第338話 強さの形

 直史はカップスを観察する。

 マウンドの上から見るのは、対戦相手のバッターだけではない。

 ネクストバッターズサークルのバッターが何をしているのか、そしてベンチはどう動いているのか。

 ピッチャーは次のイニングに集中するためか、こちらを全く見ていない。

 そして数人が確実に、こちらを観察してきている。

(う~ん……)

 カップスの強さというのが、なんとなく分かった気がする。

 そのシーズンが進むに従い、調子が上がってきたこともだ。


 直史は正直なところ、相手がどう仕掛けてこようが問題はない。

 ただあのカップスとの試合、直史に0に抑えられていながらも、カップスも失点を許さなかったことに、もっと注意すべきであったのだ。

(ここ数試合の対戦成績はどうだったかな)

 一応一勝だけ勝ち越している、というデータは頭に入れていた。

 しかし誰がどう投げて、相手のピッチャーをどう打って、というのは考えていない。

 直史の仕事はバッターを打ち取り、相手に点を取らせないこと。

 味方が一点でも取ってくれれば、それで終りに出来ると思っていたのだ。


 ちなみにこの五試合を見た場合、レックスは勝ち越している。

 ただし二試合前に、鉄壁であったはずの平良が、セーブを失敗したのがカップス相手の試合である。

 直史は自分自身は、バッターとの駆け引きを重視する。

 しかしチームのピッチャーにアドバイスするのは、そこまで詳しくはないことだ。

 また相手のピッチャーをどう崩すか、ということもアドバイスしていない。


 直史でさえやられたら嫌なこと、というのを説明したとする。

 するとその情報は、どこからか絶対に漏れるのだ。

 レックスの勝利のために、己の技術をどこまで継承させるか。

 どのみち実行できないと思ったことは、教えていない直史である。

 だがカップスのチームは、その細かいところを重視している。


 確かに攻撃の戦術も、スモールベースボールに近い。

 またローテも強力な六枚などは揃えられず、リリーフを序盤から使ってくるという試合もある。

(まあこの試合は俺が打たれなければそれでいい)

 レックスにとっての最強の支柱は、直史ならば打たれないと信じる心である。

 この試合自体は、延長にでももつれこんで、そこでピッチャー交代で負けても仕方ない。

 それよりは直史が点を取られないことが重要なのである。


 ただし、カップスがどう考えているか。

(今年、俺が投げた試合で、唯一負けなかった試合があるのがカップス)

 直史自身はフルイニングをなげてパーフェクトであったが、球数が100球を超えそうなので交代したのだ。

 そしてその結果、リリーフまで0-0をつなぎとめ、引き分けることに成功したのだ。

(ここで俺から勝てば、一気に勢いがつくかな)

 今からどれだけ連勝しても、二位のライガースには追いつかない。

 ただクライマックスシリーズに向けて、体勢を整えることは出来るだろう。


 ファーストステージは甲子園でライガースと。

 あそこでライガース相手に、この試合のような戦い方が出来るのか。

(シーズン前はスターズが来ると思ってたからな)

