第325話 ピッチャーの特性

 ピッチングを極めた者、と直史は評される。

 これには違和感しかないので、本人としては否定するしかない。

 投神などと呼ばれても、悪魔と取引した男と呼ばれても、本人は全く驕ることがない。

 そこだけは本当に聖人っぽいが、度を超えて慎重なだけである。

 たとえば明日、世界秩序が崩壊したとする。

 その時に野球の技術は全く何も役に立たない。

 野球で鍛えている肉体は、それなりに役に立つかもしれないが。


 野球界を俯瞰的に見ている。

 この視点だけは、他の人間にはないことかな、と直史は思う。

 だから今ならば、ある程度は上杉と、野球の話が出来るかもしれない。

 もっともピッチャーとしてのタイプも、野球への取り組み方も、全く違ったので断言のしようがない。

 それはそうだろう。

 この世界に断言できることなど、本当にごくわずかしかないのだから。


 オーガスのピッチングに関しては、おそらく問題はない。

 なので問題なのは、レックスの打線陣だ。

 いざという時のセットプレイが、第二戦では機能しなかった。

 おそらく第一戦、四点を取っても負けたので、それ以上を狙ってしまったのだろう。

 だが三島の力を考えれば、四点もあれば充分なはずである。

(何を焦ったんだか)

 直史はそう思うが、首脳陣批判も打線批判も、どちらも行うことはない。


 人間だから間違えることはある。

 間違えなくても上手く噛み合わないことはある。

 色々とミスをしたと思っていても、実際のところは運が悪かったことが重なっただけ、というのもよくあることだ。

 野球はそういうスポーツなのである。

(問題はどう修正していくかだな)

 三連敗は避けたいだろうが、変に意識すると硬くなる。

 するとよりミスが出るのが、野球というものであるのだ。


 ただレックスは既に、もっと厳しい場面を何度も体験している。

 いかに流れが悪くても、ポストシーズンの試合に比べれば、どうということもない。

 そう切り替えられる選手が、果たしてスタメンで何人いるか。

(絶望の三連敗をして、敵地でカップス戦は嫌だな)

