第361話 別れの対決

 ライガース首脳陣の決定は非情である。

 だが同時に冷徹でもあり、一番効果が高いと思われるものでもあった。

 去年もやってきた、直史の投げる試合を捨ててくるという作戦。

 大原の予告先発が発表されて、直史としては逆に冷静になったものだ。

 今季限りの引退が発表されている大原。

 肘に爆弾を抱えているが、今さら手術をしても、どうせ戻ることは出来ないと、保存療法を選択した。

 シーズン終盤に戻ってきて、立派な戦力となっている。

 捨石になるにしても、ある程度の実力は必要。

 レックスの打線を、ある程度の点までに抑える。

 直史からリリーフに代えるには、少し躊躇する程度の点差。

 大平も平良も、確かにいいリリーフである。

 だがライガースの打線は、大介を除いても中軸の三人は、相当の爆発力があるスラッガーである。


 100球以内に抑えて、完封出来るかどうか。

 いいや、無失点に抑えることは出来ても、どれだけの球数を要するか。

 今年も何度もマダックスを達成しているが、ライガース打線も本気になってくるだろう。

 打ってくるのではなく、粘ってくる打線。

 それで少しずつ、直史を削っていく。

 レックスの打線が、大量点を取ってくれるなら、リリーフに任せてもいい。

 ただそうすると第二戦以降で、リリーフを使うポイントが難しくなる。


 レギュラーシーズン中は、連投は二日までとしていた。

 またごくわずかな例外を除いて、イニング数も1イニング限定。

 それでも国吉が、一時的に離脱した。

 この離脱期間の間は、わずかに勝率が下がった。

 その下がった勝率こそが、選手の価値であると言える。


 レックスは得点力を高めなければいけない。

 セットプレイによる得点だけでは、足りないのが野球である。

 一発の長打で、一気に最大四点が入る。

 ライガースと対戦する場合は、上位打線ではランナーがいる状態で、バッターと下手に勝負してはいけない。

 ただし直史を除く。


 舞台は神宮である。

 学生野球の聖地と呼ばれる、この神宮球場。

 実はプロのシーズンが全て終わった後に、神宮大会が行われる。

 そして神宮大会が終われば、学生野球のシーズンも終わる。

 間もなく対外試合禁止期間になる。


 プロの試合も全て、今年の日程は10月中に終わる。

 ただ公式戦ではないものの、トライアウトというものが11月には行われる。

 各球団から戦力外通告を受けた選手が、最後のチャンスと受けるトライアウト。

 だが実際にそこから、NPBに戻れる選手は、せいぜいが一人か二人。

 一人もいない年さえ、普通にあるものなのだ。


 だがそれは泥に塗れ、それでも野球を捨てられない、男たちの最後の意地の見せ所。

 一方で直史たちは、日本シリーズを戦って、そこからオフシーズンに入る。

 いつになったら引退するのか、と言われてはいる。

 しかし直史としては、あと一年は続けよう、と珍しくも前向きになっているのだ。

(司朗がプロに入ってきたらな)

