第344話 狂気の計算

 野球に限らずスポーツは、おおよそ計算通りにはいかないものである。

 だからといって最初から、無計画に行うのは間違っている。

 直史の場合は大介を、どうやって封じるべきか。

 最終手段としては敬遠があるが、その前に条件を満たしておくべきである。

 ランナーとして出した時も、その脅威が最低限になるように、調整しておくべきなのだ。


 打順調整。

 完全に舐めプというか、普通ならばやらないことである。

 しかし直史はやるし、結果的に成功している。

 五回の裏にランナーを一人出し、そこから残塁させてスリーアウトとする。

 これで六回の裏には、九番打者からの打順となる。

 もっとも代打が出てくることは、間違いないであろうが。


 フリーマンはアメリカ人である。

 そして向こうではメジャーには上がれなかったピッチャーで、アメリカでは普通にもう投手にDHが付いている。

 そんなわけでセ・リーグのピッチャーの中では特に打てないので、六回の表まで投げれば交代も止むなしである。

 直史に対してどういうバッターを、代打に出してくるのか。

 確かにライガースには、いい代打がそこそこいるが、それが直史を打てるというのか。


 まずはフリーマンが、六回の表を必死で終わらせた。

 ここで自分のピッチングは終わるので、ヒットこそ一本打たれたものの、後続をしっかりと切ったのだ。

 これでライガースは、七回と八回、微妙なリリーフで戦っていくこととなる。

 レックスとしてはここならば、得点の機会が充分にあると考える。

 もっとも七回も八回も、ほとんど守備専門になっている、直史などが含まれる可能性が高いのだが。


 ライガースは負けているならば、クローザーを使うわけにもいかないだろう。

 一方のレックスとしては、直史の球数もそこまで増えてはいない。

 直史で勝てないとなると、チーム全体の勢いが落ちることもありうる。

 フルイニング投げてもらって、そこから継投して引き分けるのか。

 ライガース打線相手には、ちょっと難しいかもしれない。


 既に一本、ヒットは打たれてしまっている。

 それでも勝利を求めるべきで、それ以上は求めるべきではない。

 大介をアウトにするのは、かなりのリスクがある。

 リターンをどれぐらいと想定して、最大のリスクが何かを考える。

 一発を食らうというのが、最大のリスクだ。

 万一ランナーが出ていれば、得点圏に進むのも覚悟の上で、大介は敬遠する。

 大介と対戦するより、他のバッター二人と対戦した方が、間違いなく失点の可能性は低くなる。

 他のバッターに打たれる可能性が、限りなく低いという前提があってのことだが。


 フリーマンの打席には、やはり代打を出して来た。

 しかしこれをアウトにして、続く和田も打ち取る。

 ツーアウトからの大介の打席を迎えるが、ツーアウトならば脅威度は比較的低くなる。

 長打を打たれて三塁に進まれても、バッターさえアウトにすれば問題はないのだ。

 かくして三度目の対決。

 ほぼ四割を打つ大介を、どのように封じるか。

 直史も色々と、考えてはいるのである。




 直史は大介に確実に四打席目が回るのを覚悟の上で、ツーアウトからの状況を作り出した。

 このあたりはリスクを取っているが、それでもツーアウトから大介と対戦したかったのだ。

 そしてそれを、大介も理解している。

(うちの打線を舐めてる、っていうわけでもないんだもんな)

 集中した直史のピッチングは、間違いなくアウトカウントを稼ぐ。

 これがワンナウト三塁ぐらいであったなら、内野ゴロの間に突っ込むぐらいはするだろう。

 しかしツーアウトからでは、長打と盗塁を駆使して三塁まで進んでも、普通にバッターをアウトにすればいいのだ。


 ホームランを狙っていく。

 あとはレックスの守備陣のエラーなどを狙って、長打をなんとか打っていくか。

 選択肢は大介にもあるように思える。

 だが直史がどういうボールを投げるか、それが予想出来ないとボールにコンタクト出来ない。

(考えすぎると、そこで動きが止まる)

 反射に任せるべきなのだろうが、そうするとホームランは狙えない。

 フルスイングでボールをどこまで持っていけるか。

(ボール球を振れない)

 狙ってホームランを打つためには、球種やコースを絞らなくてはいけない。


 結局は大介以外のバッターを、直史が抑え込むからこそ、こういった考えになってしまう。

 だが直史であっても、考えに考えて投げるのである。

 基本的にピッチャーは、思考の果てに投げる。

 バッターの直感的なスイングとは対極のように見える。

 もちろん実際は、ピッチングも感覚の世界。

 わずかでもプレッシャーに負ければ、ボールのコントロールなど出来はしない。


 プレッシャーに打ち勝つメンタルというのは、思考の結果から生まれたりもする。

 プレッシャーを楽しむことが出来れば、それはとても強いことになる。

 またプレッシャーなどというのは、理屈で言えば周囲からのものではなく、自分自身が生み出してしまうものだ。

 自分に勝つことが出来るなら、プレッシャーなどは感じない。

(ホームランを打たれても、まだこちらが有利)

