第354話 ラストカウント

 世の中には才能があるにもかかわらず、努力の才能がなかったために、大成しなかったという人間が少なくない。

 また充分以上に成功しているのに、本当ならもっともっと凄かったのでは、と思われる人間もいる。

 武史などはその代表例である。

 本人も充分に凡人基準では、しっかりと努力をしていた。

 その上でさらに余裕があっても、限界を超えようとは思わなかった。

 もちろんそのことによって、選手生命が長くなったとも言えるかもしれない。

 勤続疲労がなかったことは、明らかであったのである。


 来年まで現役であれば、親子対決が実現するかもしれない。

 武史としてはそれほど、こだわっていることではないが。

 ただ時代の移り変わりが、司朗のプロ入りと共にやってくるのか。

 その司朗はまだ、プロ志望届を出していない。

 帝都一からなら帝都大学へ、ほぼエスカレーター式に進学することも出来る。

 六大学リーグを経るというのは、別に悪いことではない。

 しかし司朗は既に、プロで通用するほどのスペックを持っている。

 一年目にちゃんと、シーズンを通してプレイできるか、その点だけが疑問だが。


 スターズとライガースの最終戦、スターズは武史を投入する。

 内視鏡手術からの回復に、おおよそ三ヶ月が必要であった。

 そしてややパフォーマンスは落ちたものの、しっかりと復帰戦で勝っている。

 あと一試合ぐらいは出られるローテであるが、今日の試合に投げたらもう充分であろう。

 どのみち今年はBクラスが確定している。

 今日の試合はともかく、あとはそれほど魅力的なカードもない。


 武史は現在、11勝2敗という成績である。

 ここで勝って貯金を10として、シーズンは終わりたいものだ。

 ポストシーズンに参加しなくてもいいというのは、武史にとってはありがたい話である。

 だが治療とリハビリ中に落ちたフィジカルは、しっかりと回復させなければいけない。

 もっとも無理なら無理で、引退という選択肢もあるのだ。


 武史はセカンドキャリアとして、色々と考えてはいる。

 むしろ妻である恵美理の方が、色々と考えていると言えるだろうか。

 プロ野球選手として作った、絶対的なキャリア。

 それを活かせばいくらでも、出来る仕事はあるのだ。


 ただ出来るならあと、一年ぐらいはやっておきたい。

 司朗が公式戦で勝負したいと願うなら、機会はもう高卒で入る来年ぐらいだろう。

 大学に進学するならば、さすがに四年後は無理だと思う。

 この三年ほどの間に、かなり衰えてきているのだ。

 それでも160km/hのボールを、バッターの手元で動かすことが出来る。

 司朗が望むならば、出来るだけのことはしてやろう。

 あまり父親らしいことをしていないが、父親としての自覚がないわけではないのだ。


 そしてこの試合も、今年最後の試合になるかもしれない。

 大介を抑えられるかどうか、それが試合の行方の鍵となる。 

 ただスターズもスターズで、しっかりと点を取っていけるのか。

 かつてほどの制圧力は、今の武史にはない。

 確実に勝とうと思うなら、三点ぐらいは取っておきたいところだ。

 ライガースの中では比較的、エース格と言われる津傘からの得点である。




 神奈川スタジアムでの試合のため、ビジターのライガースからの攻撃となる。

 それは即ち大介の打席が、一回の表からやってくるということだ。

 大介の前にランナーがいれば、それだけで得点のチャンスとなる。

 そのため先頭打者の和田を打ち取るのは、非常に重要なことなのだ。


 逆に言えば和田は、それだけ打ち取られることが少ない、一番打者である。

 直史が注意を向けるだけあって、その出塁率は高い。

 敬遠されまくる大介は別格としても、打率よりその出塁率が重要なのだ。

 出来れば球数も投げさせて、フォアボールで出塁してもいい。

 だが純粋に速い武史のボールは、ゾーンの中に投げ込んでくる。

 160km/hオーバーを想定して練習はしている。

 だがそもそもの球速は、それ以上であるのだ。


 NPBに復帰した時点で、既に全盛期は過ぎていた。

 それでもまだ168km/hほどが、試合の中で投げられる。

 完投の数も昔に比べれば、ずっと減ってはいるのだ。

 これだけ衰えてなお、圧倒的な力を誇る。

 MLBに比べれば、ピッチャーの負担の軽いNPBの登板間隔。

