第320話 代打から

 悟は全力で膝を治してきた。

 根性があれば治るというものではないが、世の中には実際に、治癒が平均よりはるかに早い人間がいる。

 大介などがそうであるし、実は直史も相当に早い。

 悟もまたその部類であるのだが、今回の膝に関しては、今年中は代打まで、と言われてしまっていた。

「本当なら走るのも打つのも止めてほしいんだけど」

 じゃあ何をすればいいというのか。

 代打で出てフォアボールを選ぶ、ということでもしたらいいのか。 

 確かに出塁したら代走、というのは一つの手であるが。


 レックス戦で打ったのは、スタンディングツーベースであった。

 膝が完全な状態であるならば、三塁を目指していたかもしれない。

 だがそこはもう、限界を見極めるところである。

 現在のチーム状態や勝率などを見て、悟が復帰したとしても、Aクラス入りは難しいのが分かる。

 おそらく今年はカップスが、三位に滑り込むであろう。

 スターズは武史が離脱したあたりから、失速が目立ってきていた。


 悟としては代打が主な出番になるというのは、年俸分の仕事をしていないと感じる。

 もちろん実際のところは、今年の休んだ分を、減額して提示されるだろうが。

 ただオフの間にしっかり休めば、もっと確実に治るとは思う。

 そのあたり現場やフロント、そして悟自身の間で、折衷案として出てきたのが、この代打起用というものだ。

 それもあまち、足に負担をかけてはいけない。


 基本的に野球の中で、一番膝に力がかかってしまうのは何か。

 バッティングもそれなりに膝を使うが、これよりも大きな負荷がかかってくる。

 それは守備というものだ。

 ショートをやっていたら、確実に膝がパンクする、というものである。

 切り返して投げるという動作は、膝を回転させる動きになる。

 もちろんバッティングもあの一瞬のインパクトに、大きな力はかかるだ。


 これがパ・リーグであったなら、DHで大きく活躍出来たであろう。

 あるいは今年のオフにおいて、悟をトレードに出すなどということがあるか。

 これまで悟は移籍組ではあるが、タイタンズに貢献してきた。

 一応日本一になっているのも、悟が大きな働きをしていたからだ。


 盗塁数が減ったあたりから、ポジションをショートからサードにしている。

 足腰への負担は、内野のショートが一番大きい。

 ただ反応速度と、ファーストに投げる肩の強さは、充分にグラウンドを狭くするもの。

 ここからスタメンに復帰したとして、またサードに戻るのかどうか。

 ファーストか、あるいはいっそ外野にまで行ってしまうか。

 肩を活かすという点では、外野も悪くはない。

 急な方向転換がなければ、ダッシュなどではそこまで、膝に負担はかからないのだ。

 それにしてもこんな心配をせず、ショートで元気に飛び回っている、大介はやはり化物である。




 直史や大介、それに武史より若いと言っても、悟も今年が39歳のシーズン。

 偉大なる打者の多くが、それでも40代の前半には、バッターの場合引退している。

 逆に言うとレジェンドレベルでは、どうにか40代でも通用するのだ。

 悟は充分にレジェンドである。

 同時に神話レベルのプレイヤーが、ほぼ上位互換でいたことが、評価を下げるのかもしれない。

 だがホームラン数なども、歴代五指に入っているし、おおよその打撃の評価が歴代五位以内。

 そしてこのカードにおいても、しっかりと結果を残している。


 今年のシーズンはもう、代打で結果を残すのみか。

 それで年俸はどうにか、さほど下がらないところまで、評価を維持できるか。

 公傷扱いなので、限界以上に年俸が下がることはない。

 またこうやって八月中に戻ってきたのだから、より年俸を下げることは難しくなるだろう。

 このあたりフロントと現場では、考えが変わってくる。


 フロントの方としては、いくら金満球団とはいっても、無限に金をかけるわけにはいかない。

 節約できるところでは、節約していくのだ。

 いくら頑張っても、悟の年俸をこれ以上上げれば、完全にバランスがおかしくなる。

 正直なところ、MLBとは違うのだ、と言うしかない。

 今から言うならば、二度目のFAを取る前にでも、メジャーに行っていればよかったのだ。


 年齢的に考えても、この三年ほどが活躍の最後の場であろう。

 タイタンズは今年の補強で、和製大砲を狙っている。

 つまるところ司朗を獲得したいのだが、打撃に不足のあるチームは、全て狙っているといってもいいだろう。

 高卒で即戦力になりそうな野手など、リーグ全体で年に一人か二人いれば充分。

 司朗はそういうレベルの選手である。

 ポジションは違うが、高打率、高長打率、肩よし、守備より、走ってよし。

 悟に似たところはある。

 いや本当に、そんなフィールダーなら外野のどこかを守ればいいのだから、絶対にどのチームも欲しがるだろうが。


