第324話 油断

 首位レックスは、スターズ相手に三連勝した。

 そして迎えるのが、相性がいいフェニックス。

 しかもホームゲームのため、さらにこちらには有利。

 そんな考えが、最初からあったのかもしれない。


 プロの試合に絶対はない。

 レックスの選手はそれを、ちょっと忘れかけているのではないだろうか。

 主に誰かさんが、絶対に点を取らせないので。

 それでも絶対に勝てるとは限らないのは、今シーズンも一試合、引き分けがあることが証明している。

 点を取らなければ勝てないのだ。

 そして一試合を完封してくれるピッチャーなど、NPBではほとんどいない。

 狙って出来るピッチャーなど、二人ぐらいであろうか。


 そんなわけでフェニックスとの試合、初戦を塚本で落としてしまった。

 六回を四失点と、パッとしないピッチングであったのも確かだ。

 しかしレックスは最終的に、四点までしか取れなかった。

 一度も追いつくことは出来ず、4-5で僅差の試合を落としたのである。


 同日、ライガースもタイタンズを相手に、まずは敗北していた。

 なので差は変わらないが、もちろんいいことではない。

(別に特別悪いことはなかった)

 塚本の失点の段階には、いくつもの偶然が作用している。

 だからちょっと違っていれば、勝っていてもおかしくない試合であったのだ。


 敗北は痛いことだが、気にしすぎてもいけない。

 これはただの敗北であり、それ以外の何者でもないのだ。

 今までもフェニックス相手に、全勝であったわけではない。

 そもそもレックスが負けている時に、ライガースも負けているというのは、悪い流れではないはずだ。

 ただしこれを引きずってしまえば、それこそ悪い方向に流れは傾いていくだろう。


 第二戦の先発は三島である。

 今年はこれまでフェニックスに五試合投げて、全て勝利している。

 三点以上取られた試合はなく、直前の八月上旬の試合でも、七回を投げて無失点。

 ここまでのフラグが立っていると、逆に何か怖くなってくる者もいるかもしれない。

「そろそろ負けてもおかしくないからな」

 直史はのんびりとそう言ったが、クラブハウスでの何気ない一言である。


 三島は比較的、プレッシャーにも強いピッチャーだ。

 この二年間はポストシーズンで、あまり活躍出来ていないようにも見えたかもしれない。

 だが相手チームのエースとの投げ合いでも、互角以上の勝率を持つ。

 そして今は、相手のエースとは直史が投げあうし、それ以外はレックス首脳陣が強いピッチャー同士で戦わないという戦略を取っているため、勝ち星が積みあがるというわけだ。


 ただ試合に勝てばいいというわけではない。

 どういった経過で試合に勝っているのか、それを気にしている。

 メジャー挑戦を考えた日からは、試合の勝敗に一喜一憂するのをやめた。

 それを考えるのは、ポストシーズンだけでいい。

 レギュラーシーズンは目の前のバッターに、集中して一球ずつを投げる。

 その結果がどう数字に出るのか、それが重要であると考えるようになったのだ。




 今年、シーズンが終わればポスティングで、メジャーに行くつもりの三島である。

 だが一つ、自分に条件をつけている。

 ポストシーズンの試合で、一つは必ず勝つということだ。

 去年はライガースとマリンズ、両方に負けてしまっていた。

 もっともそれを言うなら、レックスはほとんど直史で、ポストシーズンを勝っているようなものだ。


 三島から見ても、直史は化物というか、もっと名状しがたい何かである。

 悪魔と取引をして今のピッチングを身に付けたなどとは言われるが、悪魔と取引した程度であれは、ちょっとありえない精度である。

 そんな三島に関して、豊田は直史に問いかける。

「あっちでも通用しそうか?」

「どうだろうな」

 そんなことはやってみないと、分からないのが正直なところだ。


 これは通用するだろうな、と思ったピッチャーはいる。

 本多、蓮池、武史あたりは、通用すると思って通用した。

 本当に通用するのか、と思ったピッチャーが通用したりしたこともある。

