第328話 追いかける側

 追いかける側と追われる側、どちらが強いのか。

 スポーツにもよるが、野球のレギュラーシーズンの場合、時期にもよる。

 シーズン開幕から走ってしまうと、どこかで息切れをするように感じる。

 かといって差が開きすぎると、それもまたよくないのだが。

 今年のセの場合であると、レックスはずっとトップを走っていた。

 少しばかり差を縮められても、本当にずっとトップである。

 競馬で言うならスタートから先行逃げ切りと言うよりは、もはや大逃げに近い。

 そして本当に強い馬は、逃げるのだ。

 アルフィーもそうだったし、ミホノブルボンもそうだったのだから、おそらく間違いではない。


 カップスとの第三戦、レックスの先発は木津である。

(次は神宮でライガース相手に三連戦)

 それが終わればライガースは、ホームゲームが一気に多くなる。

(ナオさんも投げないしなあ) 

 ライガースも昨日は試合があり、しっかりと勝っている。


 まだまだレックスがリードしているどころか、この八月では差を大きくした。

 いや、まだ八月は終わっていないのだが。

 去年のパターンからしても、このまま続けばペナントレースは取れる。

 レックスはライガースとの直接対決では弱いが、他のチームに確実に勝ちこしていくからだ。

 ライガースは安定感がない。


 ピッチャーとしては考えるのは、自分のピッチング内容だけでいい。

 木津はずっとクビになるのを恐れていたので、まだチームのことまで考える余裕がない。

 ここまで7勝6敗であるが、この間の試合は序盤で崩れた。

 ネットのページで自分のピッチング成績の数字を確認する。

 今は本当に便利な時代になったものだ。


 ライガース戦に向けて、首脳陣は色々と考えているのだろう。

 カップス相手に一勝したので、最低限のノルマは達成したと考えているかもしれない。

 ベンチに入っていなかった木津は、昨日の平良の様子を、又聞きで聞いている。

 なんとも贅沢なことだな、という感想を抱いたものだ。

(高卒から二軍を少し経験して、二年目からはほぼクローザーだもんな)

 そう考える木津としては、一年目からリリーフの勝ちパターンに入っていた大平も、挫折が全く足りていないと思う。


 木津はその体格と、サウスポーという点を買われて、レックスにはあまりない育成枠で入団した。

 そして二年間、ずっと育成枠であったのだ。

 三年目に入って、このままだと育成の契約期間が終わるな、という時期に二軍で怪我人も出たために先発で使われる機会があった。

 リリーフでは気付かれにくかった、打たれても大量失点しないという特徴が、見事に花開いたのである。

(あれがあって、一軍に呼ばれて、そしてローテに定着して)

