第326話 愛されるチーム
気のせいだろうと思うが、八月の広島は強い、と言われることがある。
原爆投下から終戦までの流れで、広島に一種独特の雰囲気が訪れるからだ。
何年前の話なのだ、などと直史は思わない。
彼は保守的な人間なので、先祖の受けてきた行為を語り継ぐのは重要と考えているからだ。
広島原爆、東京大空襲、長崎原爆。
人類が一度の戦闘行為で、民間人を虐殺した中のトップ3である。
「しかしアメリカとの同盟自体は守るべきである」
メジャーリーグの精神など全く尊重しない直史の言葉なので、かなり屈折したものはあるのかもしれない。
そんな広島において、カップスとの三連戦。
その第一戦が直史の先発であり、カップスはこの試合自体は落とすことを覚悟している。
変に期待するから、ダメージは大きいのだ。
今年のカップスはこの数年の育成が、ようやく充実しつつある。
あと二年か三年、直史と大介、そして武史が引退したあたりで、一気にクライマックスシリーズ進出からの日本一を目指す。
カップスは正直なところ、資金力が充実したチームではない。
だから何年かかけて育成を行い、それが上手く充実した時に優勝を狙いにいく。
そういうチームであるからこそ、長く地元の愛を受けられる。
丁度お盆時であるため、スタジアムは満員であった。
実は平均観客動員数では、レックスよりも上回るカップス。
やはり直史の登板する試合だけ、神宮を埋めてもどうにもならないのだ。
もっともほとんどずっと満員の、ライガースには負ける。
大介が入団してメジャーに行くまで、その動員数は12球団で圧倒的であった。
上杉のいたスターズでさえ、そこまでの人気はない。
やはりライガースが元から、大阪を中心とした大人気球団ということがある。
それに上杉はたまにクローザーもするが、基本はローテーションピッチャーだったのだ。
そのくせ余裕があってベンチメンバーに入っていれば、本当にクローザーで出てきたりする。
びっくりどっきりメカのような存在で、それでもライガースには及ばなかったのだ。
カップスは地元人気が強烈である。
また広島から他へ引っ越しても、ずっとカップスが好きであったりする。
もう魂を構成する、要素の中の一部分。
生まれた時から当然のように、心に寄り添っている存在。
はだしのゲンでも描かれているように、本当に戦後復興の象徴であったらしい。
そのくせ何度も消滅の危機には陥っているのだが。
ただ現在は、大株主はいても親会社はいない球団。
ちゃんとこれだけで利益を出している、立派な存在である。
かつてのプロ野球というのは、親会社が宣伝のため、見栄のために持っているというところもあった。
だが現在は放映権などでちゃんと収入も確保して、リーグ間の人気の差も少ない。
水島新司のマンガを色々と読めば、昭和後期のリーグ間格差はえげつないものがあったと分かるだろう。
人気のセ、実力のパなどと呼ばれたぐらいには。
カップスは今、確かに強くなりつつある。
それは様々なデータを見て、直史が理解しているところだ。
あとは運がある程度関係する。
カップスはドラフトが強い、と言われることがある。
上位指名はもちろん、下位指名から出てくる選手もそれなりにいる、ということだ。
ただ下手に人気があるだけの選手、などは指名してこない。
しているのかもしれないが、そもそも直史は全くプロ志望をしたことがないので、詳しいことを知らないのだ。
武史だけではなくそのあたりの誰に尋ねても、おおよそ知っていることであろうに。
カップスのスカウトが下位指名でいい素材を取ってくる、というのは確かであろう。
だがそこから選手が出てくるというのは、育成の力も関係してくる。
あとカップスは、最近はトレードをそこそこしている。
ドラフトからの育成が主流の中、トレードが多いというのは、選手の見極めをしっかりしているということなのか。
ともあれ直史の意識に残っているドラフトなど、上杉に10球団が群がったドラフトや、大介に11球団が群がったドラフトの記憶が深い。
樋口や武史にも、相当の球団が集中していた。
一位指名を当たり前に見てきた直史には、感覚のずれたところがある。
現実主義者であり、野球以外の世界も経験している直史。
だからこそ逆に、野球界では当たり前のことに、気付いていなかったりする。