 しっかりと休んだ武史であれば、まだまだ試合を狙って完封することが出来る。


 おそらく今のNPBでは、もう佐藤兄弟のみしか、狙って完封などが出来る存在はいない。

 それでも二人の間には、かなり大きな差が開いている。

 フィジカルのパワーに頼っている武史は、その衰えがそのまま成績に反映する。

 一方の直史は、技術はそのままに経験を増していく。

 職人の持っている技術が、加齢による衰えがあっても、なかなか失われないのと似ているかもしれない。

 だが現代のフィジカルスポーツでは、はっきりと限界が分かる。


 そもそも武史の年齢でも、充分に異常なのだ。

 もちろん世界を見れば、こんな年齢でも一線にいた、主力の選手たちは存在した。

 ピッチャーの場合はバッターよりも、やや衰える年齢が高い者がいる。

 それでもパワータイプのピッチャーだと、話は別になるのだが。


 重要なのは技術である。

 日本の長く主力になったピッチャーは、おおよそ技巧派である。

 またサウスポーのピッチャーも多く、単なるパワーだけでは通用しない。

 それでもまだ司朗を打ち取るぐらいは出来ているが、今年はついに故障している。

 骨や筋肉は、まだしも劣化しづらい。

 だが腱や靭帯、軟骨といった部分は別なのだ。


 肉体の代謝機能というのは、どうしても老化していく。

 技術や経験でそれを補うのだが、パワーピッチャーなタイプは上手くいかない。

 それでも和田を打ち取って、大介との対戦となる。

 武史はコントロールもいいが、それだけに一般的なコンビネーションでは読まれやすい。

 そして武史の長所は、あまり考えすぎないことである。


 一打席目の大介には、なんと変化球しか投げていかなかった。

 チェンジアップを打たれたが、深く守っていたセンターがキャッチする。

 どこかでストレートを投げると思っていたので、逆に打てなかった。

 大ベテランキャッチャーの福沢が、そのあたりをリードしていたのだろう。

 かなり大胆なものである。




 同時刻に開催されているレックスの試合、そこでレックスが勝ったなら、こちらでライガースが何をしても、優勝の目はなくなる。

 元々残りのカードを考えれば、レックスが圧倒的に有利ではあったのだが。

 ライガースとしてもここ数試合の連続した、甲子園の大応援団がない。

 そのあたりもライガースが、微妙に士気が低い原因となっている。

 武史も経験は長いので、ある程度直感的に分かる。

 今日のスターズは、試合開始の時点では、ライガースとほぼ同じ。

 そして武史がライガースを抑えたので、やや士気が回復している。

 これならば戦える、ということだ。


 スターズが先制点を取り、そして武史は順調にバッターをアウトにしていく。

 復帰してからの武史はまだ、球数制限をしている。

 そのため終盤までに、ある程度の差をつけておかなければいけない。

 また出来れば自分で、球数を節約もしたい。

 そう考えて投げていって、一巡目はパーフェクトピッチング。

 二点のリードがあるという状況で、大介の二打席目を迎えることとなった。


 大介のホームランは62本だが、打点は脅威の166。

 ただこれも過去の自身の記録を、塗り替えるというものではない。

 勝負してきた相手は、かなりの確率で打ってしまう。

 その時にランナーがいれば、それはおおよそ和田であるのだ。

 二人以上のランナーがいれば、まずまともに勝負してこない。

 それでもしっかりと、ランナーを返すバッティングはする。


 しかしこの試合では、武史を打つ必要があるだろう。

 大介はそう思っていたのだが、この試合はスターズのホームゲーム。

 武史は一打席目こそ、勝負してくるだけの必要があった。

 だが二打席目以降は、勝負をしないという選択もしてくるのだ。

 ただランナーのいない二点差では、勝負をしてくる。

 そしてここでも、また外野フライを打ってしまう大介であった。


 別球場での他のチームの動向も、ビジョンには映されている。

 レックスはフェニックスを相手に、ほぼ互角の試合展開となっていた。

 ライガースはとにかく、打っていく以外に勝利の可能性がない。

 ただでさえ大味の打線が、さらに淡白なものとなっていく。

 すると武史のスピードでボール球を投げると、それを振ってしまうのだ。


 上位打線はともかく、下位打線はそれで問題がない。

