第360話 残ったもの
カップスは今年、シーズンの中盤から特に、調子を上げてきた。
もっともレックスとライガースの背中が、見えたことは一度もない。
今年もポストシーズンに進めたのは、上出来と考えている。
二軍から上がってきた今年一軍デビューの選手などが、一軍の空気に慣れてきたというのもある。
カップスはFAで移籍する選手が多いため、若手を早く育成したり、即戦力を取ってくる能力に優れている。
長年貧乏球団であり、また親会社がなかったという理由から、スカウトと育成の能力が必須なのだ。
これがなければいつまでも、Bクラスでいるしかない。
今年の成績は上出来であった。
地元の試合は後半は特に、入場者数が伸びていた。
だがクライマックスシリーズに入ると、やはり爆発力が違う。
一戦目は比較的、その爆発力を抑えることが出来た。
一点差で敗北したのであるから、どこか攻略の糸口は見えていたはずだ。
二戦目、ライガースの先発は畑となる。
友永に比べれば、レギュラーシーズンの数字では劣る。
ただポストシーズンで投げている経験は、畑の方がずっと多いのだ。
プロというのはその選手生活の中で、進化していかなければいけない。
持っている武器を増やさなければ、すぐに攻略されてしまう。
特に今は分析が進んでいるため、毎年バージョンチェンジが必要となる。
もちろんバージョンアップが一番望まれるのだが。
これが直史であると、バージョン自体が存在しない。
ありとあらゆるこれまでの経験から、投げるボールを選んでくるのだ。
カップスのピッチャーも、しっかりと調整はしてきている。
まだ若いピッチャーが多いのは、これから強くなるチームの特徴だ。
ただそういったピッチャーを育てるのには、キャッチャーの存在が欠かせない。
優れたキャッチャーが優れたピッチャーを育て、優れたピッチャーが優れたキャチャーを育てる。
カップスの場合はキャッチャーには、バッティングをそれほど求めていない。
しかし選手の育成のために、ブルペンのキャッチャーにもベテランを雇用している。
どこに金をかけるか、ということにシビアなのがカップスだ。
そのカップスは編成において、司朗を指名するとは決めている。
今のチームに即戦力級の高卒野手なのが入ったらどうなるのか。
ただセンターには立派な、リードオフマンが存在する。
両翼のどちらかに配置して、そのバッティング力を発揮してもらおう。
そして二年目あたりに、完全にスタメンに定着すれば、それでいいという考えだ。
高卒野手にそこまで、期待してしまっている。
カップスはとにかく、FAで移籍してしまう選手も多いのだ。
だが育成力で言うならば、今のセの中では一番かもしれない。
むしろそういう力があるからこそ、今年はAクラスに入れたとも言えようか。
だからこそ、司朗が欲しいのだ。
ピッチャーに関しては、上手く継投でつなぐことが出来る。
だがバッティングの方は、まだ打撃力が足りていない。
高卒野手が一年目はまだ使えないというのは、プロでは定説となっている。
それでも期待させるのが、甲子園で見せた長打力と、昇馬のスピードボールを打った適応力だ。
今年はこれで充分。
カップスのフロントは、そう判断していた。
Aクラス入りをして、ようやくチームの内情が整ってきた。
あと三年の間に、どうにかペナントレースを制してみる。
怪物がいるセ・リーグであるが、幸いなのはその怪物も、さすがに引退が近いであろうということ。
大介が無理に盗塁王を取りに行かなかったため、そういう見方が出来る。
直史の方は、ちょっとまだ攻略法が分からないが。
上杉から始まった時代、と言われている。
上杉が甲子園で大活躍し、そこから多くの才能が野球に集まった。
実際に対戦した選手たちだけではなく、甲子園での活躍を見た中学生や小学生、多くが野球を始めた。
そして上杉だけで終わらなかった。
大介がいて、武史もプロ入りし、そして直史が大介との対決を、上杉から引き継いだ。
上杉はもう引退し、今は違う道を歩んでいる。
上杉に憧れた選手は、今もまだプロ野球の世界に多い。
また上杉の甲子園でのピッチングなどは、今でも普通にネットで見ることが出来る。
そして上杉とは、甲子園で対決することはなかった白富東。
だが上杉の弟である正也と、相棒である樋口とは対戦し、そして劇的な敗北を喫した。
それでも準決勝では、奇跡を起こしたものであるが。
今ようやく、その時代が終わろうとしている。
いや、正確に言えば上杉以降は、それ以前の時代と違うのだろうが。
上杉をも超えた、おそらくは人類で再現不可能なのが、直史の残した数字である。
投げれば当たり前のように、プロでも完封をする。
毎年パーフェクトを、複数回達成するその技術。
