問題だ。

 直史の場合は金で解決出来るなら、基本的には金で解決してしまう。


 自分の人生はおそらく、もう半分も残っていない。

 まして体の自由がはっきりとするのは、さらに短い時間であろう。

 野球を引退したら、ゴルフでもしながら話を進めていこうか。

 政治家や財界人も、ゴルフが好きな人間は多い。

 そもそもゴルフ場の話し合いで、色々なことが決まっていくのだが。




 とりあえずは次の試合である。

 百目鬼が津傘と対戦するわけだが、果たしてその結果がどうなるか。

 ここで二勝してしまえば、あとは一つ勝てばいいだけ。

 直史の二度目の先発が、回ってこない可能性すらある。


 別にそれでいいのだ。

 ファンは対決を望んでいるかもしれないが、直史としてはまともに勝負する回数は、少なければ少ないほどいい。

 今回の対戦は、命を削るような、深く潜る感覚は得られなかった。

 だがもっとぎりぎりの勝負になれば、あの領域に入ってしまうかもしれない。

 寿命を削ってまで、今さら勝とうなどとは思っていないはずだ。

 しかしいざ勝負となると、どうしても心理的に臨戦態勢に入ってしまうのだ。


 長生きするならやはり、プロの世界からは早めに、引退するべきなのだろう。

 もっとも大介などは、むしろ引退してしまう方が、寿命が削れて行くような気もするが。

 直史は引退したら、草野球をするかもしれない。

 もちろん右ではなく、左で投げるのだ。

 本気で投げていって、どこまで通用するのかも気になるが。

 プロの世界では一応、50歳まで現役を続けた選手もいるのである。


 全体を見た場合、ピッチャーの方がバッターよりも、選手寿命において長寿の選手が多い。

 やはりピッチャーは技術で投げ、バッターはフィジカルで打つからであろうか。

 動体視力の衰えは、どうしても40代の半ばには顕著になる。

 バッターはボールを追えなければ、さすがに打つことは難しい。

 リリースの瞬間までを見ていても、そのスピードも速いのだ。

 眼球周りの筋肉の働きを維持するために、ドーピングなどが効果的だとは言われている。


 大介の場合は肉体自体が、普通の人間よりも若々しいとは言われる。

 代謝機能が活発であり、おおよそ30代半ばの機能を、まだ備えているというのだ。

 ただ老化というのはむしろ、一気に来る可能性もある。

 新陳代謝が活発なスポーツ選手など、常識で考えれば細胞分裂の限界が来るのも早いだろう。


 大介はオフシーズンの間も、眼球回りのトレーニングはしっかり行っていた。

 筋肉は使わないと衰えるからだ。

 盗塁にしても去年とほぼ同レベルを保った。

 だがそれにしても、年齢の限界はあるはずだが。

 あるいは目に頼らず、心眼でボールを見切ってしまうだろうか。

 そこまでいくとさすがにオカルトであるし、直史も対抗のしようがない。

 過去にはそんな感じで打たれたこともあるが、あれはゾーンをさらに深く潜ったものだろう。




 マンションに戻ってすぐに、軽く果物や野菜だけを食べて眠る。

 脳が睡眠を欲していたのか、すぐに眠ることが出来た。

 シーズン期間中、夫妻は部屋は一緒でも、ベッドを別に使っている。

 なぜなら変に寝相によって、直史の体に負担をかけたりするかもしれないからだ。

 ちなみにシーズン中は、励んだりすることはしないようにしている。


 子供たちは子供たちで、今の時期は忙しい。

 秋季県大会が終わり、関東大会を迎えようというところであるからだ。

 夏を制した白富東は、おそらくこの秋の時点でも、頂点を占める戦力であるだろう。

 三年生は引退したが、主力は二年生以下であるからだ。

 去年は関東大会で、昇馬の怪我から敗退している。