 絶対的エースというものが抜けた時、スターズがここまで脆いとは思っていなかった。

 またタイタンズも、悟の離脱が大きかったとは言える。


 どの野球評論家も、セの優勝はレックスとライガースのどちらか、と言っていた。

 故障者が出ない限りと言っていたが、その故障者が出たのはスターズとタイタンズだ。

 カップスは長期離脱ではないが、故障者は少し出ている。

 それでも勝率は五割前後をしっかり維持していた。




 直史の動きは、キャッチャーの迫水からすると、注意力散漫にも見えた。

 だが投げるボールの精度は、全く変わらない。

 むしろカップスのバッターに対して、見せ付けるかのようなピッチングと感じる。

 もちろんピッチングの内容は、いつもと変わらないようであるのだが。

「ナオさん、何かあったんですか」

 ベンチに戻る直史に対して、迫水は声をかける。

「いや、野球は奥が深いと思っただけだけど、よく気付いたな」

 迫水が自分の変化に気付いたことに、感心する直史である。

 もっともバッテリーを組んでいれば、それも分かって当然なのか。


 ベンチに座った直史は、やや思考力を低下させながらも、カップスの守備とベンチを見る。

「カップスの最近のやりにくさの理由が分かったかもしれない」

 この言葉にレックス側のベンチは、大きく感情が動いた。

 ここ最近のカップスの調子の良さは、レックスの首脳陣も気付いている。

 優先度はライガースが一番だが、クライマックスシリーズは特に、ファーストステージは短期決戦。

 カップスがライガースを破るパターンも、考えておかなければいけない。


 これは首脳陣さえも聞きたかったが、直史としてもまだ確信は持っていない。

 それにはっきりと言語化するには、まだ情報が充分ではないのだ。

「まあまだ推測の域を出ないし、今伝えても混乱するだろうから、試合後に教えるよ」

 そもそも直史の考えが、合っているのかも分からない。

 それにカップス側が、どれだけ意図的にやっているのか、それすらも分からないのだ。


 この試合に限って言うなら、ロースコアでも点を取ってくれれば、そのまま抑えてしまえる。

 だが変な情報に惑わされて、打線が点を取ってくれないと、それはそれで本末転倒になりかねない。

 最近のカップスには、確かに不気味なものを感じている選手が多い。

 その原因が分かったと直史が言うなら、今度の打開策になる。

 しかしその説明をしてもらって、対応するのは今ではない。

「今は目の前の試合に集中しろ」

 西片もそれは分かっているのだ。


 直史が投げている限り、大量失点はありえない。

 エラーと偶然のヒットなどが重なっても、一試合で最高二点ぐらいに収まるだろう。

 これがライガースであれば、ホームランの得点も考えないといけない。

 だがカップスは得点に、セットプレイを使ってくる。

 ロースコアでの計算された野球。

 それが双方に共通するものだ。

 もっともこれは、レックスの場合先発が強くないと、通用しないものであるのだが。


 直史としてもこの感じの悪さを、もっと説明できないといけない。

(何かを判断基準にして、観察をしているのは確かなんだろうけど)

 こちらの攻撃の時間には、あまりそれを読み取れない。

 直史はあくまでも、ピッチングのためにエネルギーを使っているのだから。


 ベンチに戻ってくると、糖分と水分の速やかな補給。

 そしてその糖分で、脳を回転させるのだ。

(今日の試合に限って言うなら、カップスは勝利自体は諦めてるだろうな)

 直史が投げる試合に、カップスは先発の弱いところを持ってきた。

 勝てるピッチャーは他の試合に使うのだ。

 必死でレックス打線を抑えても、引き分けにしか持ち込めないなら、むしろ打線が自信を失うだけであろう。




 序盤こそ双方の打線が動かなかった。

 だが中盤に入って、二巡目のレックスが順当に点を取ってくる。

(リリーフをつないでくる試合にはしないのか)

 カップスは一試合に、五人以上のピッチャーを使って勝つ、という試合がかなり多い。

 レックスは基本的に、四人までで済むことが大半だ。


 短いイニングを、集中して抑える。

 ピッチャーならば普通に、考えられるピッチングである。

 しかしカップスも、基本的には先発で、ローテを回すのを主流にしている。

 その先発が崩れた時などを、上手くリリーフが早めに交代し、大量失点を防いでからの逆転を可能としているのだ。

(言われてみれば普通のことではあるんだよな)

 カップスの選手起用は、柔軟性に富んでいると言えようか。


 必勝のパターンを作るというのは、そこから外れてしまえば戦えない、ということにもつながる。

 それに必勝と言っても、実際には一割ぐらいは、失敗することもあるのだ。

 とはいえその場その場で泥縄方式というのも、やはり勝つためには長期的に見て問題になるのではないか。

(つまり泥縄ではなく、高度な柔軟性を保ちつつ、臨機応変に対処する、というわけだ)

 よく馬鹿にされるような言葉だが、実はこれは正しいのである。

 問題は高度な柔軟性を持っていなかったし、臨機応変に対処もしなかったというだけで。


 戦争に限らずスポーツの試合なども、いくらでも想定外の出来事は起こるのだ。

 そこからどうやって戦っていくかが、むしろスポーツの重要点と言えるだろう。

 戦術は必要であるが、そこからどう変化して行くか。

 それをしっかり用意しておくのが戦略である。


 この場合の柔軟性というのは、主にピッチャーの継投の判断であろう。

 カップスがこの試合を捨てているのは、ピッチャーに若手や二軍から上がってきたのを使っていることで推測出来る。

 ただ臨機応変の対処というのは、確実に成功するわけではない。

 なんだかんだ言いながら、レックス打線を完全に封じられるほど、ピッチャーの枚数が豊富なわけでもないのだ。

(するとあの、引き分けた試合が参考になるのか)