それが逆にいい結果を生んだりもするのだが。
ドラフトにおけるスカウトの役割の大きさは、直史もよく知っている。
鉄也から聞いた話によると、カップスのスカウトには情熱的な人間が多いらしい。
そして情熱と根性、そのあたりの精神性を重視しているのだとか。
なるほど主力ではなくとも、準主力で上手く使われる、そういう選手が多いということか。
中心となる選手がいない代わりに、故障が出てもすぐにフォロー出来る。
チーム全体が有機的に動いているようで、変に力の偏りがない。
そこがカップスの強さなのか、となんとなくは認識している。
相手の強さを認めること。
即ち相手の力量を認めることである。
ここが素直な人間は、だいたいどんなスポーツでも強い。
ただ相手ではなく、自分自身との戦いになるスポーツも、世の中にはある。
既に直史にとってピッチングというのは、基本的に自分との戦いだ。
どれだけちゃんと準備をしているか、その準備が想定とどれだけずれているか。
ミリ単位のズレというのは、直史にもあるものなのだ。
それをどうやって修正していくのか、それが直史にとってのピッチングである。
相手に打たれるかどうかというのは、もちろん駆け引きはあるが、あくまで結果でしかない。
駆け引きで考えたボールを、しっかり投げられるかどうか。
直史はそう考えてプレイしているのだ。
何をどうしても崩れない。
直史と対決するチームのバッターは、その秘密がどういうものなのか、必死で考える。
他にも上杉のような、とんでもない圧迫感を感じるようなピッチャーもいた。
マウンドの上から、気迫で投げてくるピッチャーなのだ。
それと比べると直史は、冷徹なマシーンのようだ、などと評される。
しかし多くの選手にとっては、機械の方がよほどブレがある、と感じるのだ。
そして直史のピッチングの特徴は、最善手を打ってくることがほぼないというものだ。
インハイの後にアウトローという組み合わせは、配球の黄金律のようなものである。
だが直史はこういう、分かっていても打てないという配球を、なかなかしてこないのだ。
逆にどうでもいい場面で、その分かっていても打てない配球を使い、その通りに打ち取ったりもする。
心理的な駆け引きの問題である。
そしてこういった駆け引きは、絶対的なコントロールを持っていなければ、とても出来るものではない。
インハイに投げて、しっかりと腰を引かせる。
しかし多くのピッチャーは、甘いインコースになってしまうことが多い。
ぶつけてしまうのを恐れるのは、実は日本人の特徴である。
MLBでは当ててしまっても、わざとでないのだから謝らないのだ。
道徳律というものが、日本とアメリカは違う。
もっとも日本と海外は違うし、日本人にもクズはいる。
直史はそういうところとは全く別に、ただ投げられる技術を持っているだけである。
それはメンタルのコントロールもそうだ。
インハイのボールなど、バッターが立っていなければ、多くのピッチャーは普通に投げられる。
それが投げられなくなるのは、完全に精神的な問題であろう。
メンタルのコントロールで、ピッチングは決まる。
大介は意識していないが、バッティングにもメンタルは重要だ。
どちらも力の入れすぎが、ミスにつながる。
プレッシャーがかかればかかるほど、むしろパフォーマンスを上げる大介。
昔はそれに正面から当たることもあったが、今では気力が続かない。
脳が糖分を盛大に使って、試合中に補給することもある。
あの領域にはもう、届かないであろう。
そもそも寿命を縮めるような、脳の使い方と言えるであろうからだ。
直史は今日も、普通に投げていた。
カップスは確かに、ここ最近の調子がいい。
だからこそこの第一戦を、しっかりと取っておく必要がある。
続く二戦目と三戦目は、百目鬼と木津が先発である。
そして木津は前回のスターズ戦、かなり早めに崩れてしまった。
木津のようなピッチャーは、メンタルが折れたら終りである。
あの遅いストレートを信じて、どれだけ投げられるかが問題なのだ。
直史のストレートはなんだかんだ言いながら、150km/h近くは普通に出る。
しかし下手にスピードを出したら、むしろ危険であるという木津は、今後も考えていかないといけない。
崩れた後の最初の試合、果たしてどう投げられるのか。
