第329話 まだ夏なのに夏が終わる
だいたい野球ファンにとっての夏の終わりとは、一つは高校野球の夏の甲子園の終りである。
学生野球の人気過熱から、職業野球が生まれていった、という論文が書かれていたりする。
つまり広告代理店もまともに機能していない時代に、昭和初期に職業野球が発生したわけだ。
当時はプロ野球とは言われていなかったらしい。
特に人気があったのは、東京六大学リーグ。
もちろん甲子園も人気はあったはずだが、調べれば分かることだが出場の条件がややこしかった。
とにかく明治の末には既に、人気となっていたベースボールではない野球。
戦時中でさえ軍事訓練の一環という理由で、どうにか存続を許された野球。
そもそも戦後の長い時代、大学にまで進む人間は少なかった。
プロ野球よりも大学野球のほうが人気、という時代が本当に長かったのだ。
その人気をプロ野球に持ってきたので、長嶋茂雄はレジェンドだと言われているわけである。
高校野球に話題を奪われる時期にも、プロ野球は行われている。
むしろこの時点での順位やゲーム差が、九月の終盤の駆け引きに影響してくる。
ラストスパートの最後のカーブを曲がってくるという段階で、とても重要なタイミングなのだ。
あとは最後に、残っていた爆発力がどれだけであるか。
逃げ切るのか、それとも追い込んで差すのか。
競馬の話ではないが、感覚的には似ているかもしれない。
気温は平気で35℃を超えている。
しかしそんな状況でも、平然と投げられるのが大平である。
「あいつは夏場に強いなあ」
豊田はそう言うが、大平は四月から六月の間に、そこそこポカをする。
シーズン全体で見て、スロースターターとでも言うべきなのだろう。
その大平はフォアボールのランナーを出したものの、アウトは三つとも三振で奪う。
奪三振率は12以上となっていて、実はこれが平良よりも高かったりする。
平良はスライダーが鋭いが、左バッターはこれをひっかけることが多い。
右にならば必殺の逃げるスライダー、左ならばミスショット。
こういう変化球を一つ持っていると、ピッチャーはそれを信じて投げられる。
木津にとってはそれがストレートなのだ。
しかし変化球ではなく、ストレートが変化球であると言っても、本人でさえ実感できないであろう。
純粋な話を言えば、世界に完全なストレートを投げられるピッチャーはいない。
ホップ成分なら木津以上の武史でさえ、必ずボールは沈んでいるのだ。
それは昇馬であっても同じことだ。
最終回にもレックスは、追加点を入れられなかった。
つまりまたも、たったの一点差で九回の裏を迎えることとなる。
これまでの平良は普通に、一点差の試合を終わらせてきた。
だが前の試合の失敗が、プレッシャーとなっているのは確かだ。
こういう時に直史は、あまりいいアドバイスが出来ない。
なぜなら自分自身は、プレッシャーで何かクオリティが落ちることがなかったからだ。
むしろプレッシャーというのは、集中力を高めてくれる。
またプレッシャーは危機感を与えて、脳内物質が肉体の限界をわずかに超えさせる。
直史もだが大介なども、そういったプレッシャーを利用しているので、プレッシャーでパフォーマンスが落ちるのが分からない。
ただ豊田は分かっている。
クローザーとして出て行く平良に対して、ぶっちゃけた話をしていた。
「お前は今まで、充分にクローザーとして働いてきてる」
それは本当の話で、去年は33セーブ、今年も既に同じ33セーブを達成しているのだ。
「だからぶっちゃけここで失敗しても、さらにあと何回か失敗しても、最悪一時セットアッパーに回されるだけだからな」
本当にぶっちゃけすぎた話だが、その程度のものだと思った方がいいのだ。
プロの世界というのは確かに、シビアなものではある。
だが同時にちゃんとした、実力の世界でもある。
平良が昨日の試合で負けたのは、かなり運の悪い重なりによるものだ。
そして今日も失敗しても、まだチャンスは回ってくるだろう。
クビを切られるほどの、またクローザーを奪われるほどの、そんなピンチではない。
プロの世界はシビアであるので、一度実績を残したら、それをまた期待してくれる。
それでも最悪でも、セットアッパーとしては使われる。
なんなら先発のローテ候補になってもおかしくない。
最悪リリーフでも、勝ちパターンのリリーフで、今年一年はずっと使われるだろう。
だからあんまり気にしなくてもいい、という話なのである。
プロの世界はシビアと言いながらも、実績は重要なのだ。