 ポストシーズン用のレックス対策。

 ほぼ確実に勝てる直史の登板試合を、どうにか引き分けに持ち込む。

 それでもアドバンテージはあるが、直史で勝てなかったとしたら、レックス首脳陣は焦るだろう。


 別にレックスだけを対策にしているわけではない。

 継投を積極的に行うというのは、日本がWBCで行った作戦の一つだ。

 また強打のライガース相手にも、短いイニングで次々にピッチャーを投入した方が、狙いをつけにくいかもしれない。

 ただそこまでピッチャーが、揃えられるかどうかが問題だが。

(まあ核になるエースは、必ず存在するものだしな)

 カップスなら若田部あたりが、まだ若手だがエースと言えるだろう。


 チームの事情を考えれば、カップスはあまり選手に活躍されすぎても困るのかもしれない。

 もちろんそれでも、一軍にいるかぎりは年俸も上がるし、やがてはFA権も取得するだろうが。

 選手の育成や起用、そしてドラフトでの指名が、MLBに似ているところがあるのだろうか。

(確かカップスは、ドラフトの成功率が高かったんだったかな)

 そういうことも検証しているサイトや、動画などがしっかりとあるのだ。




 直史はMLB経験者である。

 今さら何をと言われるかもしれないが、MLBとNPBの大きな違いに、FAの扱いというものがある。

 MLBではその期間に達すると、自動的にFAになる。

 日本と違って宣言しなくてもいいわけだ。

 逆に言うと必要とされなければ、そこで契約は途切れてしまう。

 もっともFAを取得するほどMLBでいたならば、普通にどこかしらとは契約出来るが。 

 日本の場合も実は、FA権を取得できるという選手は、それなりにいるのだ。

 だがFA宣言をするならば、再契約は保証しないよ、という球団もあるのだ。


 そうでなくとも普通のレベルの選手なら、わざわざFAで取得する意味はない。

 日本はFAの取得までに、比較的時間がかかるということもある。

 またMLBの契約は、いい選手ほど大型契約、つまり長期間の契約になりやすい。

 この契約期間の長さは、球団と代理人の闘争の結果、とも言えるだろう。


 カップスはエースの若田部もそうだが、投手陣に若手が多い。

 別にリリーフで使い潰しているというわけでもないが、これは球団の方針であるのか。

 現場とフロントの編成が、話し合って決まっているのか。

 そういえば監督の契約も、かなり長くなっている。

 長期的にチームの編成を見据えて、それが今の結果になりつつあるということか。

 ちなみにMLBの場合、選手のトレードもかなり多いが、監督であるフィールドマーネージャーの解任もかなり多い。 

 シーズン中でも平気で交代させるのだ。


 カップスはチームのイメージを重要視する。

 地元密着型という点では、NPB最強のチームだろう。

 あとはライガースであるが、あれはまたちょっと違うものだ。

 パなら福岡などは、東北と共に色々と、地元密着型の戦略を売っている。

 北海道もその一つではあるだろう。


 MLBの場合、球団が移転するというのは、それなりに珍しくないことだ。

 アメリカは地方都市で、100万以上の都市圏を作るのが、さほど難しくないのだ。

 ニューヨークにも2チームあるし、ロスアンゼルスには1チームだがアナハイムも同じ都市圏。

 カリフォルニア州には他にもチームが存在する。

(商業的に考えた場合、選手の移籍はあまりない方がいいんだろうな)

