第342話 エースのお仕事

 レックスとライガースの21回戦である。

 前日に移動してきたレックスは、無事に甲子園で練習をしていた。

 今年は残暑が厳しくなりそうだな、と思っていたら先日の雨でかなり涼しくなった。 

 だが関西のほうは、まだ湿度も残っているように感じる。

(日が短くなるのを感じるようになってきたな)

 まだまだ夏の暑さだが、秋の空気を感じることがある。

 野球をやるには肩も比較的暖まりやすく、そして暑さで体力も減らない、理想的な季節がやってくる。


 直史としてはレックスとライガースの差が縮まっていることを、それほど悲観してはいない。

 ただタイタンズ相手に連敗したのは、間違いなくまずいと思っている。

 主力の故障による敗北というのは、どのチームでもあることなのだ。

 そもそも直史がいなければ、レックスは確実にトップから陥落している。

 そういうことを考えると、主力選手に重要なのは、故障をしないことである。

 わずかながら故障をしたために、直史はMLBを一度引退したわけであるし。


 この直接対決三連戦、レックスはまず一勝はしておきたい。

 他は二つ落としても、まだ差があるのだ。

 左右田が復帰するまで、どう耐えるかという問題になる。

 とりあえずこの第一戦は、まだ使わないつもりの首脳陣であるらしいが。


 今日のライガースの試合、打線は果たして点を取ってくれるのか。

 レックスが先攻であるだけに、直史としても色々と考えていかないといけない。

 ただライガースのオーダーを見て、大介が二番打者であることには安心した。

 一番であると初回に、ノーアウトから対戦しなければいけない。

 敬遠をするにしても、ノーアウトからなら足を警戒しなければいけない。

 だが前の塁が埋まっていれば、そのランナーの走力以上のことはしづらい。


 昔のような極限の集中の果て、ゾーンよりもさらに深い場所に、至ることはない。

 あれをやると確実に、寿命が削れるのは分かっている。

 かつてのように生命力に満ち溢れていたら、それもさほどのものではなかったろう。

 だが今の自分には、あの領域は強すぎる。

 脳を極限まで酷使するが、それに伴って他の部分も活性化する。

 それだけを聞くと良さそうに思えるが、無茶な運動は体を壊す。

 本来なら何か、命の危険が迫った時にのみ、発動する能力なのであろう。

 一度の使用でもそれなりに、魂が削れるのが分かる。


 人間の細胞というのは、その分裂回数が決まっている。

 あまりに過激な運動は、体を壊すことは知られているが、それとはまた違うであろう。

 だがあの高度すぎる、意識下でありながら無意識の計算は、体力よりも気力をごっそりと削り取るものだ。

 直史は必要以上に、生きることを望んでいるわけではない。

 老い衰えて立てなくもなったら、ぽっかりと死にたいと思っている人間だ。

 だが出来れば健康に、長寿を全うして生きてはいたい。

 やらなければいけないこと、自分ならやれることが、はっきりとしているのだから。


 たかが野球である。

 もう己の存在意義を賭けて、やるようなことではなくなっている。

 充分な財産を得て、本来望んでいた生き方に、もう近づいている。

 そのための軍資金稼ぎとしては、確かに役に立ったことは確かだ。

 だがもうこの、長期間を拘束する仕事は、デメリットが多くなってきている。

 野球をやるのが嫌いなわけではない。