 スカウトは高校球児と直接交渉することが出来ない、というのが建前となっている。

 実際に証拠でも上がれば、大変なことになるだろう。

 ただ指導者である監督には、普通に会うことが出来る。

 その点では一番獲得に有利なのは、レックスであろう。

 なにしろスカウトの息子が、学校の監督をやっているのだから。

 だからといって逆指名のないのが、今の時代であるのだが。

 大学と社会人に逆指名があった時代は、表に出てくる契約金の数倍から10倍になるまでの、大金が動いていた時代である。


 実際に今でも、ある程度は裏工作は存在する。

 それでも21世紀初頭に比べれば、ずっとクリーンになったのは確かだが。

 武史などは関東のセ・リーグ以外ならば社会人に進む、などと正直に言っていた。

 今ではどこでもOKという、いい子な選手が多くなったが。

 ただし今でも「ライガースが第一志望です」と関西出身が言うのと、「カップスが第一志望です」と広島出身が言うのは、なんとなく許されている。




 昔は代打屋、などと呼ばれる存在のバッターがいたものだ。

 今では悟のように、故障明けの選手が結果的に、そうなっていることが多い。

 打てるのならば当然、スタメンで四回打ってもらった方がいい。

 四回もいい打席をしてくれたら、五回目すら回ってくるからだ。


 二戦目と三戦目も、ランナーがいる状況でピッチャーの打席が回ってきたため、悟は代打として出てくる。

 ただ試合の展開自体は、もう決まってしまったようなものだ。

 それにホームランを出すほどの、踏み込みをするのが難しい。

 練習であればボールは真ん中あたりに集まってくるので、踏み込む足にも安定して力がかかる。

 だが実戦で投げられるボールは、変化球であったり、アウトローの遠い球であったりする。

 膝に力をかけすぎるのを、恐れる気持ちはどうしようもない。

 なのでホームランに出来るようなボールでも、せいぜい外野の頭を越えるか、という程度になる。


 代打としてはそれでもいいのだ。

 場面によってはヒットがほしいというのもあるだろうし、チャンスを拡大するための場面もあるだろう。

 ケースバッティングが求められる。

 ホームランがほしいと思われても、そこでしっかりとヒットは打つ。

 打順も考えて、チャンスの継続なども考えるのだ。


 このあたりの悟の考えを、タイタンズの首脳陣は、なかなか理解出来ていない。

 リーグトップレベルの年俸を得ているが、まだまだグラゼニを稼ぎたいのが悟である。

 大介はとにかく、全力でプレイすることを、とことん楽しんでいた。

 それに比べると悟は、稼ぐためのプレイをする。

 そしてそれは別に、悪いことではないのだ。


 三戦目に、三試合連続でヒットを打ったことで、一気に打率が上がってくる。

 離脱したのがそこそこ早い時期であったため、母数が少ないからだ。

 こんな調子で打っていったのであれば、四割にも届いてしまうのではないか。

 もっともバッティングは回数を重ねないと、調子が出てこないというところはある。

 それにあまりに打っていると、スタメンに戻せという声も大きくなる。


 悟が抜けている今、タイタンズは外国人を、中軸に置いている。

 それなりに長打は打つのだが、悟のように打率までが高いわけではない。

 悟はケースバッティングが上手く、単打でいい時は普通に内野の間を抜いていく。

 この場合で重要なのは、スイングの自由度が高まることだ。

 第三戦もヒット一本で、打点を一点稼いでいる。

 もっともそれが勝利につながらないあたり、タイタンズも何かおかしくはなっているのだ。


 膝の調子はどうであるのか。

 医者の言葉では普通に、出来れば今年はもう、最後まで休んだ方がいいとなる。

 なんなれば引退してしまえば、これ以上悪化することはないし、将来的にその方がいいかも、とさえ言えるのだ。

 ただちょっと治ればまだ出来てしまうあたり、スポーツ選手に怪我はつきものである。

 まったく怪我をしてもあっさりと治してしまう、大介の耐久力はなんなのか。




 国吉が復帰してから、レックスの調子はやはり、良くなっていると言っていいだろう。

 勝率などの数字だけを見れば、それほど変わったところはない。

 重要なのは先発ピッチャーが、特に勝っている試合で、球数を少なめに抑えられていることだ。

 また打線の方にも、いい影響が出ている。

 これが本当に、リリーフピッチャー一枚の影響によるものだ。


 1イニング少なくしてもいいのなら、先発はクオリティを上げて、少しでも楽に投げることが出来る。

 これによって三振などが増えれば、野手は守備の方ではなく、打撃の方に意識の比重をかけられる。

 得点力がアップすれば、先発は余裕を持って投げることが出来る。

 好循環が発生してきていた。

 一度離脱した後だからこそ、このありがたみが分かると言えるであろうか。

 