 そうは思うがカップスは、とにかくFAで選手を獲得することが少ない。

 一方でFAで移籍してしまうことは多いのだ。


 選手ではなくチームに、ファンがつくようにする。

 それはカップスの場合、ずっと昔から続いていることだ。

 ひどく単純な話だが、ファンがつくチームというのはどういうものか。

 いくつかの条件はあるが、強いチームとは言えるだろう。

 そして強いチームは、試合に勝っていく。

 またその試合についても、色々と動いて行く方が、見ていて面白いのは間違いない。


 あとはガンガンと点を取るチームだ。

 ライガースの場合はそれが行き過ぎて、守備の方が疎かになっているというか、雑になっている感覚はある。

 負けてしまっても、あまりに連敗が続いているわけではなかったり、ちゃんと点を取っていれば、許してしまう雰囲気がライガースファンにはある。

 もっともそれはライガースに限らず、どのチームにもそれなりの傾向ではあるのだ。

 負けたが面白い試合であった。

 プロ野球というのはそれを許容する興行なのである。




 この試合の目的を、直史はすぐに見抜いていた。

 ポストシーズンで勝ち抜き、レックスと対戦した時の対策を検討するものである。

 もっと単純に言えば、直史をどう攻略するか。

 攻略が無理だとしても、どれだけのダメージを与えるか、というものである。


 ピッチャーというのは消耗品、と考えておいた方がいい。

 道徳的にどうとかではなく、消耗するのは確かなのだ。

 確かに直史は、突出した能力のピッチャーである。

 だが体力的にどうか、というとそれほどの怪物ではないのだ。


 マダックスを何度も達成しているが、それは逆に球数を抑える必要があるということ。

 特にもう年齢的に、回復力や耐久力が、衰えているというのは充分に推測される。

 直史の技術は、特別なものであるのかもしれない。

 またメンタルや思考力も、まだ衰えてはいないのだろう。

 しかし年齢による基礎体力の低下は、絶対にあるはずなのだ。


 中六日をほぼ守る直史だが、ポストシーズンはその限りではない。

 復帰一年目のクライマックスシリーズなど、中一日で三勝し、それでもライガースには追いつけなかったのだ。

 さすがにかつてのように、連投して両方勝つ、というのは難しいと見るべきであろう。

 実際に直史も、そこまで追い詰められたピッチングで、どこまで集中力がもつかは分からない。

 ピッチングの精度というのは技術に思えるかもしれないが、精密な動作をなぞるというのは、体力があってこそなのだ。


 この試合のカップスは、比較的球数を投げさせることに成功している。

 もっとも途中で気付いた直史は、球数では関係のない、抜いたボールを多用するようになっているが。

 肩や肘への負荷は、それほどかかっていない。

 体力的には問題ないのである。

 ただ思考するための、集中力がどうであるのか。

 そのあたりをカップスは探っているのでは、とマウンドの上からでも判断がつく。


 直史としてもそのあたり、最近は限界まで投げていないので、カップスの狙いどころはいいな、とは思う。

 もっともカップスが一試合で確認する程度では、問題なく投げられるだろう。

 それにこの試合は点差がついてきているので、リリーフに継投してもいい。

 既にヒットも打たれているので、ノーヒットノーランなどもないのだ。

 打たせて取るというピッチングは、どうしてもその打たせる方向を調整しきれない。

 レックスの優れた内野陣であっても、ある程度はその間を抜かれてしまう。


 直史も自分で、処理をするゴロがあった。

 あるいはここに、直史を攻略する糸口があるかもしれない。

 ピッチャー強襲のヒット。

 それで都合よく負傷でもしてしまえば、交代せざるをえないではないか。

(短期決戦だった場合、それが致命的なことになる可能性もあるか)

 ポストシーズンの第一戦で負傷してしまえば、二試合目までに治癒しない可能性は高い。

 そもそも他のピッチャーと違って直史は、痛みをこらえてボールを投げることなどない。

 そんなことをしてしまえば、どこかに必ず無理がかかり、コントロールが乱れてしまう。

 コントロールが利かない直史など、実力の半分も発揮できないだろう。


 なるほど、と直史は自分の弱点が分かった。

 ピッチャー返しをされまくることである。

 それで実際に怪我をしなくても、それを恐れるだけで充分に、ピッチングを萎縮させることが出来る。

 直史もフィールディングを考えれば、投げる球種を限定して行く必要があるだろう。

 ただしレギュラーシーズン中は、特に問題にもならない。


 七回が終わった時点で、直史の球数は90球に達した。

 まだ投げられるか、という球数であったが、この試合は既に6-0でレックスがリードしている。

 この先のシーズンも考えれば、そろそろ直史には上手く休みを取ってもらう必要がある。

 またレックスの首脳陣も、怪我については考えているのだ。


 今はピッチャー返しではなく、フルスイングでフライを打つのが、バッティングの本流である。

 そうでなくてもわざわざ、野手の正面に打つ必要はない。

 確かに反応速度を超えれば、ヒットにはなるかもしれない。

 だがそんな狙い打ちの出来るバッターなど、そうそうはいないのだ。

 三連戦の初戦は、無事にレックスの勝利。

 リリーフしたピッチャーも、無失点で自分の数字を良化させることに成功していた。



 ×××


 本日は限定ノートでスピンオフも公開しています。

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