 しかし大介ほどの野球馬鹿にはなれないし、かといってクラブチームでは満足出来ないだろう。

 ピッチング自体はとことん極めていったが、、もうこれを誰かに継承する時代になっているのではなかろうか。

 そう思って色々な人間に教えてはいるが、根本的には10代の前半までには、やり始めないと習得は出来ないのだと思う。


 全く違うピッチングスタイルに見えるが、昇馬にならば伝えられるだろう。

 しかし困ったことに、昇馬もまた、野球にそこまでの執着がない。

 今さらながらよくもまあ、野球のような団体競技を始めたものだ。

 これは父親の影響ではあるが、本来は個人競技の方が向いていたと思う。

 母親たちからは完全に、肉体の操作方法を学んでいる。

 ボクシングでもしたならば、日本人初のヘビー級チャンピオンにでもなったかもしれない。

 もっとも本人は、殴られることが嫌いなので、ボクシングなどは好きではない。

 一方的に殴ることが出来る格闘技なら、好きになれなくても続けられると思うが。




 技術の継承というのは、一度途絶えると断絶する場合がある。

 直史のピッチングに関してなどは、おそらく誰も再現は出来ない。

 だが昇馬はツインズからの、エリート教育を受けている。

 教育資産も豊富であったので、野球以外のスポーツも得意なのだ。

 メジャーな競技ではサッカーなどは、ゴールキーパー以外は苦手であったりするが。 

 ツインズはフットサルもやっていたが、おそらくアメリカでサッカーがマイナーであったことが、その理由だろう。


 味方の中では、木津にはある程度、直史の投球術を教えている。

 だがほんの一部であるし、木津では再現出来ないことがいくらでもある。

 むしろ木津のストレートを活かすために、直史の技術の一部が使えたと言うべきであろうか。

 他に可能性を感じたのは、上杉将典であろうか。

 彼も本格派ではあるが、コントロールもいい万能型ピッチャーだ。

 しかし今のところは、まだ真っ当に伸びていけばいいと思う。


 直史のやり方は、おそらくほとんどのピッチャーは、壊れてしまうやり方なのだ。

 大前提として幼少期からの蓄積がないと、おそらく肉体のバランスさえ取れない。

 成長してからもある程度、伸ばすことは伸ばせる。

 だが幼少期にしか身につかないことというのは、確実にあるのである。


 この幼少期からの訓練を、甥の司朗や昇馬はやっている。

 なので司朗はあそこまで打撃に無駄がなく、昇馬も数字を残している。

 肉体全般の操作の果てに、ピッチングの極致がある。

 これに対応してくるような怪物は、大介の他にも数人はいた。

 だからさらに潜るために、あの力が必要であったのだ。


 この先攻において、レックスは三番のクラウンがソロホームランを打った。

 直史相手に先制されてしまうと、もう直史が何をするか、に注目がいってしまう。

 しかしことライガース戦においては、大介との対決が注目される。

 前の対決では申告敬遠を使いまくって、大介を封じた。

 ただそれはホームの神宮だからこそやれたことなのである。


 別に直史は野次られても気にしない。

 本当に酷すぎるものがあったら、告訴ムーブをする人間である。

 まあ昔は本当にプロ野球の狂信的ファンが、選手を襲うなどという事件もあった。

 だがさすがに過激なライガースファンも、そこまで無茶なことはしない。

 ……しないよね? 信じてるぞ、関西人の皆さん、特に大阪と兵庫!


