第365話 流れを断つ

 本日の大介の第三打席。

 あるいはこれが、最後の打席であるかもしれない。

 六回の攻防が終了した時点で、レックスが2-0とリード。

 直史はいまだに、一人のランナーも出していない。

 一人までであるなら、ランナーを出しても大介に四打席目は回らない。

 やはり一番に置くべきであったか、とライガースの監督山田は今さらながら、自分の判断を後悔している。

 だがこれで次は、一番に置くべきだと決意が出来た。


 大介はたくさんのホームランを打っているが、それでも確率的には五打数で一度も打てない。

 まして直史が相手であるなら、その確率はさらに下がると見た方がいいだろう。

 ただ出塁率ならば、それほど悪くもないはずだ。

 山田は直感的にそう思っていたが、実際にその通りである。

 直史にとってレギュラーシーズンは、基本的に勝てばいいだけ。

 もちろん終盤はポストシーズンのために、勢いをつけていきたくはなる。

 勝てばいい試合ならば、大介を歩かせてもいいのだ。


 自分が投げる試合だけならば、勢いを自分で切ってしまえる。

 だが直史はもう、短い登板間隔で投げるのは、ちょっと無理があると思っている。

 肉体にかかるダメージが、どれだけのものであるのか。

 その回復にどれだけかかるかを、考えていかないといけない。

 他のチームメイトに期待して、勝敗を任せなければいけないのだ。

 レックスはピッチャーはいいが、得点力が足りない。

 監督が西片に代わったが、去年までのイメージが、選手全体に残っているのだ。

 貞本としても本当なら、もっと積極的に打たせていったのだろうか。

 だが直史がいると、確実に一点を取って、勝ちにいってしまうのだ。


 この打席の勝負を見て、来年のことを考えていかないといけない。

 それはドラフトのことである。

 レックスは基本的に、助っ人外国人にあまり金をかけすぎない。

 今でも3Aに比べるなら、日本の方が年俸はいいのだが。

 日本で大活躍して、MLBの声がかかるというなら、それでもいいのだ。

 今は30を過ぎたあたりで、ちょっとメジャーに上がるのは諦めかけている、という選手を選んでいたりする。


 ピッチャーも三島が離脱するが、それよりもやはり打線であろう。

 せっかくキャッチャーとショートに打てる選手がいるのに、他のポジションの選手が打てないのはもったいない。

 いや、何と言うのだろうか。

 他のポジションも打てない選手ではないのだが、チャンスの時にあまり強くないと言うべきか。

(セットプレイの多用が悪かったのかな)

 期待されていないと思えば、バッターも勝負強さを発揮しないのだろうか。

 計算してもらったところ、このチーム打率であるなら、もっと得点の期待値は上がるという結果が出ていた。


 つまり今のままでも、本当はもっと点が取れるのだ。

 そこを確実に一点を取ろうとして、逆に大量点の機会を逸している。

 選手の意識改革が必要であるが、それは今さらやっても間に合わないだろう。 

 来シーズンのキャンプから積極的に、打っていく選手を使っていく。

 そのためにドラフトでも、パンチ力のある選手を取るべきなのだ。


 ただこういったことも全て、今考えるべきことではない。

(この二点差を、今は守ることを考えるんだ)