 先発の直史であるが、最近妙に調子のいいカップスに、あちらのホームで投げるのは流れが悪い。


 日本で一番過激なのは、ライガースファンである。

 おとなしい日本のスポーツファンの中で、唯一フーリガンとまで言える存在を、少数ながら含んでいるのがライガースだ。

 大阪では縦縞ユニフォームであれば、多くのことが許されてしまう。

 レックスもホームならば、縦に線が入っているのだが。

 ライガースの縞模様と違い、レックスの縦線は謎である。

 それはともかく、日本で一番愛があるのがカップスファンだと言われている。

 戦後期から今まで、多くの試練を乗り越えてきた市民球団。

 もちろん実際には、ほぼスポンサーと呼べる企業もあるのだが。

 とにかくそちらと戦うのは、やや注意が必要だ。




 フェニックスに三連敗など許されない、と考えるのは傲慢であろう。

 確かに今年、一度も全勝のカードがないフェニックスである。

 ただ10連敗などのような、極端な連敗もなんとか防いでいる。

 当たり前だと思われるかもしれないが、それはレックスやライガースの強さに慣れたファンである。

 レックスも直史の復帰前に、10連敗ほどまでではないが、それなりに長い連敗をしている。


 なんだかもう直史が、連敗ストッパー扱いされているような気もする。

 しかし単純に直史が、負けないのは事実である。

 もっとも勝てなかった試合もあるし、海の向こうの戦跡まで含めれば、しっかりと負けているのだ。

 そんな唯一の例外を出してどうする、と言われるかもしれないが。

 とにかく野球に絶対はないのである。


 オーガスとしてはあまり緊張感がない。

 いや、ほどほどの集中力はあるので、変なプレッシャーはないと言うべきか。

 プロ野球というのはNPBもMLBも、一試合や二試合だけで、そのシーズンの流れが決まってしまうことはない。

 流れが変わっても、また変わるのだ。

 深刻に考えすぎることが一番よくない。

 どれだけショックな負け方をしても、またすぐに次の試合がある。

 タフでなければ生きていけないのがプロ野球の世界なのだ。


 これだけ多くの試合を行うスポーツが、世界に他にあるだろうか。

 試合の規模の大小を除けば、それぞれの国を渡って行うスポーツなどは、けっこう大変であるかもしれない。

 テニスやゴルフなどは、世界の各地で試合が行われる。

 テニスはアメリカ、イギリス、フランス、オーストラリアの四カ国の四大大会が、四つの国で行われる。

 ゴルフの場合も四大メジャーと呼ばれる大会があるが、そのうちの三つはアメリカで行われる。


 南半球のオーストラリアでは、季節が反転しているので、テニスはシーズンオフがないと言ってもいいだろうか。

 もっともゴルフにしても、アジアや中東では大きな試合が、普通に冬場に行われる。

 そもそもアメリカやヨーロッパのツアーは、実際にはアメリカやヨーロッパだけではなく、世界中で行われているのだ。

 休もうと思えば休めるが、試合は世界中のどこにでもある。

 しかし年中大会に出続けるというのも、それはそれで無理ではあるのだろうし、実際に賞金やポイントを計算して、出る大会を選んでいるのがトップ選手である。


 やはり集団競技とは、比べることは出来ないだろう。

 アメリカの四大スポーツの中では、アメリカンフットボールが一番、試合数は少ない。

 そもそもぶつかり合うスポーツなのだから、体へのダメージが蓄積するのだろう。

 実際にアメフトのプロ選手の寿命は、平均よりも10年も短いと言われている。

 また選手寿命についても、一番短いと言われている。


 NHLとNBAは年間でレギュラーシーズンが82試合。

 これに比べてもMLBの162試合は、ほぼ倍ほどもある。

 逆に言えば野球というスポーツは、ピッチャー以外はそれほどの運動強度がない。

 攻守がしっかりと交代するので、そこでしっかりと休めるからだろう。

 アメフトの場合はそもそも、ボクシングと同じように考える必要がある。

 脳や関節などへのダメージが大きく、それが寿命を縮めるのだ。




 野球選手はそれに比べれば、選手寿命などは長い。

 NBAで40歳の選手などほとんどいないが、MLBならまだ少しいる。

 NHLはよく知らないので調べてくれ。

 まあ年齢を重ねても出来るプロスポーツとしては、ゴルフが一番選手寿命が長いであろう。

 ジャック・二クラス(二クラウスとも)はメジャー大会を46歳で制している。

 ……あれ? 41歳で沢村賞を取っていたり、三冠王を取っていたりする野球選手がいますね。

 ……まあそれはともかく、野球は比較的長く、選手寿命のあるスポーツだ。

 ゴルフなどはそれこそ、お年寄りも子供も一緒にしているので、そのあたりは交流の深いスポーツであるのだろうが。


 オーガスはもうNPBに骨を埋めるつもりでいる。