 直史は続投するし、ライガースは微妙なリリーフが続いていく。

 得点力に劣るレックスだが、それでも追加点を取れる可能性は高い。


 あとは考えるのは、大介の四打席目をどうするか。

 もちろんこれも、事前に複数のパターンを想定している。

 なのでこの第三打席、果たしてどうするか。

(このカーブは打てないだろ)

 直史が投げたのは、間違いなくゾーンを通過するボール。

 しかしながら落差をつけすぎたため、ワンバウンドするボールである。

 上から落ちてくるボールなど、ゾーンを通っていてもストライクにはならない。

 だがバットの届く範囲ではある。


 ここでの大介の動きは、本当におかしかった。

 バッティングというのは、確かに前後運動が存在する。

 しかしそれはあくまでも、体重を前に乗せてパワーにするというもの。

 バックステップして、バウンドしたボールを打っても、体重が乗り切らない。

 それでも外野の頭を越えていくあたり、スイングスピードがおかしい。

 もちろん下半身のパワーは使えていないのに、この結果である。


 ツーベースヒットを打って、大介は得点の機会とする。

 何が起こったのか分からないと思うが、直史もさすがに予想外というか、そんな打ち方で打てるのか、という感想である。

(発想が異常というか、あれで外野の頭を越えるのか?)

 まあバウンドしたボールであるので、静止したように見える瞬間はあったのかもしれないが。

 二塁ベースの上で、大介は首を傾げていた。


 理屈の上では、テニスがバックステップしながらも、それなりに強い球を打ち返せるようなものだろうか。

 だがテニスと野球では、打球の軌道が全く違う。

 遅い球を自分のパワーだけで、あそこまで打ってしまう。

 こういうバッティングをするから、本当に化物なのである。

(前にステップして打つことは、確かにあるんだけどな)

 直史はこの非常識な打球を、また記憶の中に残しておく。

 後で検証しなければいけないだろう。




 この回もライガースは無得点。

 大介が二塁にまで進んでも、ツーアウトからでは出来ることが少なすぎる。

(駄目か……)

 ベンチに戻ってグラブを持つが、さすがに空気が悪くなってきている。

 さっきの一本ヒットが出た結果、大介がむしろ悪い場面で勝負することになった。

 それを敏感に察知している選手もいるのだろう。


 ライガースはここから、さほど強くもないリリーフで継投して行く。

 レックスの打順もさほどいいものではなかったが、それでもランナーを出してくる。

 今日はレックスは、普段のセンター以外にも、打力の期待できない選手がいる。

 ショートの守備力重視なので仕方がないが、二割ぎりぎりの打率しかない。

 また打率もともかく、出塁率も低いのだ。


 下位打線などは別に、打率が低くても出塁率が高ければ、それで問題ないとも言える。

 また中軸などは、OPSさえ高ければ打率が低くでもいいと言えるだろう。

 とにかくホームランを打てるなら、点は入るのだ。

 ランナーをためたところで、高打率で長打を打つ。

 それが中軸ではあるだろう。

 しかしホームランが打てるなら、六番か七番といったあたり。

 守備さえしっかりしていれば、そういう使い方も出来る。


 レックスはスモールベースボールで、セットプレイで点を取る。

 それ以外にも普通に、犠打で点を取ることは考えているし実行している。

 そもそも犠打も普通にセットプレイのうちではあるが。

 ランナーは一人出たが、得点には至らず七回の表は終わる。

 そして試合は、単調な流れになった。


 八回が終わった時点で、まだスコアは1-0のまま。

 ライガースのリリーフ陣は、踏ん張って投げていると言えただろう。

 九回の裏には大介の、第四打席が回ってくる。

 一点差ならホームランで同点なのだ。

 もっともライガースは、クローザーをここで投入することは出来ない。

 そもそも一点リードされている場面で、一枚きりのクローザーを使うわけにはいかないのだ。

 そこが勝敗を決めたと言うべきか。


 まさに打率はそこそこだが、ホームランは打てるという六番打者。

 迫水の代わりにその打順に入っているバッターが、ソロホームランで一点を追加した。

 スモールベースボールのはずのレックスが、今日の得点はソロホームラン二本のみ。

 このあたりが野球の皮肉で、面白いところなのであろう。

(よし、これであとは先頭打者を切るだけ)