 セならともかくパならば、交流戦で一度勝負するぐらいが限界だろう。

 あとは日本シリーズに望みを託すか。


 対戦してやりたいとは思う。

 そしてそこで打たれれば、いよいよ継承ということになるのだ。

 この20年以上、大介は日米において、最強のバッターであった。

 だが直史に勝てたと明確に言えるのは、一度だけである。

 時代がいよいよ変わろうとしているのだ。

 それは司朗と昇馬だけではなく、その同年代のピッチャーやバッターを見ても、そうだと言えるであろう。




 レックスがライガース相手に勝つには、まず直史が勝たなければいけない。

 そしてそれ自体は、当たり前のことと首脳陣も考えている。

 もっともその当の直史は、魂を削っていくような感じで投げている。

 大介はもちろん、要注意選手である。

 だがその大介と対決した時、傷口を最小限にするために、一番の和田にも相当の注意を払っているのだ。

 和田は直史相手には極端に弱く見えるが、実は相当に精神的なスタミナを削っている。


 大介の後のクリーンナップも、長打力はたいしたものなのだ。

 シーズン30本以上のホームランを打っていると、これは直史のピッチングとは本来相性が悪い。

 一つや二つのヒットを打たれても、連打を浴びることがないのが、直史のピッチング。

 だがホームランは一発で、一点が入ってしまう。

 直史はだからこそ、より相手の特徴を分析する。

 特に重要なのは、高めのストレートだ。


 今回の試合の場合は、味方の先制打も期待したい。

 だがどうしても対決は、レックスが後攻となる。

 直史がまず、大介を抑えないといけない。

 そして先制してから、そのリードをずっと保つのが、レックスの野球である。

 ランナー一掃の長打というのが、ないわけではない。

 しかし基本的には、1イニングのチャンスは、一点を確実に取るために使う。

 爆発力がないが、リードして試合を進めていく必要があるのだ。

 そうやってずっと、レックスは今年も勝ってきたのだ。


 ホームの試合であり、アドバンテージの一勝もある。

 それでも直史にとっては、日本シリーズよりもこのクライマックスシリーズの方が、相手とするには苦しいものなのだ。

 本質的にピッチャーは、対戦経験が増えれば増えるほど、バッターが有利になっていく。

 もちろん直史の場合は、そういうわけではない。

 しかし大介はいくら凡退しても、そこから立ち上がってくるのだ。

 そして大介に引きずられて、ライガースの打線は得点力が上がる。

 そんな相手と戦うのだから、直史も色々と毎年、考えながらピッチングの幅を定めている。


 技術は既に充分にある。

 経験もあるし、思考もあるし、知性もある。

 それに溺れないメンタルも持っている。

 一番重要なのはその、油断しないというところ。

 そして油断しないということと、臆病であることを、ちゃんと区別するところ。

 慎重になりすぎず、リスクを最小限に取らなければいけない。

 つまり踏み込む勇気も必要なわけだ。


 技術をとにかく磨いていけば、必要な勇気も最小限で済む。

 技術の幅が広ければ広いほど、相手が対応しなければいけないボールは増えていく。

 技術を持っているということが、自分の自信につながっていく。

 その上でなお、精神力が必要になる。

 メンタルが崩れてしまえば、コントロールも甘くなる。

 危険なコースに投げ込むことは、間違いなく勇気がいるのだ。

 スローボールをど真ん中に投げ込むように。




 メンタルの強さというものを、直史は考える。

 それは蛮勇を持つことだけではない。

 あそこで大介を打ち取ったことは、間違いではないと言えるだろう。

 だがあの選択で打ち取ったのは、果たして正解であったのか。


 あのスローボールという選択は、切り札であった。

 次に対戦した時は、普通にカットされて終わりである。

 切り札としてではなく、ストライクカウントを稼ぐためには使える。

 だが大介の三振を奪うためには、確実なものであったのだ。


 ファイナルステージを前にして、レックス首脳陣は考える。

 バッテリーも込みで、ライガースの打線への対処を考える。

 大介ばかりが目立っているが、30本以上を打っているスラッガーたち。

 これはくるくると回している間はいいが、偶然の一発はありうるのだ。

 ホップ成分というのは、下手に当たると飛んでしまう。

 基本的にはインローのボールで、ゴロを打たせたい。

 だが上手くゴルフスイングで掬われれば、それもスタンドまで持っていかれるだろう。

 失点をしないピッチングというのは、あくまでも可能性の話でしかないのだ。


 完璧であることは、逆に読まれてしまう。

 どこか欠落があった方が、むしろ打たれにくい。

 そんな直史の思考を、どれだけのピッチャーが受け継げるだろう。

 バッターは得意なコースのすぐ傍に、実は苦手なコースを持っている。

 そこを上手く突いていくのが、コントロールの中でも必要なことなのだ。