球速という分かりやすい欠点のある木津は、切られやすいのも確かだろう。
むしろこの個性が、今のプロ野球では貴重だと、直史などは思うのだが。
カップスは確かに、着実に強くなっていた。
しかし直史のボールを打っても、まともなヒットにならない。
全く打てないというわけではないのだが、狙っていっても逆に空振りする。
そして打たされたボールが、内野の上に落ちてくる。
魔法使いと呼ばれるように、少ない球数でアウトが増えていく。
ランナーが出なければ、何も手を打つことが出来ない。
バントヒットを狙っていっても、ピッチャーの守備範囲だと直史が処理してしまう。
フィールディングの上手さこそ、直史の技術の一つだ。
とにかくボールのスピード以外の、総合力が高すぎる。
そしてストレートが150km/hに満たなくても、空振り三振などは奪ってくる。
平然とアウトカウントを積み重ねて、淡々と試合を進めていく。
ゲームが動かないので、レックスの攻撃においても、援護があまり入らないと言うか。
ピッチャーが出来るのは、ピッチングだけである。
だが直史が投げると、試合自体が停滞することがある。
カップスは今年、唯一直史に勝てない試合を与えたチームでもある。
あのあたりから今のカップスの兆候は、出始めていたのかもしれない。
たださすがに、今日も完封というわけにはいかないらしい。
レックスもセットプレイで、点を取ってくるチームだ。
直史はわずかなチャンスも与えないが、レックスの打線はカップスのピッチャーからなら、それなりにチャンスを作り出す。
そしてそこで、ほんのわずかなチャンスを広げて、点を取っていく。
七回までを終えて、2-0というスコア。
直史が出したランナーは、エラーによる一人だけであった。
ここで交代してくれたほうが、まだしも勝機はある。
カップスはそう思っているが、この真夏のナイターにおいて、直史は軽く汗ばむほどしか投げていない。
70球に満たない球数であれば、交代などするはずもない。
リリーフ陣を休ませれば、残りの二試合も勝ってくれるだろう。
直史のピッチングには、明確な意図がある。
ただそれはあまりにも、バッターという存在を無視したものだ。
それでも打てるものではないのだが。
カップスはゴロを打ってくるのを、意図的に行っている。
今のトレンドに対して、明らかに反している戦術だ。
しかしそれによってイレギュラーで、エラーのランナーが一人出たのだ。
もっともそれが分かっていても、直史は三振を奪いにいこうとはしない。
ゴロを打つなら、内野に任せる。
直史の守備範囲を考えれば、一二塁間と三遊間が、より小さくまとめられるのだ。
二遊間は少し開いていても、直史自身がキャッチしてしまう。
ピッチャー返しはバッティングの基本。
それもまた事実なのだろうが、直史は体重が軽いので、体の切り返しが速い。
するとゴロの処理も上手い、ということになる。
外野にボールが飛んでいかない、なんとも奇妙で不気味な試合。
地元の応援を背にバッターボックスに立っても、その背中を伝うのは冷や汗である。
なぜこんなにも打てないのか。
もちろんコントロール、球種、コンビネーション、駆け引きと色々な理由はあるだろう。
それでも何かに絞ってしまえば、一試合に数度は打ててもおかしくない。
ストレートかカーブに絞ってしまえば。
しかしそう考えると、まるで心を読んだかのように、他の球種を使ってくるのだ。
追い込まれてしまったところに、待っていた球種が来たりもする。
だがそれでは、もうタイミングが合わなくなっているのだ。
カップスの強さを不気味だと言う。
しかしそれよりもよほど、直史のピッチングの方が、人間離れしているのではないか。
ただし投げている直史自身は、そうは思わない。
リーグには年に数度、完封をするようなピッチャーは数人いる。
その内容を見てみれば、直史のやっていることと、おおよそ近いものであるのだ。
バリエーションの豊富さが、ピッチャーの力量であると、直史は思っている。
結局上杉も武史も、それなりに打たれることはあったのだ。
自分が大介に打たれて負けたのは、ストレートであった。
空振りが取れると思って投げて、結局は打たれている。
力に頼りすぎたのだ。
そこまでに布石を打っていたと思っても、まだその時ではなかったのだ。