 上位打線にしても、高めのストレートは普通に振ってしまう。

 武史のストレートの特徴である、ホップ成分の高さ。

 離脱していてからまだ、それほどの時間は経過していない。

 だが球速よりも重要かもしれない、そのホップ成分は戻ってきている。


 ホームランを打たれるかもしれない高め。

 だがアッパースイングのバッターなら、高めはむしろ打ちにくい。

 ライガースの中軸は、そういった助っ人外国人が二人入っている。

 武史はMLBでも、三振を量産していた。

 そしてNPBが獲得してくるような助っ人外国人は、典型的な長距離砲。

 武史のストレートに対して、簡単にアジャストしてくることは出来ないのであった。




 スターズが優位に試合を展開しているのを見て、むしろレックスのプレッシャーは減った。

 負けても優勝できそうであるが、どうせなら勝ってしまおうというものだ。

 フェニックスとしては、目の前で優勝決定の瞬間など、見たいものではない。

 だが普段の負け犬根性が、その程度で変わるはずもない。


 木津から本多がホームランを打って、フェニックスは先制していた。

 防御率の割には、その被本塁打が多いのは、木津のピッチングの特徴なのである。

 球速の割りに高いバックスピンというのは、フライを打たれることが多い。

 そしてコースが甘ければ、それがスタンドにまで届いてしまうのだ。

 もっともこれは、三振を奪うことも多いボールだが。


 勝てば優勝であり、ライガースが負けても優勝。

 レックスはリードする展開になっており、あちらもスターズがリードしている。

 別に優勝さえすれば、どういった展開であってもいいのだ。

 確かに直接勝って優勝することが、その後のためにもいいことではある。

 しかしクライマックスシリーズのファイナルステージまでには、充分な時間があるのだ。


 勝ったなと油断することと、余裕があることは違う。

 レックスは今、ほどほどの期待感を持ちつつも、それに心を委ねすぎてはいない。

 心地いい集中力の中で、試合を続けている。

 直史はそれを、のん気にブルペンから見ていた。

 ペナントレースを制するのに、それほどの熱意などはもうない。

 冷静に次の試合を、どうしていくか考えるだけだ。


 試合が進むのは、どうやらライガースの方が早いようである。

 ほんのわずかではあるが、スターズ有利のまま決着に向かっている。

 これは優勝が決定した瞬間、まだこちらは試合をしているという、間抜けな状況になるのではないか。

 そう考えていたが向こうも、ピッチャーの交代などによって、時間のかかるイニングが出てくる。

 その間にレックスの方が、早く試合の終りに近づいていく、という状況になってきた。


 野球の試合というのは、早く終わらせる必要など全くないはずなのだ。

 それなのにこうやって、出来れば早く終わらせたい、とう心境になってきている。

 レックス陣営で何人かは、戸惑いを感じていた。

 直史でさえこんな、早く勝って試合を終わらせよう、などとはそうそう考えない。

 今までにもそういうことはあったが、おおよそ時間帯が変わったりはしていたものだ。

 それがこのように勝って優勝を決めたいなどという、変な空気になってしまっている。


 普通に試合が終わってから、優勝の味を噛み締めればいい。

 去年も同じく優勝しているのだし、ビールかけの準備はしてあるのだ。

 直史としてはあの喧騒に、巻き込まれるのはごめん被りたい。

 ひっそりとクラブハウスから、先に出て行こうかと考えていたりする。




 点を取られても木津は、フライでアウトを積み重ねた。

 三振も奪えるので、ランナーが進んでもゴロで進むことが少なかったりする。

 もちろん場合によっては、タッチアップも許してしまうかもしれない。

 だが4-3でリードしたまま、勝ちパターンのリリーフ陣につなげることが出来た。


 昨日に合わせて連投となるが、リリーフ陣は調子がいい。

 また七回にレックスが、一点を追加したことも大きかっただろう。

 リリーフ陣も、本来なら全力で1イニングを抑える、という思考で投げている。

 だが一点までは大丈夫と考えれば、リードする迫水の思考が、よりコンビネーションを広げていく。


 八回にもまた一点を取って、今日二発目の本多のソロホームランなどもあったが、フェニックスがあがいたのもここまで。