 どうなんだろうな、と微妙に思ったピッチャーは、成功したり失敗したり。

 豊田などはメジャーに来ても、数年間は稼げたのではないか、と口にはしないが考えている直史である。


 レックスの元同僚では、金原などはメジャー級と言われていた。

 ただし高校時代の故障や、登板間隔をしっかりと守るところから、メジャーでは潰れるのではないか、と思った。

 通用はしても一年だけでは、総合的に見てマイナスになる。

 後にメジャーのスカウトと話したところ、そういう評価であったことを知っている。


 それにメジャーで通用するといっても、二年ほどでパンクするピッチャーがそれなりに多かった。

 中六日と中五日という、登板間隔の違いがある。

 また試合日程に移動の負担、メンタル的なプレッシャーも違ってくるのだ。

 単純に強打者との対決が多い、というものばかりではない。

 そもそも生活習慣からして、日本とは大きく違うところがある。


 自分一人でどうにかする、というのは不可能であろう。

 そう考えると一人で渡米し、どうにかしてしまった坂本は、精神構造が違うと思うが。

 そもそもキャッチャーで左利きで成功というのが、本当に意味が分からない。

 直史にとっても珍しく、相性が悪い相手であった。

 味方であれば頼りになるプレイヤーだったのだが。


 プライベートを管理してくれるパートナーが、絶対に必要だ。

 また三島の場合は、通訳も必要になるだろう。

 契約のややこしい条件なども、果たして柔軟に対応出来るのか。

 若いうちに行った方がいいという人間と、NPBで揉まれてから行った方がいいという人間がいる。

 直史としてはそれは、その個人による、としか言いようがない。




 大介にしろ直史にしろ、そして武史もだがバックアップ体制があった。

 上杉なども1シーズン限りと、最低料金でリハビリ代わりにプレイして、セーブ王になったりした。

 10倍払うからうちでと言われて、それでも日本に戻った上杉である。

 彼のアメリカとのパイプなどは、樋口がその後に作ったものだ。

 金と伝手と名声を目当てに、MLBで活躍した樋口。

 そんな樋口を獲得した上杉兄弟は、やはり先見の明があったということなのだろう。

 樋口も大学時代の予定より、よほど自分の権力を獲得している。

 彼のMLB移籍、しかもアナハイムへというルートも、代理人によるものである。


 さてそんな三島であるが、本日は調子がいい。

 ただしレックスの打線が、調子が悪かった。

 第一戦でフェニックスを、甘く見ていたというわけではない。

 いや、甘くは見ていたのであろうが、そこまで深刻になることはなかったのだ。

 なんだかんだ最終的に、四点は取っている。

 今日はそれ以上取ろう、と変に力んでしまったのか。


 今年のフェニックスは、完全なボーナスステージであったはずである。

 リーグ戦では全てのチームに負け越していて、もうどうしようもない最下位だ。

 もちろんここから全勝して、五位のタイタンズが全敗でもしてくれれば、最下位を逃れることは出来る。

 しかし既にAクラス入りは不可能となっている。


 そんな状況でも、プロならば自分だけは最善を尽くさなくてはいけない。

 試合に勝っていなくても、自分が点を取っていれば、最悪FAで高額移籍出来るではないか。

 そういったことも考えないのが、今のフェニックスであるというのか。

 だが変に相手の打線がぎこちなく、なんとなく二点を取れていれば、六回が終了した時点で2-1とリードしていた。

 勝てそうと思ったら、それなりにやる気も出るものだ。

 レックスベンチとしては、ここでリリーフをどう使うか、そこが微妙なポイントなのである。


 フェニックス相手に連敗する。

 それはずっと続いてきた、今シーズンの流れを止めることにつながらないのか。

 開幕からずっと、連敗はあっても三連敗は、雨天中止を挟んだ特別な状況のみ。

 だがフェニックスごときに、もしも連敗などしてしまったら。


 ドラフトで戦力均衡をしている、今のプロ野球である。