40歳の直史が、一軍最低年俸で復帰して、今年はもう10億ほどになっているように。
そもそも直史は年俸より、本業の方で多く稼いでいるのだ。
豊田は自分の経験からしても、年間30セーブもしたクローザーを、すぐに切ることはないと分かっている。
ただ大平がサウスポーなので、打順によってはセットアッパーと切り替えることはあるかもしれないが。
レックスは一度成果を出した選手を、ちょっと調子が悪いからと、すぐに切ってしまえるような贅沢なチームではない。
それこそ樋口がいた頃は、調子の悪いピッチャーをすぐに、調整させていった。
ここで一番気をつけるべきは、むしろ平良がムキになること。
この八月も終盤に入ってからの故障だけは、絶対に避けたいことなのだ。
それこそ最強のクローザーは、直史が投げればいいということにもなる。
だがそんな作戦は、レギュラーシーズンは使えないだろう。
本人がもう、体力が回復しないと言っている。
もっとも直史の出来ないは、出来るという意味なのだが。
果たして平良は、どういう状態であったのか。
直史は悔しい感情を吐き出すな、というようなことを言った。
それに今日もミーティングで、平良には話してある。
おそらく今日のピッチングでミスがあるとしたら、それはフォアボールであろう。
エラーは仕方がないが、フォアボールのランナーが決勝点のホームを踏んだ。
ヒットを打たれたこと自体は、本当に何も気にすることはないのだ。
直史を見ていると錯覚するが、その直史も相当に、打たせて取るピッチングをしている。
高校時代から直史と対戦している豊田は、過去の姿も知っている。
球速自体はそれほどでなくても、変化球との組み合わせで、まともに打てないように投げてくるピッチャーであった。
一試合を投げてもまだ余裕があるという姿。
それでも二年のセンバツでは、豊田のいた大阪光陰に負けているのだ。
もっとも豊田が直接に、直史と対決したわけではないが。
ピッチャーの一番確実に取れるアウトは、三振である。
直史は二年の夏に、大阪光陰を相手にして、タイブレークにまで持ち込んで勝利している。
その直後のワールドカップでは、クローザーなどをやっていた。
そちらではランナーさえも許さなかったが、ノーヒットノーランを達成した甲子園の準決勝は、実質的にはパーフェクトであった。
(俺たちの現役時代に比べると、まだ衰えが見えてきてるのかな)
普通ならとっくに引退している40歳のシーズンに復帰してきた直史。
150km/hを今年も復活させたのには、豊田としても驚く他はない。
そんな直史から、平良はアドバイスを受けていたのだ。
技術的なものではなく、メンタル的なアドバイスだ。
確かに昨日の試合は、平良の技術からの負けではなかった。
エラーからの逆転負けであるので、自責点は一にしかなっていない。
プロというのはフィジカルや技術がプロであるが、メンタルや思考もプロであるのだ。
むしろメンタルや思考がその領域にあったからこそ、プロにまでたどり着けたとも言える。
現在のスポーツで重視されるのは、体・技・心の順番である。
強靭な体があるからこそ、技を磨く練習を続けられる。
技をところん磨いたからこそ、自分のプレイに自信が持てる。
技術やメンタルが頭一つ以上抜けている直史でも、中学時代には300球も毎日投げていた。
絶対的なコントロールに対する、自信を持ったのはそこからである。
生まれつきのフィジカルで、全てが決まるわけではない。
だがまずは工夫してフィジカルを鍛えることが、重要であるのだ。
またフィジカルというのは何も、筋力だけではない。
力はあっても、スピードの出せないタイプの筋肉だと、結局はエネルギーにならない。
木津などはその点、球数が100球を超えても、全くスピードや球威が落ちなかったりする。
そういった面では彼も、充分にフィジカルモンスターの部類なのだ。
平良は普通にフィジカルはプロでも上位に入る。
そのフィジカルに上乗せした技術は、スライダーである。
右バッターにはもちろん、左バッターにも通用するスライダー。
鋭いボールは左バッターでも、バットの根元に食い込んで、強い打球にはならない。
内野ゴロでワンナウトとなり、残り二つのアウトである。
右の長距離砲に対しては、まさにスライダーが効果的だ。
ただしこれを逆に、見せ球に使っていってもいい。
迫水のリードは、間違いなく上達している。
ブルペンの画面でそれを見ている直史であるが、ほどよく育ってきたなと思う。
元々リード面では、悪いものではなかったのだ。
