第334話 八月が終わる
またも歴史を更新した、などと言われた。
今さら何がと直史は思ったが、直史は42歳なので、このぐらいの年齢になったら何かを更新しているのかもしれない。
実際に連続無失点記録は、ずっと続いているものなのだ。
続く限りは更新し続ける。
この年齢でこれをやっていると、アメリカなどならあらゆる数字を記録で出してくる。
あちらは本当に、数字を大切にしてアピールしていた。
レックスとスターズとの第二戦は、百目鬼が先発である。
前の試合は好投しながらも、勝ち投手になれなかった百目鬼。
しかしこの試合のスターズ打線は、完全に心が折られていた。
せめて雨で延期にでもなってくれていれば、話は別だったかもしれない。
なおライガースとフェニックスの試合は、天候が曇りであるが、第二戦は行われている。
直史はこの試合、家で中継を見ていた。
調整のための練習ぐらいはしていたが、それは二軍に混じって行ったもの。
八月の登板予定はもうなく、そして夏が過ぎていく。
まだまだ酷暑は続いていくが、次はホームでカップスとの試合。
そこからは色々と面倒な、移動が多くなってくる試合が続く。
八月終了の時点で、124試合を消化する予定なのだ。
残り19試合と考えれば、九月の終盤には試合はほとんどなくなってくる。
もっとも雨天で延期した試合などで、なんだかんだと九月の終盤まで、試合はちゃんと入るだろう。
出来ればそこまでには優勝を決めて、特にリリーフ陣をしっかり休ませてやりたいものだ。
レックスの生命線は投手陣である。
特に今年の場合、直史は豊田と共に、かなり前からポストシーズンの戦い方について、西片からの相談を受けていた。
直史がいなかったら負けたであろう去年と、直史がいたのに負けた一昨年。
三島が大量失点した試合はあったが、他はそれほどでもない。
ポストシーズンになれば勝ちパターンのリリーフを、同点の状況からでも投入できる。
今年は去年よりもさらに、状態はいいと言ってもいいだろう。
あとは無理にペナントレースを早々に制するのではなく、特にリリーフ陣を故障しないよう、抑え目に使っていく必要がある。
途中で離脱した期間があった国吉はともかく、大平と平良はたくさん投げすぎている。
レギュラーシーズンをどうにか、50登板以内に抑えられないか。
もっとも三連投は禁止と、1イニングまでという条件は、ほぼほぼクリアしている。
大平と平良は、若さでどうにかしてしまっている。
もちろんチームのトレーナーは、しっかりとケアをしているのだが。
若さというのは何事も、やりすぎるものである。
それを止めるのがコーチの、重要な役目であったりする。
スターズは連敗した。
それも百目鬼に負けただけではなく、さらに木津にも負けている。
百目鬼は六回を無失点に抑えて、勝ちパターンのリリーフが出てきたのは、九回の平良だけであった。
四点差で七回に入り、三点差になったためクローザーの平良だけが登板。
三点差なら別にいらないのでは、と豊田などは思ったものだ。
リリーフは使いすぎはもちろん悪いが、あまり大事に使いすぎるのもよくない。
ある程度の機会を与えていかないと、試合勘がなくなってしまう。
もっとも八月の下旬ともなれば、いよいよペナントレースも佳境に入ってくる。
平良も去年の経験から、しっかりと分かっているだろう。
重要なのは調整であり。そして最も避けるべきは故障である。
木津の投げた試合は、珍しくレックス打線がつながった。
連敗していたことにより、スターズのモチベーションが下がっていたというのもあるのかもしれない。
大量点に加えて、失点も少なかったことにより、リリーフは勝ちパターンを温存。
そしてこの第三戦においては、関西ではまた雨により、甲子園での試合は中止になっていたりした。
ライガースの残り試合が、減らないという状態。
これはあまり重視しなくても構わないだろう。
重要なのはライガースとの間の、勝率の差を保つということ。
残りの直接対決を全部勝てば、おそらくもうそれで優勝は決まる。
だがそれは無理であろうし、そこまでの無茶をするつもりもない。
ただここで、リリーフをある程度温存できたのは、やはりありがたいことであったのだ。
次の対戦は名古屋ドームでの、フェニックス戦となる。