 あと三年経過すれば、外国人枠ではなく、日本人枠で契約できるようにもなるのだ。

 レックスとしてはそれ以前に、他のチームに行かれてしまうかもしれない。

 だが年俸以外での色々な便宜は、かなり図っているフロントである。


 かなり日本語も喋れるようになったオーガスだが、やはり東京が一番便利だとは感じている。

 そして髭を生やしているため、タイタンズに移籍するのはちょっと抵抗がある。

 意外とスターズなどは、そのあたりはいいのかもしれない。

 しかし守備がしっかりとしていて、キャッチャーが安定していて、変な選手があまりいないレックスは、彼にとっても居心地のいいものだ。

 特に直史などはMLB経験もあるため、長く投げる方法なども質問したら教えてくれる。

 その技術が可能かどうか、はまた別の話であるが。


 オーガスはそういったあたりから、しっかりレックスに愛着を感じているのだ。

 ワールドシリーズで四回優勝しているピッチャーが、それよりも日本一になることに執着している。

 実際に今、世界で一番のピッチャーと、世界で一番のバッターが、このNPBというリーグにいる。

 生い立ちや立場から、オーガスはどうしても、日本のピッチャーとは違うメンタルを持ってしまう。

 この場合はそれが、いい方に働いてくれるのだが。


 試合が始まると、しっかりと一回の表を抑えてくれる。

 この初回の守備で、レックスの選手たちの雰囲気が、少し変わった。

 西海岸育ちのオーガスは、基本的には陽気な人間だ。

 そしてアメリカ人の特徴として、野球に変な緊張感を持ち込まない。

 もちろんプロスポーツ選手として、適度の責任感は持っている。

 だが野球を道にまでしてしまったような、日本の価値観は持っていないのだ。


 この極端なまでの緊張感や求道心は、多くの場合プレッシャーとなって選手を潰してきた。

 昔は日本で強い選手も、海外ではてんで勝てないと言われたが、それも21世紀ぐらいからは徐々に変化している。

 野球などは特に、野茂英雄の役割が巨大すぎる。

 日本人メジャーリーガーは過去にもいたが、NPBのトッププレイヤーがメジャーに挑戦し、そして結果を残したのだ。

 直史も大介も、その点では自分たちより偉い、と別格扱いで考えている。

 まああんたらが言うのなら、と他の選手も納得せざるをえない。


 アメリカでは2Aと3Aの間で、くすぶっていたオーガスである。

 日本の場合は二軍であっても、アメリカよりは待遇がいい。

 アメリカのマイナーは日本ならば、独立リーグに近いであろう。

 実際にアメリカのマイナーは、また別のリーグとして認識されているのだ。




 試合の展開を見ていて、やがてベンチもブルペンも、落ち着いてきた。

 打線が先取点を取り、そして追加点を取っていく。

 オーガスは落ち着いて五回までを無失点に抑え、そして六回に初めての失点。

 ただこの時点で3-1という点差であれば、あとは勝ちパターンのリリーフ陣を使えばいいのだ。


 豊田も落ち着いて、国吉からのピッチャーを準備していった。

 今日は相手の打席の左右を見て、先に大平を出していく。

 七回をしっかりと抑えて、そしてその間にレックスは追加点。

 より楽になった状況で、国吉が八回に投げる。


 一点を取られてしまったが、それでも後続をちゃんと切った。

 4-2という二点差で、クローザーの平良に回ってくる。

 今シーズンここまで、セーブ機会で二失点をしていない、安定感抜群の平良である。

 それでも今日の試合の前までの、変な空気であったならば、絶対はない野球が展開されていたかもしれない。


 今日の殊勲者は間違いなく、先発のオーガスであった。

 数字が良かったというのもあるが、完全にチームのムードを変えたのだ。

 直史なども力技で、同じようなことを出来たかもしれない。

 しかしそれは普通に行うより、ずっと大変なことであったろう。

 オーガスの持っている特性が、自然とムードを変えたのだ。

 それでも一回の表を抑えるのは、かなり重要なことであったろうが。


 オーガスからしてみれば、ドラフトで指名はされたものの、メジャーに上がれない数年間を考えれば、今の環境は天国だ。

 それは確かにNPBで結果を残し、またアメリカに戻るという方が、金銭的には成功したのかもしれない。

 だがアメリカにおいての苦しい期間は、オーガスにとって精神的なプレッシャーを感じさせる。

 日本の野球を甘く見ているわけではないし、実際にポストシーズンで負けてしまってもいる。

 しかしレギュラーシーズンでは、アメリカのマイナーで投げていたよりも、ずっと楽に投げられるのだ。

 またNPBの応援はおおよそ、MLBのレギュラーシーズンより、熱心にスタジアムを埋めてくれる。

 まあ日本も昔は、パの試合など極めて観客が少なく、外野スタンドでは流しそうめんをしていたのだが。