 直史としてはどうせ大介は、単打までに抑えれば大丈夫、という考えがある。

 もっともこの試合においては、一番打者になっていない時点で、かなり助かっているのだ。

 そして一回の裏、マウンドに登る。

 大介を抑えるために重要なのは、大介の前のバッターもちゃんと処理すること。

 場合によっては逆に、上手く二塁にまで行かせて一塁が空いていれば、歩かせるという選択が自然と取れるのだが。


 このあたり一番の和田は、直史から相当に警戒されているバッターではある。

 そしてその警戒により、出塁することが出来なくなる。

 今日の試合においては、ファールでストライクカウントを増やされてから、アウトローのストレートを見逃してしまったというもの。

 なんで打たんのじゃあ! という野次が普通に聞こえてはくる。

 ただプレートの位置などから、リリースポイントや角度を調整すれば、あれはボールに見えても仕方ないだろう。




 今のプロ野球において、最大の見物となるのは、直史と大介の対決であるだろう。

 一点のリードがある状態で、直史がどう考えているのか。

 勝負するかどうかは、基本的にバッテリーに任せている西片だ。

 最悪ソロホームランを打たれても、それで崩れる直史ではない。

 またワンナウトからなら大介にヒットを打たれても、単打まではどうにか後続を抑えるだろう。

 しかし長打となると、話は変わってくる。


 ランナー大介の脅威度は、もちろん分かっている西片である。

 短期間ではあるが、同じチームにいたのであるから。

 プロ入り初年度に72盗塁もしたが、それでも盗塁王を取れなかったのが珍しいシーズン。

 ただ走りまくったことにより、相手のピッチャーに勝負を強制することにはなった。


 直史にとって大介が特別な存在なのは、二人の関係性を見れば普通に分かる。

 高校時代のチームメイトで、甲子園の春夏連覇をしたエースと主砲なのだ。

 面白いことに直史が1番を付けたのは最後の夏だけで、大介も四番を打っていたことはない。

 そもそも大介はプロ入り後も、ずっと三番から前の打順を打っていた。


 足のある長距離砲にして、首位打者も狙える高打率打者。

 味方としても敵としても、バグのような存在だなと感じていたのが西片である。

 もっともバグのような存在は、直史も同じようなものである。

 どちらがひどいバグなのか、という笑い話にもならない。

 しかしこの両者の対決が、今のプロ野球ファンの最大の楽しみなのである。


 色々とベンチは考えるし、直史も考えている。

 大介を敬遠するという選択肢も、もちろん存在する。

 ライガースファンであれば、直史のアンチにもなりうる。

 ただ高校野球から引き続いて、ライガースのファンになった人間もいる。

 そういった人間二とっては、直史は野次っていい存在ではない。


 確かにパーフェクトなどであれば、まさに今、昇馬がやっている。

 しかし直史はスピードがあったわけでもないのに、技術と駆け引きで投げていたのだ。

 三年夏の決勝は、15イニングをパーフェクトに投げて、翌日もまた完投勝利。

 倒れて運ばれて表彰に出られなかったあたりも含めて、生きた伝説である。

 また同じ日本人であれば、WBCでの活躍もあった。

 大介が打って、直史が封じる。

 この二人が揃った時の日本チームは、全て優勝しているのだ。


 そういうライガースファンの事情ではあるのだが、直史は楽観視していない。

 上手く相手の応援団も、封じた上で勝つということ。

 第二戦や第三戦のためにも、プレッシャーを与えておきたい。

 とはいえ左右田の抜けている今、普通に一点を取るのが難しい。

 なのでこの一点、序盤は特に守っていかなければいけない。




 勝負してくるかな、と大介は狙っている。

 もっとも直史の場合は、まともに投げてきても、打てるとは限らない。

 打つとしたらストレートがいいのだが、そのストレートの前の組み立てが重要になる。

 沈む球で目を慣れさせた後、沈まないストレート。

 そういった複雑な配球によって、大介に決定的な機会を与えないのだ。


 直史としては、そういう大介の心理状態まで推測しなければいけない。

 なので初球に投げたのは、ど真ん中のストレートであった。

 いくらなんでもそれは、と誰もが思っていたであろう。

 そして反射で打つはずの大介でさえ、わずかに無駄な意識が入った。

 スイングはやや鈍く、打球はバックネットに突き刺さったのである。


(そういえばこういうことをしてくるやつだよ!)