ここでもまだ、三連戦となっている。
もう全てのチームとの残り試合数が、五試合以内。
ここからは首脳陣が、どのチームとのどの試合で勝っていくかを、考える時期になっている。
おおよそは勝てる試合、かなり頑張れば勝てる試合、基本的に負けると考えるべき試合。
プロ野球には間違いなく、捨て試合というものがあるのだ。
重要なのはあくまでも、ペナントレースを制すること。
目の前の試合をどう捨てるか、そんな判断が重要になる。
そしてもっと重要なのは、その試合が捨て試合だと、選手やファンには思わせないこと。
そもそも野球は偶然性が高いので、捨て試合のはずが勝ってしまうということもあるのだ。
フェニックス相手の試合なら、まず勝ち越しは計算しなければいけない。
ただスターズ戦で三連勝したことで、その必要性はやや落ちている。
もっともカップスやライガースに負けても大丈夫なように、フェニックス相手で白星を稼いでおかなければいけない。
実際にピッチャーのローテーションも、それに相応しいものになっている。
これに直史は同行しない。
東京で二軍に混じってトレーニングをするのだが、ここからはコンディション調整が重要になる。
ただそんな直史に、普通に回ってきた情報。
オーガスが爪を割ってしまって、数試合の先発が抜けてしまったのである。
他人の不幸は蜜の味というが、そこまで極端な話でもない。
ここで抜群の先発としての役割を果たせば、ローテに入れられる可能性がある。
木津と塚本はまだ不安定さがあるし、それに三島は今年でいなくなる。
そんなわけで先発にまた回った、須藤には大きなチャンスになるのだ。
直史としては須藤はリリーフのまま、他のピッチャーを使った方がいいのでは、と思ったのだが。
レックスの今の先発陣は、ほとんど六回までをなんとか投げている。
つまり強いリリーフは、三人だけで充分ということだ。
しかしそれはレギュラーシーズンの話で、ポストシーズンでは同点やビハインド展開でも、取らなければいけない試合がある。
そのためには先発は強いところだけで充分。
須藤にはリリーフとしてのポジションで、しっかりと準備をすることを教えた方がいいのではないか。
このあたりは難しいことなのだ。
確かに国吉の離脱している間、須藤はそれなりにリリーフの適性を示した。
しかし本質的には先発ではないのか、とも思われている。
オーガスの離脱は分かりやすいものであるため、必ずポストシーズンには間に合うだろう。
なので普通に考えれば、またポストシーズンではリリーフに回すのではないか。
チームの戦力の編成は、基本的に現場の考えることではない。
しかし育成は現場でこそ出来るものだ。
西片をはじめとする首脳陣が、須藤は先発経験も積ませる、と判断したのであろう。
また今年のドラフトにおいては、高卒から社会人まで、目玉と言えるようなピッチャーはいない。
高校野球の地方大会や、大学の地方リーグで、掘り出し物を探さないといけない。
そのあたりがスカウトの仕事なのだが、現代では隠れた選手の情報なども、すぐに流出してしまうものなのだ。
昔のドラフトは面白かった、などと古いスカウトたちは言う。
それは確かにそうだったのかもしれないが、面白さの中身が凶暴すぎる。
逆指名時代のえげつない裏金攻勢は、契約金の10倍にもなるものであったという。
さらにそれ以前であると、選手は大学進学を志望しているのに、強行指名して札束ビンタを食らわせることもあったという。
実際にはそれまでの人間関係で、絡めとるということがあったそうだ。
まあそのあたりのえげつなさは、高校野球や大学野球もずっとあるのだが。
特定のシニアから進む強豪校は、ある程度その高校の監督との間に、既にパイプが出来ている。
また高校野球の監督と、大学野球の監督が、同じ大学の派閥であったりもしたりする。
今の時代は選手が、どこに行きたいかを示すことは難しくなっている。
昔は某球団には行きたくない十カ条、などを発表する選手もいたのだが。
上杉などは地元にNPBのチームがなかったので、特に何も言うことはなかった。
だが大介は基本的には、関東のチームを志望していた。
もっともライガースであれば、半分ほどの試合が甲子園。
ホームランの出にくい球場で、ファンの熱量も凶暴なのに、楽しそうにプロ入りしたものだ。