 最終的に6-4で、レックスは自力で優勝を果たしたのであった。

 試合が終了すると、とりあえず胴上げといったところか。

 準備してあったビールに加えて、神宮を満たしていた応援団が、大歓声を上げる。

 ここから色々と、ヒーローインタビューもあれば、監督へのインタビューもあるのだろう。

 だが直史は一足早く、そこからは離脱していた。


 考えるのは次のことである。

 もう一試合投げられる日程であるが、直史にそのつもりはない。

 そもそもわずかでも故障する可能性を増やすことは、ここでやるべきではない。

 ファイナルステージが始まるまでに、日程的には20日ほどもある。

 あとはコンディション調整と、モチベーションの維持が重要になってくるのだ。


 残りの試合数は三試合。

 それなりに競ったシーズンであったが、結果的にはそこそこの余裕があったわけだ。

 そもそも九月に入ってから、序盤で負けが先行したものの、レックス有利なのは変わらなかった。

 シーズンを通してずっと、レックスは首位を走っていたというわけである。

 去年に続いて、王者のような展開であったと言うべきか。

 直史は残りの試合と、ポストシーズンのことを考える。


 車に乗ってマンションに帰る前には、ライガースが負けたというニュースも入ってきた。

 優勝がなくなってしまったのだから、一気にモチベーションが落ちたのであろう。

 武史は充分な点差がある状態で、七回でマウンドを降りていた。

 これで今年は、とりあえず12勝2敗という数字を残している。


 直史はここから、しっかりと調整をしていかなければいけない。

 おそらく勝ち上がってくるのは、ライガースではあると思う。

 ただライガースは何かの拍子で、コロコロと負けることがある。

 そのあたりを考えるなら、カップスの方の分析も、していかなければいけない。

 そういった仕事をするのは、レックスのデータ班と、首脳陣の仕事であるが。




 アウェイのスタジアムで、優勝の目がなくなったことを聞いた。

 ライガースのテンションは、確かに下がっていた。

 スターズに点を取られていて、なかなか追いつく気配が見えなかったのも、その理由ではあるだろう。

「あとは個人成績を上げるだけだぞ~」

 大介の言葉は、とりあえずほんの少し、特に打線の気持ちを上げるのに、役立ったかもしれない。


 4-0というスコアで、武史は降板した。

 まだ完全に本調子というわけでもなく、球数もそこそこ多くなっていたのだ。

 ここからライガースの打撃なら、逆転の可能性もあったろう。

 しかし優勝の可能性が全くなくなったと、そういう状況で打てる選手というのは、なかなかいないものである。

 大介としても完全に、落ち込むのを防げたわけではない。


 ここからがライガースは重要になる。

 カップスとのプレーオフを戦い、またレックスと戦わなければいけない。

 直史がどれぐらい、プレーオフで投げてくるのか。

 そのあたりを考えると、ちょっと日本シリーズ進出は難しいものと思えてくるが。


 個人成績にこだわれ、というのは野球の重要な部分である。

 とにかく打点や出塁率は、多くしておいて困るということはない。

 大介にしてもこれによって、年俸が増減する。

 もっともこれ以上に上がることは、ちょっとないのが大介であるのだが。


 かくして残りの試合はあっても、消化試合となった。

 ライガースに興味が注がれるのは、あとは大介がどれぐらい、ホームランを打ったりするか、という程度のことであろう。

 敬遠合戦による、タイトル争いなどはもうない。

 現実的に見れば、大介のタイトルはもう決まっているのだ。

 あとはプレーオフのために、どういったメンタルを整えていくか。

 あるいはそこをしっかりしないと、カップスにさえ負ける可能性がある。

 甲子園で試合を行うので、そこは勝てるとは思うのだが。


 神宮でまた、最後の勝負が行われる。

 ほんの少し衰えつつあるが、まだ来年も戦えるだろう。

 しかしこの衰えが、老いが一気に来ないなど、誰にも分からないことだ。

(もうずっと、先がないつもりで戦わないとな)

 永遠の野球小僧は、それでもその終りが近いのを、忘れるわけにはいかないのであった。

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