 何度も分からされてはいるはずなのだが、忘れた頃にやってくるのだ。

 親友としても親戚としても、長い付き合いである。

 また自分以外の視点から、直史のことを知ることも出来ている。

 だが本当の心の奥底は、おそらく親にさえ見せていないのではないか。

 瑞希にだけはなんだかんだ、理解されているかもしれないが。


 その奥深さが分からないあたり、まさに深淵といったものであろうか。

 あまり見ていると向こうからも見つめられ、SAN値チェックをしなければいけなくなる、というやつだ。

 実際にあまり直史のピッチングをどうにかしようとすると、自分たちのバッティングがおかしくなることがある。

 それで一昨年は日本シリーズ、無様なところを見せてしまったのだ。


 直史としてはこのファーストストライクで、かなり楽になった。

 ど真ん中ストレートなど危険すぎるものだが、こういう場面では使いようがあるのだ。

 普通ならストレートと見せかけて、手元で動くと思うだろう。

 あるいは直史のことだから、変化球で入ってくるか、もしくはコーナーを突いてくるのが、当たり前だと思っていたかもしれない。

 だが相手の裏を書くというのが、リードの基本である。

 そういう意味ではど真ん中ストレートもスローボールも、使いようによるのだ。


 大介はこれに対して、下手に読もうなどとは思わない。

 むしろ無心であることを、意識下で行うのだ。

 無心で打つというのは、これまた実は難しいことである。

 だが自分が今までにやってきた、全てのスイングを思い出す。 

 その反映が無心であるというなら、逆に直史には通じないかもしれないが。


 全ての届くボールを打つ。

 なんならワンバンのボールでも打つ。

 そう考えていたところに、投げられたボールがアウトロー。

 ただ和田に投げたのとは違って、しっかりとボールに逃げるツーシーム。

 しかし大介のバットなら届いてしまうのだ。

 それでもボールの威力が、芯で打つことを許さない。


 スピードやスピン量とは違う、タイミングの微妙な違い。

 これによって二球目も、左に切れていく打球になった。

 重要なのはその打球が、上がっていないということである。

 長打にならないのであれば、大介は出塁に専念してもいい。

 ツーナッシングになってしまったのだから、ここからは少しだけ消極的になる。


 直史はここから、変化球で組み立ててきた。

 そしてボール球も使いつつ、長打になりそうなコースには投げない。

 フルカウントから投げたボールは、またもストレート。

 そのボールはまたも、大介のバットの芯を外した。


 レベルスイングで振られたバットは、ボールにものすごいバックスピンをかける。

 そしてそのボールが落ちてきたのは、滞空時間が長い代わりに、サードの直上であった。

 ドームだったら天井に当たっていたな、というような打球。

 しかしどんな打球であれ、現実では内野フライである。

(途中でスピンがほどけるし、落下で重力はかかるし、案外エラーになったりもするんだよな)

 もちろんそんなことはなく、二塁まで走っていた大介は、舌打ちしながら帰っていく。

 とりあえず一打席目は直史の勝利。

 だがバッティングというのは、一本ホームランが出れば、その試合はそれで充分というのが水準なのだ。




 大介を相手にすると、思考によって脳が疲れる。

 普通のバッターであれば、もっと簡単に打ち取れるのに。

 とにかく反射神経や動体視力、そしてスイングスピードで、ピッチャーの決め球を粉砕するのだ。

 基本的には直史は、遅い球をどう使うかで、大介対策としている。

 どう頑張っても160km/hはおろか、155km/hさえ出ないのだ。

 ただ170km/hが出ても、打ってしまうのが大介である。

 ならばどれだけ、相手に狙いを絞らせないかで、スイングの始動を遅れさせるか、が重要となる。


 緩急が重要であるのだ。

 遅い球に慣れさせた後であれば、150km/hでも充分な速球になる。

 反射で打つにしろ、その反射を鈍らせるのだ。

 これはもう生物的な反応であるため、どうにも出来ないところがある。

 それでも遅い球を投げるのは、相当の勇気が必要だが。


 直史には別に、勇気などは必要ではない。

 打たれれば打たれたで、悔しいが仕方ないと切り替えていくだけだ。

 他に何もない者が強い、などとはよく言われる台詞である。

 ただ直史ぐらいの領域になると、それがもう当てはまらない。

 そもそも最初から、打たれても別にいいか、でプロのマウンドに登っていた直史である。

 今もさらにリードの自由度が上がっているのは、そういった余裕があるからだ。

 打たれてプロを引退しても、次にやるべきことがある。

 このたっぷりと、ありすぎる余裕があってこそ、危険なコースに危険な球を投げられるというものだ。


 ど真ん中のボールというのは、案外打ちにくいというのは、よく言われることである。

 そこからは少し変化して当然、と考える人間が多いからだ。

 あるいは絶好球すぎて力んだ、という話もよく聞く。

 そういう時は剛速球ではなく、打ちやすい半速球であることも多い。


 ともかくそういった投球術で、直史は一回を封じた。

 しかし大介に投げた球数は、それなりに多くなった。

 一人あたりには、投げても四球までというのが、直史の平均である。

 実際にはもっと、投げている球の平均は少ないが。

 当たり前のように、一試合を100球以下に抑えていく。

 だが今日のペースは、それよりもかなり多くなりそうだ。


 早めに追加点を取ってくれれば、さらに大胆な組み立てが出来る。

 そうは思っていても、点を取りたいのは誰でも、普通のことなのだ。

 レックスの場合は長距離打者が、それほどいないことも関係する。

 それでも今日のライガースのピッチャーはフリーマンなのだから、それなりに追加点を取ってほしい。

 だが決定的なチャンスというのは、なかなか作れない。

 去年に比べるとずっと、数字を落としたフリーマン。

 しかしこの五試合の先発した試合は、勝ち投手ではなかったとしても、試合自体はライガースが勝利している。


 去年のデータから対策を立てて、攻略することに成功。

 その攻略されたデータを分析して、さらに攻略されないようにしているのか。

(少なくとも、今日の調子は悪くなさそうだからな)

 エラーからの乱れか、あるいは一発か。

 既に一発は打たれているので、ライガースの内野のミスを期待したいところか。

 もっともそういった、偶発的な得点に、頼ろうとはしないのが直史である。

 三回までが終わって、1-0というスコアは動かない。

 そして四回の裏を迎える前に、レックスはどうにか追加点を取りたいのである。

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