 カップスとの対決は、ライガースは第一戦でそれなりに苦戦している。

 やはりロースコアゲームに持ち込むことが、ライガース対策にはなるのだ。

 もちろんレックスは、ロースコアゲームに強い。

 直史が投げるならば、一点すら許さない対決となるだろう。

 だがライガースは、その直史から一点を取っている。


 完璧なものはこの世にはない。

 少なくとも野球というのは、何も完璧ではないものばかりである。

 直史のピッチングをパーフェクトなどというが、それは定義の付け方がそうであっただけ。

 実際には野手のところに飛んだ、幸運が味方をしてくれている。

 これが不運に傾くと、内野の間を抜けていったり、外野の間に落ちていったりするのだ。


 直史が考える、パーフェクトにより近いピッチングは、80球以内で無失点のピッチングをすること。

 こんな記録など野球全体を見ても、年に一度も達成されることはないだろう。

 直史が重要だと考えているのは、もちろん相手に勝つということ。

 そして勝ち続けるということ。

 シーズン最後の試合を除けば、プロ野球は次の試合というものがある。

 つまり継戦能力が必要となる。

 出来るだけ消耗しないことと、そして早く回復すること。

 短期決戦で出来るだけ、多くのイニングを投げる。

 それが絶対的なエースに望まれることである。




 今年もこの季節がやってきた、と多くの人間が思っている。

 夏の甲子園を楽しむように、プロ野球のポストシーズンを楽しむ。

 特に長くファンをしている人間としては、直史や大介の年齢が気になっている。

 今年が最後かもしれない。

 少なくともその試合は、残り少なくなっているであろう。


 最高のピッチャーと、最強のバッターとの対決。

 世間はそう煽るが、直史は最高や最強とは何か、ということを考えたりする。

 無駄な思考であるかもしれないが、考えずにはいられない。

 直史は考えることによって、その思考の純度を増してきた。

 そして洞察と考察の果てに、そのピッチングを成立させている。


 レックスファンはもちろん、家族もこの展開を待っていた。

 瑞希はずっと、直史の野球に関しては、記録を取り続けている。

 それが自分の役目なのだろう、とそう考えている。

 また子供たちも、それを見ている。

 来年からは自分も、そのステージに立つと考えて、司朗も見ている。


 既に引退した三年生である司朗は、秋の大会とは無縁になっている。

 引退後も体を鍛えてはいるが、ドラフトと交渉次第では、アメリカに行くことも考えている。

 そしてそんな司朗は、同居している従弟の明史に、この対戦について問いかけてみる。

「レックスとライガース、どちらが有利なのかな?」

「それはアドバンテージを持ってるレックスだけど」

「そういう大きすぎる枠組みじゃなくてな」

 明史の思考は自由度が広い。

 だがそれゆえに逆に、ありえないことまで考えてしまう。

 ただ野球においては直史のやっていることは、ありえないことばかりであるのだ。

 大介のやっていることは、本当にかろうじてであるが、ありえることの範疇だ。


 あの体格からあの飛距離はありえない、とよく言われる。

 だが大介は上手く、体のバネを使っているのだ。

 スイングスピードが高いのは、当たり前のことである。

 しかしそのスイングスピードが、それだけ速い理由はなんなのか。


 バッティングは基本、下半身が重要なのだ。 

 体重移動と回転によって、ボールにパワーを伝える。

 大介の場合は、握力も強烈である。

 それに重いバットを使うことによって、発生するエネルギーがとても高いものとなる。


 大介の攻略法としては、その当て勘をどうにかすることが重要だ。

 もっとも単なるミートだけでは、単打までに抑えることが出来るのだが。

 レックスが考えていることは、大介の打順を変えてくるということ。

 二番ではなく一番として、直史に当ててくるのだ。




 一番いいバッターに、一番打順が回るようにする。

 当たり前と言えば、当たり前の作戦ではある。

 だが野球は出塁率などの計算もすると、むしろ強打者は二番や四番の方がいいと計算されている。

 いいバッターであっても、そのタイプによって、置くべき場所が違うのだ。

 MLBでは二番バッター最強論などは、もうかなり前から浸透している。

 しかし大介レベルの走力まであるなら、一番にいてもいいものであろう。


 MLBでは一番を打っていたこともある。

 その年の盗塁数は、大介のキャリアハイの115個であった。

 なおその年は敬遠されたのが191打席もあったりする。

 勝負を避けられたがゆえに、走れる場面ではどんどんと走っていったのだ。


 直史が想定しているのは、大介が一番バッターで、どんどんと振り回してくること。

 二番に和田を置くなら、進塁打も打ってくるだろう。

 レギュラーシーズンでは走る気配を見せなかったが、走力がそこまで落ちたわけではない。