 九回の裏、打順は一番の和田からである。

 直史を全く打てない和田を、レックス戦では一番に置くべきではないのでは。

 ライガースファンなどはそう思うだろうし、実際に数字の上でもそういう結論は出すかもしれない。

 だが大介の前の一番バッターということで、かなり直史は消耗しながら投げているのだ。


 ここでも塁に出ることは出来ず、四打席凡退。

 心無い野次が飛んできたりもするが、直史としては別に卑怯なことは何もしていない。

(ホームランを打たれても、まだリードしているわけか)

 そう考えたならば、直史のピッチングの自由度は、さらに上がっていくことになる。




 ここで自分は何をすべきなのか。

 大介は色々と考えるが、試合の勝敗を左右することは難しいだろう。

 ならばあとは、直史の無失点記録を止めること。

 神話を断絶させることが出来れば、バッターが受けるプレッシャーは、少しは軽くなるだろう。

 そう考えているのだが、直史の投げたボールを、打ちそこねてしまったのだ。


 大介の考えることぐらい、直史には分かる。

 高めのストレートを活かす配球なら、空振りを取りやすいし、フライにもしてしまいやすい。

 だがさらに裏を書いて、決め球として投げたのはスルーであった。

 ショート正面のゴロにより、四打席目は凡退。

 これで九回ツーアウトとなり、事実上試合は決着した。


 四打数二安打である。

 しかも長打もあるので、普通ならば勝利とすべきところであろう。

 むしろ大介の前後に、他のバッターが打てないのが悪い。

 それにしてもどうして、そこまで他のバッターは打てないのか。

 大介はそう思うのだが、自分の打撃の数字を見れば分かるだろうに。


 ただ大介が打っていることは、無駄ではないのだ。

 絶対に打てないわけではない、ということが確認出来ているのだから。

 しかしそこまでやっても、結局は得点に結びつかない。

 それもまた事実であるので、バッターの方には迷いが出てくる。

 迷いというよりは、混乱していると言ったほうがいいのかもしれないが。


 ともかく最低限の、直接対決一勝は果たした。

 第二戦はレックスが百目鬼、ライガースは友永の対決である。

 百目鬼は三島がポスティングでメジャーに行けば、次のエース候補だ。

 直史はエースとかどうとか、そういうジャンルで括ってはいけない。

 友永の力と、百目鬼の力は、おそらく百目鬼の方が少し上ぐらいかもしれない。

 だが打線の援護の力が、全く違うのである。


 この第二戦を落とすことは、充分にあるとレックス首脳陣は考えていた。

 だからこそ第一戦は、絶対に落とせなかったのだ。

 オーガスはもうすぐ復帰できるし、左右田も戻ってくる。

 そしてライガースとの直接対決は、このカードを終えればあとは二試合だけ。


 ライガースは相変わらず、勝てる試合を落とす傾向がある。

 レックスは主力がちゃんと戻ってきたら、確実に勝てる試合を拾っていく。

 そういう首脳陣の思惑であったが、第二戦も意外な流れになっていったのだ。




 第二戦、直史はもちろんベンチ入りメンバーにはいない。

 あがりの日であったので日中は、軽く運動をしてキャッチボールなどもしていた。

 百目鬼であってもライガースの打線は、そう簡単には抑えられない。

 そう思っていたのだが、ライガース打線はどうにも、調子が上がらないようである。


 先頭打者の和田が、スランプに陥っているらしい。

 さらに他の中軸も、その傾向にある。

 凡退が続く中で、友永のピッチングもおかしくなる。

 おおよそ前日の、直史のピッチングの影響である。


 前にもやっていた、呪いのピッチング。

 大介だけは注意するが、他のバッターを鎧袖一触になぎ倒す。

 実際は本人としては、色々と考えて投げてはいる。

 しかし結果的には、昨日の試合も被安打は三本だけであった。

 うち二本は大介である。


 完全に自分のバッティングを、否定されているような気分になるのだろう。

 今までの自分の努力が、完全に無駄になってしまうような感覚。

 そういったものに囚われている状態では、充分なパフォーマンスを発揮出来るわけもない。

 そんなものは気分次第だ、と直史や大介は思うのだが、それは強者の理屈である。


 また大介の打席には、百目鬼は敬遠こそしないものの、逃げる気満々で外のボールを投げる。

 ゾーンを外して投げていれば、大介もそうそう打てるわけではない。

 そしてダブルプレイになることの少ない大介が、ダブルプレイで消えてしまう。

 こんなことが試合の序盤にあれば、ライガースはチーム全体の流れが悪くなる。

 こういった相手の隙を突くのは、レックスの得意な戦術であるのだ。


 チャンスを確実に得点に結びつける。

 それを数度続ければ、3-0というスコアになる。

 大介は無理に打ちに行って、ヒットを一本。

 だがランナーがいる状況で、後ろが打ってくれない。

(これはもう、勝てない試合だな)