 とは言っても、全ては直史次第。

 強すぎるピッチャーがいると、こんなチームになってしまうこともある。

 直史以外のピッチャーの時は、もっと積極的に点を取りに行くべきなのだろう。




 この三打席目は、抑えなくてもいいかも、と考えたりしている直史である。

 だがそういった考えを、外に出すわけにはいかない。

 気配を察知する能力に、長けているのが大介である。

 それに出来ればここを抑えて、四打席目の勝負は避けたいのだ。


 この打席の課題は、緩急を使うこと。

 直史はそれを考えている。

 もちろん大介の反応次第で、配球は変えていくに決まっている。

 チェンジアップとスルーチェンジを使って、あとは何をするべきか。

 とにかくランナーに出しても、点にさえならなければいい。


 アウトローぎりぎりに入る球、と見せて逃げていくツーシーム。

 大介のバットなら届くのだが、打ったボールはレフト方向、ポールよりもそれなりに左に切れていく。

 姿勢も崩していたのに、飛距離は大きかった。

 神宮球場の音の波が、大きくなったり小さくなったりする。

 直史としてはその音が、もう聞こえていないところまでは潜っている。


 投げ続けていくことは、潜水に似ているだろうか。

 どこまでも思考して、我慢していく。

 もっとも相手となるバッターを、淡々としとめていく場面もある。

 だが大介にはそれは、通用しないことなのだ。


 これだけ面倒なバッターがどうしているのか。

 直史はそう思うが、それを言うなら同時代の野球選手は、ほとんど直史をバグ扱いする。

 それはもう使えばほぼ勝てるピッチャーなど、エースでもなくジョーカーであろう。

 最強の切り札と考えるか、あるいは鬼札と考えるか。

 他の選手から見れば、どちらもどっちと言ったところだ。

 お互いに対する評価は高く、そして基本的には直史が勝つことが多い。


 ピッチャーを攻略するのは、一人のバッターでは難しいのだ。

 チーム全体で粘っていかなければ、ピッチャーは攻略できない。

 直史はそういう時こそ、打たせて取ってしまう。

 この絶妙さが、どうして出来るのか。

 逆に他のピッチャーは、どうして出来ないのか。


 ピッチングに対するアプローチが、大前提として違う。

 思考法が違うので、バッターも分からない。

 結果としては勝利だけが積み重なっていく。

 ファーストストライクを取ってから、次に投げたのがチェンジアップであった。

 ゾーンから外れるボールに、大介のバットは揺らぎもしない。


 次は速球系。

 配球の基本から考えれば、緩急を使ってくる。

 しかしここで直史が投げたのは、落差のあるカーブであった。

 これを振った大介は、ボールがライト方向に切れていく。

 タイミングが上手く合っていない。

 だが合わせていっただけなら、スタンドにまでは届かない。




 追い込まれている。

 難しいコースのボールも、カットしていかなければいけない。

 逃げていくシンカーを使われたら、バットが止まるだろうか。

 外角のスイングであれば、おそらくは止まらない。

 だが腕を伸ばして、カットするぐらいは出来るだろう。


 狙い球をある程度は絞っていく。

 そしてそれ以外のボールは、明らかなボール球以外カットして行く。

 ただジャストミートして、スタンドに運べるボールがどれだけあるか。

(速球系か、あるいはチェンジアップか)

 そう思ったところに来たのは――。

(スルーチェンジ!?)

 カットするつもりで、ボールを待った。

 しかしそれは減速することなく、ゾーンの中を下に伸びていく。


 ジャイロボールであると気付いて、大介はスイングの軌道を修正する。

 しかしそれは完全には、スイングに力が伝わっていない。

 ショート方向に打球が飛んで、左右田が飛びつく。

 そのグラブのわずか上を、ボールが通過していった。

 レフト前ヒットであるが、あくまでも単打。

 一塁ベース上で、大介は顔を歪めた。


 もっと押し込むことが出来なかったか。

 あるいはカットして、次のボールを待てなかったか。

 だがスルーチェンジをカットするタイミングだったので、そこからタイミングを変えることは難しい。

 むしろそれをヒットにしたのだから、大介の勝ちとも言えたであろう。

 パーフェクトもノーヒットノーランも消して、ランナーが一塁。

 やっとここからライガース打線がつながるか、と思えたところである。

 もちろんほとんどの人間は、そんなに甘くないと分かっている。


 どうせこの後のバッターを、簡単に片付けてしまうのだろう。

 ワンナウトからであっても、さほど意味はないのだ。

(とか思われてるのかもな)