 アメリカなどと違って、負けても当たり前のチームが出る、という構造で運営されているわけではない。

 直史からすると普通に、負けることもあるだろうなと思うのみ。

 七回には国吉ではなく、須藤がマウンドに上がっていく。


 六回を二失点ということは、自責点のみであれば防御率は3となる。

 今のプロ野球の先発においては、悪い数字ではないのだ。

 それなのに2-1で、勝ち投手の権利を得られない。

 まあそういうこともあるさ、と九回をパーフェクトに抑えていて、勝利投手になれなかった直史は考える。


 野球においてはよくあることだ。

 もちろん直史のパターンは、語り継がれるレベルではあるが。

 そしてマウンドに登った須藤は、しっかりと自分の数字にこだわる。

 3イニングを一失点までならOKである。

 しかしベンチからの印象としては、ここで追加点を許してはいけない、という雰囲気になっている。


 ベンチからの攻撃の戦術が、結果的に失敗に終わったというものはある。

 だが一つの試合の一つのプレイに、そこまでこだわっていてはどうしようもない。

 野球は平均すれば、優勝しても四割は負けるスポーツだ。

 そこでの批判に耐えられないなら、監督などはやってはいけない。

 その意味では以前の貞本なども、充分に責任転嫁などは行わない監督ではあった。

 直史がいたことで注目され、より胃が痛くなったことは間違いないが。


 最終的には2-1のまま、フェニックスが勝利する。

 今季初めて、レックス相手のカードでの勝ち越しとなった。

 明日の試合でレックスが負ければ、カード全敗ということになる。

 今のフェニックスにそれは、ちょっと生き恥レベルであろう。

 21世紀枠で出場してきたような、そういうチームに負けるのとノリは同じである。




 これだから野球は面白いな、と直史は思う。

 チームの雰囲気が暗い中で、三島も不機嫌な様子を隠せない。

 野手にしても最後まで、追いつけなかったことが痛恨事になっている。

 ただ試合の途中から、明らかに打線はバッティングで、肩に力が入っていた。


 点がほしいと思っていたら、点が入らないのが野球である。

 目の前の一球に対して、どう対処していくかを考えていかなければいけない。

 正確には考えていては間に合わず、自然な形でバッターボックスに入らないといけない。

 そういったあたりの機微は、直史はもう忘れてしまっている。

 ただブルペンのテレビで見ていても、打線がおかしくなっているのは分かった。


 こういう時に直史は、チームの空気を変えることが出来ない。

 自分の登板ローテであれば、力ずくで変えてしまうことも出来るのだが。

 ローテーションピッチャーの限界と言うべきであろう。

 昔なら一回だけをローテ通りにして、二回から直史が投げるとか、無茶な采配もあったのかもしれないが。

 どのみち次はオーガスである。

 オーガスも5先発し4勝0敗と、フェニックスに苦手意識などはない。

 また彼は外国人選手なので、変な日本の雰囲気とは、違ったところのあるピッチャーだ。


 予告先発のない時代であったら、それこそ監督が直史に命じていたであろう。

 ただ直史は契約に、ちゃんとローテーションに関して注文をつけていたりする。

 42歳のおっさんが、今からいったい何が出来るというのか。

 コンディションを調整するのには、バイオリズムの微妙な把握が必要になる。

 満足なピッチングをするためには、そして今シーズンのレギュラーシーズンを戦うためにも、ここで投げるわけにはいかないのだ。


 これが昭和の時代であると、エースが自分から登板を志願などしていたらしい。

 直史もポストシーズンであるならば、流れを読んでそれもありだと考えるだろう。

 しかし残り試合は、まだ30試合近くもある。

 そしてライガースとの差は、ちょっと縮まっただけなのだ。


 横綱相撲という言葉がある。

 向こうが何かをしてきても、どっしりと構えて正面から倒す、というものだ。

 もちろん野球の世界では、相撲ほど実力差ははっきりしていない。