これが逆に武史などは、関東の球団以外であれば、社会人に進むとさえ断言。
結局は一番いいところが交渉権を獲得したので、本当に生まれつき持っている人間だ。
直史などは完全に、パイプを使ってプロ入りした。
もっともその直後などは、随分とブランクのあるピッチャーを獲得しても、もう旬は過ぎているだろうなどと言われたらしいが。
直史はレックスに義理を感じている。
たった二年でMLBに行ったのだから、それはちょっと後ろめたいところはあったのだ。
もちろんその二年で、日本一になってポスティングでも金になって、使った金以上の活躍も貢献も充分にした。
だが今でも、かなり好き勝手にやらせてもらっている。
その点では義理堅い直史としては、しっかりとお返しをするのである。
木津をしっかり使えるようにしたし、大平のコントロールを修正した。
他にも何か尋ねられれば、答えられるものは答えている。
MLBの状況に関しては、あちらはトレンドの変化が激しいので、あまり正確なことは言えない。
もっとも大介などは、比較的最近までのことを、しっかり説明出来るのだが。
直史を見ているとどんなピッチャーでも、ピッチングの奥深さを感じることになるだろう。
またパワーとスピードと言っていながら、実はストレートのスピードがあるだけでは、通用しないのだとも言われる。
それは直史自身もそうだし、木津などを見ているとはっきり分かるだろう。
別にスピードよりコントロール、などという単純な話でもない。
もっと重要なのはピッチャーとしての特性である。
ただ速いボールを、ゾーンに集めるだけ。
それならば160km/hオーバーでもあまり意味はないのだ。
プロならばカットぐらいは出来て、球数を増やすことは出来る。
だからそれよりも何か、自分だけの武器を持っていないといけない。
直史の場合は、それはコンビネーションであった。
スライダーとカットボールの違いを、しっかりと見せ付ける。
またストレートもスピン量とホップ成分が多いため、実質的には変化球だ。
かつて言ったことがある。
伸びるストレートというのは、もう変化球なのであると。
また手元で小さく動かせば、それで充分に打ち取ることが出来る。
マシンのボールばかりを打っていれば、肉体がそれに特化してしまう。
そんな練習をやるよりは、まだしも素振りをやっていた方がマシだ。
これは半分は大介の意見であるが。
フェニックスとの第一戦、先発は塚本であった。
一応は須藤との先発ローテ争いで、勝ったことになっている。
だがここのところ、内容は悪くないのだが三連敗。
打線がライガースであれば、三連勝でもおかしくないのだが。
もっともあそこはリリーフが弱いので、勝ち負けがつかない可能性もある。
フェニックス相手ならば、自信を持って投げることが出来る。
ひどい言い方であるが、今のフェニックスは本当に弱い。
パではジャガースが弱いが、昔のジャガースは本当に強かったのだ。
その強かった理由としては、ドラフトでのスカウトの、今なら出来ない暗躍がある。
大学進学予定であった、一指名レベルの高校生を、強行指名の後に見事獲得。
また関連の社会人野球に放り込み、そこで育成してから指名など、やりたい放題であった。
ただそれは、特別なスカウトがいてこそである。
考えてみればレックスも、主力の多くを鉄也が獲得し、投手王国を築いたことがあった。
もっとも鉄也にしてみれば、レックスの投手王国を築いたのは、自分ではなく樋口だと思っているが。
レックスは今も、あの頃とは変わらないぐらい、ピッチャーはちゃんと調べて獲得している。
だがそれが決定的に育ったりしないのは、育成力が昔よりも落ちたからであろう。
コーチの差ではなく、正捕手の差である。
第一戦は、フェニックス相手に勝つことが出来た。
ただし勝ち投手が、塚本にはなっていない。
ビハインド展開で、弱くなっているリリーフが踏ん張り、そこから打線が逆転した珍しい例だ。
ライガースの場合、逆転のライガースなどとも言われる。
だが実際はやはり、リードして継投した方が勝っているし、逆転負けも食らっている。
そういう点では本当に、印象というのは重要なものだ。
ここから次は、三島とオーガスという予定であった。