 今年は順調に進めば、神宮大会も勝てるであろう。


 懐かしいなと思いつつも、目の前の試合に集中しなければいけない。

 過ぎ去った青春に感傷を抱いてしまう。

 人間に限らず生物は、どんどんと世代を変えていくものであるのだが。

 自分のやっていることが、子供たちにどう思われるのか、後世にどう残るのか。

 考えても仕方のないことだが、それでも考えてしまう。


 子供たちが育っていくのを見るのが、今の直史は楽しい。

 明史が手元から離れているのは、少し残念ではあるが。

 東京に行くたびに、会うことは多い。

 どちらかというと内向的なようにも思えるが、何かに集中するというのは、自分に似ているかもしれない。

 少なくともあまり、長男らしさはないのだが。


 今はこうやって、野球ばかりをやっている。

 もちろん実際は、他の仕事もいろいろとしているのだが。

 しかしいつかは田舎の実家に戻って、あの土地を活用して行くことを考えなければいけない。

 それは自分がもう、野球では働けなくなってからの話になるだろう。

 あの山に関しては直史としては、昇馬に譲った方がいいのかな、とも思う。

 自然の中で生きるのは、昇馬の方がずっと慣れているのだ。

 明史は明らかに、そういうものには慣れていない。

 子供の頃からあまり、外に出ることが出来なかったからだが。


 直史が考えるのは、故郷を守るということ。

 ただ真琴や明史などは、直史の実家に関して、田舎という認識しかないように思える。

 それは間違ってないし、そもそも長期休暇の時ぐらいしか、行くことがないのだ。

 しかしあの場所に根ざして、生きている人たちはいる。

(子供たちをあそこに縛り付けるのは、俺のエゴだな)

 寂しいことではあるが、そういうことなのだろう。

 むしろ大介の子供たち、つまり嫁に行った桜と椿の子供たちの方が、あそこを故郷と認識していそうな気がする。


 地方の過疎化はどうしようもない。

 佐藤家代々の墓は、自分の代までで終わるだろうか。

 それでも誰かに、墓守はしてもらいたいと考える直史は、とんでもない保守的な人間ではある。

 ポストシーズンのさなかであるが、そんな場合であるからこそむしろ、直史は色々と考えているのであった。




 直史が片手間とまでは言わないが、本業を別にして投げている間のことである。

 レックスとライガースの第二戦が、同じく神宮で行われる。

 第一戦を確実に勝ったレックスは、このまま第二戦も勝ちたい。

 だがここでは、直史が投げることは絶対にない。

 ベンチメンバーに入っていないので、ブルペンにいても投げることは出来ないのだ。


 レックス首脳陣は今年、直史の使い方を色々と考えている。

 さすがに先発を三試合、というのは直史としても遠慮したい。

 だがリリーフとして最後を〆るのは、一試合ぐらいなら可能であるだろう。

 もっともその場合、対戦するバッターが誰かにもよるが。


 レックスのリリーフ陣は有能である。

 だが全く点を取られないというわけではないし、リリーフにも失敗したことがある。

 それに比べると直史は、クローザーとしては今まで、一度も失敗したことがない。

 だから三戦目以降は、試合に出るかどうかはともかく、ベンチメンバーには入れておくのだ。

 ぎりぎりになったら直史が出てくる、と相手に思わせるだけでもいい。

 それだけでプレッシャーになるのが、クローザーとしての直史だ。


 実際のところ、しっかりと休まなければ、二度目の先発に差し支えるかもしれない。

 だから本当に、脅し以外の何者でもないのだ。

 野球もポストシーズンとなってくると、色々と心理戦にもなってくる。

 またローテーションも変わるので、とにかく短期決戦になるのだ。

 