キャッチャーがしっかり育つか、というのが今のNPBでは重要なことだ。
バッティングだけを見て、外野などにコンバートしてしまうことはある。
キャッチャーの打撃力が、昔に比べてもどんどんと下がっている、という印象はある。
だがそれよりもキャッチャーに、より守備力が求められていると言えるだろう。
昔はそもそも、左バッターが一塁まで有利、ということは明らかであっても、普通に右利きが右打席に入っていた。
それが今では最初に、左バッターに矯正しようとする。
バッターどころかピッチャーさえも、本来は右利きなのに、ピッチングだけは左という例がある。
それとは別に、ファーストの守備の重要さがより上がったり、野球の戦術などはどんどん進歩しているのだ。
キャッチャーの適性も、むしろバッティングがそこそこの方が、徹底的にキャッチャーに育てやすい。
そんな中で迫水は、最初から打ててキャッチャーもやっている。
そもそも社会人まで、キャッチャーをやってきたというのが大きい。
今は高卒でキャッチャーなどを取ると、本当に途中でコンバートということが多いのだ。
むしろバッティングがよければ、キャッチャーとして及第点でも、他のポジションに移したりする。
そんな中で迫水は、本当に正捕手となっている。
大学から社会人を通して、そこからほぼ一年目からの主力。
これを比較的低い指名で取れたのが、レックスのこの三年の強さと言えるだろう。
同じチームから低い順位で取った選手が、二人もスタメンになっている。
社会人チームとは言え、本当に少ない事例であろう。
プロの世界とノンプロの社会人チームは、トップレベルの選手であると、もうそれほどの実力の違いはない。
ただノンプロの選手は、短期決戦をまだ身近に感じている。
都市対抗などは、一応敗者復活はあるものの、トーナメント戦となっている。
ここで勝負強さを発揮するのだ。
もっとも迫水だけではなく左右田も、本当ならもっと高い順位で指名されるのが、適当であったろうが。
最後にはボール球を振らせるという、クレバーなリードで相手を封じた。
一点差の勝負で、ちゃんとリリーフ陣が全て仕事をした。
これで次のライガース戦、心配なくリリーフ陣を使っていけるだろう。
もっとも首脳陣の考えとしては、一勝二敗でもいいぐらいに、ここの展開を考えている。
レギュラーシーズンの戦い方では、レックスの方が勝てていない。
だからこそポストシーズンのために、勝つための戦術を考えていかないといけない。
もちろんピッチャーのローテーションが、レギュラーシーズンとポストシーズンでは違う。
ただし勝ちパターンのリリーフ陣は、同じように使用していくだろう。
先発に関しては、またも直史に頼ることになるだろうが。
広島遠征が終り、次は神宮でのライガースとの対戦だ。
残り試合数を考えていかないといけない。
八月の試合を終えたら、九月は19試合が残るはずのレックスである。
比較的消化が予定通りで、変に終盤に試合が詰まることは、今のところなさそうだ。
こういうあたりドームのチームは、余裕があると言ってもいいだろう。
これからライガースとの三連戦を終えると、九月に残っているのは、ライガース戦が五試合。
そして相性が悪いカップスとの試合も、五試合が残ることになる。
優位に戦えそうな相手は、3チームとの九試合。
そう考えると案外、余裕などはないとも言える。
ライガースはまだ、レックスに追いつく可能性を残している。
直接対決を全勝すれば、それこそ追いつくであろう。
だが直史以外のピッチャーでも、ライガースにはそこそこ勝っているのだ。
ライガースはせっかく点を取っても、それ以上に取られることが多い。
ピッチャーの数字も、守備の指標も悪くないのに、どうしてそういうことになるのか。
おそらく原因は、大介が勝負を避けること、そしてライガースのピッチャーがあまり、敬遠をしないことにある。
少しぐらいは点を取られた方が、打線に火が点くと言われるライガース。
それが本当かどうかはともかく、確かにあまり敬遠などを使っていない。
シビアに勝利を目指すのではなく、自分たちのスタイルで勝利を目指す。
充分にそれで勝っているのだが、レックスの冷静な戦術が、それ以上に勝っているだけなのだ。
強いところの強い部分とは戦わず、弱いところから取りこぼさない。
もちろん数試合の誤差はあるが、143試合のシーズンでは、平均化されていく。
結局はレックスのやっている、地味な野球の方が強いということか。
もっともポストシーズンはピッチャーの力が必要、というのは昔からずっと言われていることである。