 大介もプロが長いので、どうしても勝てない試合が出てくるのは分かる。

 そういった試合もあるので、プロのレギュラーシーズンは長く、ある程度はちゃんと実力が反映されるようになっているのだ。


 終盤に一本、大介以外のところから、ソロホームランが出た。

 しかしそれでも3-1というスコアで、レックスには追いつけない。

 最終的には3-1のまま、レックスが逃げ切ることに成功。

 これで三連戦を、先に二勝してしまったのである。




 レックスとライガース、果たしてどちらが優勝するのか。

 もちろんこの時点で、トップを走っているレックスの方が、優勝の可能性は高い。

 ただ主力が一時離脱して、ライガースは差を縮めるチャンスであったのだ。

 だがこの直接対決を負け越してしまった。

 顔には出さないが首脳陣は、これはもう決まってしまったかな、と思わないでもない。


 86勝45敗1分。

 81勝49敗。

 残りの試合数を考えれば、これはまず逆転は不可能であろうと思われる。

 翌日の第三戦は、ライガースも調子を取り戻してきた。

 ピッチャーは須藤と大原の対決で、ライガースの打線が復活する。

 大差で勝利はしたものの、残りの直接対決は二試合しかない。


 残りの二試合、このままならば登板するのは、直史と百目鬼である。

 他に厄介な相手は、カップスとの二試合が残っている。

 ここから少し、アウェイの試合が続くという状況もある。

 それでも次の試合から、左右田は戻ってくると決まっていた。

 オーガスの方も終盤、割れた爪が治ってくる。

 直接対決は一勝一敗でいい。

 残りの試合を無難にこなしていけば、レックスは勝てるであろう。


 レックスは残り10試合。

 そしてライガースは残り12試合。

 ライガースの自力優勝は消滅していて、レックスはまず半分も勝てば充分に優勝出来る。

 ライガースが残りを全勝するというのは、ちょっと考えにくい。

 まあ野球はそういう考えにくいことが、確かに怒ったりもする。

 それでもレックスがそこそこに勝てば、ライガースが全勝したとしても、もう追いつけないのだ。


 もちろんまだ逆転の可能性はある。

 レックスが全敗で、ライガースが全勝すれば、普通に逆転出来るのだ。

 ただしそれは、あまりにもおかしな流れであろう。

 レックスの首脳陣はもう、ポストシーズンのことを考えている。

 カップスが上がってくることも、ほぼ決まっている。

 そのカップスとライガース、どちらが勝ちあがってくるのか、それが問題となる。


 ここはライガースが勝って来るだろう。

 粘るカップスであるが、舞台が甲子園ということもある。

 ただでさえやかましいライガース応援団が、クライマックスシリーズになるのだ。

 それはもう関西の中でも、特に大阪と兵庫から、大量のファンが甲子園に集まる。

 ここのところ大介が復帰してから、基本的に甲子園のチケットは全て完売である。

 そんなアウェイであっては、さすがに勝てないであろう。

 一昨年のレックスが、ファイナルステージで負けたのも、ホームとアウェイの差があるのは間違いない。


 おそらくはこれで優勝が決まった。

 ただ完全に決まるまでは、まだ油断するわけにはいかない。

 またペナントレースが終わっても、ポストシーズンをどう戦うべきか。

 色々と考えるべきことはあるだろう。

 それにライガースとしても、大介の打席が回ってくるたびに、色々な記録が更新されるわけである。

 そういったあたりまでを考えると、どう戦っていくのかまだ考えなければいけないことは色々とある。


 レギュラーシーズンの終盤だけに、雨天延期となった試合なども、消化していかないといけない。

 出来ればそこはもう、調整のために使いたいぐらいだ。

(うちは間が空いてタイタンズ戦があるのか)

 改めてスケジュールを確認して、直史は考える。

 今年の残り登板数は、ライガースとの一試合を残すのみ。

 だが間隔を考えれば、このタイタンズ戦に投げることも出来る。

 直史は勝ち星を稼ごうと、無理に投げたがるピッチャーではない。

 ただホームの神宮での試合なら、興行的には投げたほうがいいだろう。

 もちろん現場としては、優勝が決まっているのなら、無理に投げさせることはない。

 圧倒的な優位のまま、いよいよレギュラーシーズンは終焉に向かっていくのであった。

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