 おそらく今年も、ちゃんと年俸は上がるだろう。

 レックスの守備陣に助けられるといっても、木津はフライボールピッチャーだ。

 堅いと言われる内野の守備は、さほど彼を援護していない。


 フライを打たせるのが多いのと、あとは球速の割りに三振が多い。

 球速の出ない本格派、というのは意外といたりする。

 重要なのは球速ではなく、体感速度。

 そしていかに本当のストレートであるか、ということなのだ。




 木津は直史に、アドバイスを求めるタイプだ。

 しかし直史としては、木津のスタイルを変化させることは、完全に意味がないと思っている。

 スカウトしたのは鉄也なのだから、その目は確かであるはずだ。

 近いうちにレックスは、ドラフトが弱くなるかな、とも思っているが。

 鉄也のような人間は、なんというのだろう。

 育てるのが上手い名伯楽とも違う。

 とにかくその選手の、プロとしての資質を感じ取るのが、異常なまでに優れている。


 直史からすると木津は、とにかくストレートが生命線なのだ。

 バリエーションが重要と考える、直史のピッチング。

 だが世の中には、ボールの威力だけで勝負出来るピッチャーがいる。

 上杉や武史が分かりやすいが、木津もそういうタイプなのだ。

 ストレートの軌道が、明らかに他のピッチャーとは違う。

 言うなれば普通に投げているが、アンダースローで投げているようなものなのだ。


 130km/hの高めのストレートで、空振り三振が奪える。

 スピン量とスピン軸、またリリースポイントなどが、とにかくボールにホップ成分を与えているのだ。

 そのストレートを、正確にはスピンを、とにかく信じて投げるしかない。

 よくも鉄也といえど、これを育成で獲得したな、と直史は思うのだ。

 もっとも高校時代の自分は、こういうタイプに見えたのかもしれないが。


 直史は木津と違って、コントロールは抜群であった。

 また木津と違って、変化球のウイニングショットも持っていた。

 球種もずっと多く、それを上手く組み合わせていた。

 それなのになんとなく、同じものがあったのではと感じている。

 何が違うのかと考えれば、それは簡単なものである。

 球速以外で勝負する、というのが二人の最大の共通点であった。


 直史は大学時代に、楽をするために球速を上げた。

 単純に5km/hほども上げるだけで、相手の反応が全く違うものになるのが分かった。

 150km/h台というのは、確かにピッチングの幅が楽になった。

 普通のストレートが、そのままウイニングショットとして使えるのである。

 だが直史はその後、ストレートに変化をつけるようにした。

 スピン量を上げていって、平均よりもホップ成分をかなり高くしたのだ。


 木津の武器のストレートは、ホップ成分が高い。

 だからこそ三振も奪えるし、フライのアウトが増える。

 直史は基本的に、三振を奪うためにストレートを投げる。

 すると最悪でも、浅い外野フライに打ち取れたものだ。

 駆け引きを間違えない限りは、おおよその結果が分かっていた。


 木津がここからバリエーションを増やすには、果たしてどうしたらいいのか。

 それはもうあれを使うしかないだろう。

 球種自体はカーブとフォーク、緩急に落ちる球、そしてそれなりに曲がるスライダーがある。

 しかしそこに、チェンジアップを加えるのだ。

「前にも言ったかもしれないが、オフシーズンの課題だな」

 とりあえずこの試合は、今の実力でどうにかするしかない。


 直史はフィジカルモンスターが、フィジカルだけでやるスポーツが嫌いなのである。

 陸上競技などならば、100m走よりも中距離から長距離を好む。

 だからといってのんべんだらりと、マラソンなどを見ることもないのだが。

「今すぐ出来ることといったら、バッターとの駆け引きだな」

「駆け引き!」

「けれどそういうのは、経験を積んでいかないと」

 あとは迫水にリードを任せるのだ。


 キャッチャーにどれだけリードを任せていいのか。

 直史はもうカップス戦でも、九割がた迫水のサインには頷いている。

 ただし大介と対決する時には、全てを自分で組み立てる。

 ただスルーがすっぽ抜けてしまった場合、どうなるのかは分からないが。

 ともかくアドバイスはするが、ピッチャーはマウンドの上で孤高の存在だ。

 そこにおいてはパワーや技術もであるが、腕を全力で振るメンタルが重要になってくる。

「コントロールをつけようとして、スピンを落としたら終りだな」

 直史の実践的なアドバイスとしては、これぐらいが最大なのである。




 直史は次に生まれて、また野球をやらなければいけないとしたら、やはり先発ピッチャーをやるだろう。

 他の選手が週に六試合働いている中、先発ローテはたったの一試合。

 なんという労働時間の違いであろうか!