 ただ変に意識しすぎていたことは確かだ。

 相手を呑んでかかるというのは、プロスポーツではある程度必要なことだ。

 しかし上手くいかなかった時には、すぐに守る攻撃をしていかなければいけない。


 レックスはセットプレイからの得点が、持ち味ではなかったのか。

 それを失敗していた今日は、成功させようという意識が強すぎた。

 もちろん成功させるべきなのだが、成功させなくてはいけないと考えると、上手くいかないのが野球である。

 直史のように、波の立たないメンタルというのは、普通の人間が持てるものではない。

 そのあたりをどう修正していくか。

 第三戦はそれなりに、重要な試合になるのかもしれない。




 ライガースはタイタンズとの試合で、一戦目を落としたが二試合目は勝利した。

 そして三戦目も勝利するのだが、それはレックスには当然、同時間に開催のために分からないことである。

 試合の前からレックスのクラブハウスは、ぴりぴりした空気に包まれている。

 フェニックスに三連敗しライガースとの差が縮まれば、逆転の可能性も出てくる。

 もちろんまだ勝率は大きな差があるのだが、それでも全体の流れが変わる可能性がある。


 八月のライガースは、不利なはずなのだ。

 そこでレックスとの差を縮めることに、本当に大きな意味がある。

 ライガースは常に攻撃的なチームであるので、それも可能であるかもしれない。

 ただ連勝などをしたり、連敗をしないチームというのは、レックスのような守備的なチームの方がありうるのだ。


 どんなスポーツであっても、基本的に攻撃よりも守備の方が大事だ。

 流れというのは相手の攻撃を潰し、そこから生み出してくるものなのだ。

 それが分かっている人間が、果たしてどれぐらいいるか。

 一応は指導陣や指揮官ともなれば、おおよそ守備の重要さは分かっている。

 攻撃こそ最大の防御なり、という考えのチームもあるだろうが。


 守備こそ最大の攻撃である、という言い方も出来る。

 直史の投げる試合では、ほとんど引き分けもないのだ。

 プロの打線であれば、おおよそ一点ぐらいは取ってくれるもの。

 そして完璧なピッチングをすることで、相手のピッチャーにはプレッシャーを与える。

 これが通用しないのは、上杉や真田のような強メンタルの人間か、武史のようにプレッシャーをスルーするタイプだ。


 オーガスはアメリカ人で、MLBでは通用しなくて日本にやってきた。

 そして今年もここまで、10勝3敗という成績である。

 大きく試合を崩したのは、三回で五失点した福岡相手の試合ぐらい。

 高いクオリティスタート率を誇る、他のチームならエース格とも言えるピッチャーだ。

 もちろんレックスの、守備の堅さも影響してはいるが。


 直史からすると、重要なのは攻撃ではない。

 今のレックスはどうも、バッターボックスで力が入りすぎている。

 守備や走塁にスランプはないというように、まずはしっかりと守っていかなければいけない。

 相手の攻撃で点を取られないことで、流れを変えていかないといけないのだ。

 もっともこの流れというのも、かなりいい加減なものではあるのだが。


 オーガスにとって日本は、第二の故郷のようなものである。

 アメリカでは通じなかった自分が、日本では通じているというのも、理由としてはなんとなく分かる。

 それこそMLBは、NPBよりもタフであったからだ。

 しかし直史のピッチングを見ていると、人間の持つ可能性というものを、つくづく感じさせられるところがある。


 ここまでの連敗で、確かにチームには嫌な空気が流れている。

 だがオーガスは自分なら、それを変えられると思っている。

 ある意味では空気が読めない。

 日本人ではない自分だからこそ、自分のピッチングが出来る。

(ただ得点の方は、任せるしかないけどね)

 フェニックスとの三連戦最終戦。

 地味に重要な試合となった、この試合であった。

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