 アメリカは今も、開幕戦だけは見ても、そこから一気に客が減る球団が多い。

 ポストシーズンが始まるまでは、ほとんどレギュラーシーズンは見ないというファンもいる。

 日本の場合はホームゲームで、一万人集められないチームなど、今は考えられないほどだ。

 チームによるが二万人はだいたい集めるし、ライガースなどは全試合満席だ。

 このあたりもう、球界の盟主などという存在は、他に移ったと考えてもいいだろう。

 もっともライガースが盟主などというと、おそらくライガースファンでさえ、それは違うと思うだろうが。


 平良が無失点で抑えて、4-2でレックスは勝利。

 おかしな雰囲気を払拭する、連敗をストップさせた。

 正直なところ、ここ最近不気味な強さを見せるカップス戦前に、連敗が止まったのは大きい。

 たとえカップス戦の初戦が、直史のローテであってもである。

 監督の西片が、笑顔でインタビューに応えていた。

 試合の決着した時には、オーガスと握手もしていたものである。




 移動日があって、そしてアウェイでの三連戦となる。

 直史はそれも考えつつ、マンションに戻ってきた。

 現在は甲子園で、高校球児の熱戦が毎日行われている。

 もっともこの日は、白富東の試合はなかったが。


 一回戦はひどい試合であった。

 あれはもう昇馬の化物具合と、桜島の徹底した路線に、やんやと喜んでいる客席の様子が見えたが。

 プロ野球は確かに、職業野球である。

 だが直史にとっては職業野球と感じているのは、大学野球であった。

 数字を残すことによって許されていた、各種の特権。

 有無を言わせない結果によって、黄金期を作り上げたのだ。


 高校野球までが本当に、ただ自分のやりたいだけで、全力を尽くしていたものだったろう。

 あとはワールドカップやWBCも、日の丸を背負っているという雰囲気があって、高揚したものである。

 たださすがにこの年齢になると、もうWBCなどに選ばれるのもしんどくなる。

 かつてアメリカ代表には、直史以上の年齢で、選ばれていたピッチャーもいたが。


 WBCに出場すると、特にピッチャーはそのシーズンの数字が落ちる。

 だいたい事実であり、故障するピッチャーも多いのだ。

 そもそも直史としては、今はもうコンディションを作るのに、精一杯になっている。

 だから来年のWBCにも、出場することはないだろう。

 ああいうものは若い選手が、また飛躍する場所であるはずなのだ。

 それでも出場してほしいと言われたら、代わりに昇馬を推薦するだろう。

 大学時代に特例で出たのだから、高校生を特例で出してもいいはずだ。

 そもそも今の高校野球では、昇馬を打てるようなバッターは司朗の他に、二人ほどしか思いつかない。

 それもヒットが打てるか、というレベルである。


 なんなら司朗も特例で出して、一緒のチームにしてしまえばいい。

 正直なところNPBのほとんどのバッターより、司朗の方が上である。

 また昇馬よりも速いストレートを投げるのは、武史しかいない。

 そして武史と昇馬を比べた場合、直史は昇馬の方が強いと思う。


 昇馬が野球にそこまで強い思いを抱かないのは、ライバルとなるべき選手がいないからだというのも一因だ。

 確かに司朗はかなり歯ごたえのある相手だが、どこか身内という空気がある。

 昇馬をプロの世界に目を向けさせるには、もっと切実にライバルと感じさせる存在が必要ではないのか。

 直史としてはそう考えるが、そもそも昇馬の精神は、ちょっと現代人とは違うところがある。


 あまり子供たちのことばかりを考えていては、自分が不覚を取るかもしれない。

 直史はそのあたり、本当に油断をしない人間ではある。

 メンタルの構造がおかしいという点では、他人のことは言えない。

 まだしも単純な野球小僧の大介の方が、他の人間にとっても分かりやすいだろう。

(どうにか日中、甲子園まで行けないものかな)

 そこまでの過程で白富東が負けるとは、思っていない直史である。

 正確には昇馬なら、負けないだろうと思っているのだが。


 負けるとしたらそれは、キャッチャーの負傷などによるものであろう。

 あるいは桜印と帝都一、この2チーム相手にほぼ連戦の形になるか。

 昇馬を除けば上杉将典は、世代ナンバーワンのピッチャーであるだろう。

 ただこの世代のピッチャーには、他の世代ならナンバーワンだなと言えるピッチャーが揃っている。

(さすがにもう、俺たちも長くはないしな)

 子供世代のプロ入りと共に、世代交代は進むであろう。

 NPB自体の人気は、あまり落ちて欲しくない。

 そう考える直史であるが、彼自身は果たして何歳まで衰えないのか、周囲からは化物のように思われていると、あまり自覚していないのであった。

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