だがパーフェクトを達成するというのは、技術の中でもメンタルの技術なのだ。
複数のピッチャーに対して、完全に突出したバッターは、大介一人であった。
大介の衰えというのも、まだ見えていない。
はっきりと言うなら盗塁の数は、全盛期からずいぶんと減った。
しかしその成功率は、いまだに90%以上をキープしている。
バッティングに重要な、打率と長打率の調和。
大介は一人で、その打撃成績を塗り替え続ける。
ピッチャーの通算記録は、上杉が作り上げた。
ただあと二年ほどしっかり投げられれば、武史が更新する可能性がある。
直史の場合は、通算記録という点では、それらに及ぶことがない。
だがそれでも野球殿堂に入ることに、誰も異論はないであろう。
日米通算で、ようやく今年が10年目のシーズン。
とても信じられるものではない記録が、たくさん残っている。
カップスとの二戦目は、ハイスコアゲームとなった。
もっとも試合の中盤からは、ライガースの得点力にカップスがついていけなくなったが。
第一戦はバッティングで目立たなかった大介だが、ここではホームランを含む二打点。
そしてホームベースを踏んだのは三回である。
チャンスに得点するだけではなく、自分一人でチャンスになるのでもなく、チャンスを作り上げる。
盗塁を仕掛けることによって、相手にプレッシャーを与えていくのだ。
なにも一試合に二つも三つも盗塁するというわけではない。
しかし一試合に一度の盗塁が、相手に大きくプレッシャーを与えるということはある。
大介を歩かせれば、ツーベースと同じ結果になるかも、という理由。
そこを考えると、どこで歩かせていいのか、ということを考えることになる。
和田がランナーに出ている時は、一塁が空いていたら確実に敬遠。
場合によってはそこから、フォアボールで歩かせることも、想定してピッチャーは投げていく。
ただ結果として、三打数二安打になったのだ。
ホームラン一本と、ツーベースが一本。
両方が長打という、またとんでもないことに。
最終的なスコアは9-5とライガースの打線の強力さを見せ付けるものとなった。
二桁安打をしていたのだから、これぐらいは普通にあってもおかしくない。
ともかくライガースは二連勝し、クライマックスシリーズのファイナルステージ進出を果たす。
三年連続のレックスとの日本シリーズ進出争い。
アドバンテージのあるレックスの方が、当然ながら有利とされる。
短期決戦はピッチャーの優れているチームの方が優位。
ただ問題となるのは、打線がどうなるか、ということだ。
バッティングは水物である。
またピッチャーの調子も、試合によって違ってくる。
ライガースはここから、中二日でレックスと対決することとなる。
ファーストステージ第一戦で先発した友永を、ファイナルステージの第一戦でも使うのは、さすがに間隔が短い。
また二連勝で勝ったため、先発は津傘が投げていない。
それでもまたライガース首脳陣は、レックス戦の第一戦は、大原に投げてもらうつもりでいる。
これは捨て試合にするのだ。
だがあまりにレックスに調子に乗られても、それはそれで困る。
点を取られても、捨て試合だと分かっても、それでも粘って投げることの出来るベテラン。
大原にとっては、事実上の引退試合になるかもしれない。
捨石になってくれと、首脳陣は考えているのだ。
別にライガースだけがやっているわけではない。
日本シリーズなどにおいて、相手のエースに自軍のエースを当てない。
それによって勝てる試合を作っていく。
レギュラーシーズンでは場合によって、ファンの見たい試合を見せる必要もあるだろう。
だが直史に津傘を当てて、無駄に負けるのは不必要である。
大原は理解している。
この野球という世界の物語において、自分は脇役であるのだと。
怪物たちが何人もいて、大きな輝きを発している。
だが野球というスポーツは、そんな主人公だけで成立するものではない。
いや、ありとあらゆるスポーツは、名脇役とも言えるような、そういう選手があってこそ成り立つ。
そういう物語であるのだ。
これが自分の、事実上の引退試合。
もちろん本当の引退試合は、来年のオープン戦にでも、行ってくれるだろう。
キャンプから戻ってきて、三月に甲子園での試合の中で。
センバツの始まる前に、オープン戦は行われるのだ。
そこで一人に投げて、200勝投手が引退する。
悪くない幕引きだ。
だがそれはエピローグであって、クライマックスではない。
ここで壊れてでもいいから、レックス相手に勝つ。
それが出来たとしたら、大原はもう引退試合などいらない。
そんな覚悟をしたとしても、結果としては変わらないだろう。
壊れかけの選手生命を捧げたぐらいで、勝てる相手であるのならば、もっと楽に勝てていたはずなのだ。