 大介に打たれるまでは、確かにパーフェクトが続いていた。

 しかしライガースの選手たちも、ゴロが転がっても普段より、懸命に一塁に向かって走る。

 ポストシーズンではわずかな送球ミスも、期待してしまうのだ。


 ここから二つのアウトを取る。

 一塁にランナーとして大介がいるのだが。

 レギュラーシーズンでは走ってこなかったが、ポストシーズンではまた判断も違うだろう。

 直史はここで、走ってくるなと感じている。

 だからといって速球系だけで勝負するわけでもない。

 その時は一気に二点以上取られることも考えられるからだ。


 カーブで入っていったところ、大介が走った。

 迫水がキャッチして送球したが、二塁はセーフ。

 タイミングとしてはギリギリで、速球だったらアウトであったかもしれない。

 走った時に外す、というのを徹底しておくべきであったか。

 だがこれで、ストライクカウントは増えたのだ。

 ワンナウト二塁から、試合は進んでいく。

 ライガースの得点のチャンスは、広がっているのだ。




 ライガースのアーヴィンも、直史をまるで打てないバッターの一人だ。

 そもそも大介と悟以外は、ほとんど今年、ヒット一本ぐらいしか打てていないのだが。

 アメリカにいた頃から、ずっと直史のことは知っていた。

 彼がメジャー昇格を目の前にしていた頃、直史はアメリカで投げていたのだから。


 ピッチングというものに、巨大な変革を与えた、などとも言われいる。

 さすがにそれは大げさではないかとも思うが、シーズンに何度もパーフェクトをしていれば、それだけの評価になってもおかしくない。

 年間無敗の先発ピッチャーなど、果たしてどうしたら誕生するのか。

 それと今、アメリカを離れた地で、対決している。

 本来ならアーヴィンが、得意なタイプのピッチャーなのだ。


 NPBとMLBでは、トップクラスのピッチャーであるなら、それほど変わらないと言われる。

 実際にNPBのトップクラスのピッチャーは、多くがアメリカで成功しているのだ。

 ただパワーピッチャーの産地と言うなら、日本はさほどでもないと言えよう。

 そういう技巧派のピッチャーから、アーヴィンは打つタイプ。

 だからこそ日本で野球をしているのだ。


 直史は間違いなく技巧派である。

 だが技巧派と言うよりは、もっと違う何かであるのだ。

 積み重ねた経験により、どうしても打ち取られてしまう。

 特にアーヴィンは、大介が塁に出た後の状況が多いため、より打ち取られてしまうのだ。

 直史としてはアーヴィンも、かなり警戒している対象であるからなのだが。


 ここでもアーヴィンは、最低限の仕事はした。

 右方向に内野ゴロを打って、それで大介を三塁まで進ませたのだ。

 これでツーアウトながらランナー三塁で、エラーなどでも点が入る状況。

 あるいはキャッチャーの後逸なども、想定される場面である。


 ライガースの四番の大館は、助っ人外国人に挟まれていながらも、しっかりと主砲の役割を果たしている。

 たとえばこれがワンナウトであったら、確実に外野フライは打ってくるようなバッターなのだ。

 打率はそれほどでもないが、ケースバッティングが出来ないわけでもない。

 ここはとにかくヒットが一本出れば、一点が入るのだ。

 そしてランナーとして出たなら、大介の四打席目が確定する。


 さすがに迫水も、マウンドにやってきた。

 二点のリードがあるとはいえ、ここで一点を取られたら、かなり厳しい空気になる。

 だが直史はマウンドの上で、能面のような無表情を崩さない。

 客観的に見れば、普通にアウトを一つ取ればいいだけなのだ。

「少し球数を使おうか」

 ここまでの直史は、特に球数が多いというわけではない。

 ただ、普段の試合よりは多いのも確かであった。


 球数よりも問題なのは、集中力の方である。

 この集中力は、基本的に気力や体力が問題となる。

 直史はここで、消耗しても仕方がないと考える。

 ただとにかく、点をやらなければそれでいい。

「もっとも一点までなら、まだリードしているわけだし」

 この状況でそう言ってしまえるのは、本当に凄いと迫水は思う。




 今年の直史の失点は、大介のホームランによる一点のみ。

 冗談のような本当の話である。

 どうして打てないのか、多くのバッターが不思議になる。

 ただベテランのバッターは、それを気にすると他のピッチャーも打てなくなる、と諦めているところがある。

 実際にそうやって、スランプに陥るバッターはいるわけだ。


 一昨年のライガースも、そういった感じであった。

 ポストシーズンで直史に封じられて、結果としてチームは日本シリーズに進出は出来た。

 だがその直前の、直史に抑えられた記憶が残って、打撃陣が不調に陥る。

 最終的には一つは勝ったが、それでも福岡相手に敗退したのだ。


 ここではとにかく、ヒットを打つことを考える。

 ただ直史の投げてくるボールは、ゾーンのギリギリに投げられてくるのだ。