 もちろんピッチャーの運動強度は、他のポジションの比ではない。

 しかし自分でコンディションを調整出来る限りは、やはり先発が一番楽だ。

 直史の場合は、実績がそれを許していた、ということもあるのだが。


 昨日の日中は姿を消していた直史だが、今日はしっかりと練習を横目で見ている。

 理由は分かっている。昨日は甲子園で母校の試合が行われ、今日はそれがない休養日だからだ。

 なんとも自由すぎる特別扱いであるが、それも実績があるから。

 集団行動意を思いっきり乱してはいるが、それも実績があるから。

 実績があれば全てが許されるわけではないが、直史は周りに迷惑をかけるタイプの自由なことはしていない。

 充分に迷惑かもしれないが、それ以上の話が野球界にはいくらでもあるのだ。


 少なくとも直史は、レギュラーシーズン中もポストシーズン中も、キャンプ中も酒は飲まない。

 コンディション調整には万全を期している。

 そして今日の木津はその直史から、アドバイスを一応もらっている。

 今日すぐに役に立つことではないが、それによって心理的な余裕が出来た。

 それが一番大きかったかもしれない。


 球速は出ないのだ。

 体格は立派であるし、筋力自体はあるのだ。

 またスピンがかかるということは、指先のスピードもあるのだ。

 ならば球速も出るはずなのに、それが出ていない。

 ただキャッチャーからは確かに、伸びがあるとは言われる。

 意外と捕りにくいストレートであると、そのスピードの割には称されるのだ。


 敵地での試合ということで、まずはレックスの攻撃から始まる。

 ここで先制点を取ってくれれば、とてもありがたいのが先発ピッチャーである。

 しかしそう上手くいかないのは、カップスのスコアが物語っている。

 とりあえず一巡目は点を取られないように。

 それを考えているかのようなカップスは、リリーフ陣が強い。

 なんなら先発を三回で交代、ということも頻繁にやるのだ。


 ピッチャーは調子の悪い日は、どうしようもない場合がある。

 我慢強く投げていれば、肩が暖まるということもなくはない。

 しかしカップスはそこの、継投の判断が早い。

「このガンガンリリーフを入れていくのが、上手いピッチャーの育成につながってるんだろうな」

「まあそうなんだろうけど、うちは先発がたいてい、五回までは投げてくれるからなあ」

 そんなことをブルペンで、豊田と一緒に話していたりする。


 レックスの先発は、本当にどうにかこうにか、五回ぐらいまでは投げるのだ。

 そもそも六回まで投げることの出来るピッチャーが、とても多いと言っていいだろう。

 実はクオリティスタート率は、12球団でナンバーワンであったりする。

 だからこそそこからの、継投が重要になってくる。

 たまにリードせずに終盤に入るほうが、リリーフを休ませることが出来ていい。

 そこで次のピッチャーを、引き分けやビハインド展開で使い、試合経験を積ませる。

 もっとも同点の状態はともかく、ビハインド展開で若手に投げさせるのは、モチベーションの低下があるとも言われている。




 この日の木津のモチベーションは、高かったとは言いがたい。

 直史からはしっかりと駄目出しを受けていたからだ。

 ただしそのため、何に集中すればいいのか、それははっきりしていた。

 ストレートにスピンをかける、というものである。


 普段はとりあえず、ゾーンの中にさえ入っていればそれでいい。

(いざという時にだけでも、インハイとアウトローに投げられるコントロールがあればなあ)

 そう思いながらも、迫水は主に球種だけで、上手く木津をリードしていた。

 今の木津に頼むコントロールは、たったの一つだけである。

 高めのストレートだ。

 それもストライクではなく、別にボール球でもいい。

 だが確実に、真ん中より高めの、本来なら打ちやすそうなストレートを投げるのである。


 この本来なら簡単に打たれる、というストレートが木津のウイニングショットになるよう、迫水は計算している。

 もっとも高めのストレートで決めるというのは、直史も多用していることである。

 ゴロを打たせたり、スローカーブで空振りを取るために目立たないが、高めのストレートで三振が奪える。

 今はそういう時代なのだ。

 なぜならば、フライボール革命によって、アッパースイング気味のバッターが多くなったからだ。


 本来は純粋にレベルスイングをすれば、角度で上手くホームランになる。

 大介などは確実に、それでホームランを打っているのだ。

 しかしアッパースイングは、本来の落ちてくるボールの軌道には重なるようになっている。

 だからスイングスピードさえあれば、アッパースイングは正しい。

 ただしそのスイングの軌道を考えれば、高めにはもう一度、バットを上げる必要がある。


 このため高めのストレートは、ホームランバッターよりも、アベレージバッターの方が、上手く打ってきたりする。

 だからアベレージを求めるタイプの、カップス打線とは本来相性が悪い。

 それでもストレートを高めに投げなければ、木津のピッチングのバリエーションは狭くなりすぎる。

(重要なのは一点や二点取られても、ストレートを全力で投げ込んでこれるか)