 結局は連勝して、このカードも勝ち越しである。

 首脳陣はこの結果を、どこに原因があるのかちゃんと、ミーティングで話し合っている。

 チームの調子がいい時は、こういう時なのである。

 怪我人が出ないことが、まず強いチームを安定して作れる。

 また怪我人が出たとしても、ちゃんとそれを埋めることが出来れば、自然と勝利を持ってこられるのだ。


 本来ならリリーフピッチャーは、候補などいくらでもいるものだ。

 しかし絶対的なクローザーやセットアッパーは、なかなかいるものではない。

 復帰した国吉は、七回ではなく八回を任されることもある。

 そして普段は八回の大平が、クローザーとして使われたりもする。

 もちろんリードは二点以上で、そこそこ楽な場面であるが。


 レックスは次に、ホームでスターズと対戦することになる。

 日程の都合でここだけ、中五日での投球となる直史である。

 しかし試合のない日には、しっかりと体を休ませておいた。

 これによって中五日でも、どうにか対応出来るようになっている。

 そもそもMLB時代は、中五日ということが多かったのだ。

 それでも100球以内に抑えてしまえば、疲労はちゃんと抜けてくれるものである。


 コンディション調整は、先発ピッチャーの最大の課題である。

 そしてそういったメンテナンスなどのコントロールは、直史が一番得意とするところだ。

 スターズはまだ、武史が復帰できていない。

 なので直史と投げ合うピッチャーは、ちょっといないということになる。

 それでも中五日で、少しだけ違うことは違うのだ。




 直史はポストシーズンにおいては、完全にギアを切り替えている。

 ただそのクオリティをレギュラーシーズンに求められても、それは困るのだ。

 復帰の一年目にはそれを、レギュラーシーズンからやっていた。

 それが日本シリーズに進出できず、翌年もややピッチングのクオリティを落とす理由となった。


 だが逆に去年は、ポストシーズンでしっかりと、クオリティを上げていけた。

 クライマックスシリーズを楽に戦って、日本シリーズに進出する。

 そのためにはやはり、アドバンテージが重要になるのである。

 ペナントレースを頑張って優勝するのは、あくまでもその一勝のアドバンテージのため。

 直史としては自分一人の力で、どこまでチームを勝たせることが出来るのか。

 中三日や中二日はもちろん、連投までもしてしまうあたり、レギュラーシーズンでは体力を温存しておく必要がある。


 この日の中五日のピッチングは、今年のピッチングの中では、一番クオリティは低かったかもしれない。

 だがここまでの試合で、レックスの打線はしっかりと点を取れるようになっていた。

 神宮に直史のピッチングを見に来た観客は、今日はちょっと調子が悪い、珍しい直史を見ることとなる。

 初回こそ三者凡退に抑えたが、二回には既にヒットを打たれた。

 もっとも一回の裏に、先にレックスが点を取っていたことも関係するだろう。


 そして重要なのは、ゴロを打たせることに専念すること。

 もちろん追い込んでしまえば、三振を狙うこともあるのだが。

 基本的にはゴロを打たせて、出てしまったランナーもダブルプレイで消す。

 これが今日の直史の、ピッチングのパターンである。

 普段よりも少しだけ、ゴロの可能性が高い。

 ただしランナーの足によっては、フライで進塁を止めたりもする。


 状況に応じてピッチングの種類を変えるのだ。

 もちろん一つのことに特化した、そういうピッチャーもいることはいる。 

 だが今の時代は、変化球が最低三つ、使えるレベルで持っていなければ、一軍の先発は任せられない。

 直史の球種は三つどころではないが。

 重要なのは球種ではなく、それで相手の読みを外せるか、ということなのだ。


 フォアボールだけは駄目である。

 それが直史の考えだ。

 デッドボールは最悪、仰け反らせるために袖に当てても仕方がない。

 あとはゴロを打たせて、それがどの方向に飛ぶか。

 内野の間を抜けていく、ということがどうしてもあるのだ。


 今日の直史は調子が悪いのだな、と自然と周囲も分かっていく。

 なんだか人間らしさがあるが、言うまでもなく直史も人間である。

 1イニングに打たせるヒットは、せいぜいが一本まで。

 そんな無茶なピッチングを、直史はやってしまっているのである。

(よし、三つ)