MLBなどは今シーズンは駄目だと判断すると、主力でもシーズンの中盤に、トレードで出してしまうことは多いのだ。
ライガースはここから、ポストシーズンに入るまでに、もう少し投手陣を安定させる必要があるだろう。
もっともレックスと違って、安定していないからこそ、先発が長く投げることもあるかもしれないが。
二年前は打線の不調もあったが、投手陣も疲労が蓄積していて、日本シリーズで負けたといっていい。
いくら打線が強くても、それ以上に点を取られては仕方がない。
多くのスポーツは攻撃以上に、守備が重視されるのは本当のことなのだ。
もっともライガースの守備が劣るのは、純粋な力量からではない。
戦術的にずっと、派手な勝負を挑んでいるからだ。
ピンチの場面でも、選手の将来のことを考えて、あえて勝負にいかせる。
そういったことを繰り返していくと、ポストシーズンでもしっかりと戦えるようになるはずだ。
レックスはレギュラーシーズンから、計算をして継投などを行っている。
しかしそのピンチをそもそも作らないというスタンスが、短期決戦でプレッシャーのかかるポストシーズンでは、どう作用することになるのか。
次のライガース戦のカード、直史は投げない。
そしてその暇でもって、直史は少し考えることがあった。
自分が考えるようなことではないのかもしれないが、本当に他に考えている人間がいるのか、と思ったからだ。
プロ野球全体の、世代交代のことである。
直史はもう42歳で、大介も同じ。
そして武史が41歳。
一応は武史の息子の司朗が、来年にはプロ入りする予定になっている。
大学で鍛えるか、という話も去年のこの時期にならばあった。
しかし今年の春には、もう長打力が一気に、上昇していたのだ。
今日決勝が行われた、夏の甲子園。
チームとしての結果はともかく、司朗は全試合でホームランを打っている。
一試合に二本のホームランを打った試合もあったため、その総数は昇馬と同じぐらいになっている。
しかもスラッガー、つまり強打者の昇馬と違い、ケースバッティングも出来る。
そういう好打者なので、本当に隙がない。
単純にプロに行くというだけなら、現時点で既に一軍のスタメンで通用する。
もっともシーズンのどこかで、一度ぐらいはスランプを経験するかもしれないが。
野手のスタープレイヤーは、確かにそれなりにいる。
だが42歳の大介の次が、39歳の悟というのは、明らかにタレント不足だろう。
司朗の場合は顔が美人の母親に似ているので、そういう点でも熱狂的なファンがいる。
レックスも当然のように獲得したい人材だ。
高校通算で100本近くのホームランを打っていて、しかもそのうちの30本以上が、三年の春以降。
通算本塁打など、相手のピッチャーのレベルもバラバラなので、あまり意味がないとも言われる。
しかし甲子園で見せた打力は、昇馬からもまともにヒットを打てたほど。
盗塁も九割がた成功させていたし、センターとしての守備範囲が広い。
レックスは現在、センターのみが守備特化と呼ばれている。
普通なら打てなくても仕方がない、キャッチャーやショートといったポジションに、打てる野手がいるのだ。
これでセンターにまで打てる選手が入れば、もう守備は完璧になる。
もっともセカンドの緒方は、さすがに苦しくなってきているが。
彼もまた、40歳にはなっているのだ。
今年のドラフトは競合承知で、どれだけのチームが司朗を指名するか、というところがポイントになってくるだろう。
大学や社会人にも、圧倒的なピッチャーというのがいないのだ。
一位指名を外した後の、外れ一位でもそれなりのピッチャーは取れる。
そう考えて球団が、どう動いていくのか。
もっとも直史からすると、司朗を指名しないのはありえないな、と思う。
純粋に一年の夏から甲子園のスターであり、女性ファンの獲得にも期待が出来る。
そしてさらに来年、昇馬がどういう選択をするのか。
おそらく大学に行くとすると、日本の大学には行かないだろう。
行ったとしてもそもそも、野球部には馴染まないはずだ。
直史や樋口もたいがいであったが、昇馬のメンタルは完全にアメリカ人に近い。
日本の指導者とは、決定的に合わないだろうな、と思っているからだ。
(まあ俺が考えることでもないんだろうけど)
昇馬が耳を貸す大人は、ほんの数人しかいない。
その中の一人であり、おそらく最も影響力が強いのは、大介ではなく直史であるのだ。
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