 リードというのはあくまで、結果でその正否が判断される。

 ただその結果というのは、その一試合だけではなく、シーズンを通した数字を見て、良否を判断すべきなのだ。


 木津もまたフライを打たせて、しっかりとアウトを取っていく。

 ランナーを出して初回から四番との勝負となるが、ここでも打たせたストレートはセンターフライ。

 レックスのセンターは守備特化型であり、特に守備範囲の広さでは定評がある。

 あまりに追いつくのが早いので、本来ならヒットになるはずの打球が、エラーと記録されることもあるのだ。


 木津の今日の調子はいい。

 いや、木津は本来、あまり調子の波が大きくないタイプではあるのだが。

 重要なのは相手や、そしてベンチがそれをどう判断するかだ。

 カップスは今、レックスにとってもライガースにとっても、なかなか勝ち越しが難しい相手となっている。

 そういう相手であるからこそ、かなり今のピッチャーの平均から逸脱している、木津の方が向いていたりもする。

 去年のシーズン終盤、強打のライガースを相手に、木津が勝てた理由。

 それはパワーピッチャーではあるが、球速で勝負するタイプではない、というあたりに理由があるのだろう。




 今日の試合の注目点は、木津の出来にはない。

 正直に言ってしまえば、木津が抑えられなくても、それほど問題ないと首脳陣は考えていた。

 重要なのはもっと、試合の〆にかかるところである。

 つまり、もしも平良に出番があった場合、昨日を引きずらずに投げられるか、ということだ。


 あれは運が悪かったのだ、と運のせいにしてしまってもいい。

 実際にライン際でなければ、あれは長打などにはならなかったのだ。

 また最初のエラーについては、平良は守備陣を責めていない。

 問題になったのは、自分のフォアボールにあることも、おそらく内心では分かっていたのだ。


 ちゃんとツーアウトまで取ったところは、平良の立派なところである。

 そしてツーアウトであったからこそ、ランナーはスタートを切れたのだ。

 あれがワンナウトなどであったら、二塁ランナーはともかく一塁ランナーは、ホームにまでは到達しなかったであろう。

 そういった都合の悪かったところで、ちゃんと自分のメンタルをコントロール出来ているか。


 レックスの守護神のように思われているが、まだ20代前半の若手なのである。

 ただクローザーというものを経験して、一度そこで潰れてしまえば、下手をするとイップスになる可能性すらある。

 クローザーというポジションは、それだけ厳しいものなのだ。

 直史は自分は失敗していないが、クローザーの責任の重さは充分に体験している。


 なんならカップス戦では出番がなく、次のカードに持っていくか。

 ただその次のカードというのは、なんとライガース戦なのだ。

 首位攻防とは言いつつも、まだまだリードはしている状況。

 しかしここでカード全敗などをしたら、明らかに向こうに勢いをつけるだろう。

 もっともそれすらも、さほど重要なことではない。

 とにかく重要なのは、クローザーという一人しかいないポジションを、平良がちゃんと果たせるかどうか。

 そもそも今年はこれまで、上手くいきすぎていたということはある。

 だがその調子の良さによって、平良はより調子の波に乗った、とも言えるのだ。


 この試合の展開によって、平良の出番があるかどうか。

 そして出番があった時に、しっかりとクローザーを果たせるかどうか。

 もしも出番がなかった時に、ライガース相手にどう投げることが出来るのか。

 レックスベンチが気にしているのは、実はそこなのである。

 クローザーのいないチームは、常に逆転の危険に晒される。

 さすがに今の直史では、もう昔のようにクローザーをするほど、体が若くもないのだ。


 木津はカップスを、六回三失点で抑えた。

 立派なクオリティスタートである。

 そしてレックス打線は、なんと四点を取っていた。

 これでリードした状況のまま、試合は終盤に入っていく。

 七回はもちろん、準備していた国吉にいってもらう。

 復帰してからこちら、リリーフ失敗のない国吉。

 正直なところ、こちらの方も本来は、心配するべき状態であるはずなのだが。


 七回の裏、国吉が出て行く。

 ここで少し、考える余地がある。

 左が多い場面が最後に回るなら、大平をクローザーとして使う、という方法もあるからだ。 

 しかし今日はそういうことはなく、とにかく平良の状況を確認したい。

 八回の表も終了し、スコアはまだ4-3のまま。

 この緊張したスコアのままで、大平が八回のマウンドに立つのであった。

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