 ツーストライクまでは、失投や狙い球を待つというのが、大館のタイプである。

 しかし直史が、失投などをするはずもない。

 ストライク先行で投げられて、また届くボールも手元で変化する。

 そしてファールを打たされて、結局は追い込まれるのだ。


 なんとか一点を取りたい。

 せっかくのランナーが、ここまで来たのだから。

 なんなら内野安打でも、なんでもいいのだ。

 しかしここで直史は、スルーを決め球に投げ込んでくる。

 高くバウンドしたが、ショート左右田の守備範囲内。

 それをキャッチからスローまで、しっかりとやっている。

 意外と単純なエラーが出る場面であるが、そこはもう何度もポストシーズンの試合を戦っている左右田である。

 結局ここでも、ライガースの得点はなかった。


 七回の表を終えて、ライガースは無得点。

 そしてここから、試合は動き始めた。

 大原が降板し、そして大介も点を取れなかったことが、流れをレックスに向かせたのだ。

 一気に大量得点というわけではないが、七回の裏に八回の裏と、一点ずつ点を加算して行く。

 4-0のスコアになれば、もう試合は決まったようなもの。

 そしてライガースは、大介が一本ヒットを打った後、全くランナーが出ていない。


 最終回も直史がマウンドに立つ。

 三人で終わらせれば、大介の四打席目が回ってこない。

 正直なところ、この試合のスタメンが発表された時点で、直史は少し楽になっていたのだ。

 最初から大介と対戦するという、いきなり先制されてリードされる可能性。

 それを気にしていたのだから、当然のことである。


 ライガースも代打を出してくるが、ここで出てくるような代打は、直史との対戦経験が少ない。

 それは直史にとっても、相手のデータが少ないという意味であるのだが。

 やや球数を多めに使って、ツーアウトと追い込む。

 そして回ってきたのは、本日四打席目の和田。

 ここで代打を出されるようなことはなく、直史へ勝負を挑むこととなった。




 直史から勝つことが出来れば、日本シリーズへも進める。

 ライガースの首脳陣は、皆がそう思っている。

 ただ去年などは、木津がライガースを抑えた。

 ああいうこともあるから、単純に言ってはいけないのだ。

 しかし直史から勝てば、それでライガースは一気に勢いがつく。

 それも確かなことではあるのだ。


 結局はこの試合、直史はヒットを一本打たれたのみ。

 ランナーは三塁まで進んだが、得点には至っていない。

 一点取れれば試合は動くかも、とライガースは思ったのだ。

 しかし期待しておきながら、クリーンナップを封じられた。

 ここで打って欲しかった、とは思う山田である。

 だが打てなくても仕方がない、という空気があるのも確かなのだ。


 あとは次の試合に向けて、立て直していくしかない。

 レックスは百目鬼、ライガースは津傘が先発する。

 どちらが有利なのかを考えると、これまた難しい。

 ただ第一戦の勢いが、そのままレックスにあるのではなかろうか。


 レックスは直史が、あと一試合は投げる。

 すると他の四試合の中で、一試合だけ勝てばそれでいいのだ。

 もっとも直史としても、今日の試合はそれなりに疲れた。

 球数が112球と、直史としてはかなり多かったのである。


 マウンドの上で色々と思考し、どうにか無失点に抑えた。

 ただライガースの勢いを完全に断ち切った、という印象は受けていない。

 自分が投げない試合に関しては、さすがに関知出来ない直史だ。

 もっともこの短期決戦においては、明日はともかくそれ以降は、ベンチに入ることとなる。

 そして明日も、ブルペンにはいるであろう。


 先発陣を使っていって、どうにか継投で勝利する。

 それが直史以外で、レックスがライガースを倒す作戦である。

 落とす試合はもう、落としても仕方がない。

 だがライガースのピッチャーも消耗させて、そして勝ちたいと考えているのだ。

 クライマックスシリーズの次は、日本シリーズがある。

 そこでも勝たなければいけないのは、去年のチャンピオンチームに課せられていることか。

 もっとも野球というスポーツは、そこまで安定して勝てるスポーツではないのだが。


 直史一人がいることで、どれだけチームが強くなっているか。

 それが本当に分かるのは、直史が引退した時であろう。

 そしてその引退は、果たしているになるのか。

 レギュラーシーズンで負ければ、そのまま引退するのだろうか。

 あるいはもう、自分で投げられないと判断すれば、その時が引退であるのか。

 周囲が色々と考えても、直史としても分かったことではない。

 ただ今は、日本シリーズを目指して戦うのみ。

 ライガースに勝利するためには、直史をどう使うかが、鍵となってくるのは間違いないだろう。

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