砕け散ってしまってもいい。
もう勝敗は度外視だ。
相手がどうとかではなく、自分がどうするかが問題なのだ。
完全燃焼するためには、引退試合など考えない。
ここで終わることすら、大原は覚悟している。
それでもいいと思えるぐらいには、自分は野球に執着してきた。
舞台は甲子園から神宮に移る。
どうせなら甲子園で戦いたかったな、とは思わなくもない。
だが神宮は神宮で、やはり大原の届かなかった場所なのだ。
高校時代はずっと、県内で負け続けていた。
神宮大会などは夢のまた夢であったのだ。
ただあの頃の大原は、相手が白富東であろうと、正面から勝負していった。
今はあの時の厄介すぎるバッターが、味方として存在している。
それでもレックスのピッチャーは、点を取られることがない。
しかしレギュラーシーズンの最終二連戦で、大介がホームランを打った。
一点は取ってくれたのだ。
そして野球というのは、一点も取られなかったならば、負けることはないスポーツなのだ。
プロの世界にはまだ、タイブレークはやってきていない。
MLBでは導入しているが、それはあちらが引き分けという制度を作っていないからだ。
日本の場合はちゃんと、引き分けで成立するように、制度が決まっている。
なんなら延長戦もなくしてしまって、試合時間を短縮させてもいいのではないか、という声もある。
ただそれはだらだらと、試合時間が延びることがまずいのだ。
ちゃんと試合の中で楽しみ続けることが出来たなら、実は試合時間の長さは、あまり関係がないことなのである。
予想通りにライガースが勝ってくれた。
ただレックス首脳陣としては、第一戦が参考になっている。
二年連続でポストシーズンに出場しながら、ライガースの打線に焦りが見えた。
それは意外と言うべきか、レギュラーシーズンでは安定していた、友永のピッチングによるものであった。
レギュラーシーズンとポストシーズンでは、戦い方が違う。
友永はそこに、まだ適応しきれていなかったということだろうか。
去年のファイナルステージの対戦を考える。
ライガースは大原を第一戦に投入して、他のピッチャーを休ませていた。
去年はスターズとの試合であったため、武史が投げて一勝するのは、想定されていたはずだ。
正直なところ直史は、武史を一戦目と三戦目で先発させれば、スターズに勝機はあったのでは、と思わないでもない。
いくらタフな武史でも、それはさすがに難しかったかもしれないが。
直史はポストシーズンになると、中一日で投げていることがある。
一昨年はそれで三勝したが、それでもまだ届かなかったのだ。
今年の武史は、故障でそれなりの長期間を離脱した。
だから去年のポストシーズンも、無理をすれば壊れていたのかもしれない。
40歳を過ぎたというのは、もうそういうことなのだ。
技術で球数を減らせる直史と違って、武史はパワーピッチャーだ。
もっともMLBの脱三振王ノーラン・ライアンなどは43歳のシーズンでも奪三振王のタイトルを取っていた。
インナーマッスルの鍛え方などは、高校時代からしっかりと学んでいる武史である。
今年も奪三振率だけなら、直史よりも上である。
このオフをどう使って、肉体の耐久力を戻していくか。
あるいは球数制限を変えるかなど、色々と考える必要はあるだろう。
今はライガースとの対決を考えるべきだ。
直史は大介との対戦を、ある程度恐れている。
甲子園でホームランを打たれて、結局はシーズン無失点とはならなかったのだ。
しかし各種数値を見れば、まさに今こそが直史の全盛期、と言えなくもないか。
復帰して40代から全盛期が来る、というのもふざけた話である。
だがピッチャーは本当に優れた者の場合、確かに40代でも投げられるのだ。
上杉も最後のシーズン、結果としては故障で引退となったが、全盛期が戻ってきたようなピッチングをした。
直史と投げ合うことで、最後の輝きを発した、と言えるだろうか。
だがシーズンを通じて、20勝2敗という数字であったのだ。
レックスの首脳陣は、ライガースの首脳陣の考えを、おおよそ予測していた。
とにかく直史以外のピッチャーから、確実に勝つということ。
そして直史をどう運用してくるか、そこも考えているだろう。
アドバンテージがあるので、三勝すればそれで勝てるレックス。
一試合は引き分けでも構わないのだ。
ただライガースの打線の力を考えると、あちらが無得点というのはなかなかないだろう。
直史が投げる試合であっても、二点は取っておくべきだ。
こんなピッチャーを持っているのに、負けてしまっては情けない。
直史はいまだに、NPBでは無敗のピッチャーであるのだから。
直史は第一戦と、そこまで続けば第六戦に投げてもらう。