 レックス首脳陣としては、二戦目の百目鬼で勝ちたかった。

 そうすればあと一つ、勝たなくても引き分けで、日本シリーズ進出が決まる。

 百目鬼の今年の成績は、勝敗だけを見ても16勝3敗と立派なものである。

 序盤に短期間の離脱があったにもかかわらず、規定投球回をクリア。

 防御率が2.02に奪三振も174と、ローテからの離脱がなければ、普通に沢村賞候補であったろう。

 強いて言うなら完投が一回しかなかったのが、マイナスポイントであろうか。

 しかし直史がいたので、どちらにしても無理だったのは確かである。


 この百目鬼と対戦する津傘も、26先発16勝5敗と立派な数字。

 ただ防御率も奪三振も、百目鬼よりは下なのである。

 直史の25勝0敗があるので、どちらにしろ他の候補はいない。

 沢村賞も直史が引退すれば、もう色々と基準が変わるかもしれない。

 しかし昇馬が入ってくれば、またとんでもない記録を残すだろうか。


 現在の昇馬の評価は、上杉や武史に近いところである。

 ただ左右両投げ、というのがこの二人とは違うところだ。

 ピッチャーが消耗するのは、全身の中でも特に肩と肘。

 それを両方使えるのだから、中三日か中四日あたりで投げて、直史のシーズン勝利数を上回ることは、理屈の上で不可能ではない。

 もっとも左はともかく、右も完全にプロで通用するのか、そこは微妙であるが。


 昇馬の価値というのは、単純な左のピッチャーというだけではないのだ。

 少なくとも関東大会では、右で充分な球速を出している。

 左では165km/h、そして右では164km/hがMAXとなっている。

 ただスピードだけでも、充分にプロで通用するのではないか。

 もし中三日で左右で投げ分けることが出来るのなら、その価値は先発投手二人分に近くなる。


 直史としては自分の記録も、抜いてくれていいのだ、と思っている。

 もっとも昇馬でも、パーフェクトの達成回数だけは、絶対に抜けないだろうなと思うが。

 直史から見ても、昇馬は左右の両方で、プロで投げるべきであると思う。

 プロに行ったら、という前提があるが。




 新しい時代が近づいている。

 それはともかくとして、ライガースとの第二戦だ。

 この試合も序盤は、投手戦で展開するのかと思われた。

 上手く大介をアウトにして、これはライガースに前日の影響が残っているのか、とも思われたのである。

 だがそれも三回までで、二打席目の大介がしっかりと長打を打つ。

 そこから試合は動いていった。


 百目鬼はライガース相手でも、今年は4勝1敗という数字を残していた。

 勝った四試合は全て、クオリティスタートの試合であった。

 津傘に対してもレックスは、特に苦手というわけではない。

 もっとも今年のレギュラーシーズンでは、三度しか対戦がなかったのだが。

 そこで2勝1敗なのだから、評価は微妙であろう。


 ライガースが先制し、レックスが追いつく。

 そんなゲームで、六回までは3-3の同点で終了した。

 同点の場面から、レックスはどうするか。

 百目鬼を続投させるか、リリーフ陣に継投させるか。

 短期決戦であるからには、百目鬼にもまだ短いイニング、投げてもらうことはあるだろう。

 リリーフ陣にも多少の無理はしてもらおう。


 このあたりの判断は、本当に難しい。

 正しかったか間違いだったかというのは、結果でしか判断出来ないのだ。

 だがライガースの打線を、ここまで三点で抑えたというのは、充分な数字だろう。

 同点という状況であるのだから、これは勝ちパターンのリリーフに、普段ならつなげるところではない。

 しかしライガースの津傘も、球数はかなり増えてきているのだ。


 ライガースはクローザーはともかく、セットアッパーは微妙なところがある。

 だからここで勝ちパターンのリリーフを投下し、味方が点を取ってくれるのを期待する、というのもなくはない。

 しかしそれで本当にいいのか。

 レックスの首脳陣としては、当然ながら迷うところなのだ。

 これがリードしていたのなら、明確に判断出来たのだが。


 ブルペンで準備しているのは、国吉と須藤である。

 この場合はやはり、国吉を使っていくべきだ。

 ベンチの判断は結局、国吉の投入ということになる。