 本日三つめのダブルプレイを奪ったところで、六回が終了。

 どうやら今日は、七回あたりで継投することになりそうだ。




 レックスの首脳陣としては、驚くしかない。

 今日の試合の前ではなく、それよりもずっと前に、先発の日程を示された時から、直史はこの日の調整不足を訴えていた。

 一日ずらして、中六日ならば良かったのだが。

 もちろんこういったピッチングをしていても、抑えられる場合はある。

 ただスターズの今の打線は、比較的つなげる打線だ。

 ならばつながせられないように、こういうような投げ方をするしかない。


 七回を終了した時点で、球数はジャスト100球。

 さすがに狙っていたわけではないが、想定の範囲内ではある。

 ここから大平と平良、二人を使うことはなく相手を抑えてもらう。

 6-0という点差なのだから、もう勝っても当たり前という展開。

 勝ちパターンのリリーフは、使う必要もないであろう。


 直史が珍しくヒットを打たれるので、打線の方も頑張ってしまった。

 そんな試合であったが、結果的には完全に、普段よりも圧勝である。

 八回から出てきた須藤は、2イニングを投げて無失点。

 つまりそこから点がレックスに加わり、7-0で完勝したのである。


 見ているだけでは、これは分からないだろう。

 しかし味方の側からしたら、七回を無失点で、しかもダブルプレイを三つも取ってしまった。

 内一つは自分自身によるもので、ヒットは六本も打たれてしまったのだ。

 またよく分からないことをしている。

 そう思われてしまったが、さすがに迫水あたりは今日、登板間隔が違うので、調子が微妙だとは言われていたのである。


 確かに微妙なのかな、と思わないでもなかった。

 奪三振が少ないのは、確かなことであったからだ。

 しかしヒットを打たれても、盗塁を一つも試みさせていない。

 そういった微妙な技が、直史のピッチングにはあった。

 打線の方が動いたのは、逆に新鮮なことである。

 普段から一点や二点しか、援護をもらえないことが多い直史。

 ただここ数試合は、楽に投げることが出来ている。


 スターズとしては悩ましいものである。

 ともかく残りの二試合、なんとかしなくてはいけない。

 レギュラーシーズンの残り試合は少なくなり、だんだんと三位のカップスとの差が開いていく。

 やはり武史がいないことで、圧倒的な完投の可能なピッチャーがいないのが、この原因なのであろうか。

 ただ今年はその武史も、そこそこ打たれてはいるのだ。


 九月に間に合うか、という話であったのだが、当初予定よりも早く、八月には間に合いそうだと聞いている。

 ただそうなるとスターズとしても、フロントはドラフト指名権のことを、考えるようになる。

 今年は多くのチームが、指名で重複する可能性が高い。

 ならばあえて他の選手を一位に、とは考えるものであろう。

 しかし一位指名というのも、まだプロ志望かを明言していない。

 最近の高校生は、そういうタイプが多いのである。

 もっとも大学を経由するとなると、四年もまた鍛えられるのか。

 今の段階で既に、プロ並とは言われている。

 そういう素材はさっさと、プロに入ってきてほしい。


 一応はレックスが、唾をつけた状態ではある。

 だが指名して交渉権さえ得られれば、いくらでも説得する材料はある。

 もっとも司朗としては、スターズだけはちょっとやりにくいな、と感じているのだが。

 あとは甲子園に出場した時に、関西のチーム相手にも勝ちまくっていたことから、ライガースもちょっと行きにくい。

 ただプロにとっては、そんなことは関係ないのだが。


 セ・リーグの順位はおおよそ、今年は決まりつつある。

 それこそ一位から六位まで、ほどほどに差があるのだ。

 ここから逆転する可能性は、もちろんどこも残されている。

 だがフェニックスなどはもう、ドラフトで少しでもいい選手を取るために、今シーズンは諦めているかもしれないが。

 スターズも停滞している。

 フロントがどう考えようと、現場は勝利を目指すだけである。

 レックスとしては無理をしないように、ライガースとの差を保ち続ける。 

 そんな中で不気味な存在なのは、勝ち越していないカップスの存在なのであった。

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