その予定であったが、一つだけ問題がある。
もしも第五戦を迎えた時に、既にライガースが三勝していれば、ということだ。
直史の投げる第六戦が、もう必要なくなるかもしれない。
そう考えれば直史は、やはり第五戦で投げることも、想定していなければいけない。
自分なら確実に勝てる。
そう思ってはいないはずなのだが、直史は首脳陣にそのパターンを尋ねていた。
現在のクライマックスシリーズの予告先発は、試合の終了後に翌日の名前が発表される。
つまり試合の勝敗を見てから、変えてしまってもいいのだ。
レギュラーシーズンや交流戦、また日本シリーズも色々と変わってきたが、今ではポストシーズンはおおよそ、こういう仕組みになっている。
昔はどう投手を投げさせるか、それも考えていたものである。
相手の裏を書くというのが、それはそれで戦術であった。
今も先発に一回だけを投げてもらうなど、オープナーという戦術を取ってきたりする。
これはこれで上手く機能すれば、相手の動揺を誘うことが出来るのだ。
直史は第一戦と、第五戦か第六戦のどちらかに投げる。
もしも第五戦までに、二勝三敗となっていたら、アドバンテージを含めて三勝三敗となる。
すると第六戦は、勝つか引き分けなければ、日本シリーズに進めない。
「第五戦に投げてもらって、第六戦もリリーフで使うか」
西片の考えたこの起用法に、豊田なども異は唱えない。
とにかく直史は、上手く体力を節約するのが、得意なピッチャーなのである。
MLBでは中五日、あるいは中四日で投げてきた。
もちろんあの頃とは、もう年齢が違うわけではあるが。
「それでいいか?」
「はい」
直史としては微妙に、コンディション調整に手間取りそうではある。
基本的には第五戦に投げるつもりで調整する。
そこまではいいが、第六戦をどうするのか。
いくらなんでもそろそろ、他のピッチャーでもライガースに勝ってほしい。
去年の木津のように、上手くライガースを抑えられないのか。
あるいはリリーフ陣を、上手く使っていくという手段もないものか。
ただそのあたりは、豊田にはあらかじめ伝えてある。
自分の投げる試合では、もう二度と負けないつもりの直史だ。
だがライガースには大介がいる。
削られていたとはいえ、直史から逆転弾を打った大介。
その過去があるため、直史はライガース相手には、全く油断出来ない。
しかしあまり意識すると、それはプレッシャーにもなる。
レギュラーシーズンと違い、ポストシーズンは本当に負けられない試合が多いのだ。
首位争いのペナントレースでも、終盤でなければ逆転のチャンスはある。
だがポストシーズンは、一つ負ければそれが大きく刻まれる。
だからこそ直史は、そこで負けることを許さない。
いくら逆風が吹いていても、勝つことを諦めるわけにはいかない。
直史の人間性の、根本的な部分にそれがある。
負けず嫌いであるのだ。
そしてバッターと違ってピッチャーは、一度のミスで試合が傾きかねない。
バッターは三打席あれば、一打席ヒットにすれば充分というのが、世間一般の常識。
だが直史は被打率はともかく、試合に負けることをよしとしない。
倒れるまで体力を使い切ってでも、絶対に試合には負けない。
とはいえライガースに勝った後も、まだ日本シリーズが残っているのが、考えどころではあるのだが。
おそらく今年は、福岡が上がってくるであろう。
主力が怪我をしなければ、それが順当なのだ。
一昨年はライガースが、日本シリーズでその福岡に負けている。
直史が復帰するまでは福岡が、たまに主力の離脱で負けても、かなり日本シリーズを制していたのだ。
今年の直史は、去年よりも安定している。
だが福岡は今年、パ・リーグの中で打撃では一位、守備でも一位と、かなり圧倒的な数字を残している。
それでもシーズンの勝率は、レックスには及ばないのだが。
直史に必要なのは、ライガースに勝つことまでである。
そこをクライマックスにして、日本シリーズはもうさらっと流して勝ってしまいたい。
今の間隔であるならば、三試合には先発することが出来るだろう。
あとは誰かがもう一試合、どうにかして勝ってくれればいいだけだ。
(とは言ってもライガース戦、果たしてどう戦えばいいものか)
あの大介にホームランを打たれた試合、直史はやはりリミッターを解除していた。
だが意識的なものではなく、無意識にやっていたことなのである。
短期間で投げることを考えると、出来ればあれはやりたくない。
そろそろ体のほうが、限界を迎えてもおかしくないのだ。
(けれど負けるよりはマシか)
そう考えるのが、直史という人間であるのだった。
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