 だがリードを奪えなければ、クローザーの平良を使う下は、判断がまた必要になるところだ。


 平良も肩を作り始めているし、大平も準備をしている。

 須藤も交代で肩を作っていて、延長の準備までしているのだ。

 そんな中で七回の表、ライガースの攻撃は無得点。

 そしてレックスはその裏、一点を追加した。

 リードした状態であるなら、当然ながら大平を投入する。

 しかしここで、大介の打席が回ってきた。

 そんな状態でボール球を打ち、スタンドまで運んでしまうのが大介である。

 ライガースのファンがそこまで多いわけでもなかったろうに、スタンドは大歓声に包まれた。




 八回の裏が終わって、4-4と同点。

 レックスは平良ではなく、須藤をここでマウンドに上げる。

 どうにか無失点で終わらせてくれれば、九回の裏のレックスが有利になる。

 そう考えてのことであるが、レックスはもうこの試合、どうにか引き分けでもいいかな、と考えている。

 三島とオーガスはともかく、木津や塚本まで今日は、ブルペンに入っているのだ。

 引き分けでもそれは、ほぼ勝利に等しい。

 そんなレックスは九回の表も、どうにかライガースを抑えることが出来た。


 延長戦になると心理的に、後攻の方が楽になる。

 ライガースはここで、リリーフではなく普段は先発の、ローテピッチャーをリリーフで出して来た。

 考えていることは向こうも、だいたい同じなのである。

 投手陣を使っていって、なんとか相手の攻撃を凌ぐ。

 これは引き分けの価値が高い、レックスに有利な運用法なのである。


 ただお互いが徹底的に、点を取られまいと考えた時、どちらの方が有利であるか。

 それは歩かされた大介が、盗塁を決めてくるあたりで、ライガースの有利となる。

(う~ん、大介を二塁に進ませるとなあ)

 最終的には三塁から、タッチアップで一点勝ち越し。

 そしてこれがライガースの決勝点になったのである。


 大平がホームランを打たれたのが、今日の敗因であったか。

 だがボール球で勝負などをして、敬遠をしなかったのも問題なのだ。

 そして次の打席では、敬遠で勝負を回避している。

 このあたりの判断が、やはり間違っていたと結果論で言える。


 重要なのはこの結果から、何を学ぶかであろう。

 今さらであるが、大介が決定的な働きをした。

 勝負所で打ってくるし、チャンスを拡大するという点でも、大介は強いのだ。

 大平のボール球の162km/hを、打ってしまうのが大介なのだ。

 それを首脳陣は、分かっていたはずであろうに。


 次の打席では、歩かせるしかなかった。

 投げていたのは塚本なので、この勝負所で相手をさせるのは、難しいと判断したからであろう。

 だがそれを言うならば、延長に入った時点で厳しかったのだ。

 結局最終的には、5-4というのが本日のスコアである。

 ライガースはリードしてから、最後にヴィエラを投入してきた。

 わずか一点のリードを、このクローザーはしっかりと守ったのである。


 これは惜しい試合であった。

 百目鬼がしっかりと、計算出来るピッチングをしていたのだ。

 津傘からも三点、ちゃんと奪っている打線であった。

 ほんの少しだが、勝ち越した場面もあった。

 そこで大介にホームランを打たれたが、それでもまだ同点であったのだ。


 勝ち越された場面、あそこは平良を投入すべきではなかったか。

 結局は温存したまま、負けてしまったのが全てである。

 ここで引き分けていればとは言えるが、引き分ける可能性はどれだけあったのか。

 あるいは百目鬼を、あと1イニングほど投げさせるべきであったのか。

 とりあえずリリーフに失敗した、大平の責任は重い。

 大介が相手であると、こういう時には打たれるのだ。

 それを首脳陣も分かっていなかったのか。


 もっともそういったことを言うなら、直史も何かを言うべきであった。

 だが何が正解になるかは、本当に分からなかったのだ。

 なにしろ大介は、今日は三打数一安打であった。

 その一本のホームランが、致命的なものとなったのだが。

 まだアドバンテージはあるが、力の勝負で負けてしまった。

 レックスの受けたダメージは、かなり大きなものとなっている。

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