 ギャンブルスタートでよければ、大介は走ってくる。

 直史としても大介を、ランナーとして背負った状態では、次のバッターに集中しにくい。


 もちろん実際には、これらをやってこない可能性もある。

 基本的には出塁率の高い和田を、一番から外す必要はないはずだ。

 だが今年の直史は徹底的に、和田を封じているのだ。

 もしもランナーがいる状況で、大介と戦うとしたら、不利だと考えているからである。

 封じすぎたがために、ライガースは和田の直史に対する価値を低く見すぎている。

 実際には一番にいれば、面倒なバッターであるのだ。


 こういった作戦についても、色々と考えている。

 相手がどういう手段に訴えてくるか、それにおける対応だ。

 基本的にレックスは、守りのチームである。

 ライガースは攻撃のチームであり、そしてカップスを連勝で叩いた。

 しかも二戦目は、得意なハイスコアゲームである。

 勢いに乗っているという点で、ライガースにも有利な部分がある。

 だがピッチャーの疲労は、ある程度残っているだろう。


 勢いを止めてしまうという点で、直史以上のピッチャーはいない。

 またホームのアドバンテージも、ライガースにはない。

 直史は勝たなければいけない、というプレッシャーはある。

 直史が二勝することを前提に、レックスはピッチャーを運用するからだ。




 一番多くて六試合。

 それがクライマックスシリーズのファイナルステージである。

 そして日本シリーズは、最大で七試合。

 そのうちに直史が投げる試合が、果たして何試合あるだろうか。

 むしろ日本シリーズよりも、こちらのファイナルステージの方が難しい。

 一応総合的に見れば、福岡などはピッチャーがいい分、ライガースよりも上の戦力となる。

 もっともそれは福岡のリーグに、レックスとライガースがいないからこそ、残せた実績であるのだが。


 レックスとライガース、共に予告先発は発表された。

 直史は大原との対決に、特に感想はなかった。

 だが相手は今季限りで、引退を表明している200勝投手。

 試合の中ではおそらく、自分の力以上のものを出してくるだろう。

 精神での戦いというのは、直史が一方的にやるならともかく、向こうもそれを仕掛けてくるなら、厄介なことになりかねない。


 甲子園でなくて良かったな、と直史は考える。

 これが甲子園であったなら、大原を後押しする大声援に、レックスも萎縮していたかもしれない。

 バックがエラーなどをすれば、さすがに流れがライガースに行きかねない。

 これまでにも大原とは、何度も対戦している。

 しかしこの対戦は、これまでの全てのものと違ってくるのだ。


 レックスがライガースに勝って日本シリーズに進めば、おそらくこれが大原の、公式戦最後の試合になる。

 もしくは日本シリーズにライガースが進んでも、大原の出番はないかもしれない。

 試合はレックスのホームゲームであるが、大原は隣りの千葉の出身。

 それなりに応援してくれるファンも、いると思うのだ。


 直史は大原を甘くは見ない。

 プロで200勝に到達するということが、どれだけ大変かは分かっているつもりだ。

 そのピッチャーがこれまでの経験の全てをもって、第一戦に投げてくる。

 人為的なものもあるが、因縁を感じさせるものだ。

 高校時代から続く、二人のピッチャーの関係。

 大原はこれをもって、直史との対決は終わりになるのかもしれない。


 味方の打線は何点取ってくれるか、それも直史は考えている。

 しかし自分がすべきなのは、相手を無得点に抑えることだ。

 ただしピッチャーというのは、攻撃的なポジション。

 ピッチャーが投げるところから、プレイは始まるのである。


 大原は何度となく、大舞台を経験している。

 だが完全に捨石にされているとは、直史は考えなかった。

 下手に友永や津傘を使ってくるよりも、よほど大原の方が難しい。

 なにせ20年以上も、おおよそ一軍のローテに入ってきたのだから。

 二桁以上の勝利をしたシーズンも、10年ぐらいはあったはずだ。

 これを相手にどうするか、というのはレックス首脳陣も考えていかなければいけない。

 今回対戦するのは、大原という一人のピッチャーではない。

 彼が蓄積してきた、プロ野球生活全てとでも言えるものなのだ。


 直史はその点では、NPBに対する貢献度は低い。

 最初は二年でMLBに行ってしまい、そこでも五年しか投げていない。

 ただレックスに復帰して、二年連続で優勝争い。

 間違いなく超人的な数字を、復帰してからも残している。

 この直史を信仰するような、どこかおかしなファンさえ存在する。

 ピッチャーとしての格はともかく、蓄積されてきた年輪では、大原の方がずっと多い。

 そのあたりが気になるのは、わずかに直史が弱気になっているものなのか。

 あるいは慎重さ、とも言えるものであったろう。

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