勝敗だけにこだわるのか、それとも勝負にこだわるのか。
そこは難しい問題である。
野球は集団競技であるが、個人と個人の対決の場面が多すぎる。
特にピッチャーとバッターの場面は、キャッチャーのリードや守備の堅実さもあるが、ピッチャーのピッチングに大きな比重がある。
そう考えるとやはり、野球はピッチャーのスポーツだ。
どれだけピッチャーを揃えられるかで、そのチームの強さは決まってくる。
先発に優れたピッチャーを揃えるのは、ある程度の限界がある。
だからリリーフを、鉄壁のものとするのだ。
先発がいつもリードして終盤に持ってきたら、むしろリリーフへの負荷が大きくなりすぎる。
ある程度は負けていた方が、リリーフをいいコンディションで使える。
そのあたりの限界が、七割の勝率ではないだろうか。
直史が知っている、一番ピッチャーが揃っていたのは、二年目のレックスであった。
武史がいたし、金原に佐竹、古沢に青砥といったあたりが先発を投げていた。
勝ちパターンのリリーフには、豊田、利根、鴨池の三人。
また微妙な展開では、星が37試合も登板していたものだ。
あのシーズンの勝率が、72.7%である。
104勝のうち直史が、27勝していた。
MLBでは樋口がリードした二年目が、一番の勝率であった。
なにせ75.9%であったのだから、常軌を逸した数字と言えるであろう。
もっともそれでもこのシーズン、アナハイムはワールドシリーズで破れている。
三年目は途中でメトロズに移籍したし、四年目と五年目はさすがに、そこまでの数字は残せなかった。
ただそれはチームとしての話で、直史はクローザーをした三年目以外、四年間を30勝以上している。
ポストシーズンを含めれば40勝近くに達したシーズンもあったのだ。
それだけ投げたのだから、故障したといっても普通に信じられた。
もっとも肘を確かに痛めたが、投げられないほどではなく、だから引退試合などを挙行したのだが。
実際にメスを入れることなく、今は復帰している。
ただ現在は肩はともかく、肘はさっさとトミージョン、が一般的なのだ。
武史の場合はネズミなので、靭帯とは関係ない。
ゴロを打つというカップスの戦略は、間違ってはいなかったのかもしれない。
実際に二つ目のエラーが出るぐらいには、しっかりとゴロを打てていたのだから。
ただ強襲ヒットではないのか、という疑問も出る当たりであった。
それでもこの試合、出たのはエラーのランナー二人だけであった。
2-0でのノーヒットノーラン。
球数は87球という、当たり前のようなマダックス。
調子が良くなっていたカップスに、冷水をかぶせるようなピッチング。
直史としてはこれで、チームに勢いがついてくれればいい。
カップスをあまり叩きすぎても、それはそれで問題なのである。
レックスが本当に重視するべきは、ライガースとの差であるのだから。
そのライガースは甲子園が使えないので、アウェイでのスターズ戦。
武史が離脱して以降のスターズは、どうにも調子が上がらないようになっている。
不思議な話なのである。
上杉は最後の年こそ20勝したが、それまでに二年間は、どうにか二桁という数字にまで落ちていた。
それでもスターズはチームとして、Aクラスをずっと維持していた。
エースの存在ではなく、カリスマの存在によって、チームは強かったとうわけか。
ただ去年は武史が、20個も貯金を作ったのでAクラスに入ったわけだ。
このカップス戦が終われば、次はまたライガース戦である。
ホームの神宮で戦うが、直史のローテはない。
全敗してもまだ、ライガースに追い付かれることはない。
しかし夏が終われば、甲子園でのライガースの試合が多くなるのだ。
去年のライガースは、九月の成績が18勝7敗。
レックスは14勝11敗であった。
今の状況は、楽観出来るものではない。
神宮での試合で勝って、あとは他のチームとの、直接対決以外をどう戦うか。
ピッチャーが重要であるのに、直史以外で勝つことが、かなり難しい。
今年は百目鬼や木津が勝っている他、終盤に追いつかれたりして、リリーフに勝ち星がついたりしている。
果たしてラストスパートがどうなるのか。
少しでも差をつけておきたい、レックスなのであった。
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