だがオーガスが故障したため、須藤がそこに入ることになる。
野球のピッチャーというのは、本当に爪が割れたりするものだ。
爪切りバサミなどは使わず、やすりで削っていかなくてはいけない。
この爪を上手くひっかけることで、変化球にクセをつけたりもする。
だが基本的には、しっかりと爪のお手入れをするのが、プロ野球選手のピッチャーだ。
別に冗談でもなく、普通にネイルなどでコーティングはしている者も多い。
直史の場合は、皮膚の丈夫さと同じように、爪も頑丈ではあるが。
ただそれでも、爪の手入れには気を遣っている。
昔から爪を上手く使って、ボールに変化を入れるのは、ピッチャーではよくやっていたことだ。
たとえば現在では絶滅したと言われるナックルだが、あれは爪が硬くないと上手く投げられないらしい。
直史は爪が硬いので、実は投げられたりする。
ならばどうしてコンビネーションに入れないのかというと、それは変化が一定していないからだ。
また変化量も日によって違うので、配球の中に入れるわけにはいかない。
本当に投げる球種がなくなれば別だが、直史の場合はそれはありえないのだ。
ともかくポストシーズンには間に合うとはいえ、レックスは不安要因が増えた。
それでもこれで四連勝で、ペナントレースの制覇には近づいていく。
一応五試合全てを、ライガースが勝ったとする。
それでもぎりぎり0.5ゲーム差で、レックスの方が上回っているのだ。
自力優勝が消えた、とライガースは素直に言える。
しかも今日も、あまり先発の強くないところで、リリーフもさほど使わずに勝てたのだ。
最後に投げたのは平良ではなく、サウスポーの大平であったが。
クローザーは本当にリードした試合でしか使わないため、終盤まで負けていた場合、準備をさせるのが難しい。
この点では大平が、平良よりもクローザーに向いている部分がある。
肩を作るのが早いのだ。
同日、ライガースは甲子園でのタイタンズ戦であった。
残り試合数がレックスとは違うが、ライガースもちゃんとフェニックス相手には勝っている。
二試合も潰れてしまったので、それがまたシーズンの最後にやってくる。
弱いチームとの試合が残っているのは、最後まで逆転のチャンスがあるのでありがたい。
もっともいくらライガースが勝っても、レックスも勝っているなら差が縮まらない。
直接対決は残っているが、それに全勝するのはまずありえないだろう。
レックスは間違いなく、直史を当ててくる。
ローテーション的にも無理がないので、当然のように使ってくるだろう。
大介は八月終盤のこの時期に、既にホームラン数が55本となっていた。
去年のシーズン通算が55本であったので、明らかに長打力が回復している。
この年齢で成績がアップするなど、化物としか言いようがない。
ただ大介としては、重要なのは個人成績ではないぞ、と思っている。
もちろん目の前の一球に、集中してプレイするのは変わらないが。
残りのレックスとの試合は、全て甲子園での開催となっている。
大応援団の力によって、ライガースの背中は押されるだろう。
もっとも他のピッチャーはともかく、直史が動揺するとは全く思えない。
何かの偶然が積み重なって奇跡が起こっても、二試合のうち一試合しか勝てないだろう。
するとやはり、より自力優勝は難しくなるのだ。
それはともあれ、目の前の試合である。
ここは上手く雨が降ってくれたため、ローテのピッチャーの弱いところを飛ばすことが出来た。
ライガースにローテで、強いピッチャーと弱いピッチャーはいるのだ。
特に友永などは、今年は移籍して一年目というのもあるが、かなり気合が入っている。
そんな友永の力によって、フェニックスには無事に勝てたのだ。
15勝4敗という、圧倒的な勝率。
他の指標を見ても、直史がいなかったならば、おそらく沢村賞の候補になっていたであろう。
ただ沢村賞は、サイ・ヤング賞と違って両リーグ通じて一人だけが選ばれる。
パのピッチャーを含めるならば、他にも候補は何人もいる。
武史が故障したシーズンであるが、直史はもう20勝しているのだ。
その直史から勝つための方法を、ライガース陣営は必死で探しているのであった。
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